第3部 第3話【いちごのミルフィーユ】
【アーバン・ジャングル】のアジトである【キャバレー・イン・ザ・ヘブン】。その地下8階にある小さなケーキショップで、キョウイチたちはやっとリーダーのガンジに会うことができた。しかしキョウイチにはひっかかるものがあった。
「ところでガンジ、さっきから気になってたんだけど」
「なんですか?キョウ様」
「君、なんでこんなケーキショップにいるわけ?ケーキが大好物なんだ?」
するとガンジは店の奥のほうを見つめながらいった。
「いやぁ、実は、ここのケーキショップで働いている大巨人に話があったんです」
「大巨人?」キョウイチたちは声を揃えてくり返した。
「おーい、大巨人、こっちにこい。こればかりは【アーバン・ジャングル】リーダーとしての命令だ」
身長が190センチ近くはあるだろうガンジに大巨人などと呼ばれるとは、いったいどんな人物なのだろうか?━━キョウイチたちは店の奥のほうを興味しんしんに見つめた。
すると奥のほうからのっそのっそとひとりの男がその姿をあらわした。
「ど、どうも、はじめまして、世紀末の救世主キョウ様」
「ははぁ、たしかに大巨人だねぇ」キョウイチは男を見てこともなげにつぶやいた。
「こいつはトオルっていうんだ。身長はざっと2メーター5はあると思う」
表情を変えないキョウイチとは裏腹に、ユミリとタクヤたちはトオルのあまりの巨人ぶりに圧倒されていた。
そんなトオルは朴訥とした感じの好青年だった。
「キョウ様、オレはこいつにケーキ職人なんかやめて、【アーバン・ジャングル】の戦闘員になれと説得し続けているんですよ」ガンジはいった。「しかし、この野郎、どれだけいっても一向にいうことをきかないんですよね。こんないいがたいしながら、困ったもんだ」
「もういい加減にしてくださいリーダー。僕はずっと以前から断り続けているじゃないですか」トオルはキョウイチたちの遥か頭上から真顔でいった。
「でもなあ、今の時代におまえのようながたいの男がケーキなんかつくってるのはもったいないんだ。おまえのような男こそ肉体を究極に鍛え上げ、勇敢な戦士として戦いの場におもむくべきなんだ」
「よしてくださいリーダー。僕には戦いなんか不向きなんです」トオルはいった。「僕の夢は、日本一のいちごのミルフィーユ職人になることなんです」
「そんな図体していちごのミ……なんだ?よくわからんが、おまえにはぜったいに【アーバン・ジャングル】の戦闘員になってもらうからな」
「それはちがうのよガンジ」
全員の視線がキョウイチに集まった。
「いくら身長が高くて体格がいいからって、【だから武人の道をこころざせって】のはあまりに単純すぎる、乱暴すぎる考えなのよ」
「キ、キョウ様?」ガンジはやや戸惑いつつキョウイチを見つめた。
「手の指がきれいだからといって、ピアノの非凡な素質を持っている可能性が非常に高いわけではないでしょ?太っているからといって、相撲の非凡な素質を持っている可能性が非常に高いわけではないでしょ?」
ガンジもトオルも無言のままだった。
「美人だからといって、名女優に慣れる素質を持っている可能性が非常に高いわけではないでしょ?黒人だからといって、ラップやボクシングの非凡な素質を持っている可能性が非常に高いわけではないでしょ?それと同じで身長が高くて体格がいいからといって、格闘技の素質を持っているわけでも、軍人の素質を持っているわけでも、気が強くて統率力のある天性のリーダーなわけでもなんでもないのよ」
その瞬間、タクヤとコツが小声でつぶやいた。
「出た!」
「必殺のキョウイチ救言!」
ユーレイは無言で小さくガッツポーズをとっていた。ユミリもキョウイチに小さく微笑む。
そのときだった。無言で聞き続けていたトオルが感動にうち震えながらいった。
「キョウ様、僕はこれまでの人生で、そんなことをいってもらえたことはまったくもってはじめてです」
「ハハ、そうかい?」
「なんか、とても気持ちが楽になった気がします。ありがとうございました」
そういうトオルにキョウイチはいった。
「ま、身長がメチャクチャ高いがゆえに、君が誤解と苦悩に満ちた人生をおくってきたであろうことくらいボキにはすぐにわかったよ」
「さすがキョウ様です」トオルは感嘆していった。
「なにも気にすることはない。君はこのままいちごのミルフィーユをつくり続ければいいでしょう。人にはそれぞれ向き不向き、そしてそれぞれに役割というものがあるからね」
