愚かなわたしと貴方の三年目
というわけで、恒例のお正月企画です。
初恋は叶わない――という言説には、あたかも以降の恋なら叶うかのようなニュアンスが含まれている。
もちろんそんなことはない。それくらい誰もが知っていることではないだろうか。
なんて風に穿って見てしまうのはわたしの性格のせいかもしれないけれど。
結局のところ、叶う初恋もあれば二度目でも破れることがある。いつまでも叶わない人間だって中にはいるのだ。
少なくとも、わたしはそう思う。
第一、恋が叶う、とはどういう意味だろう?
好きになった相手と結ばれることか。だけど付き合ったって別れることくらいあるだろう。もちろん結婚まで行ったって離婚する夫婦も山ほどいる。
ちょっとSNSを掘れば、運命の相手だとか誰より好きだとかダーリンラブラブちゅっちゅだとか、そういう妖精の国のお花畑から摘んできたような恥ずかしい言葉と同じくらい、別れたとか勘違いだったとかお互い別々の道を探すことにしただとかいう台詞が湧いてくる。
夢なんて叶ったあとでも簡単に破れる。
そこまで強度を持っていない。
人生の終わりまで添い遂げて初めて叶ったと見るのなら、そりゃあ幼き日の初恋が終わることなく続く可能性はごくごく低いものだ。あるいはそれが叶わないという言説自体、そういう意味合いも含めての言い回しなのかもしれない。
などと、うだうだ巻いたわたしの管を。
「なに面倒臭いこと言ってんだか」
大学でできた同性の友人、古ヶ崎千尋はバッサリと切って捨てた。
いやまあ。わたしだって何も本気で語ったわけではないけれど。
だからって完全に間違いだと思っていたわけじゃない。何もそこまで、一切欠片の興味もないとばかりに溜息をつかなくてもいいと思うのだ。
「陽菜って、頭いいくせに馬鹿だよね」
残念ながら、わたしの友人にはおよそ容赦というものがない。
それに、少なくともわたしよりは賢いだろう友人に、頭がいいと言われるのも何か嫌だ。
そういうところを気にするのが、面倒臭いと言われる理由なのかもだけど。
「な、何もそこまで言わなくてもよくない?」
「だって面倒臭い」
「む……」
こうまで言われては面白くない。
「ちょっとした雑談でしょ。暇なんだし、少しくらい付き合ってよ。友達でしょ」
「だから答えてるでしょ一応」
「…………」
「じゃなきゃ返事もしてないからね」
厳しい友人である。
「そこまでヘンなこと言ったかな……」
「陽菜の場合、そういうこと言い出すときはだいたい、ほかに本題があるのわかってるからね」
「……や。そういうわけじゃないんだけど……」
「観念して本題入ったら? 言っとくけど、三限になったら行くからね、わたし」
「むぅ……」
見透かされている。
というか、見透かしてもらっていると考えるなら、友達甲斐というものなのかも。
大学の端にあるサークル棟の一室。
天気は雲ひとつない快晴で、だけれどこの狭い部屋には太陽の明かりがあまり入ってこない。そんなじめじめした日陰っぽさを、わたしは逆に気に入っていた。
別に、暗いところが好きってわけじゃないけれど。
なんとなく落ち着くのだ。
「ま。おおよその予想はついてるけどね」
千尋はそう言って、ほんの少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
短めの黒の髪。表現上はあり触れたそれも、千尋のそれだと少し違う。取り立てて目立つわけでもなく、クールな性格の彼女によく似合っているのだけれど、よく見ればどこか視線を逸らしがたくなるような美しさがあった。
落ち着いている、を慣れてくれば通り越して眠たげにも映る細い瞳。まっすぐこちらを突き刺してくるそれは、慣れないうちは威圧的にも感じられるのだが、実は楽しんでいるのだと今ならわかる。
この三年間で、それくらいには彼女を知ったというコト。
きっと、――それは千尋が、わたしを知ったのと同じみたいに。
「てか、おおよその予想、って何よ」
