第2部 最終話【独裁者】
東京都千代田区━━気が遠くなるほど広大な森林の中に、これまた気が遠くなるほど壮大な建造物が音もなく存在していた。
そこは数百年前まで【皇居】と呼ばれていた場所で、そこには【ロスト・イン・ザ・ダークネス】の総裁であり、日本のドンであるオサム・クマザキとそのファミリーが暮らす【クマザキ宮殿】が建てられていた。
クマザキ宮殿は5階建てで部屋数が2000を超え、徹頭徹尾白亜一色の桁外れの超大豪邸だった。オサム・クマザキがその税の限りをつくして建てた、まさにオサム・クマザキの独裁者としての証だった。
このクマザキ宮殿の中には大理石の温水プールがあり、オサム・クマザキは普段そこで5人の妻たちや複数の愛人たちと乱痴気騒ぎをくり広げていた。
また、クマザキ宮殿の中にも広大な森林があり、オサム・クマザキはそこで鷹狩りを楽しんでいた。
国民が困窮にあえぎ続けていた中、オサム・クマザキとその取り巻きたちは典型的な独裁者ぶりを発揮して豪遊を満喫していたのである。
ある日のこと。クマザキ宮殿のとある一室で、10人の男たちが正座をして瞑想にふけっていた。
彼らの前方をのっそのっそと歩きながらしゃべり続ける肥満体の男がいる。オサム・クマザキその人だった。
「よいか息子たち。おまえたちは天に選ばれた特別な人間なのだ」オサム・クマザキは低くドスのきいた声でいった。その声には不思議な迫力があり、有無をいわせぬ威圧感を備えていた。「高い知能、政治的手腕、統率力、これらを兼ね備えたおまえたちは天の意思によって選ばれた特別な人間なのだ。おまえたちのようなごく一握りの卓抜とした人間が、圧倒的多数の愚人どもを支配下に置いて世の中を動かしていくのだ。遥か古代よりこの世界は、常にそのようにして続いてきたのだ」
オサム・クマザキの言葉に、静かに目を閉じて耳を傾け続ける10人の息子たち。
「日本はこれからも【ロスト・イン・ザ・ダークネス】とクマザキ一族によって牛耳られていく。なんびともワシたちを邪魔することはできない。日本はワシたちクマザキ一族のものなのだ。100年後も、1000年後も、未来永劫にわたって」オサム・クマザキはいった。「ワシたち以外にドンにふさわしい者はいない。ワシたちが覇者だ。よいか息子たち?」
オサム・クマザキの問いかけに10人の息子たちは声をそろえて『はい、お父様』と明瞭に答えた。そんな息子たちを悠然と見下ろし、顔中の贅肉を醜く歪めて不敵に微笑むオサム・クマザキ。実におぞましい笑顔だった。
オサム・クマザキには10人の息子がいる。そのうち実の子供はふたりだけで、あとの8人は全員養子だった。
もともとオサム・クマザキには実の子供が6人いたのだが、そのうちの知能の低い3人の子供とは縁を切り、あとの知能の高いふたりの子供は【ロスト・イン・ザ・ダークネス】の幹部にした。そして残りのひとりが……あの綺羅飄介だった。
オサム・クマザキは綺羅飄介の芸術の才能を高く評価していたのだが、綺羅飄介のほうから家を飛び出して音信は不通になっていた。
ところで、知能の低い3人の子供と縁を切ったとはどういうことなのか?
