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第2部 第5話【生得的嗜虐性】

 そこはボランティア団体【フォロー・ザ・ウィンド】の福祉センター、1階のとある部屋だった。


 


 

 そこにはパイプ椅子に腰かけた女性がざっと300人ほどおり、彼女たちにユミリの母であるサトミ・サカグチがひとりの男を紹介した。


 


 

 「みなさん、お待たせいたしました。【足立区の救い主・キョウ様】の登場です!」


 


 

 キョウイチは女性たちの拍手で迎えられながら部屋にそろそろと入ってきた。


 


 

 「えーと、あのー……みなさん、ボキのこと知ってます?」キョウイチはそういって右手を軽くあげた。すると大半の女性が倣って右手をあげた。「ふぅぅぅ、よかったよかった。これでボキのこと誰も知らなかったら、今日のボキはただのインチキ宗教家になっちゃうからね」


 


 

 残念ながらキョウイチはルックスは可も不可もない男だったので、顔のほうはまだあまり知られていなかった。しかし、【足立区の救い主・キョウ様】の名は全国に知れ渡っており、特に足立区民で知らない者はまずいなかった。


 


 

 そしてこの日、キョウイチは性犯罪被害者の女性たち300人を相手に講演をすることになっていた。


 


 

 「えー、みなさん、理不尽な性犯罪にあわれて、心にも体にも深い傷を負ってしまったと思われます。【男】のボキが登場して、戸惑われた方も少なからずいると思われますが、今日はとりあえずボキの話を聞いて帰ってください」


 


 

 キョウイチを部屋の後ろのほうからユミリとサトミが見守っている。


 


 

 「みなさんの中で、今なお性犯罪によるトラウマに苦しめられている方っていますか?」


 


 

 キョウイチの質問に、ほぼすべての女性が手をあげた。


 


 

 「まあ、そりゃ当然ですよね」キョウイチは申し訳なさそうにいった。「結論からいいますと、ボキはあなたたちのトラウマ、心の傷、胸の苦しみをきれいに消し去る方法を知っているんです」


 


 

 キョウイチの言葉に部屋中がかすかにざわめいた。


 


 

 「ま、完全に消し去るというのはさすがに難しいですが、胸の苦しみを100から30くらいまでには減らすことはできる自信はあります。まあ、人によっては100から50、100から60くらいかもしれませんが……」キョウイチは続けた。「では、さっそく本題に入りたいと思います。みなさん、こう思い込んでいるんじゃありませんか?自分をレイプした男は自分の知らない暗黒世界の醜悪な知識に真っ黒に染まった化物人間だと」


 


 

 キョウイチの言葉に、今度は部屋中が静まり返った。しばらくして小さなうめき声を発する女性が何人かあらわれた。


 


 

 「今、うめき声をあげた方たち、安心してください。あなたたちの胸の苦しみをボキが今からなくしてみせますから」キョウイチはいった。「ボキの予想どおり、ほぼすべての人がそう思い込んでいるようですね。自分のレイプした男はどろどろとした暗黒知識に頭の中が黒く染まった化物だと。たしかに性善説というのもありますし、それが通説になっているでしょうね。ただ、実はそれ、誤解なんです」


 


 

 再び部屋中がざわめいた。ユミリとサトミはキョウイチに熱視線を送っている。


 


 

 「女性をレイプできる男、子供を虐待できる人間、犬や猫などの動物を殺すことができる人間━━彼らの頭の中は黒くなど染まっていず、赤ん坊の頃の真っ白い状態のままなんです」キョウイチはいった。「そのため、どれほどの暴虐を爆発させようと、どれほどの苦しみを人や動物に与えようと、良心の呵責というものにまったく襲われないのです」


 


 

 300人の女性たちのざわめきが大きくなる。


 


 

 「ちょっと想像してみてください。自分の頭の中に知識がこれっぽっちも詰まっていない状態を」キョウイチはいった。「するとそこには果てしない広大無辺の白い霧がどこまでも続いているはずです。……どうです?この感覚なら子供を虐待して殺したり、犬や猫を虐待して殺したりできそうじゃありませんか?あなたたちをレイプした男の感覚もまさにこれなんです」


 


 


 部屋のどこからか『あぁぁぁぁ!』という狂喜の叫びがあがった。


 


 

 「ボキはこれを【生得的嗜虐性】を呼んでいるんですが、この世の理不尽な暴力、情け容赦のない暴虐、血も涙もない残虐、すべてなにもかも、この生得的嗜虐性によるものなのです!」キョウイチの言葉にも熱が入る。「こう考えれば、過去の人類史における信じがたい残虐性の真相が見えてきます。ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺をはじめとする民族浄化のサディズムも、アフリカのFGMや中国の纏足をはじめとする悪習のサディズムも、1000年以上前にここ綾瀬で起こった女子高生コンクリート詰め殺害事件のサディズムも、すべてなにもかも生得的嗜虐性によるものなのです!」


 


 

 キョウイチの言葉にどこからか拍手が沸いた。


 


 

 「あなたたちをレイプした男たちは醜悪な暗黒知識に染まった化物人間などではまったくなく、無尽蔵のサディズムを持つ幼児の頃の真っ白い頭を持ち続けているだけの人間なのです」キョウイチはいった。「あなたたちをレイプした男の姿を幼児くらいに縮めてみてください。できましたか?次は赤ん坊にまで縮めてみてください。できましたか?次は胎児にまで縮めてみてください。できましたか?最後に……精子にまで縮めてみてください」


