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第3部 第6話【娼婦のいない世界】

 ━━キョウイチとユミリはエリカに、歩いて5分ほどの掘立小屋のような1階建のアパートに案内された。そこに“エンジェル”という人物がいるのだという。


 


 

 “エンジェル”とは18歳の女性で高校には行っておらず、エリカがボディガードをつとめる援交少女組織のナンバーワンの稼ぎ頭なのだという。


 


 

 なんでも“エンジェル”は小6の頃から援交をはじめ、これまで1000人以上の男性客の相手をしてきたという。


 


 

 そんな“エンジェル”には両親がいない代わりに5人の弟妹がおり、長女の“エンジェル”がひとりで彼らの面倒を見ているという。


 


 

 それ以外のことはすべてが謎のベールに包まれていた。本名は誰も知らず、援交組織の仲間たちや近所の人たちからはいつしか“エンジェル”と呼ばれるようになったという。


 


 

 なぜ“エンジェル”と呼ばれるようになったのか、それすらもよくわからない。ただただ謎に包まれた少女━━しばらくしてキョウイチたちは“エンジェル”がいるというアパートにたどり着いた。


 


 

 「じゃあ、今からドアを開けるね」エリカが決意に満ちた顔でキョウイチにいった。「“エンジェル”いる?あたしが前からいい続けていた【あの人物】を連れてきたよ」


 


 

 ドアが開かれ、中に案内されるキョウイチとユミリ。そこは4畳くらいの狭い部屋で、中央にセーラー服を着て正座をするひとりの少女がいた。それを見た瞬間、キョウイチはレーザーガンで額を撃ち抜かれたようなショックと感動に襲われた。


 


 

 「こ、この娘が“エンジェル”!?」


 


 

 「……う、嘘でしょ?……」ユミリも驚愕のあまり言葉を失う。


 


 

 “エンジェル”とは日本人形を巨大化したような印象の少女で、正座をして目を閉じ、言葉もなく典雅に存在し続けていた。


 


 

 肌はまだ誰にも触れられていないピアノの白鍵のように白く、限りなく柔らかそうな美しい黒髪は下の畳につくほど長かった。


 


 

 “エンジェル”はキョウイチたちが部屋に入ってきても石像のように微動だにせず、いつまでもいつまでも目を閉じたまま正座をし続けた。そしてその和風の顔は目を閉じているものの、見た者をギクリとさせるほどの艶麗を誇るであろうことは容易に想像がついた。


 


 

 「あ、あなたが“エンジェル”……?」キョウイチはやっとのことで言葉を発することに成功した。


 


 

 すると、それまで微動だにしなかった限りなく美しい石像が、口をかすかに動かしてしゃべり出した。


 


 

 「……そうです。そしてあなたは……」


 


 

 「世紀末の救世主キョウ様ですよ!この人がキョウ様なんですよ!」エリカが我慢しきれないようにいった。


 


 

 「……あなたが、キョウ様……」


 


 

 キョウイチは悟った。この“エンジェル”という少女はちがう次元を生きている超然たる傑物だと。そのため普通の会話など成立はしない。


 


 

 そこでキョウイチは単刀直入に訊いた。


 


 

 「……“エンジェル”、あなたに夢はありますか?」


 


 

 「……夢?」


 


 

 「そうです。あなたの夢です。3つくらいボキに聞かせてください」


 


 

 ……30分ほどが経過しただろうか。それでもキョウイチ、ユミリ、エリカはその場から一歩も動くことなく、“エンジェル”の次の言葉を辛抱強く待ち続けた。


 


 


 そのときである。ついに“エンジェル”がその限りなく可憐な小さな口を開いた。


 


 

 「……夢……ひとつ目は……私の妹たちが、自分と同じ道を歩まないこと……」


 


 

 「あとは?」キョウイチが催促する。


 


 

 「……ふたつ目は……自分が世界最後の娼婦になること……」


 


 

 「あとは?」


 


 

 「……あとは……特にありません……」


 


 

 そういい終えると、“エンジェル”は再び口を閉じて石像に戻った。


 


