怪物の胎動
世界に闇が産まれた……その表現は正しくあり、間違っていた。闇は産まれただけではなく持ち込まれた。
世界が認識する闇とは違う種の闇は、世界から排除される事なく膨らみ、運命すら蝕み始めた。
世界は異物を排除しようとする、だが、その異物が強大すぎて世界だけではどうしようもない時、世界は勇者の存在を容認する。
かくして、闇を払う光の勇者は存在を容認された。それが世界にとって、猛毒に寄る確実な死を防ぐために死の可能性を含む劇薬を飲み干すような事だとしても。
「……と、言うわけだ……すまない、考え得る中で最も高い可能性だったのだが…」
夜……と確信を持って言えるのは、ここが自分の夢だと陣自身が理解できているからだ。目の前にいるのは火の精霊、多くの媒体で短絡な、力に重きを置いた存在と描かれがちな彼は、陣が想像していた以上に細面の優男で、理知的な印象を受ける姿をしていた。
本人曰く「あれもあれで面白いから好き」だそうな。
そんな彼から伝えられたのは、後に魔王となる子供が殺された事、彼らの計画が全て潰れた事だった。最も、その子供が殺されたこと自体はそう大きな問題ではなく、それによって魔王の「資質」とも言えるものが次にいつどこで顕現するかが誰にも分からないという処に最大の問題がある。
それが今この瞬間なのか、100年後なのか、数秒後なのか、或いは不可思議なほどの時が過ぎてからなのか、それを予見できるものはこの世に誰も存在しなかった。
「ともあれ、当初の計画は遂行が不可能になった……世界が勇者を呼び寄せた事もある」
「勇者、ですか」
「あぁ、光の勇者、君も何度か聞いたことはあるだろう?」
火の精霊、という割には蒼と白を基調としたローブのような服を揺らしながら、彼は話を続ける。陣はその色が表す意味も理解できた。しずかに青白く揺らめく超高温の炎、蒼炎。それだけの力を表す、その象徴。
「正直に言う、RPGやファンタジー作品に出てくるのと違って、世界が呼び込む勇者というのは……世界そのものにとって劇薬なんだ。そうだな……医療行為で痛みを軽減するために麻薬を利用したりするだろう?あんなものだと思ってくれればいい」
ともあれ、世界の危機はおこり、安全装置は作動した。その世界に属するものができる事は、その対処が上手くいくように願う事、見守る事。
「ともあれ、こちらでも手は尽くしてみる、君は、君の成したい事を……」
周辺がぼんやりと歪み、精霊の声が遠くなる。声が消えるころ、陣の目がうっすらと開いた。
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「あ、おはよう」
「あら、おはよう」
身支度を整え、下階の酒場部分に下りるとそこに昨日の二人、ニールとアクイラが居た。周りの人々が二人を……特にニールをもの珍しそうに見ている。
当のニールは慣れたもの、という表情で通しており、アクイラはやはり目が半分開いた状態で、のほほんとした雰囲気を漂わせている。
「おい、おいジン!」
「どうしたの?グルス」
腕を引っ張られてグルスに声を掛けられ、陣はきょとんとした表情を浮かべる。
「お前なんで翼人と知り合いになってんだよ、ていうか俺も初めて見たぞ」
「翼人?」
「あぁ、それ私の種族ね、ヒュムネなんかからはエルムの亜種とか言われてるけど」
話が聞こえていたようだ、ニールがグルスに変わって答える。気づくと彼女は陣とグルスの傍で立ち話モードになっていた。
「はじめまして、ニール・ファリアよ」
「グルス・ザーラントだ、以後、お見知りおきを……こんな美人さんとお近づきになれるとは、ジンが羨ましいぜ」
「あら、お上手……誉めても何も出ないわよ?」
ころころと笑うニールの背後では、アクイラが早速食事を注文している。前日の大量に食べる姿はどこへやら、今日はごく標準的な注文で終えていた。
「しっかし、翼人なんてほんとに居たんだな、オイラはてっきり作り話だけの事かと思ってたぜ」
いつの間にそこに居たのか、グルスの隣で鳥のローストを頬張りながら、ネレッドが呟いていた。
「ま、いわいる知恵ある者より圧倒的に数少ないからね、けど、知恵や何かが無いかと言われると、今話してる通りよ?」
「実際服着て目の前で流暢に共通公用語話してるからな、オイラは目の前の現実は受け入れる派なんだ」
このフービットはそれだけ答えると、興味を無くしたようにローストに夢中になり始めた。
「おはよ~……ってグルス、また見知らぬ女の子引っ掛けてるの?マリアさんに言いつけるよ?」
「ぐ、そりゃ勘弁してくれノーリ、それでなくても最近は纏わり付かれてるんだ」
