表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/35

第3部 第4話【堕胎】

 そこは30畳ほどの広さの一室だった。全身深紅の正装に身を包んだ50人ほどの老若男女が、両手に赤ん坊の人形を抱きかかえている。


 


 

 そして部屋の中央にいる男性の動作に合わせて、赤ん坊の人形を天高く掲げた。中央の70歳ほどのロマンスグレーの老人が深遠な響きの声でいう。


 


 

 「新しい命はこの世のなによりも美しく尊い。新しい命は必ず守らなくてはならない。それを邪魔する者には天誅を」


 


 

 そして50人の老若男女が『天誅を!天誅を!天誅を!』とくり返した。その様子に中央の老人が恍惚とした笑みを浮かべた……。


 


 

 ━━キョウイチとユミリが駆け付けたのは都内の大学病院の集中治療室だった。


 


 

 部屋に入るとそこにはキョウイチたちをケータイで呼んだサトミ・サカグチと、ベッドの上で全身包帯だらけの中絶医コミヤマの惨憺な姿があった。


 


 

 「コミヤマさん……」キョウイチは突然のことに言葉を失う。


 


 

 「お母さん、これはいったいどういうこと!?」ユミリはサトミに詰め寄った。


 


 

 「ユミリ、キョウイチくん……」サトミは憔悴した様子だった。「ケータイで少し説明したとおり、コミヤマさんが何者かに刃物で襲われて……」


 


 

 サトミはそれ以上言葉を発することができなかった。


 


 

 「それでお母さん、コミヤマ先生は助かるの?」


 


 

 ユミリの問いにサトミは顔を曇らせて首を振った。


 


 

 「……もう……死んでしまったわ……」


 


 

 ユミリは軽い悲鳴を上げてキョウイチの腕にしがみついた。キョウイチはいう。


 


 

 「……で、サトミさん、犯人の心当たりはあるんですか?それから警察には?」


 


 

 「私なんかがあれこれいうより、コミヤマさんの遺書を読めば詳細はわかるはず」そういってサトミは、一冊の小さなメモ帳をキョウイチに渡した。そこにはこう書かれていた。


 


 


 

 私の身にもしものことがあったときに備え、ここに遺書を残しておきたいと思います。


 


  

 私はかねてより、【クライム・オブ・ラヴ 愛の罪教団】という宗教団体に命を狙われています。


 


 

 【クライム・オブ・ラヴ 愛の罪教団】とは堕胎、中絶に反対する組織で、中絶医を暗殺したり、中絶クリニックを襲撃したり、これまで数々の問題を起こし続けてきたたいへん危険な組織です。


 


 

 私の部下の医師たちも何人か暗殺されてきました。よって私もいつ殺されてもおかしくありません。


 


 

 警察に警護を依頼したことはありますが、今の時代の警察はいうまでもなくほとんど当てにはなりません……。


 


 

 私は天寿をまっとうするまで望まぬ妊娠をしてしまった女性たちのために働き続けるつもりですが、それが叶わなかったときのためにこの遺書を書きました。


 


 


 


 遺書の最後に、なんとユミリへの文章がつづられていた。


 


 


 

 ユミリちゃん、君の顔のヤケドの痕は、欧米の世界最高峰の医療技術をもってすれば、おそらくほぼ元の状態に戻すことが可能だと思います。しかし、そのためには、べらぼうに高い治療費を何年にもわたって払い続けなければなりません。


 


 

 それは現実的にはほぼ無理なことです。そこで私はキョウイチくん、君の世界革命に期待をしています。


 


 

 世界の誰もがお金に困らない世界、世界の誰もがただで医療を受けられる世界━━そんな夢の世界をキョウイチくんなら到来させることができると思っています。


 


 


 

 ここで遺書は終わっていた。キョウイチが遺書を読み終えると、ユミリは右目からほろほろと涙を流した。


 


 

 「コミヤマ先生……」


 


 

 キョウイチはコミヤマの遺書をサトミにゆっくり手渡してからいった。


 


 

 「サトミさん、犯人は【クライム・オブ・ラヴ 愛の罪教団】という奴らでまちがいないんですね?」


 


 