 

 「キョウイチくん……」キョウイチを見つめるユミリ。


 


 

 「……わかりましたよ“エンジェル”。その程度の夢なら、ボキがあなたが生きているうちに叶えてあげられますよ」


 


 

 “エンジェル”は石像のままだった。キョウイチは続ける。


 


 

 「あなたが世界最後の、人類最後の娼婦になるってことは、それはつまり、娼婦というものがいない世界が到来してほしいってことですよね?じゃあ、そのためにはどうすればいいのか?答えは単純明快、貧困というものを根絶させればいいんだよ」


 


 

 “エンジェル”は限りなく小さな微笑みを浮かべたまま無言だった。


 


 

 「じゃあ、どうやって貧困を根絶させればいいのか?これも答えは単純明快、お金ってものを全部なくしちゃえばいいのよ」キョウイチはいった。「たとえば地球の人口が4人だけだったとする。そしてその4人がそれぞれ食料をつくる仕事、教師、大工、医者に分かれていたとする。この世界にお金なんか必要だと思う?」


 


 

 ユミリたちは無言だった。


 


 

 「必要なわけないよね。『私は食料をただで提供するんで、あなたは勉強をただで教えてください』━━『わかりました』。『私は家をただで建ててあげるので、あなたは病気をただで治してください』━━『わかりました』って感じの世界なんだから、お金なんか必要なわけがない。ここまではOK?」


 


 

 「う、うん、なんとなく」と、ユミリ。


 


 

 「つまりね、貨幣制度を崩壊させて、物々交換の世の中にすればいいだけの話なのよ」キョウイチはいった。「米をつくる仕事、肉をつくる仕事、野菜をつくる仕事、教師、警察官、建築系、電気系、水道系などいろんな仕事があるよね?日本の人口は約1億人だから、単純に100人1組で分かれれば1000組のグループができあがる。その1000組がそれぞれに異なった仕事をし、自分たちがつくったものをほかの仕事の人たちにただで与え、ほかの仕事の人たちのつくったものをただでもらえればいいのよ。そういう世界にすれば貧困は完全に根絶される」


 


 

 ただただ絶句するユミリとエリカ。“エンジェル”だけは微笑を浮かべたままだった。


 


 

 「ただ、仕事にもいろいろある。いいイメージのものと悪いイメージのもの」キョウイチはいった。「たとえば、医者や教師は誰からも憧れられ、誰からも尊敬される仕事だと思うけど、ゴミ関係やトイレ関係の仕事って、申し訳ないけど憧れられることも尊敬されることもないよね。でも、医者や教師と同じく、世の中にぜったいになくてはならない仕事なんだよ。そこでゴミ・トイレ系の仕事の人たちに、ほかの仕事の人たちよりランクの高い暮らしをおくってもらう。当然のことよ。誰もやりたがらない仕事をやってくれている人たちなんだから」


 


 

 聞き澄ますユミリたち。


 


 

 「また、俳優などのタレントワーカー、歌手や画家などのアートワーカー、サッカー選手などのスポーツワーカー、こういった娯楽職業の人たちは最低レベルの暮らしをおくってもらうことになる」


 


 

 キョウイチの言葉にユミリが問いかける。


 


 

 「キョウイチくん、それはどういうこと?」


 


 


 「娯楽職業って生産的労働に貢献してないから矛盾の存在なのよ。さらに自分のやりたいことをやって生活してるわけでしょ?それにつけくわえいい暮らしまでできるなんて、そんないいことずくめのおいしい思いをさせるわけにはいかないよ」キョウイチはいった。「ゴミ・トイレ系の仕事の人たちにはよりいい暮らしをおくってもらい、娯楽職業の人たちには最低レベルの暮らしをおくってもらう。これできまり!」


 


 

 エリカはただただ唖然とするだけだった。


 


 

 「生産的労働に貢献していないといえば、ヤクザやマフィアなんかもそうだね。これからヤクザの人たちやマフィアの人たちには転職してもらい、生産的労働に貢献してもらうことになる。よってヤクザやマフィアはこの世から消滅することになるね」