オサム・クマザキは【自由義絶法】という法律をつくり、それを利用して知能の低い子供を捨てたのである。
自由義絶法━━知能の高い親のもとに知能の低い子供が生まれたとする。そこで親が知能の高い子供をほっしていた場合、親は知能の低い子供と縁を切って知能の高い子供を養子にむかえることができるのだ。
逆に知能の低い親のもとに知能の高い子供が生まれたとして、知能の高い子供が知能の高い親をほっした場合、小学校卒業同時に知能の高い親のもとに養子に行けるのである。
世の中には知能の低い子供が嫌いな親や、知能の低い親が嫌いな子供がゴミのようにいる。知能の高い者は知能の高い者とともに暮らすべきだということで、オサム・クマザキが自由義絶法という法律を制定したのだ。
オサム・クマザキは【ロスト・イン・ザ・ダークネス】の幹部を全員身内で揃えたがっていた。しかし自分と同じように知能が高く、政治的手腕にもたけ、統率力も兼ね備えた子供はなかなか生まれない。そこで強引に自由義絶法を制定し、自分の配下、後継者にふさわしい優秀な人材をかき集めたのだ。
オサム・クマザキの10人の息子たち。全員が超高学歴の超エリートであり、オサム・クマザキは彼らを月に1度集結させて眺めるのを楽しみにしていた。
また、年収が8000万円以上の男には、最高で5人まで妻を持つことが許されていた。オサム・クマザキにも5人の妻がいたが、建前はけっして好色だからというわけではなく、生活苦の女性たちを救済する手段としての法律だった。
では、なぜそのような法律が誕生せざるをえなかったのか?
西暦3035年の日本の国民は、上流階級━━中流階級━━下流階級の3つの階級に分けられていた。
上流階級を占めるのがインテリジェンスワーカーと呼ばれる人間たち。政治家、医者、弁護士、一流大卒の教師など。
1000年前、教師は一流大出でも大学教授にでもならないと貧しい生活を余儀なくされていたが、この時代の教師は前述の職業と並ぶセレブの代名詞だった。
中流階級を占めるのがタレントワーカー(芸能人)、アートワーカー(芸術家)、スポーツワーカー(プロアスリート)と呼ばれる人間たち。そして二流の大学を出たサラリーマンや教師などだった。綺羅飄介やユミリの母であるサトミ・サカグチなどがこれに当たる。
そして下流階級を占めるのが、二流の大学すらも行けなかったパワーワーカー(肉体労働者)、テクニカルワーカー(職人)と呼ばれる人間たち。国民の8割以上がこれに分類される。ちなみに警察官もパワーワーカーとされていた。
ちなみに平均年収は上流階級が5000万円、中流階級が1700万円、下流階級が120万円だった。この超格差社会に国民の8割を占める下流階級の人間たちが激昂し、各地でデモやゲリラ活動を展開させていた。しかし、そのたびに【ロスト・イン・ザ・ダークネス】の武装警察組織に捕らえられ、殺される者や幽閉される者が後を絶たなかった。
また、日本では死後になりつつあった【誰に食わせてもらってると思っているんだ?】という言葉が数百年前から再び市民権を得るようになり、日本は想像を絶する男尊女卑社会と化していた。性犯罪発生率が異常に高いのも、こうした時代背景の影響があるといえる。
こうした事情のため、女性は二流以上の大学を出ていても安定した職業にはめったにつけず、赤貧のぎりぎりの生活をおくりながら養ってくれるパートナーの登場を待つしかすべがなかった。
そんな女性たちを救済するべく一夫多妻制がつくられたのだが、下流階級の男たちにとっては迷惑至極な法律であることはいうまでもない。これも下流階級の男たちの不満を増幅させる要因になっていた。
ところで、キョウイチとクラウディアには二流以上の大学に行けるだけの力はなかったのか?
実は充分にあったのである。また、高校をトップクラスの成績で卒業した者は無償で一流大学の受験を受けることができ、合格後の学費もすべてが無償だった。
そしてキョウイチもクラウディアも高校をトップクラスの成績で卒業したのだが、あえて大学には行かずに下流階級で生きていくことを決意した。それは超格差社会に対するささやかな抵抗であり、キョウイチやクラウディアのような人間は【清貧族】と呼ばれ、その地域の人たちに文句なしに聖人として崇められた。
また、一流大学に籍を置いている男は、将来上流階級の人間になれる可能性が高い逸材として、徴兵が免除されるという特権があった。キョウイチはそれすらも蹴って清貧族になった男なのである。
このような時代を生き抜いていたキョウイチやクラウディアたち━━果たして彼らはこの日本を抜本的に改革することはできるのか……?