「ありがとうござます」再び頭を下げるトオル。
「というわけでガンジ、トオルくんのことはあきらめてあげてくれない?」
「うーむ、キョウ様がそういうのなら……」ガンジはまだ得心しきれない様子だった。
しばらくしてトオルが、つくったばかりのいちごのミルフィーユを5人分持ってきた。それを口にして大絶賛するタクヤとユミリ。しかしキョウイチはノーリアクションだった。
「まあ、まずいとは思わないけど、100人のケーキ職人がつくった100通りのいちごのミルフィーユを食べたわけじゃないから、これがすごくおいしいのかどうかはボキにはわからないな」
「さすがキョウ様、あくまで冷静なご判断です」
そんなトオルにキョウイチはいった。
「もうひとつ、君にボキからアドバイスしてあげよう」
「はあ、なんでしょう?」
「君、ちょっと猫背気味だよねぇ?」
「ああ、昔からこうなんです……」と、トオルは恥ずかしそうに目を伏せていった。
「治し方を教えてあげる。お腹を張ればいいんだよ。鏡を見ながらやればわかるんだけど、お腹を張った姿勢と胸を張った姿勢ってほぼ同じなの」キョウイチはいった。「よく猫背の人に『胸を張れ』っていう人がいるけど、猫背の人って気が小さい人が多いのよ。そのため胸を張れといわれても、気の小ささが邪魔をして簡単にはいかないんだよね。そこでお腹を張ればいいわけ。【自分は胸を張っているわけじゃない。お腹を張っているだけだ】と考えれば気持ちが楽になるはず」
「な、なるほど。アドバイスありがとうございます」頭を下げるトオル。ガンジやタクヤたちはただただ感心するだけだった。
━━ケーキショップをあとにし、戦闘員たちが訓練を続ける地下7階におもむくキョウイチたち。そのとき、数人の戦闘員が担架に運ばれていた。
「ガンジ、あれは?」キョウイチが訊く。
「おそらくさきほど、外で【ロスト・イン・ザ・ダークネス】の武装警察隊と衝突があったんでしょう」ガンジはいった。「まあ、あんな光景は日常茶飯事ですし、我々は日本を変えるためならいつでも死ねる覚悟くらいはありますんで」
ユミリは恐怖感に襲われ、両腕で自分の体を抱きしめた。タクヤがいう。
「で、でもさぁ、【ロスト・イン・ザ・ダークネス】の誇る武装警察隊と何年も互角に渡り合えるんだから、【アーバン・ジャングル】とその他のゲリラ組織がみんなで力を合わせれば、けっこういいところまでいけるんじゃないかしら?」
「そんな甘いわけないだろ」と、キョウイチ。「たしかに【アーバン・ジャングル】は東京最大のゲリラ組織だけど、あくまでもゲリラ組織だ。兵力にも武器にも限界はあるし、兵力の桁も武器の質もまったく比較にはならないだろう」
「へえ、悔しいですがおっしゃるとおりです」ガンジはいった。
「【ロスト・イン・ザ・ダークネス】側としては、ゲリラ組織なんてその気になればいつでも殲滅しようと思えば殲滅できるのさ。そうしないのは、あえて殲滅せずに生き残らせ続け、『自分たちにはどれだけ刃向かっても無意味なんだ』ということを国民に見せつけるためなんだ」
「たしかに」ガンジはいった。「しかし、それでもオレたちは散発的でもテロを続けるしかないんです」
「うむ。武力で革命をマジで起こすなら、【ロスト・イン・ザ・ダークネス】の正規軍【シェイク・ザ・フェイク】の中にいるかもしれないクーデター軍に協力してもらう必要があるね」
キョウイチのその言葉を聞き、ガンジがこっそりと打ち明けた。
「キョウ様、実はですね、【アーバン・ジャングル】に武器などを援助してくれているシンパがいるんです」
「……マジで?」
「ええ。それが……【ロスト・イン・ザ・ダークネス】の中のクーデター軍【ワイルド・ロマンス】なんです」
「【ワイルド・ロマンス】?」キョウイチは鋭い目つきでくり返した。「クーデター軍がいるのではないかという噂は聞いていたけど、まさか君たちにそんな援助をしていたとは知らなかった。いつになるかわからないけど、新生日本革命の際、その【ワイルド・ロマンス】の人たちには超お世話になるだろうね」
「【ワイルド・ロマンス】にも、世紀末の救世主キョウ様の噂はぜったい届いているはずです。キョウ様、ぜったいに新生日本革命を成し遂げてください!」
キョウイチはコクコクとうなずきながら【キャバレー・イン・ザ・ヘブン】をあとにした。
━━すっかり夜が深まっていた渋谷の街並み。そのときだった。ユミリのケータイに悲報が届いたのは……。