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過去の落とし物

「おじいちゃん、顔拭こうね。」

返ってくるはずのない返事を待たずに、暖めたタオルで優しく顔を拭いていく。


祖父は黙って目をつぶる。喉に繋がれてる管の周りは触らないように注意しながら、首と手と足もゆっくり拭いていった。

声には出せないけれど、気持ち良さそうな顔をしている。


そんな祖父の手に優しくクリームを塗るのは、柔らかい栗色の髪と、祖父と同じくらいシワシワな手をした祖母だ。

「あなた、良かったわね。桃子に拭いてもらえて。」


窓際の病院の一室に祖父が入院してから2ヶ月が経った。

誤飲性肺炎という病名のソレは、祖父の自由を奪う喉の管と、ベットに縛り付けられてる手袋で私達家族の心まで暗く沈ませた。


「絶対良くなるからね、もうちょっと頑張ってね。」

自分に言い聞かせるかのように祖母が繰返しつぶやく。

目頭が少し熱くなるのをグッと堪えて、私達が居る時しか自由の効かない両手を一生懸命にマッサージした。


祖父は相変わらず、少し頷いたり、首を横に振ったりはするが、どこかボーッとたまま視線を泳がせる。

そうなるのも仕方ない。 2ヶ月も病院のベットに縛り付けられ、自由も効かずに、口から食べ物や飲み物を飲むことさえできない。

ただ点滴で無理矢理カロリーと栄養素を鼻から入れているだけなのだ。


『代われるなら代わってあげたい。』

何度もそう思った。ギリギリ20代とはいえ、私の方が祖父より回復は早い。

それに私ならベットに手を縛られることもない。

なぜなら…


「お父さん!清美です。わかる??」

一緒に来ていた母が、祖父の肩をトントンと叩きながら少し大きめの声で聞く。

祖父は、その声がする方を少し見たが、フルフルと首をゆっくり横に振った。


実の娘である母のことも思い出せない。そう、祖父は認知症だ。


別に珍しい病気でもない。祖父の年齢を考えれば普通の事だ。

入院する前はまだマシだった。家族の事は覚えていたから。

だけど、2ヶ月ベットの上だけの生活をしている中で、徐々に覚えている事が少なくなっていった。


今、祖父が覚えている事は、昔の出来事や、祖母のこと。

そして、孫である私の事ぐらいだった。





私は産まれたての0歳の頃から母と祖父母と暮らしていた。

オギャーと泣いたばかりの私がいたのに、父と母は離婚。記憶も興味もないので、理由は聞いていないが、母はそうとう苦労したんだと思う。


今、目の前で祖父の手を一生懸命握ってる茶髪の祖母がそんな母を見かねて、赤ん坊の私と母を無理矢理東京まで迎えに行ったらしい。


祖父はそれまで仕事ばかりしていた仕事人間らしく、他にたくさん孫がいたにも関わらず、60歳の節目に私が産まれて一緒に住むようになってから初めて【おじいちゃん】というものになっていったらしい。


母と祖母と祖父から、抱えきれない程の愛情をもらった私は俗に言う【おじいちゃんっ子、おばあちゃんっ子】になっていた。


父親がいない違和感を感じることなく、父親と祖父の両方の役目を果たしていた祖父は、どんだけ認知症になっても私の事だけは覚えていた。


早く治ってほしい。また、早く一緒に散歩しよう。


私の祖父を拭く手が止まったとき、母が私の代わりにタオルを洗いにいってくれた。


泣いちゃダメだ。泣いちゃダメだ。

そう自分の中で言い聞かせていたその時…


「桃子…。ちょっといい?」

祖母が母が病室を出ていったのを見計らって、私のことを手招きする。


「…?どうしたの?」

私は祖母の横まで行き、目線の位置までしゃがみこむ。


「これを見て欲しいの。」

そういって祖母が取り出したのは、綺麗なスカーフにくるまれた手のひらサイズの長方形のものだった。


「これ、なに?」

スカーフにくるまれたままでは何かわからなかったので、もう1度祖母に訪ねる。


すると、祖母はスルスルとスカーフをゆっくり取っていく。

その中身は…手紙だった。


それも、茶色い染みがついたり、紙がところどころ剥がれてたりするボロボロの手紙だ。


「おばあちゃん、これがどうしたの?」

私が聞くと、祖母はなんとも言えないような、切ない顔で私に向かってこう言った。



「これは、おじいちゃんが本当に結婚したかった人へ宛てた手紙よ。」


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