消える森
鉄工街の周囲は、本来大樹海と呼ばれる巨大な森林だった。
大樹海の豊富な木々は鉄工街で製鉄を行う燃料と、そこに住む人々の食糧を豊富に提供する採取地であった。
蒸気機関の開発によって、その状況は変わった。
その運用に大量の燃料を必要とする蒸気機関は、大樹海の木々を燃料として喰らいつくした。
それでもなお、鉄工街の人々はまるで羽虫が植物を食い荒らすかのように次の森、次の森へと伐採範囲を広げていった。
適当な時間さえ置けば、大樹海は復活すると無邪気に信じて。
森や木は自然が無限に生み出すもの、人間がどれほど伐採したとて、適度な時間さえ置けば勝手によみがえる。
それがあまりにも甘い見通しに裏付けられた嘘の塊だと知ったのは、その破壊を行った世代の、孫、ひ孫になってからだった。
どうしようもなくなったほど失われた森林は、そこに蓄えていた生命、資源の全てを失い、二度と戻る事はなかったのだ。
引く事の出来なくなった人々が選択したのは、更なる前進だった。
「ここにはもう何もない、しかしこの先にはまだ沢山の資源が眠っているかもしれない」
その言葉に背を押され、誰もが真っ直ぐに希望と未来を見つめて誰も見た事のない「その向こうへ」と突き進む。
それが良いか悪いかすら判らないまま、希望に縋って、前へと突き進んだ。
苗木を育て、森を再生させようと発言した者は確かに何人もいた。
しかしそれらの意見は「わざわざ木を植えて森をつくるなどそんな馬鹿な、ああいうモノは自然と増えるものだし、無くなったとしてもしかるべき時間を与えれば元に戻るものだ」と一笑に付された。
常識とは、かくも根深く人々の心に巣食うものだったのだろう。
***
「かくて、巨大な森林は失われ、荒野だけが残った、と」
ひとしきり鉄工街周囲の巨大平地が出来た経緯を聞いて、最初に浮かんだ感想はそれだった。
言ってしまえばよく在る事、人の力が自然を凌駕したことを人が気づかないが故に、陣の知る歴史では何度も起こって来ただろう事。
「それで、結局その森林破壊がこの辺りでヒュムネとエルンが反目しあってる原因?」
「そう、鉄工街を中心にするヒュムネの経済圏が、エルンの森を相当削っちゃったらしくてね」
レティシアが困ったように陣に答える。
「エルンの森はエルンの生活圏ってだけじゃなくて、その森のエルダーを中心とした一つの領土なの」
「あ~……昔から、おとぎ話やなにかで、エルンは旅人を追い払うおっかねー奴ら、って書き方されてるからな、それっ位、アイツらは排他的だ」
「それも、必要があってのこと、なんだけどね……勿論、他の種族と交渉や商業をするための交渉口はちゃんとあるのよ?」
ウルリックの追記に苦笑しながら、レティシアが言う。
「私の生まれた森は、エルダーバーチを中心にした、小さな森だった……ここは、もっともっと大きくて、強い森」
今は無き故郷、樹齢千年を数える白樺を中心に作られた小さな集落を思い出して、レティシアは軽く息を吐く。
失ったものを憂いても仕方がない、と言いたげに。
「さて、それで……今回私が、というか私とニールが頼まれた事なんだけど……」
言いながら、レティシアは懐から小さく畳んだ紙を取り出す。
「……?」
促されて、他の面子と一緒に紙をのぞき込んだ陣は、そこに書かれた見慣れない文字らしきものに首をかしげる。
「……エルンの古文字……だよ」
こちらは読めるらしいアクイラが、陣に向かって翻訳を始める。
「……で、なんだって?」
「端的に纏めると、百年位前に鉄工街に来たエルンを探してほしいって」
まず生きているのだろうか?そう考えた陣は直ぐに、寿命が違う、という事を思い出してあぁ、と頷く。
「それはまたなんとも、昔の話だな」
「ヒュムからしたら、そうよね」
ウルリックのこぼした言葉に、レティシアが頷く。
「エルンからしたら、百年なんて、生まれた子供がようやく成人、くらいよ」
「あ~……そういやそうだったな」
寿命の差や、それに伴う諸々の違いを思い出したのか、ウルリックががしがしと後頭部を掻く。
「まぁそれでも、それなりに気にはなる、か……その感じじゃ、若いんだろ?そのエルンも」
「まーね、森から出て冒険者やってた人、だったらしいけど、森に戻ってから経験買われて交渉役やってたんだって」
森で生涯を過ごすエルンには、森のルールが全てだ。
しかし、他の種族……特にヒュムと交渉するとなるとそれだけでは済まない事になる。
そういう役割に当たるのは、おおよそそう言った種族と相対した経験のある者たち、つまりは元々森から出て外で冒険をしていたような者たち、となる。
勿論、例外はいくつもあるが。
「しかし、百年も前の、しかもこの街の中から一人を探すのか」
「逆に、百年も居続けるエルンってのは珍しいんじゃない?」
「いや、この場合エルンが居続ける、事よりも情報収集の困難さが問題だ……何せ、百年だからな」
情報を持っているものが死んでいる可能性はとても高い。
というか、ほぼ居ないと踏んでも良い位時間が経っている。
「同じエルンの線から辿るのが、まぁ定石ではあるんだが……」
「ドゥビットは見ても、エルンは見ないネェ」
あ~、どうすんだよ、とウルリックが頭を抱える。
そんな一向に、歩み寄る影があった。




