なんでもない日の波乱
身長は陣が知る所で、高学年の小学生程度。それに対して密な筋肉のついた体は横に広く見え、全体的なシルエットはずっしりした感じ。顔つきに目を向けてみれば、大きなくりっとした目と団子鼻……と、陣の同級生あたりがその姿になったら悲鳴を上げるだろうドゥビットは、今日も街中でウィンドゥショッピングを楽しんでいる。
ウィンドゥショッピングと言っても一般的なヒュムの女の子がするようなものを想像すると壮絶な肩透かしを食らうだろう。彼女がうっとりと見ているのは重量級のモールだったり、精密な意匠をこらしたグレートソードだったりするのだから。最も、鍛冶を生業とするドゥビットとしては有りがちな……ものとも言えないのが苦しい所だ、と彼女と同じドゥビットが呟いたりもしていた。
今日も今日とて、彼女は工房にこもり槌を振るう。鉄を叩き、ただの塊に過ぎなかったそれを、武器の形に整え在り方を与える。彼女の槌の赴くままに、鉄塊は片手での取り回しに重きを置いた刃へとその姿を変えていく。
力強く槌を振るい、強固にして柔軟な刃を打つだけが鍛冶師ではない。ブレードの制作に区切りがついた彼女は、今度は木工作業台でグリップの制作にかかる。握り一つ、その使いやすさ一つで剣は化ける。ドゥビット特有の器用な指先と、観察眼は並みの人間の使い手なら違和感の一つも感じないような微細なズレを整えていく。
良い出来の剣は、優秀な武器なだけでなく、美しい美術品でもある。彼女の好む装飾は質素なものではあるが、その分質を高めていた。金銀の細工途中で出た細かい屑や欠片を集めて何度も熱し、不純物を徹底的に取り除いた後、限りなく薄く延ばした金属で、柄飾りを彩る。鍛え鍛えられ白銀に光る刃と相まって、その片手剣は芸術品もかくやという美しさを醸し出していた。
「よしっ」
作業に区切りもついて一息。出来上がった片手直剣をもう一度なめる様に見て全体を確認し、ウェポンラックに掛ける。
高温の炉が発する熱に長時間さらされて、それでも彼女の肌が年若い娘の張りと艶を維持しているのは、日常の手入れの賜物でもあるが、ドゥビットという種族の恩恵も大きい。それでも一仕事終えた後の彼女は、風呂を使う。汗だくのままと言うのは、好きではない。
耐火耐熱に長けた厚ぼったい作業着を脱ぎ捨て、汗まみれになったインナーを洗濯篭に放り込み裸になると、温めの湯を張った石窯に飛び込む勢いで入り込む。
「あーっ気持ちいぃ~~~」
ヒュムネの男性と比べても長く、太いと言える腕と、反比例するように短い足をぐっと延ばし、汗だくになった体が清められていくのを感じる。解いた長い髪が湯に浮かぶのは少々厄介で、同性の友達には「良いから風呂に入る時は纏めろ」とも言われるが、どうせ一人なら、めんどくさいからという奴だ。
ブラシでよく石鹸を泡立て、中々泡立たない。
「んぐ……泡立たない……」
どうやらこの石鹸はハズレの様だ、石鹸は熟練の職人が作っても当たり外れが激しいので仕方ないが。
全身くまなく洗ってから、ノーリは再び湯に入り込み、ブラシを駆使して全身の石鹸を取り除く、膝裏や肘の内側の石鹸を取り除き損ねると、なんだかぬるぬるしてとてもよろしくない。
「たまにはいいの使いたいなぁ」
丁寧に体を洗い流すと、石窯から出て持ち込んでおいたタオルで全身を拭き上げる。替えの服は年頃の女性らしく可愛らしい印象を与えつつ、ドゥビットらしい機能性を突き詰めた簡素さが同居している。
流行のデザインからかけ離れたものであるのは、果たして本人の趣味か否か……同じ年頃のドゥビットの女性に聞いたら、一緒にしないでと言われるのは確実だろうが。
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ノーリが作業を終えて風呂に入っている頃、陣は特に当てもなくクリスタルエリアをぶらついていた。