入れ替わる様に話に入ってきたノーリは、いかにも面白い場面に出くわした、と言いたげにニヤニヤとグルスのわき腹を肘でつついている。
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食事を終えたころ、アクイラがニールの袖口を引っ張って尋ねた。
「ニール、これから、どうする?」
「当初の予定通り、鉄工街を目指すわ」
「じゃ、南だね……」
今後どこに行くかのざっくりとした確認を終えると、ニールは陣に向き直り……
「まぁ、そう言う訳だから、数日ここで準備していくわ」
「あぁ、あんたらも鉄工街に向かうなら丁度いい、ジンを一緒に連れて行ってやってくれないか?」
陣よりも早く、グルスがニールとアクイラに声を掛ける。
「いや女の子二人組に男連れてってくれっていきなり飛ばしてくるわね」
「さすがに、身の危険……でも、悪くないかも?」
さすがにジト目になるニールと、茶化しているのか、口元を隠してくすくす笑うアクイラ
それに対して陣は少しきょとんとした表情を浮かべる。
「グルスは来ないのか?」
「あ~いや……それなんだが……」
珍しく言葉にし辛そうに、グルスが後頭部に手をやる。
「えーとね、まずアタシがしばらくここで鍛冶の修業していく事になり」
「なんでもやたら腕のいいドゥビットの親方に目ぇ付けられたらしい」
「オイラはもう縄張り離れちまってるからな、大石橋に戻らねーと」
「こいつはコイツでやる事ができたみたいでな」
ノーリとネレッドがそれぞれの都合で離れる事になり……
「で、オレなんだが……マリアが離してくれねぇ、それに、ああいう事があった直後だ……万が一があったらと考えるとな……」
「いや、幼馴染なんだろ?それ位普通……で、結局皆いつになったらこのあたりから離れられるか判らない、か……けど、1年や2年待つくらいは……」
別に先を急ぐ旅ではない、必要なら年単位で拠点を置いてジルコニアで過ごすのも陣としては問題なかった。
「俺もそう言いたいが……ジン、鉱山で見たあのバケモノ、覚えてるか?」
「あぁ、しばらく夢に見た」
一度皆でテーブルを囲み、がやがやとした雑踏の中で状況の報告を開始する。
「鉱山を調査した結果、俺らがなんとか仕留めた奴がすっぽり入りそうな大きさの横穴が見つかったそうだ」
「は?」
思わず陣の動きが止まる、4人が全力で相対して結局仕留めることが出来ず、落盤まで使ってようやく倒したあのバケモノよりも巨大な何かがあの場に存在したとの言葉に、間違いなく陣の思考と行動は停止した。
「……さらに悪い事にな、方向が鉄工街なんだ、でかいだけでなく進みも早い、1日じゃ尻尾もつかめなかったらしいからな」
「このあたりの地図、あるか?」
驚くよりも先に状況の確認が頭をよぎった。近場を行く旅人の為に作られた周辺の集落や村を押さえた地図を広げ、陣は尋ねる。
「調査隊が穴を見つけたのは?」
「3日前、そこから1日追跡してる」
つまり最短4日の差……状況によってはもっとか、と思いながら、南街への距離を八等分して徒歩1日の距離を大雑把に出す。縮尺など判らないのだからそこは感覚で行くしかない。
「ここから鉄工街までは?」
「徒歩で1月って所か」
相手の1日で進む速度が判らない、人間の速度とほぼ同じと仮定するしかないが、それはあまりにも遅く見過ぎだろう。
「待ってりゃ間に合わなくなる、か」
「あぁ、だからジンには親父の書を持って鉄工街にすぐに向かってほしい、で、その護衛を二人に頼みたいんだ」
「噂は聞いてたけど……そんな化け物が……判ったわ」
「あ、まって」
今にも動き出そうとする一堂にまったをかけたのは、半眼で地図を見ていたアクイラだ、彼女は陣に手招きする。そして陣を椅子に座らせると、目を閉じて額を合わせた。
「なななななななななななななななななっ!?」
「静かに……気を乱さないで……ジンくんのであったバケモノを、思い出して」
完全に目を閉じたアクイラの顔が、陣の目の前にある。けっこうな美少女の、いわいるキス顔が目の前にある訳で、滅茶苦茶に慌てる内心はそのまま、陣はあの時の化け物の姿を思い浮かべる。
「天より見通す眼は、万象を知り万里を見通す……遍く全ては神の目を逃れる事あたわず……青鱗の魔女が願う……示したまえ」
アクイラが詠唱を終えると、地図上に小さな光が浮かび上がった。
「そいつは……多分その辺りから、徒歩で1日圏内のどこかにいる、と思う」
陣から離れ、軽く紅潮した顔を隠そうともせず、ふぅ……と息をつく。その様に陣はもとよりグルスまで頬を赤らめ、二人してニールにドつかれていた。