第1部 最終話【卒業】
軍事訓練学校卒業まで、ついにあと1日。キョウイチたちは徴兵で連行されて以来、最後の訓練をおこなっていた。
しかし、キョウイチを待ち受けていたのは痛烈なはなむけだった。
外での演習終了後、次にキョウイチは格闘技道場で柔道を練習することになった。
陸軍では柔道、空手、ボクシング、そしてなぜかカポエラという4つの格闘技を練習することになっていた。
キョウイチがそこそこ得意だったのはボクシングだけで、それ以外の格闘技は中の下くらいの腕前しかなかった。
そして教官のオニバヤシ伍長との稽古中のことである。キョウイチがオニバヤシ伍長の容赦のない一本背負いで放り投げられ、激しく頭を打ちつけて昏倒してしまったのだ。
「うげぇぇぇぇぇぇ……」うめき声をあげて意識を失うキョウイチ。
「ああ!キョウ様!」
「大丈夫っすか!?」
キョウイチのもとにタクヤ、コツ、ユーレイが駆け寄って介抱をした。そんな彼らを不敵な笑みを浮かべて悠然と見下ろすオニバヤシ伍長。
「ちょっと!稽古なのになんてことすんのよ!」
息巻くタクヤに、いかつい顔のオニバヤシ伍長がおどけた調子でいった。
「あ?オレがなにかしたか?オレはただいつものように、キョウイチ将校様に柔道の稽古をつけてやっていただけだが」
「あ、あの一本背負いは故意だろ?」と、コツ。
「なんだおまえら。おまえらもオレ様に投げられてーのか?」
そういってじりっと詰め寄ったオニバヤシ伍長に気後れしたコツは『と、とにかく、医務室に連れて行こう』」とキョウイチを抱えて格闘技道場をタクヤ、ユーレイとともに出ていった。そんな彼らをギッと睨み続けるオニバヤシ伍長。
彼はまだ二等兵のぺーぺーの分際で、周りの兵卒たちから将校などと呼ばれるキョウイチが前々から気にくわなかったのである。そのキョウイチが明日で卒業なため、いなくなる前に鬱憤を晴らしてやりたいと思い続けていたのだ。
しかし、オニバヤシ伍長のわだかまりの理由はそれだけではなかった。軍人という命をかけた仕事についているにもかかわらず、収入が極端に少ないこともあったのだ。
オニバヤシ伍長にも漁師になりたいという夢があったのだが、複雑な事情から職業軍人として細々とした人生をしいられていた。そんな彼も日本になんらかの大革命が起きてくれることを密かに望んでいるひとりだった……。
━━医務室。そこには南棟の兵卒たちだけでなく、東西南北すべての棟の怪我を負った兵卒たちが集結していた。
あいているベッドに運び込まれたキョウイチ。そんな彼を心配そうに見つめるタクヤとコツ。ユーレイは相変わらずの無表情だったが。
「まったく、オニバヤシのやつ、明日で卒業だからって目の敵にしていたキョウ様になんてひどいことを……」タクヤはいった。
「あんなんだからいつまでもたっても伍長止まりなんだよ。キョウ様の足元のそのさらに下にも及ばないクズだ!」コツが吐き捨てるようにいった。
と、そのとき、ベッドの上のキョウイチがようやく意識を取り戻した。
「……ん?ここは医務室か?」
「目、覚ました?キョウ様」
「ああ、タクヤか。ボキを介抱してくれたのかい?ありがとね」
「ああ、もう安心していいさ。泣いても笑っても、今日で訓練は終わりだからね」小さく微笑みながらいうコツ。
そのとき、キョウイチのベッドのひとつ隣のベッドに横になっている兵卒が、びくっと鋭く反応する様子を見せたのをユーレイは感じた。そしてその兵卒が口を開く。
「……キョウ様?キョウ様って、ひょっとして、まさかあの有名な【足立区の救い主・キョウ様】のことかい?」
そんな彼に隣のベッドのキョウイチが答える。
「は?たしかに、ボキが足立区の救い主・キョウ様ことキョウイチだけど。ま、自分でいうのもなんだけど」
その瞬間、隣のベッドの兵卒が首をぎゅんと曲げてキョウイチを直視した。
「オレ、北棟の二等兵のゲンジといいます。【アーバン・ジャングル】のリーダー、ガンジの弟です」
「【アーバン・ジャングル】?」コツがくり返した。「【アーバン・ジャングル】といったら、東京最大の反政府地下ゲリラ組織じゃなかったっけ?」
「うんうん、名前はボキも知ってるよ」キョウイチはいった。「で、ボキになにか用?」