最近は空いた時間に単独行動をとる事もしばしばみられる、異世界にも慣れてきた、って事か、と変な納得などしながら……籠手の一つでも買ってみるか、と繁華街の方に歩を向けて。
町の広場を中心とした商店街には種々多様な店が軒を連ねる、その騒がしさはやはりどこかで東京を思い出させ、陣は軽く寂しくなったりもする。BGMとして流れる流行歌や、自動車のエンジン音こそしないが、そういった音を今は懐かしく感じていたりした。
「なぁ、知ってるか?帝国に勇者が現れたとかどうとか」
「ただの噂だろ、自称勇者がこの国だけでどれだけいると思ってるんだ」
そんな話が、ここの所まことしやかに聞かれるようになった。女神教において光の女神に導かれて現れるという、光の勇者。その噂を聞くたびに、陣は少し考えるようになった。
そんな噂が流れてくるという事は、帝国で領土拡大の為の戦争に対して厭戦感情が出始めたのか、それとも逆か……。
あるいは、ただの事実として光の勇者が女神によって導かれたのか。それを一概にあるわけが無い、という気は陣にはなかった。なぜなら、陣自身が世界を渡ってきたマレビトなのだから。勇者くらい、召喚されてもおかしいことは無いだろう。そんな事を考えながら、物音に反応して目を向けた先で、それが始まっていた。
「逃げろ!!」
悲鳴に近い……否、悲鳴その物な声が辺りに響き、それをかき消さん勢いで何かが陣に向けて走ってくる。すらりとした長い尻尾でバランスを取りながら、頑強な後肢で地面を蹴り付け、短いながらしっかりと伸びた首の上には、小さな角をいくつか生やした龍のような頭がついている。
陣の脳裏に一瞬、ヴェロキラプトルや、オルニトミムスという単語が浮かんだが、呆けている暇はなかった。本能的に道の端に身を投げ出すように避け、竜との直撃を避ける。全身をしたたかに打ち付けるが、吹っ飛ばされるよりは遥かにましだろう。つい先ほどまで自分がいた所を暴走竜がつっきり、その辺りにあった大きめの樽や木箱が跡形もなく破壊される。
(あかん)
頬を一筋、冷たい汗が流れた。あれの直撃を喰らったら良くて複雑骨折だな。とか頭の中が変に冷静に考える。
一瞬でも思考がそれたのが運の尽きだったか、背後に響く破壊音に陣が振り向くと、そこには先ほど駆け抜けていったのとほぼ同じ姿の竜が突っ込んでくる姿があった。しかも悪いことにそいつはバランスを崩し転倒、両足、両腕、首、尻尾をばたつかせながら陣に向かって相当なスピードで接近してくる。
(あ、死んだ)
崩れた体制では避けられない、立ち上がっている間に直撃を喰らうだろう。防御した所で質量差は覆せない、横転して滑り込んでくる乗用車を、生身の人間がどうこうできないように。
「風は厚き壁となる・大地は留まるを知らぬ者の足を掴む」
その時、聞こえてきたのは詠唱。現れた現象は、陣の前に展開された分厚い空気の壁。同時に展開された魔術が強烈なまでの摩擦を生み出し、転倒した竜はその勢いを急激に止める。
「大丈夫?」
ふぅ、という息をつく音に続いてかけられる声、慌てて立ち上がり、振り向く。
「あ、ありがとうございます」
「ん、無事でよかった」
下げていた頭を上げた陣の目に入ってきたのは、ゆらゆらと揺れる、腰を超えて足元まで伸びた髪。
亜麻色のそれを、無造作に縛っただけの髪型をたどると、眠そうな半眼をした顔があった。
年の頃は16、7に見え、頭には広いつばを持つ三角帽子をかぶっている。身を包む野暮ったいローブは、彼女が魔術師だと全力で宣言しているように見えた。
陣は軽く息を整え、改めて頭を下げる。それに対して「いいよ」と手をひらひら振る彼女の腹から「ぐぅ」と可愛らしい音が鳴った。
「あ、あ~……良かったら、さっきのお礼も兼ねて食事でも」
「ん、ナンパされちゃう」
やはり眠そうな半眼を維持したまま、こくりと頷く彼女の頬が、すこし朱に染まっていたのを、陣は気づかないふりをした。