 「ええ、そうよ。本部は五反野にある」サトミは泣き晴らした赤い目でいった。「ただ、実行犯は目下逃亡中だし、首謀者は教祖のスザク・オノウエであることは確実なんだけど、信者に暗殺を指示したことはぜったいに否認するはず。これまでもそうやって罪を逃れ続けてきた奴なのよ」


 


 

 「なるほど、よくわかりました」キョウイチは低い声でいった。「ボキがスザク・オノウエと話をつけてきます」


 


 

 愕然とするサトミ。


 


 

 「キョウイチくん!?」


 


 

 「あとは任せておいてください」キョウイチはそういうと、集中治療室をユミリとともに出ていった。


 


 

 大学病院を出たキョウイチは、さっそくとあるところにケータイで連絡をした。


 


 

 「ああ、ガンジかい?」連絡した先は【アーバン・ジャングル】のガンジだった。


 


 

 『キョウ様ですか?なにかご用で?』


 


 

 「さっそくで悪いんだけど、【アーバン・ジャングル】から10人ほどの精鋭をよこしてもらいたい。とある建物に強行突入する必要性が出てきた」


 


 

 キョウイチのその言葉に、ガンジの武闘派の血がざわざわと騒いだ。


 


 

 『へいへい、了解しました。我が【アーバン・ジャングル】が誇る精鋭を今すぐ向かわせます!』


 


 

 ……30分が経過したときだった。キョウイチとユミリのもとにガンジたち【アーバン・ジャングル】の精鋭たちが到着した。


 


 


 その中には見かけた顔があった。


 


 

 「あれ?君はトオルじゃないか」


 


 

 キョウイチの声に大巨人トオルがぺこっと頭を下げた。


 


 

 「へへ、どうもです」


 


 

 「実はですね、キョウ様が【キャバレー・イン・ザ・ヘブン】にきて以来、トオルの中の戦士の血が燃え上がったらしいんですよ」ガンジが笑いながらいった。「こいつ、もともと戦闘のセンスはあったんですよ。しかし、いかんせん気が弱いもんで……」


 


 

 「まあ、否定はしませんが」と、照れ臭そうなトオル。「しかし、キョウ様にお言葉をいただいて以来……」


 


 

 そのとき、キョウイチが話の腰を折った。


 


 

 「とりあえず、今はそれどころじゃないから、五反野の【クライム・オブ・ラヴ 愛の罪教団】の本拠地に急ぐ」


 


 

 「わかりました」ガンジたちは唱和した。


 


 

 ━━宗教団体【クライム・オブ・ラヴ 愛の罪教団】本拠地。


 


 

 「うぎゃぁぁぁ!なんなんだね君たちは!」信者の初老の男が、ガンジに突き飛ばされて壁に背中を打ちつけた。


 


 

 「ま、待ちなさい君たち!」


 


 

 「これ以上の横暴が許されると思うな!」


 


 

 そんな信者の青年たちを、トオルが遥か頭上から見下ろしながらいった。


 


 

 「それがどうかしたかい?」そしてトオルはふたりの信者をひとりずつ両腕に抱え、ふたりまとめて壁に向かって投げつけた。


 


 

 「うげぇぇぇぇ」


 


 

 「ひぃぃぃぃぃ」


 


 

 【クライム・オブ・ラヴ 愛の罪教団】の本拠地内は、そこかしこが深紅の正装姿の信者たちの阿鼻叫喚に包まれた。


 


 

 キョウイチはユミリをかばうように建物の奥に進み続け、突然の事態にわなわなと震え続ける中年女性の信者がいたので質問をした。


 


 

 「あの、おばさん、質問なんだけど、教祖様のいるところに案内してくれない?」


 


 

 キョウイチがそういうと、中年女性の信者は蒼白の顔で小さくうなずいて教祖の間へと案内した。


 


 

 教祖の間━━そこは10畳ほどの広さの部屋で、壁にはおびただしい数の赤ん坊の笑顔の絵が描かれていた。それにキョウイチはかわいらしいという気味が悪い印象を受けた。 


 


 


 部屋の奥には木製の立派なデスクがあり、椅子に腰をかけて向こうの壁を見つめているロマンスグレーの老人の姿が目に入った。


 


