第3部 第5話【男と女】
西暦3035年7月、日本は夏をむかえていた。連日の猛暑の中、ユミリは【フォロー・ザ・ウィンド】のボランティア活動に、タクヤたちは【フール・メンズ・パレード】のアルバイトにといそしんでいたが、そんな中、いまや日本中の耳目を集める存在となっていたキョウイチは自分の部屋に閉じこもっていた。
【フール・メンズ・パレード】のアルバイト終了後、タクヤたちはキョウイチの部屋のドアの前に集まっていた。
「クラウディアさん、キョウ様、まだ部屋から出てこないんですか?」タクヤが心配な面持ちで訊いた。
「そうねぇ、もうかれこれ2週間は自分の部屋にこもりっきりになっちゃって……」クラウディアは秀麗な美顔を曇らせていった。「食事もほとんどアクエリアスのレモン味のやつくらいしかとってないのよ。部屋から出てくるのはトイレのときくらいで……」
「キョウ様、いったいどうしちゃったんですかね……」と、コツ。
「話しかけても返事はないのよ。ただ暗欝とした顔でなにかを深く考え込んでいるような……」クラウディアはヴィオラの音色のような美声でいった。「飲料水をとるにしても、キョウイチといえばマックスコーヒーでしょ?でもマックスコーヒーは味が濃いからなのか、さっきいったようなアクエリアスばっかりになっちゃって……」
「そうなんですか……」小さくつぶやくタクヤ。ユーレイは無言のままだった。
「いよいよこれからってときなのに……」クラウディアは部屋の中のキョウイチに声をかけた。「キョウイチ?寝てない?タクヤくんたちがきてるわよ。顔出せない?」
しばらくしてからのことだった。部屋の中からキョウイチのか細い声が聞こえてきた。
「……みんな、ちょっとすまない……もう少しで新しい……なにかが見えてきそうなんだ……もう少しなんだ……」
無言のクラウディアたち。それから間もなくタクヤたちはクラウディア家をあとにした。
━━数日後、キョウイチはユミリとともに新宿にきていた。ZEPP歌舞伎町でおこなわれる綺羅飄介の反体制ライヴを観るためである。
「……キョウイチくん?」ユミリが隣を歩くキョウイチに小声で話しかけた。
「え?なんだいユミリちゃん」
「あの……ずっと部屋に閉じこもっていたけど、もう体調のほうは大丈夫なの?」
「ああ、そういえばボキ、つい最近までそうだったねぇ」キョウイチは他人事のようにいった。「なんかよくわからないけど、頭が急に重くなって、部屋から出たくない気分になっちゃったんだよね……心配かけちゃってごめんね」
そんなキョウイチに小さく微笑んでユミリはいった。
「キョウイチくんが元気になってよかった。なにせ日本の未来は……いや、世界の未来は、キョウイチくんの活躍にかかってるんだからね」
「まあね。ユミリちゃんの仇もボキ以外の奴にはとれないし」キョウイチはいった。「それにしてもうちは貧乏暮らしなのに、綺羅飄介のライヴのチケットを2枚取ってくれるとわ、クラウディアばあちゃん奮発しちゃったね」
「クラウディアさん、キョウイチくんのことを思って、きっと気分転換になってくれればと思ってのことだと思う」
「それにしても、綺羅飄介のライヴなんて何年ぶりだろうか。3年間の徴兵を終えてからは、ずっと新生日本革命のことばっかりだったからなぁ」
と、そのときである。キョウイチの左肩が前方から歩いてきたハイティーンの少年の肩と軽くぶつかったのだ。しかしキョウイチはなにも気にすることなく歩を進めていった。
そのとき、肩がぶつかった少年がキョウイチに『おい、てめぇ』と因縁をつけてきた。
「おまえ、今、オレと肩ぶつかっよなぁ?」
キョウイチは足を止めて少年を無表情で見つめた。
「オレはよけたんだよ。オレはよけたんだよ」少年は顔を怒りでぴくぴくさせていった。「オレにぶつかっといてなにシカトして通り過ぎようとしてんだコラッ」
そんな少年にキョウイチはいった。
「そりゃ、歩いていればぶつかることもあるだろうねぇ。日本は世界的にも人口密度の濃い国だし」
「なにいってんだ?てめぇ!」
がなる少年にキョウイチはいった。
