ワタシハタワシ
ワタシハ‥‥
ワタシハ‥‥タワシ
そう、私は束子だ。
人間は普通、我々に名前を付けない。だからわたしはたわしであって、他の何物でもないのだ。何なら証明して見せよう。あなたの家のたわしは何と言う?ジェームズか?
そのたわしであるわたしが何故このように話してるかと言えば、それはわたしが日本製だからだ。なんでも日本の神道の思想によれば、万物には神が宿ると言う。すなわち山や川のような自然はもとより、学問や商売、はてはトイレのようなものにまで八百万の神は宿ると言うではないか。ならばたわしであるわたしに神が宿ったとしても、何ら驚くことはない。
こうしてヤシの木から生まれたわたしは、日本の工場で加工され、店頭に並ぶこととなった。ちなみにお値段は税込み百八円。わたしはとってもリーズナブルなのだ。そんなわたしを購入したのは、今年の春から一人暮らしを始めた鷲田笑里と言う女性だった。
大学一年生である彼女の部屋は、何もかもが新しいアパートの一室。わたしの用途は多岐にわたるが、たいていは台所の住人となる。例にもれずわたしも台所へ運ばれ、同じ百円ショップで購入したスポンジ・たわし受けが住居となった。さぁ、いよいよ彼女との新しい生活が始まる。たわしであるわたしは多くの事を望まない。ただ、ここでたわしのとしての本分を全うすることだけが望みだった。
しかし初めての一人暮らしには、色々な失敗がつきものである。そして笑理はどうやら家事が苦手の様だ。私の行く手には様々な苦難が待ち受けていた。
笑理、フライパンにこびりついたお焦げは力任せにこするものじゃない。まずは水につけて柔らかくするんだ。
駄目だ笑理、それはテフロン加工だ。わたしでこすると傷つけてしまう!
熱い!大変だ笑理、わたしのすぐ側にガスコンロの炎が!
ああ笑理、わたしは天然繊維でできているんだ。抗菌プラスチックではない。汚れたものをこすった後はちゃんとすすいでくれ‥‥
笑理、笑理、わたしの上に濡れたスポンジを置くのはやめてくれ。こんな湿気の多い時期にはカビが生えてしまう!
残念ながらわたしの声は彼女に届かない。度重なる粗雑な扱いでわたしの身体は汚れ、傷つき、曲がっていった。だが、わたしはまだ役に立てる。このまま彼女の台所でたわしとしての務めを‥‥
笑理‥‥、笑理?なぜそんな汚いものを見るような目でわたしを見るんだ?
どうした?流しには洗いものはないぞ。わたしをつまんで何を‥‥、あっ!
別れは突然訪れた。笑理はわたしをゴミ箱へ放ると、そのまま二度と見向きもしなかった。そしてわたしの上には、まるで墓の上に土をかけるようにゴミが詰まれていき、ある朝、ゴミ捨て場へと捨てられた。
ゴウゥン‥‥
低く唸るような機械音と共に、わたしの入ったゴミ袋が運ばれていく。
どうやらお別れの時が来たようだ。もう間もなく他のごみと一緒に焼却炉へ放り込まれ、わたしのたわしとしての時間は終わりを告げることになるだろう。
‥‥悔いはない。わたしはたわしとして存在し、慣れない一人暮らしに奮闘する女性を助け、その役目を終えて眠りにつくのだ。まだ使えただろうわたしを捨てたことで、笑理を恨んでもいない。彼女の元には新しいたわしがいて、これからの彼女を支えることだろう。さようなら、笑理。
焼却炉の熱波が伝わってくる。いよいよわたしの声を聴くあなたともお別れの様だ。わたしのことは忘れてくれてかまわない。どれだけ大切にされても、いずれは使い潰されて捨てられるのが消耗品の運命なのだ。ただ、たわしとしてのわたしの最後の言葉を聞いてほしい。
ヤシのたわしはあなたが思っている以上に頑丈だ。だが、汚れたまま放置しておくと雑菌が繁殖してしまう。汚れがひどいときはちゃんと洗い流して頂きたい。
わたしの体には丸い金具がついているはずだ。あれは何かに吊って乾燥させるためにある。できればたわしは吊り下げてほしい。
清潔と乾燥に心がければ、わたしは長くあなたのお役に立てるはずだ。だが汚れたたわしを使い続けるのは、衛生上宜しくない。わたしはあなたの健康が心配だ。どうか大切に使って頂きたい。
‥‥周りのゴミに火が付き始めた。わたしに宿ったこの魂が、来世で巡り還ってまた物に宿ることができるなら、どうかたわしに生まれ変わらせてほしい。わたしはたわし‥‥ワタシは‥‥‥