そんなある日のクマザキ宮殿・総裁室。そこにオサム・クマザキの息子のひとりが訪れた。
「失礼します」
「ん?おまえは我が息子のひとりエンゴ。なにかあったのか?」特注でつくらせただぼだぼの高級スーツに身を包み、高級葉巻をくゆらせるオサム・クマザキ。彼がデスクの椅子にどっしり腰をかけながらいった。
「お父様もすでにご存じだと思われますが、最近下流社会でひとりの男が現代の救世主として騒がれているのです」
「ん?現代の救世主?」オサム・クマザキが毛虫のような眉毛を汚く寄せていった。「ああ、思い出した。足立区の救い主・キョウイチとかいう小僧だろ?」
「そうです。最近は呼称が【世紀末の救世主】に変わりつつあるようなのですが……」
「それで、なにか心配事でもあるのか?」
「ハァ……」エンゴは少し言葉に迷った。「呼称が足立区の救い主のままならまだしも、世紀末の救世主と呼ばれるようになったのが気にかかりまして……」
「ククク、なーんだ、そんなことか」オサム・クマザキは嘲笑的にいった。「【ロスト・イン・ザ・ダークネス】一党独裁の過去数百年の歴史の中で、救世主を名乗ってはつぶされた者、自然消滅していった者はゴミのようにおる。結局、どの救世主様も【ロスト・イン・ザ・ダークネス】を打倒することなどこれっぽっちもできなかった。なんも心配はいらんよ。今回の救世主キョウイチくんもとやらも自然と消えていなくなっていくだろう」
「そうだといいのですが、ひとつ気になるデータがありまして」
「気になるデータ?」オサム・クマザキは葉巻をくゆらせる手を止めてくり返した。「いったいなんだね、それは?」
「1ヶ月ほど前、3年前に徴兵された兵卒たちの卒業式がおこなわれましたが、目黒区小山台・第1陸軍軍事学校の南棟の兵卒の中に、自殺者がひとりもいないのです」
「なんじゃと!?」オサム・クマザキは激しく驚愕した。「それは本当か?」
「はい、まちがいありません」
「自殺者が0だと?そんな話はいまだかつて聞いたことはない……」オサム・クマザキの醜悪な顔が奇異の色に染まる。「……まあ、しかし、徴兵制はワシが生まれる遥か前からある制度だ。そんなような珍事や奇跡もまれには起きるだろうて」
「ところが……」エンゴが声を低めていった。「その南棟の卒業生の中に、あの世紀末の救世主キョウイチがいるのです」
その報告に、さしものオサム・クマザキにも緊張が走った。
「……なんじゃと?」
「これもまぎれもなく本当のことです」
「プロフィールを見せてみい」そういってオサム・クマザキは、エンゴが持っていたキョウイチのプロフィール用紙を奪い取って目を走らせた。
「どうしますお父様?危険分子ということで、とりあえず秘密警察【ブラック・リスト】を差し向けて捕らえておきますか?」
が、オサム・クマザキは応答しない。
「お父様?」
「ん?ああ、すまないすまない」オサム・クマザキは葉巻を灰皿に置きながらとりつくろうようにいった。「【ブラック・リスト】をか……?」
「そうです。私はこのキョウイチという男に、なにか得体の知れない怖さを感じるのです」
「うーむ……もう少し考えさせてくれ」
「はぁ……」エンゴはいぶかしげな表情をした。「では、失礼します」
そういって総裁室をあとにした息子を見送ったあと、オサム・クマザキは窓の向こうのクリアブルーの空を、いつまでも無言で眺め続けていた。