第1部 第3話【自殺者0】
徴兵され、全国各地の軍事訓練学校に強制連行される若者たち。そこに待ち受けているのは過酷な訓練だけではなく、教官からのむごいいびりや虐待、そして複雑な人間関係による莫大な懊悩だった。
それらが原因で兵卒の自殺者は全国で後を絶たず、もはや3年間の軍事訓練を無事に終えて外界に戻ってきただけで勇者と讃えられた。
キョウイチたちが送り込まれた軍事訓練学校でも自殺者は多く出ていた。が、ひとつの奇跡が起きていた。
東京ドーム数個分の広大な土地につくられた軍事訓練学校。兵舎は東西南北4棟に分かれており、東棟、西棟、北棟ではそれぞれ自殺者が続出していた。
が、そんな中、キョウイチたちのいる南棟だけは、この3年間で自殺者がなんとまだひとりも出ていないのだ。もしもこのまま自殺者が出なければ、徴兵制はじまって以来の空前の快挙となる。
では、なぜ南棟には自殺者が出ないのか?
教官がやさしい人ばかりなのか?いじめをするような奴が皆無なのか?いずれも正解ではない。南棟を担当する教官たちもほかの教官たちに劣らない残虐さを誇っており、寮のそれぞれの部屋のリーダーによるいじめや圧政も当然存在していた。
しかし、それでもかろうじて自殺者が出ていなかったのだ。その理由はキョウイチにある。
演習を終え、昼食の時間をむかえた迷彩服姿の兵卒たち。昼食は外で適当にとることになっていたのだが、昼食になるたびに南棟中の兵卒たちがキョウイチの周りに集まった。
「キョウイチ将校、昨日もなんとか死なずに生きのびることができました!」
「キョウイチ将校、オレ、昨日、部屋のリーダーに死ぬほど殴られてトイレで首吊ろうと思ったんだけど、キョウイチ将校の言葉を思い出して踏みとどまりました!」
「そうだそうだ!僕らがこの3年間、なんとか生きのびることができたのは、すべてなにもかもキョウイチ将校のおかげだ!」
キョウイチを囲むほかの部屋の兵卒たち。そんな彼らをタクヤとコツは少し誇らしげな顔で眺めていた。ユーレイは相変わらずの無表情だったが、そのまなざしは心なしか安らいだ色を見せていた。
南棟のほかの階、ほかの部屋の兵卒たちは、キョウイチのことを【将校】と呼ぶ。
将校とは1番下の二等兵から数えて、遥かの上の曹長のそのまたさらに上の階級である。無論、キョウイチの階級はほかの兵卒たちと同じように二等兵にすぎないのだが、そのずば抜けた存在感から将校と崇められていた。
「おいおい昼メシ中なんだから、あんまりボキの周りに群がらないでくれる?」キョウイチはたこちゃんウインナー片手にいった。「ボキはまだ、そんなたいしたことはやってないよ」
そんなキョウイチに、群がった男のひとりが微笑しながらいった。
「また謙遜を!オレたちはキョウイチ将校と同じ目黒区小山台の、同じ南棟の宿舎に送り込まれたことを奇跡だと思ってるんすよ!」
この言葉に男たちが賛同する。
「本当にそうだとも!キョウイチ将校こそ、この世紀末にあらわれた救世主だぜ!」
常にひょうひょうとしているキョウイチも、さすがに照れ臭そうな色を奥二重の目に走らせた。
「ケケケ、まだなんにもしてないのに救世主か……」そしてキョウイチはたこちゃんウインナーを口に入れる。「でも、まあ、とにかく、夢にまで見た卒業までまだあと1ヶ月あるんだ。気をゆるめずに訓練に励もうぜ」
「はい、わかりましたキョウイチ将校!」
キョウイチに群がった男たちはそういって敬礼し、もとの訓練場所に戻っていった。そんな彼らの頭には、かつてキョウイチが助言してくれた言葉が光のように蘇っていた。
うーん、さっそくむごいいじめにあっちゃったか。ほかの棟やこの南棟でも、やがて自殺者は出るかもしれないね。兵卒の自殺はメチャクチャ深刻な社会問題だし……。
でもねぇ、いじめって実は簡単に根絶できるもんなんだよ。法律をメチャクチャ厳しくして、とにかく【人に不愉快を与える行為をとった奴】に厳罰を下す社会にしさえすればいいんだから。
たとえば、地球の人口が10人だったとして、そのうちのひとりZって奴がほかの9人に罵倒や暴力をくわえていたとする。その場合、ほかの9人はZの罵倒と暴力に忍従し続けると思う?しないよね?ぜったいZを殺害したり、牢獄に閉じ込めたりするよね?だってそうでもしないと、人類が滅亡しちゃうからだよ。
9人の人間が自殺するなんてこと、現実の世界では珍しくもなんともない。そして現実の世界の総人口は何十億もいるから、たかが9人の人間が自殺したところで滅亡になど発展しない。しかし、地球の人口が10人の世界では、9人の人間が自殺したらすべてが終わってしまう。
地球の総人口が100億人か10人かのちがいだけなんだ。たとえ地球に人間が100億人いようと、Zのような存在が原因で人類が滅亡しちゃう可能性がある。その可能性が0.000001%でもある以上、Zのような人間にはぜったいに即厳罰を下さないといけないだ。ボキのこの考えを法律化しさえすれば、いじめなんてものは1秒で根絶できるんだよ。
……毎日、昼食のたびにキョウイチのもとに駆けつけ、感謝のお礼をする兵卒たち。彼らは連日にわたって教官や部屋のリーダーからむごいいじめにあい続けていたが、キョウイチの言葉を思い出して希望を取り戻し、3年間の地獄の訓練を意地でも乗り越えようと決意をかためるのであった。
とにかく3年間耐えすれば、いじめというものが存在しない夢のような世界を目にできるかもしれない━━これを明日への糧に、キョウイチを慕う男たちは歯を食いしばって生き続けていった。