「なに?ボキに謝ってほしいわけ?」
少年は憤怒の形相のままキョウイチを睨み続ける。
「たしかによくあるよね、こういうシーン」キョウイチはいった。「でもさ、怪我とかしていない限り、ボキは別に謝る必要はないと思うんだよね」
「なんだと!」キレる少年。
「そもそもさぁ、歩いているとき体がぶつかったら謝らなきゃならないって、何時代のどこの誰が、いつどこで誰とどうやってきめたわけ?そこから説明してくれないかなぁ?」
「なになめたことぬかしてんだコラッ」ついに少年はキョウイチに殴りかかった。
キョウイチはそれをひらりとかわす。ユミリはやや遠く離れたところから見守っていた。いつしか野次馬が集まってキョウイチたちを見物している。
「それに君、全然気づいていないみたいだけど、ものすごい矛盾をおかしているのよ」キョウイチはいった。「体がぶつかったら謝らないといけないという考えで生きている━━ってことは、君は礼儀を重んじて生きているわけだよねぇ?それだったらもっと礼儀正しい態度と言葉づかいで謝罪と反省をうながすべきじゃないの?『肩がぶつかってたいへん不愉快な思いをしました。深く反省して謝罪していただけないでしょうか?』って感じで」
「てめぇ、さっきからなにわけのわからない屁理屈こねてんだ!」再び少年はキョウイチに殴りかかる。
しかし、徴兵時代の練磨のおかけで、キョウイチはボクシングにはかなりの自信があった。まだ徴兵経験もないティーンエイジャーの素人のパンチなど、かわし続けるのはキョウイチには造作もないことだった。
「君は矛盾をおかしているのよ、なんでそれに気づけないのかなぁ?」キョウイチは少年のパンチを何事もないようにかわしながらいった。
そのときである。キョウイチの視界に一頭の雌豹が入ったのは。そしてその雌豹はキョウイチに因縁をつけた少年を一瞬にしてたたきのめしてしまった。
「あんた、さっきからなに防戦一方なんだい!?」雌豹とキョウイチが感じたのはウルフカットの少女だった。
「ああ、助けてくれてありがとう」キョウイチはいった。
そのときだった。ウルフカットの少女に一瞬でたたきのめされた少年の周囲に、少年と同じジャンパー姿の少年がざっと5人ほどあらわれた。
「やばい、こいつらギャング団【ベルベット・ローズ】の奴らだ……」ウルフカットの少女がいった。
次の瞬間、少女にたたきのめされた少年がぞっとするほど恨めしげな目でいった。
「てめぇら、【ベルベット・ローズ】を敵に回したことを後悔させてやるからな」
その1秒後、少年の仲間たちと少女の仲間たちによる激しい殴り合いが勃発した。ウルフカットの少女がキョウイチとユミリの手を引いていう。
「とにかく、ここはあたしの部下たちに任せて、あんたたちはあたしについてきな」
「い、いやぁ、これから綺羅飄介の反体制ライヴがあるんだけど……」
逡巡するキョウイチに少女はいった。
「あんたら、【ベルベット・ローズ】の恐ろしさを知らないからのほほんとしていられるんだ。【ベルベット・ローズ】に睨まれたら半殺しの目にあうことを覚悟しなきゃいけないんだよ!」
少女があまりに真剣な表情だったため、キョウイチとユミリは綺羅飄介の反体制ライヴをあきらめて少女についていった。
たどり着いたのは少女たちのアジトらしい木造の小さなアパート。6畳一間の部屋にキョウイチとユミリは案内された。
彼らを助けたウルフカットの少女はエリカといい、援交少女組織で働く少女たちをトラブルから守る武闘組織【ヒステリア】のリーダーだと名乗った。
「あーあ、またよけいなことしちゃった……」エリカはため息まじりにいった。「【ベルベット・ローズ】を敵に回してでもあんたたちを助ける義理なんかこれっぽっちもないんだけど、どうしても本能みたいものが働いちゃって……」
「いやいや、君のような人がいるからこそ、地獄のような世の中にも希望というものが残り続けるんだよ」部屋の床に腰を下ろしたキョウイチは微笑みながらいった。「はっきりいってあんなクソガキ、ボキの相手じゃないんだけど、助けに入ってくれた君の行為には感動を覚えているよ」