 

 「あなたが【クライム・オブ・ラヴ 愛の罪教団】の教祖スザク・オノウエさんですね?」


 


 

 キョウイチの問いかけに、ロマンスグレーの老人は『ウフフフ』という上品な笑い声をあげながら正面を向いた。


 


 

 「いかにも、私が【クライム・オブ・ラヴ 愛の罪教団】教祖スザク・オノウエです」老人はいった。「ところで、あなたは?」


 


 

 「ボキはあなたの信者に殺害された中絶医コミヤマ先生の知り合いのキョウイチと申します。進歩主義団体【ヴァージン・ビート】の総帥をやらせてもらっています」


 


 

 キョウイチのその自己紹介にスザク・オノウエは表情を変え、ゆっくり椅子から立ち上がってキョウイチとユミリに歩み寄った。


 


 

 「ほー、君が最近つとに有名な世紀末の救世主キョウイチくんですか?」スザク・オノウエは慇懃にいった。「いつかお会いしたいと思っていた人物のひとりです。お会いできて光栄です」


 


 

 そしてスザク・オノウエはキョウイチとの握手を求めた。キョウイチは一瞬逡巡したが、しかたなく握手に応じることにした。


 


 

 そのとき、スザク・オノウエがユミリに視線をやって口を開いた。


 


 

 「お嬢さん、その顔……硫酸かなにかをかけられたのですか?」


 


 

 ユミリは警戒して無言のままだった。


 


 

 しばらくの沈黙のあと、スザク・オノウエはなんとおいおいと涙を流しはじめた。


 


 

 「そんなきれいなお顔にそんなヤケドを負わされるとは……どんな辛い思いをしてきたことなんでしょうね。うっうっ」スザク・オノウエはユミリの顔を見ながら、顔をぐしゃぐしゃにして嗚咽をもらした。


 


 

 「なに急に泣き出してんの?あんた」キョウイチがクールにつっこんだ。


 


 

 「これが泣かずにいられるものですか。人の苦しみは自分自身の苦しみですからね」


 


 

 「なにをとち狂ったことをいってるんだか。中絶医としてあまたの女性たちを救い続けてきたコミヤマさんを殺した分際で」


 


 

 そのとき、スザク・オノウエは涙をぴたっと止めてキョウイチを直視した。


 


 

 「キョウイチくん、そのいい方ではコミヤマ医師が正義の味方のようではないか」


 


 

 「どう考えてもコミヤマさんは正義の味方だったじゃんか」キョウイチはこともなげにいった。


 


 

 「おろか者が!天から授かった尊い命を堕胎などというむごい手段で殺戮する悪魔のどこが正義の味方なものか!」


 


 

 スザク・オノウエの突然の鬼の形相に、キョウイチとユミリはややぎくっとした。


 


 

 「女性たちのお腹に宿った尊い尊い命。その灯を悪魔の中絶医どもは冷血にも消して金を稼いでいたんだ。これほどの暴悪がありえるだろうか?中絶医どもはまさに人間の皮をかぶった悪鬼以外のなにものでもないわ!」スザク・オノウエは吐き捨てるようにいった。「私たちの使命は、奴ら悪魔どもの手から尊い命を守ることにある。私たちのおこないこそが正義なのだ。これについては誰も異論はあるまい」


 


 

 「全然ちがうね。アタマ大丈夫?」


 


 


 キョウイチの言葉にスザク・オノウエとユミリは『えっ?』となる。


 


 

 「まず、初歩的なところから。パートナーとの間に身ごもった場合ならまだしも、レイプなどで望まぬ妊娠をしてしまった場合、女性にとってこれに勝る屈辱はほかにちょっと考えられない。そんな女性に向かって『堕胎するな!出産しろ!』とは稚拙で低劣な暴論でしかない」  


 


 

 押し黙るスザク・オノウエ。


 


 

