神と精霊
精霊とは、ただそこにあるものであり、神とはただの概念である。どちらも、知恵ある者が望むような干渉はせず、できない。
……「本来は」
「なぁ、ありゃ一体どーいう事だ」
「少なくとも、我々はあんな仕込みはしなかった、治癒も、治療も、この世界に適合してもらうのも皆で行ったのですからね」
地の精霊と火の精霊が二人そろって陣の映る映像を見る。額にemesの文字を浮かべ、狂戦士の様にノーリに襲い掛かる、あの姿だ。
「今一原因は判りませんが……何が起こっているのかは容易に想像がつきますね」
「……ゴーレムか、考えずに従う従者という意味じゃ、間違っとらんの」
素材が石人形か、死体か、意識のない人間かの違いだけで、やっている事は変わらない。決められたコマンドに従うプログラムの様に、周囲一帯を攻撃する。
「マレビトに外からの干渉が効くわけが無いのだから、我らに気取られぬよう種を埋め込んだか、或いは……」
「人の業は深くなれり、かの」
精霊二人の視線の先には、アーティルガ帝国が見えていた。
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アーティルガ帝国闘技場……。
熱狂が渦を巻くその場所で、何人かの剣闘士による激戦が繰り広げられた。それだけなら決して珍しくは無い光景だ、生身の人間が、武器を持っての殺し合いで市民を楽しませるのもこの施設の目的であることは間違いない。
だが、今そこで見られる光景は異常だった、剣闘士達は通常なら降参が認められるような深手を負っても戦いをやめない、腕を切り落とされ、膝を叩き砕かれてもなお目の前の敵を攻撃し続ける。
その額には、いずれにもemesの文字が浮かんでいた。
「良いようだな」
「あぁ、良い結果が出ているという事は好ましい事だ」
それを見下ろす二人の男、胸に付けられた略章と新式の軍服から、二人が帝国軍に所属するそれなりの地位の人間だという事が判る。
「人の限界を超えて戦わせる呪具か、初めて聞いたときには嫌悪感しか感じなかったが、人的被害を大きく減らす、という意味で否定するところは無い、か」
「あぁ、処置された無手の奴隷が完全装備の重騎兵をノした時は俺も悪い冗談だと思ったぞ」
生身の人間が鉄製の鎧にひびを入れるなど、誰が予想できるものか、と憮然とする相棒をみて、もう一人がふむ、と顎を撫でる。
「……正直に答えてくれ、ギムリット、君はアレをどう思う?」
顎を撫でる手を止め、後頭部で束ねた金髪が背で揺れるままにしながら、深紅の「学生服」に似た軍服を着た男が相方に問う。
「奴隷兵や現地徴用の雑兵に使っているうちはいい……たとえ下級でも軍の兵士に使うようになったら、我が軍は末期だよ、アルフ」
ギムリットと呼ばれた青い軍服を着こんだ男は、大仰に肩をすくめて見せる。
それを聞いて、アルフは相方の胸を軽く小突く。
勢いがつきすぎたのか、ギムリットがハデに咽こむ
「考えを同じくするヤツが居て嬉しいよ、俺は」
「ゴフッ……っ!?おま、え、なぁっ!ゲホッ!加減とゆーものをゴホッ!覚えろバカ!」
見た目にも美男子としか言いようのない帝国騎士二人がじゃれる姿をみて、付き添いのメイドがこっそりと苦笑する。
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エレメンツフィアに置いて、神とは概念である。人を救う神も、殺す神も本来は存在しない。
しかしその概念が名前と姿を与えられ、そうあるモノと信じられ続けば、世界はそれを、あるいはそれに近い物を生み出す。
神は居ると信じられ続けられれば、神を。
邪神は居ると信じられ続ければ、邪神を。
だが、世界は勇者だけは、生み出すことは無かった。
「……みつけた」
どこまでも澄み、恐ろしさすら感じるほど青い泉の水面に立って、彼女は呟く。
光の女神、そうあるべくして生み出された彼女は、その力で世界を少しだけ繋ぐ。
激しい光の中から現れたのは、十代後半位の若い男。
「目覚めなさい、あなたに今一度、命を与えます……」
誰もが知らぬ間に、確かに世界は動いていた。