 


 

 「……ところでキョウイチくん」と、ユミリ。「貨幣制度をなくして物々交換の世の中にすれば貧困がなくなるっていうのはわかったけど、それでどうやって娼婦がいなくなるというの?」


 


 

 「ユミリちゃん、まだわからない?」キョウイチはユミリに振り返っていった。「全人類すべて全員がなんらかの生産的労働につく必要はないのよ」


 


 

 「どういうこと?」


 


 

 「生産的労働につくのは男だけ。女性は生産的労働をこなさなくていいの」キョウイチはいった。「だってそうでしょ?女性には出産、育児、家事という仕事が生まれながらにしてあるんだから、それにつけくわえ生産的労働までこなさなければならないなんてバカな話はないでしょ?」


 


 

 放心とするエリカ。押し黙るユミリ。


 


 

 「女性は生産的労働をする必要がないのよ。そのため水商売や風俗は消滅するということなのよ」キョウイチは“エンジェル”をやさしく見つめていった。「“エンジェル”、これでわかったと思う。貨幣制度の時代を終わらせさえすれば、娼婦にならざるをえない女性もひとりとしてあらわれることはなくなるのよ」


 


 

 それまでじっと正座をし、かろうじて視認できるほどの小さな微笑を浮かべ続けていた“エンジェル”。彼女の閉ざされ続けていた両目から、虹色の光を放つかのような絶美の涙がつーとこぼれた。


 


 

 「……ありがとう、キョウ様……この時代に生まれてきて、よかった……」


 


 

 「“エンジェル”……」ユミリとエリカは小さく微笑んでつぶやいた。


 


 

 「あ、それからもうひとつ」キョウイチは思い出したようにいった。「現在の日本では、男が5人まで妻を持てるようになっているけど、この一夫多妻ってやつも禁止しないといけない。夫の最大の役目は妻をおのれの命をかけて守ること。人類の使命が子孫繁栄なんだから、男は子を産み育てる女を死んでも守ることが究極の役目なのよ。それなのに妻が5人もいたら、守れるのはひとりだけになっちゃう。天変地異とかあぶない人たちに襲われたとき、あとの4人の妻は誰が守るのよ?って話。だから一夫多妻はぜったいにダメなの」  


 


 

 「キョウイチくん……」感動に震えるユミリ。


 


 

 「そもそも、ひとりの男とひとりの女が夫婦になるっていうのが1番自然だしね」キョウイチはいった。「もしも男の人口が極端に少なく、女の人口が極端に多いってんなら一夫多妻もひとつの考え方だと思うけど、そういうわけじゃないでしょ?やっぱり一夫一妻でないとダメなのよ」


 


 

 ━━“エンジェル”の部屋をあとにしたキョウイチたち。外は夜のしじまが広がっており、どこからか蝉の鳴き声がかすかに聞こえてきた。


 


 

 「キョウ様、今日は本当にありがとうございました」エリカが頭を深々と下げていった。「やはりあなたはまぎれもない世紀末の救世主です。“エンジェル”もこれで安らぎを得られると思います。本当に感謝してもしつくせないです」


 


 

 「それほどでも」キョウイチは照れ臭そうにいった。「ボキたちの戦いはまだまだはじまったばかりだからね。さっきボキが話した救世法も、明日やあさってに実現するものじゃないし」


 


 

 「たしかにそうかもしれません」エリカはいった。「けど、あたしたちはキョウ様の救世法が実現される日を信じて生き続けます。そしてもしもキョウ様が困ったことがあったら、いつでもあたしたち【ヒステリア】が駆けつけます!」


 


 

 「うん、ありがとうエリカ。またひとつ心強い味方が増えた気がするよ」そしてキョウイチはユミリにいった。「じゃあ、ギャング団の少年たちの報復を警戒しつつ、帰ろうかユミリちゃん」


 


 

 「うん、キョウイチくん」そういってユミリはキョウイチの腕を、これまでで最も強く抱きしめた。

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