 「次に、たとえパートナーとの間に身ごもった場合でも、年齢的なこと、経済的なこと、将来的なことなど、いろいろと人生の不安要素ってあるじゃない?そうしたものを考えて堕胎を選択せざるをえない人も無数にいるんだよね。こんなことボキがわざわざいうまでもないことなはずなんだけど、あなたみたいな無知蒙昧がまれにいるんで教えてあげた」キョウイチは続ける。「そもそも中絶医の人たちだって、妊婦の腹を蹴ったりして流産させたりしているわけじゃないでしょ?妊婦の女性に苦痛や不安を与えないよう細心の注意を払いつつ、持てる限りの技術を駆使して手術をおこなっているのよ。そんな中絶医の先生たちを尊敬しこそすれ、憎んで殺害するとは言語道断だ!」


 


 

 するとそれまで黙っていたスザク・オノウエがおもむろに反論した。


 


 

 「……し、しかし、せっかく天から授かった尊い命なのだ。自分で育てるのが難しかったとしても、出産して里親に出すなりすればいいのではないのか?」


 


 

 「あのねぇ、出産というものを歯磨きするのと同じような感じで考えているところから根本的にまちがいなのよ」キョウイチはいった。「出産ってのは、女性がその命と人生をかけた壮大な難業なのよ。ものを右から左へひょいひょい動かすような簡単なもんじゃないのよ。男のあなたから見れば所詮他人事かもしれないけど、出産というものを決意して実行するには想像を絶するエネルギーが必要なわけ。『自分で育てられなくても、とりあえず生んで里親に出せば?』なんて軽々しい話じゃないのよ。バカじゃないならボキのいうことわかるよね?」


 


 

 次の瞬間だった。スザク・オノウエはがくっと膝をつき、再び大量の涙を流しはじめた。


 


 

 「……私は私なりに、自分の正義と信念を信じて今まで活動してきました」スザク・オノウエはむせび泣きながらいった。「しかし……世紀末の救世主キョウイチくん、君の金言によってようやく真実の丘にたどり着けたような気がします」


 


 

 スザク・オノウエを黙って見守るキョウイチとユミリ。


 


 

 「私は……ひょっとすると……君のような人物に出会うために活動してきたのかもしれません。自分の今までのおこないがすべてまちがいだったとは、さすがにすぐには認められませんが、キョウイチくん、私などより君のほうがひとつもふたつも上の次元から世の中を諦観している人なようです」


 


 

 そんなスザク・オノウエに、キョウイチは小さく息をつきながらいった。


 


 

 「自分が首謀者であることを認め、自首してくださいますか?」


 


 

 するとスザク・オノウエはのっそりと立ち上がった。


 


 

 「……いいや、私の罪はそんなことでは償えません。この場で燃えて塵になろうと思います」


 


 

 そしてスザク・オノウエは、ライターで自分の服に火をつけた。


 


 

 「私はこの深紅の正装と同じ赤い色の炎に包まれながら生涯を終えようと思います。さようなら、世紀末の救世主キョウイチくん。君のこれからのさらなる飛躍を祈っています」


 


 

 身の危険を感じたキョウイチは、ユミリの手を引いて部屋から抜け出した。そして廊下で待っていたガンジたちに告げる。


 


 

 「やっぱりこの教団の教祖、頭おかしい人だったわ。この建物焼け落ちる運命にあるから、さっさと外に出よう」


 


 

 ━━【クライム・オブ・ラヴ 愛の罪教団】本拠地を出たキョウイチたち。キョウイチはガンジたち【アーバン・ジャングル】の精鋭たちに礼をいった。


 


 

 「ガンジにトオル、今日は本当に助かったよ」


 


 

 「こんなことでいいなら毎日でもこき使ってくださいな」破顔のガンジ。トオルは目を閉じてヒロイズムに陶酔していた。


 


 

 ガンジたちと別れ、ふたりきりになるキョウイチとユミリ。そのとき、ユミリがふとつぶやいた。


 


 

 「……今日のキョウイチくん、いつにもまして……カッコよかった」


 


 

 「え?そう?」さしものキョウイチも顔がやや赤くなる。「そうかなぁ……」


 


 

 この日のキョウイチ救言もユミリはこっそりケータイで撮影しており、その模様がユーチューブにアップされてすさまじい大反響を呼んだ。かくして【世紀末の救世主キョウイチ】のムーブメントはますます隆盛を極めていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