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鉱山街にはそこそこの値段で大量の料理を出す店が多い。メインとなる客層が肉体労働者であり、とにかく大量に食うからか、どこも味と量を競うように安く、大量に料理を盛り付けている。
陣は、目の前の光景を見て動きを止めていた。否、脳が全力で目の前の現実を「認めたくない」と拒否していた。
うずたかく積まれた皿、目の前の少女がその山を作り上げたと言って、直に見たものでなければ誰も信用しないだろう。だが、陣は……否、そこに居た人々は見た。この、どちらかと言えば小柄な少女が、この山を作り上げた光景を。
「おかわり」
また一枚皿が空になり、山の標高が皿一枚分上がる。食べ放題プランでよかった。今、陣は心の底からそう思っていた。
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最後に、ストロベリームースを幸せそうに食べきると、彼女はようやく食器を置いた。
「ごちそうさま」
口元を軽くナプキンで拭き、楚々とした姿勢を崩さず……その姿を見たものは深窓の令嬢を思い浮かべたかもしれない。うずたかく……という表現をはるかに超えたレベルで積み上げられた皿から全力で目をそらせば。
ふいに、食堂の扉が音高く開かれ、そこから天使が飛び込んできた。……いや、天使と言う表現は正しくない、乱入者の背から生えていたのは、大鷲の翼なのだから。
乱入者は陣の対面に座る少女と、うずたかく積まれた皿を目にすると……ずしゃあ!と膝から崩れ落ちる
「……ま、間に合わなかった……」
それは実に見事な「Orz」であった。
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食べ放題でここまで食べられると、店員は涙目だった。それを申し訳なく思いながら金を払って、比喩でなく食堂から逃げ出すと、三人はそろって息をつく。
「アクイラ~っ、あんたあーいう店だと抑えるって言ったよね!?」
「……思った以上においしかった」
鷲の翼をもった乱入者が、いまだに眠そうな半眼を維持している大食い魔術師に食って掛かる。短くまとめられた空色の髪は怒髪天を衝くという言葉を体現するかのように軽く持ち上がっている。まなじりを釣り上げている事を差し引いても釣り目であろう蒼い瞳は、うっすらと涙をたたえていた。
「あ~……えっと……」
「あ、ご、ごめんなさい、すっかり忘れてて!」
とりあえず落ち着かせようと声を掛けると、今度は陣が有翼の少女から謝られる。
「いや、食べ放題だったしそんなに被害は……それと、申し訳ないんだけど君たちは……?」
「アクイラ……あんた御飯ご馳走になっておいて自己紹介もしてないのっ!?」
「しそこねてた」
はぁ、とため息をついて軽く頭を振ると、彼女は改めて陣に向き合う。
「私はニール・ファリア、この子はアクイラ・レネ・フォルウッド」
「ジン・ソウガです、アクイラさんには危ない所を助けてもらいました」
はて?という表情でアクイラを見るニール、その視線を受けて、アクイラが自慢げに胸を張る。意外と自己主張する胸部がゆさっと揺れて、陣は思わず目をそらした。
「暴走騎乗竜にひかれかけてたのを助けた」
「えぇ、ほんとに助かりました」
「あ~うん、そういう事ならいいんだけど……そうだ、あなたこのあたりで部屋とれそうな所知らない?」
そういわれて、陣は自分たちが部屋を借りている宿を紹介した。カイからは王宮で過ごせば金かからんぞ、と言われていたが……そこはグルスが全力で突っぱねた。
「どーする?ニル……二人纏めて、なんぱされちゃった」
「いやそーいうんじゃないからね?アクイラ」
どこまでもマイペースな魔術師の言葉に苦笑しつつ、三人は宿へ向かう。背に巨大な翼をもつ少女と、常に眠そうな魔術師。この二人を見られた時、仲間たちはどんな反応をするだろう。
悪乗りをする構図しか浮かばない、陣はこっそりと頭を抱えた。