 


 

 部屋中が打って変ってしんと静まり返った。女性たちが目を閉じ、黙りこくって空想にふけっている。


 


 

 「あなたたちをレイプした男たちは、その精子の段階で果てしなくむごく残虐なことができる状態にあったんです」キョウイチはいった。「精子が怖いですか?精子が恐ろしいですか?恐ろしくないはずです。この生得的嗜虐性という真実によって、みなさんの胸の苦しみは100から最低でも50以下にはなったとボキは確信しています」


 


 

 次の瞬間だった。部屋中から万雷の拍手が鳴り響いた。中には感動の涙を流している女性もいた。


 


 

 そんな様子をユミリとサトミは微笑みながら見守っていた。


 


 

 いったん間を置いてキョウイチがいった。


 


 

 「でもね、これだけじゃまだ説得力がないと思うんで、ひとつの例をあげたいと思います」


 


 

 再び静まり返ってキョウイチの次の言葉を待つ女性たち。


 


 

 「何年か前のことでした。ボキが近所の公園でサッカーボールの……リフティングって知ってます?その練習をしていたときのことです。どこからか『へたくそー』だの『もうやめれば?』だのといったあざけりが聞こえてきました。声のほうを見やると、アパートの2階の廊下に10人くらいの幼児たちがいたんです。無視してリフティング練習を続けていたら、彼らは調子に乗って石を投げつけてきたり、『お・と・せ!』コールを開始したりしました」


 


 

 部屋中が再びざわめき出す。部屋全体が高揚としてきたのをユミリとサトミは感じていた。


 


 

 「最終的にぶちぎれたボキが追いかけるふりをし、子供たちは一目散に走って逃げて行ったんですが、そのときの幼児たちは明らかにまだ小学校にも行ってない年齢でしたね。体格から予想して4、5歳くらいでした。そんな幼い年齢で、世の中の裏側の暗黒知識に黒く染まった化物人間になったと思います?ありえないでしょ?彼らのサディズムも生得的嗜虐性であり、精子の段階からああいったことができる状態にあったのです」


 


 

 キョウイチはまだまだ続ける。


 


 

 「ほかにも似たような例はあります。以前、四つん這いで移動する突然変異の外国の人たちの映像をテレビで見たことがあります。彼らは近所の子供たちからバカにされ、嘲笑われ、とてもつらい日々をおくっているようでした。その子供たちのサディズムも生得的嗜虐性なのです」


 


 

 部屋中のすべての女性たちが黙ってキョウイチを見つめていた。


 


 

 「ボキのいいたいことはだいたいこのくらいです。理不尽な性犯罪にあわれたみなさんの心の傷が、ほんの少しでも癒されて楽になってくれればと思います」


 


 

 そういってキョウイチはぺこりと頭を下げ、出口に向かって歩き出した。


 


 

 そのときである。部屋中から再び万雷の拍手が巻き起こり、女性たちが我先にとキョウイチのもとに駆け寄っていった。


 


 

 「キョウ様!今日はすばらしいお話を本当にありがとうございます!」


 


 

 「キョウ様のお話で心が信じられないくらい軽くなった気がします!」


 


 

 「キョウ様のお言葉を私は一生忘れません!」


 


 

 無数の女性たちに囲まれて身動きができなくなってしまうキョウイチ。彼はこそばゆい思いに駆られながら部屋をあとにした。


 


 

 ……【フォロー・ザ・ウィンド】の福祉センターから出たときである。ふと疑問に駆られたキョウイチがそばのユミリに質問した。


 


 

 「ユミリちゃん、サトミおばさんは女性たちになにを渡しているんだい?」


 


 

 福祉センターを出ようとする女性たちに、サトミは封筒のようなものを手渡していた。


 


 

 「ああ、あれね……」ユミリは少しいいにくそうにいった。「中絶費用かなにかだと思う」


 


 

 「ちゅ、中絶費用?」キョウイチは奥二重の目をやや大きくしていった。「そ、そうかぁ、中にはレイプされて身ごもってしまった人もいるだろうからね……」


 


 

 「それに中絶もただじゃないし」ユミリはいった。「今の時代、女性は95%が極貧でしょ?中絶費用すら捻出することは難しいのよ。そこで一応中流階級のお母さんが中絶費用を援助してあげているの」


 


 

 サトミから封筒を受け取って帰っていく女性たちを見ながらキョウイチがいった。


 


 

 「中絶クリニックといえば、このへんではどこの病院になるのかなぁ?」


 


 

 「【コーリング】っていう中絶クリニックってお母さんから聞いたけど」


 


 

 「【コーリング】?」キョウイチはくり返した。


 


 

 「うん」そしてユミリはしばしの沈黙のあとにいった。「……実はお母さん、そこの院長さんに求婚されているの」


 


 

 「へー、それは喜ばしいことじゃない。お医者さんといえば上流階級の大金持ちでしょ?中絶費用の肩代わりもしなくて済むようになるんじゃない?」


 


 

 「うん、お母さんは前向きに考えているようなんだけど……ただ、どうしてもお父さんのことが頭から離れないみたいで……」


 


 

 「お父さんって、キヨシさんのことか?」キョウイチはいった。「ボキたちはほとんど記憶にないけど、キヨシさんってすごく偉大な指導者だったらしいからね。サトミおばさんの再婚に踏み切れない気持ちもわからなくはないよ」


 


 

 翌日、キョウイチはユミリと中絶クリニック【コーリング】をのぞいてみることにした。

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