「陽菜にもとうとう春が来たのかってお話」
「……まあ確かに」
「今の季節は春だけどー」
「――――」
「とか面白くもない言い訳出してくる辺り、やっぱり当たってたみたいね」
――否定してないじゃん、と肩を竦める千尋。
ぐうの音も出ない、というヤツだ。見事にどうしようもなく、わたしは押し黙ってしまう。
そうなのだ。
わたし――中原陽菜は恋をした。
大学三年にもなって、これが初恋だというのだから笑ってくれて構わない。
「……何よ。何か文句あるワケ?」
恥ずかしさを誤魔化すように、わたしは少しだけ強めに千尋を睨みつけてみる。
けれど生憎。やっぱりそんなものが通じるような千尋じゃなくて。
「いや、別に?」
「その割には表情が、なんか……ちょっとイヤーな感じなんだケド」
「何も言ってないでしょ」
「言ってないだけじゃないの?」
「あの陽菜が恋、ねえ……今までアレだけ、男には興味ないとか言ってたくせに」
「ほら言ってないだけじゃんっ!」
皮肉げに口角を歪めたあと。
武士の情け、とかいうヤツだろうか。ふっと視線を切る千尋だった。
そのほうがツラい。
「く、ぅ……恥を忍んで、相談しに来たっていうのに……っ!」
「……てーか、わたしにそんなこと相談されても、困るんだけどね」
そういえば千尋は彼氏がいない。浮いた噂も、ときどき湧いては「別に」で流れる程度だ。
なんだろう。もしかして、相談する相手を間違えてしまったのだろうか、わたしは。
「……なんか失礼なコト考えてない?」
「滅相もない!」
「ホントかなあ……」
「まあ聞いてよ、千尋。暇でしょ? こんな話、ほかにできる相手いないんだよー」
「……まったく」
やれやれと首を振る千尋。
なんだかなんだで、押しに弱いのがこの子のかわいいところだと思う。
「実は――」
と。わたしはその経緯を口に出して語り始めた。
※
思えば昔から、わたしはあまり恋というものに興味がなかったのだ。
いや。この言い方は少し嘘、というか気取ったものだろう。
興味自体は、まあ、ないではなかったのだ。ただあんまり実感というか、理解ができなかっただけ。
友人だったり物語だったりが語るような、甘く素敵でキラキラしたそれに、惹かれなかったといえばきっと嘘。
けれど、わたし自身が誰かに恋をすることは、どうしてか一度もなかったのである。
だから実感としてそれを理解できず、かといってただ経験してないだけのものを下らないと否定するのも馬鹿らしい。
それは多くの人間が、素晴らしいと語るモノ。
中にはきっと、恋が理解できない人だっているだろうし、わたし自身がそれなのかもしれないと考えたこともある。男の子を、見下したりまではしていなかったつもりだけど。
きっと誰もが語るほど、綺麗なだけのモノではないのとわかっていた。
けれど集合知は大事だから、わたしはわたしの実感よりも、多くの人の意見のほうに理を見出す。流される。
ほら。友情がいつしか恋に変わる、とか。
友達だと思っていた相手なのに、気づけば目で追ってしまっているとか。
そういう自分に気づいたときの驚きと言ったら、言葉にできない。
まあ、なんだ。
いつか白馬の王子様が迎えに来ると信じるまで、乙女をやれる自信はなくても。
こんなわたしにだって、いつかそれを教えてくれる誰かが現れるかなー、くらいには考えていたのである。
実際、現れた。
その感情が恋だと気づくまでに、時間がかかったことは否定しない。
なにせ三年間もかかったのだ。大学生にあるまじき失態、と言ってしまっていいかもしれない。
ただ自分とは正反対の人格に憧れているだけだとか。
ほんの気の迷い、一時の錯乱に過ぎないのだと言い聞かせてみたりだとか。
憂鬱とか煩悶だとかいったものをなんとか誤魔化そうと、無闇に頭を捻り続けた愚か者。
よりにもよって、それがわたしという奴だった。
もうなんか、ごめん助けて、という気分。恋の甘さなんて、どこにもないじゃないか。嘘つきどもめ。
どちくしょー。
……ともあれわたしは恋に落ちた。