「実は、オレのアニキが、あなたに会いたがっているんです」ゲンジは熱を帯びた口調でいった。「オレはまだ詳しいことはよくわからないんですけど、アニキがいうには、今のこの狂った日本を変えられる可能性を持っているのは、足立区の救い主・キョウ様だけだっていうんです」
無言で聞き続けるキョウイチたち。
「キョウ様たちの世代はいよいよ明日で卒業ですけど、娑婆に出たら、ぜひともアニキに会ってくれませんか?そしてアニキに力を貸してやってあげてください」
そういうゲンジにキョウイチはいった。
「うんうん、いいたいことはよくわかったよ。ただ、お兄さんのガンジさんって、どこに行けば会えるんだい?」
「【アーバン・ジャングル】は渋谷の地下組織です」ゲンジはいった。「セルリアンタワーの受付に【魂を抱いてくれ】といってください」
「魂を……?」と、タクヤ。
「抱いてくれ……?」と、コツ。
「そうです。それがオレたち【アーバン・ジャングル】の合言葉になっているんです」ゲンジはいった。「あとは受付がアニキがいるところに案内してくれるはずです」
聞き終えたキョウイチは表情をひきしめていった。
「……断る」
その瞬間、場の空気が凍りついた。ゲンジは思わず『え?』とすっとんきょうな声をあげた。
「嘘よ嘘」キョウイチは微苦笑しながらいった、「今、教えてもらったところに行ってみるよ。約束する」
「あ、ありがとうございます!」ゲンジは感激の声をあげた。
……その日の夜、キョウイチたちは寮の部屋でいつものように座り込み、最後のしりとりバトルに火花を散らしていた。しりとりテーマはこの日も【ダサいタイトルの綺羅飄介のニューシングル】。
「【カナディアンバックブリーカーをきめろ】━━【ろ】」と、キョウイチ。
「【ろうそくだけはやめて】━━【て】」と、タクヤ。
「【てかてかのあそこ】━━【こ】」と、コツ。
「……こ、【後頭部は恥ずかしい】━━【い】」と、ユーレイ。
そのとき、キョウイチが大きくため息をついた。
「もうやめだ。全然テーマにそってないじゃん」
「だって、キョウ様、やっぱり難しいわよ」
そういうタクヤに同意するコツ。
「僕らなりにがんばってるんだけどねぇ……」
無言のユーレイ……。
しばらくしてからキョウイチが笑いながらいった。
「でもさ、ついにしりとりも今日が最後だね。3年間いろいろあったけど、ボキはけっこう充実してたよ」
そんなキョウイチの言葉に、穏やか表情になるタクヤたち。彼らはこれまでの3年間を感慨深く振り返った。
━━翌朝、南棟の兵舎の前で卒業式がおこなわれた。兵舎のそばには全長10メートルほどはあるオサム・クマザキ像が建てられていた。
卒業式の最後に、卒業生たちはそのオサム・クマザキ像に向かって1分間頭を下げることになっていた。無論、キョウイチたちは心の中で舌を出していたが。
卒業式を終え、ついにおのおのの実家に戻るときがやってきた。
目黒区小山台・第1陸軍軍事訓練学校。キョウイチはカバンを右手でひょいとかつぎ、ほかの南棟の兵卒たちとともに校門をあとにした。
そしてしばらく歩いたそのときである。キョウイチの目の前に3人の男たちが立ちはだかったのだ。
タクヤたちである。
「キョウ様、あなたがこれから、なにかデカイことをやろうとしているのは私たち知ってるのよ」と、タクヤ。
「僕たちはキョウ様が、これからこの日本になにを起こしてくれるのか、この目で生で見たいと思ってるんだ」コツも熱っぽい口調でいった。
ユーレイは相変わらず無言だったが、異様に長い前髪の奥の目はキョウイチの顔を真剣に見つめ続けていた。
「キョウ様、私たちはあなたについていくからね」
そういうタクヤたちにキョウイチはいった。
「しょうがないな。3年間、同じ釜の飯を食った仲だし、旅は道連れだ」
顔がほころぶタクヤたち。
「ま、能力的にはあんま役に立ちそうな顔は揃ってないけど、とりあえずボキたちは今日から【ヴァージン・ビート】だ。進歩主義団体【ヴァージン・ビート】だ」
オサム・クマザキ像がそびえ立つ軍事訓練学校をあとにするキョウイチたち4人。ここにキョウイチを総帥とする進歩主義団体【ヴァージン・ビート】が結成されることとなった。