「でもねぇ、さっきもいったように、あいつら、ここらでは知らぬ者がいない凶悪ギャング団【ベルベット・ローズ】なのよ」エリカは真顔でいった。「これから先、いったいどんな復讐をされるか……」
そういってふさぎこむエリカにキョウイチはいった。
「その【ベルベット・ローズ】っていうギャング団がどんなものか知らないけど、ボキたちのバックには【アーバン・ジャングル】がついているからねぇ」
ユミリも同意した。
「……うん、ガンジさんたちが味方についているから、特に心配はないと思うけど……」
「ア、アーバン・ジャングル!?」それまでクールだったエリカがカッと目を見開いた。「【アーバン・ジャングル】って、【ロスト・イン・ザ・ダークネス】の武装警察隊と永年にわたって互角の戦いを続けてきた、あの東京最大のゲリラ組織じゃない!」
「うん、ボキたち、その人たちと知り合いなの」
「なんであんたらが天下の【アーバン・ジャングル】と知り合いなのよ?」
「なんでといわれても……」
口ごもるキョウイチの代わりにユミリがいった。
「エリカさん、まだ気づいていないみたいだけど、こちらの方は世紀末の救世主キョウ様なのよ。【アーバン・ジャングル】は知り合いどころか、キョウ様の覇業達成のための捨て駒になる覚悟すらある人たちなの」
「世紀末の救世主キョウ様!?」ユミリの話にエリカは腰を抜かす。「……たしかに、自分のことをボキっていう言葉づかい、それによく見たら……うん、たしかにあんた、進歩主義団体【ヴァージン・ビート】の総帥キョウイチだわ!」
「やっぱりボキの顔って印象薄いんだね……」
肩を落とすキョウイチに、エリカが正座をしていった。
「まさか偶然助けた男が、今日本中を熱狂させている世紀末の救世主キョウ様だったなんて……こんな奇遇なことはこれから先、2度と起きないと思う」
「まあ、そうだろうね」キョウイチはいった。「ところで、もうそろそろ帰ってもいいかなぁ?」
「いいや、【ベルベット・ローズ】が血まなこになってあたしたちを探しているはず。とりあえず今晩は泊まっていくといい」
「綺羅飄介の反体制ライヴも見れないし……とんだ目にあっちゃったね?ユミリちゃん」
そういうキョウイチに、ユミリはかすかにシニカルな調子でいった。
「こんな世界を根本から変革するのがキョウイチくんの使命でしょ?」
「ま、まあね……」
そのとき、エリカがキョウイチに頭を下げながらいった。
「世紀末の救世主キョウ様!おりいって聞きたいことがあります!」
エリカの真剣な声にキョウイチとユミリはびくっとする。
「まずは私の身の上から聞いてください」エリカはゆっくり顔を上げて語り出した。「あたしは中流階級の普通の家庭に育ったのですが、父がとんでもない女性差別主義者で、父親の女性蔑視発言に小さい頃から苦しめられてきました」
驚いたキョウイチだったが、とりあえずエリカの話に耳を傾けることにした。
「そんなあるとき、父は事業に失敗して多額の借金を背負うようになり、一家は下流階級に転落することになりました。それからです。父のあたしに対する虐待がはじまったのわ」
「虐待……」キョウイチがつぶやく。
「その虐待から逃れるべく、あたしは着の身着のまま家出をしたんです。しかし、そこで待ち受けていたのは……醜悪な男たちの輪姦でした」
無言で聞き続けるキョウイチ。そのそばでユミリは手で口をおさえた。
「それからのあたしは、自分の身は自分で守るしかないと格闘術を必死で身につけました。おかげで今や並みの男ならほとんどねじ伏せられるほどになりました」エリカは続ける。「そして流れに流れて、ここ歌舞伎町にたどり着いて、援交少女たちをトラブルから守る仕事をしてメシを食っている状態です」
「うーむ、それが今の君のくいぶちなんだね……」キョウイチはぽつりといった。
「ええ、そうですよ。本当に情けない気分になります。学歴のない女なんで仕事は見つからず、あたしも援交をやろうかと思ったんですが、どうもそっちより援交少女たちを守る素質のほうがあったらしくて……」エリカは続ける。「今ではボディガード代として、援交少女たちから給料をもらっているような立場です」