同じサークルに所属しただけ。
なんの物語もない、そんな些細なきっかけで。まるで熱病に浮かされるみたいに。
こんなことになるなんて、想像すらしていなかったというのに。
「……ねえ千尋。ちゃんと聞いてる?」
「あー、はいはい。聞いてる聞いてる」
熱っぽい表情の陽菜の言葉に、わたしは軽く頷きを返す。
同じサークルの同級生が好きだったと自覚したとのことだそうだ。
もう、本当に、聞きたくなかった。
陽菜はしあわせそうだ。その感情そのものを心の糧としているみたいに、恥ずかしそうにはにかんで。
その表情に、わたしは胸を絞めつけられる。
友情がどこから恋に変わるのかなんて知らない。それとも知っていたらこんなことにはならなかったのだろうか。
白馬の王子様は現れることなく。
わたしは、自分と正反対の性格をした、同性の同級生を好きになってしまった。
本当に、――恋が素敵だなんて大嘘じゃないか。
それを素敵だと思えるのは、陽菜のように素直な子だけなのだ。
彼女よりよっぽど捻くれたわたしは、自分が得た感情をどこにも発露できず燻っている。
それでも。
ただ友達として、いっしょにいられるだけで、どうにか自分を誤魔化せたのに。
今、陽菜はわたしではない誰かへの恋を、わたしに語り聞かせている。
そういうものと陽菜とは程遠い、なんて慢心が悪かったのか。いや、そもそも初めからわたしに、この気持ちを告げる勇気なんてない。
「ねえ、千尋」
弾むような、彼女らしい明るい声で陽菜が言う。
「なに?」
「わたし、どうしたらいいかなあ。いきなり好きだなんて、言えないよね……」
「……言えないね。三年間、ずっとただの友達だったんだもんね」
「そ、そうだよねっ! わたしだって、まさか、あいつのこと好きになるとか思ってなかったし……!」
「たいへんだ、たいへんだ」
「ああもう千尋ってば、他人事だと思ってえ!」
「あはは……いや、ごめんごめん」
軽くかぶりを振る。
ああ。わたしに彼女の恋を、応援してあげられるほどの強さはない。
かといって、その邪魔ができるような情動もなくて。
「まあ、なるようになるんじゃない? 仲はよかったんだし、向こうも満更じゃないかもよ?」
「そ……そうかな? ううん、千尋が言うならそうかも」
「てか正直、ほかの人たちから見れば、結構明白だったと思うよ?」
「え、う……嘘? わたしも気づいてなかったのに!? もしかして千尋も気づいてたの!?」
両頬に手を当てて、陽菜は顔を赤らめる。
そんな様子も、わたしとは違って実にかわいらしい。薄い茶色に染めたふわふわの髪も、まんまるで吸い込まれそうな優しい瞳も、この子は全部がわたしと正反対のものだったから。
「あぁ……うぅう、恥ずかしいな……わたし、こんな気持ちになったことないよ」
「わたしだってよくは知らないけど。まあ好きなんでしょ?」
「……うん」
「だったら試しに、デートくらい誘ってみたら? いつもみんなで遊ぶばっかりで、ふたりっきりとかなかったでしょ」
「そ、そうだよね……やっぱり、まずはそこからだよね……っ!」
うん、問いを決して、陽菜は笑った。
いつも通りの見慣れた笑顔。
「やっぱり千尋はすごいなあ……わたしのことはなんでも知ってるね!」
「――――――――」
そうだろうか。いや、そんなことはないのだ。
きっと、わたしが生涯見ることのない、わたしには生涯向けられない顔があるから。
「……陽菜がわかりやすいだけでしょ」
「ふふ……さすが千尋だね!」
「何がよ」
「なんでもだよー。うん! 千尋に言われた通り、がんばってみるねっ!」
「……ん」
「千尋に相談してよかったよー。本当、こんなこと言えるの千尋くらいだもん」
「そりゃようござんしたこと」
「何それー!」
楽しそうに、綺麗に、陽菜は笑顔を見せてくれる。わたしの好きな表情だった。
そう。きっと、これでいいのだ。
どうか自分の愚かさが、陽菜に気づかれませんよう。
わたしが祈れることなんて、たったそれくらいしか存在しないのだから。