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見上げれば、昔から見てきたような夜空。そこに3つの月が浮かび、この大地を照らし出すことを陣は知っている。
陣にとっては異質な、この世界に生きる人々には極めて当たり前な光景、初めて見た時には死ぬほど驚いた。窓から覗く、見慣れてしまった3つの月が、何故かよそよそしく感じる。
思い返すのは、この世界にやってきてからの事、あまりに多くの事が起こりすぎ、忘備録もあまり手がついていなかった。ここまでの旅路を一つ一つ思い出しながら、ノーリとの、ネレッドとの出会い、リースとの再会を書き連ねていく。
「こう纏めてみると……最初から飛ばしてるなぁ、俺」
書きなれた日本語で書かれた文章は、陣以外が見ても何が書いてあるのかは判らないだろう。そもそも文字と思われていないかもしれない。特に、複数の文字種を並行して利用する日本語の文章は、1種類の文字が解読できるようになったからすぐに全体の意味が分かり始める、という物ではない。
この世界の文字……端的に行って世界中で通じる、英語のような「交易文字」も少しずつ、読めるようにはなってきている。おおよそこれを覚えておけば世界中どこに行っても読み書きに困ることは無いだろう。
帳面に向かい合う時間が長くさすがに疲れてきたので、書き物にキリを付けると陣は再び外に目をやる。
東京と比べれば圧倒的ともいえる星に彩られた夜空に、3つの月が変わらず浮かんでいた。
筆を止め、ぼんやりと月を見上げる。帰りたくない、と言えばうそになる。あの喧騒に満ちた町こそが、自分の場所だという認識は、今も確かにある。
ただ、実際に帰る手段が見つかったら、それをすぐに実行に移すかと言われると、気持ちの上では半々だった。
エルが……あの愛らしい森の魔女がどうなったのか、陣はそれを知る義務がある、と思い始めていた。
それがたとえ、最悪の結末であったとしても。
明確に自分たちを攻撃してくる女神教の、勢力圏ど真ん中にある場所まで、生きているかもわからない少女の顛末を探りに行く。
とても無意味で、危険しか考えられない目的。
それでも、もしエルが生きているなら、あの笑顔をもう一度自分に向けてくれるなら……。
そう思うと少しだけ頬が熱くなる。
そして同時に思い浮かべるのが、南街で再会を果たしたリース、何故か彼女の笑顔も同時に浮かぶ。
「……案外、節操ねーのかなぁ、俺」
自分に呆れたように呟くと、ベッドにもぐりこむ。なんにしても、もっと強くなってからだと自分に言い聞かせて。
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朝、目が覚めた陣は着替えと整容を簡単にすませると練兵場に向かう。ここ数日グルスに誘われて朝から昼までは基礎トレーニングに精を出しているところだ。
「まず体力が無いからな、ジン……技術をつけるのも勿論だが、長時間戦うスタミナは絶対に必要だ」
実際の所グルスとの間に絶望的な体力差があるため、それを少しでも埋める必要があるのは感じていたところだったので、それ自体は願ったりではあったのだが……。
「ぜぇ……はぁ……」
「おいおいどーした?もう息上がってるぜ?」
徒歩または騎馬が移動の基本である世界の人間との地力の差を、陣はとことんまで感じていた。
バイトやら何やらで体力はある方だと思っていたが、文字通り桁が違う。
毎日それなりの距離を飽きるまで走り続けているグルスと比較するのがそもそも間違っているのかもしれない、と思わなくも無いが。
「ま、だまだぁっ!」
戦場で身を守る最大の方法、それは戦いの技量でも優秀な武具でもなく、走る事。
長く走り続けられるものは、よく生き残る。勿論それだけでは決まらないが。
陣の身体は酷使された分、それによく答えた。少しづつではあるが、走り抜ける距離は長くなり、走り続ける時間は多くなる。
それを陣が自覚するのは、まだまだ先の話ではあるだろうが。
陣はただ己を鍛える。戦士であろうとする己を自覚しながら。