無言で聞き続けるキョウイチとユミリ。
「自分の人生を狂わせた男どもを憎み続ける人生をおくってきたというのに、その男どもに体を売って稼ぐ少女たちからもらう小遣いでしか生きていけないんですよ、あたしは。この屈辱感、この悔しさ、この情けなさがあなたにわかります?」エリカは顔を紅潮させていった。「人間は皆平等なんじゃないんですか?男女は平等なんじゃないんですか?それなのにこの世界の矛盾ぶりはなんなんですか?世紀末の救世主キョウ様、あなたなら納得のいく真の答えを教えてくれるだろうとずっと思い続けていたんです!キョウ様、あたしに教えてください!」
そういうエリカに、キョウイチはひとつ息を吐いておもむろに語り出した。
「……結論からいうと、男女は完全に平等、男と女に優劣なんてないのよ」
「優劣がない?」エリカはキョウイチの顔を痛烈に見つめながらいった。
「男性優越主義者側の意見ってのは、だいたいこんな感じだと思う。男のほうが女より体格がすぐれている、体力でまさっている、だから男のほうがすごくて偉いんだと」キョウイチはいった。「でもねぇ、これってとんでもない大間違いなのよ」
「どうまちがっているんですか?」
「例え話からするね。サッカーのFWって、パッサーからいいパスがこないとシュートしてゴールをきめられないじゃない?しかし、だからといってパッサー側がFWに『おまえがゴールをきめられたのはオレのおかげだ。チームが勝てたのもオレのおかげだ』とはいわないでしょ?また、FW側も、優秀なパッサーがいてくれるおかげでゴールをきめられるんだから、『ゴールはオレひとりできめたんだ。よってチームが勝てたのもオレのおかげだ』とはいわないでしょ?FWもパッサーもどちらが欠けてもゴールはきめられないし、試合にも勝てないんだ。よってFWとパッサーに優劣はないんだよ」
「……つまり、どういうことです?」
「男と女もそれと同じ。それぞれにまったくちがった役割があり、お互いを尊敬しあい、感謝しあいながら生きていけばいいのよ。どちらがすぐれているとか、どちらが偉いとか、そんな概念は存在しないの」
キョウイチの言葉にエリカが疑問をはさむ。
「し、しかしキョウ様、事実、男は女より体格や体力がすぐれていますが……」
「男のほうが女より体格がすぐれている?そりゃそうでしょう。そのすぐれた体格をいかして女を守るのがパッサー、つまり男の役目であって、フィニッシャーである女はこなす必要がない役目なのよ」キョウイチはいった。「男のほうが女より体力でまさっている?そりゃそうでしょう。その豊富な体力を駆使して食料をとったり、家を建てたりするのがパッサー、つまり男の役目であって、フィニッシャーである女はこなす必要がない役目なんだから」
キョウイチを見つめるユミリの視線も熱くなる。
「夫が妻に向かって『誰に食わせてもらってると思ってるんだ?』ってマヌケな迷言があるけど、これっぽっちも筋が通ってないのよ。妻側は『それじゃあ、誰のおかげで子孫が繁栄できてると思ってるんだ?』といい返せば一件落着でしょう。女を守り養うのが男の役目であって、子を産み育て子孫を繁栄させるのが女の役目なんだから。天から与えられたそれぞれの役目をこなしているだけにすぎないわけよ」
「ああ、キョウイチ救言……」ユミリは感無量の声を小さくあげた。
そのときである。正座のままのエリカが滂沱の涙を流した。
「……キョ、キョウ様!あ、あなたはいったい何者なんですか?今の説明で、あたしの体を縛りつけていた灰色の鎖が……全部、全部きれいになくなった気がします!」
「ハハハ、それはよかった。救世主冥利につきるよ」キョウイチは笑っていった。
そのとき、エリカは流れ出続けていた涙をキッと強引に止め、再びキョウイチの顔を正面から強く見つめながらいった。
「あなたに会ってもらいたい人物がいます。あなたなら“エンジェル”を救うことができると思う」