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なんかホラーみたいなの




     プロローグ


 ――丘の上の屋敷には、ひとりの魔女が住んでいる。


 なんて、そんな噂が実しやかに囁かれるようになったのは、果たしていつの頃からか。

 去年越して来たばかりの俺は、その正確なところを詳しく知らない。

 ただ、その半分が事実であることを知っているのみだ。


 丘の上の屋敷。そう呼ばれる古びた洋館には事実、《魔女》と呼ばれるに相応しい女が、たったひとりで暮らしている。目下のところ、そこが俺のバイト先だった。

 もちろん彼女は、厳密なことを言えば魔女ではない。少なくとも魔法らしきものを使うことはできないと、当の本人が言っていた。

 ただまあ、個人的な意見を述べさせてもらえるのであれば。


 ――この女は充分に、魔的な奴ではあると思う。


「うん? 今、何か失礼なことを考えてはいなかったかな、君は?」


 現にこうしてこの女は、何も言ってはいないのに、さも当たり前のように人の心を読み取ってくる。

 あっさりと見抜かれた俺は、それでも足掻くように答えた。


「……どうだろうな。何をもって失礼とするのかが、この場合は問題だと思うんだ。そう、たとえば事実を事実として認識することが、果たして礼を欠いていると言えるのか――」

「ひと言目で否定しなかった時点で」

 魔女はおかしそうに笑う。

「語るに落ちているというものだろう? 特に君の場合は――なにせ、嘘がつけない人間なのだから」


 ――ねえ? と魔女は首を傾げる。

 俺は視線を逸らした。彼女のほうを見る気にならない。


「まだ夕方だぞ」

 と話を誤魔化す。

「素直に寝てたらどうだ。根っから社会不適合者のお前が、起きてるような時間じゃないだろ、普段は」

異界不適合者(丶丶丶丶丶丶)の君が言うかい?」

「……なんだよ、その表現」


 彼女のほうは向かなかった。窓から差し込む、わずかな西日に目を細める。

 時刻は午後六時を回ったところだ。そろそろ太陽が沈み、夜がやって来るだろう。


 逢魔時。

 大禍時。


 ある理由から、陽の出ている間はほとんど活動できない、彼女の時間がやって来る。


「哀しいことを言うものだね」

 まるで哀しそうではない、むしろ嬉しそうの域にあるほど心底から腹立たしい笑みで彼女は言う。

「早起きを褒めてもらいたいくらいなのに」

「一般的に、夕方に起きる奴を早起きとは言わない」

「個人的には、私が起きた時間が朝だ」

「知るか」


 憎まれ口を叩く俺。彼女の事情は知っているが、それとこれとは話が別だ。

 だが、この程度でへこたれる人間を、魔女などとは誰も呼ばない。

 というか、この女がへこたれているところなんて、そんな幻想は想像力の埒外だ。


「そう、つれなくすることはないだろう」


 魔女は目を伏せ、どこか悲しそうな笑みを作った。長く艶やかな黒い前髪が、どこか病的なまでに真っ白な彼女の顔に陰を落とす。

 なまじ顔立ちが整っている分、そんな表情をされると弱った。たとえ演技だとわかりきっていても。


「――ぼくが起きていた理由が、本当に想像つかないのかい?」

「何……?」

「いや。そろそろじゃないかと思ったんだよ」


 彼女はこちらを向いて、嫣然とした、それでいて凄絶な笑みを浮かべて言う。

 けれど、その瞼はしっかりと閉じられている。彼女の眼球は今、俺の姿どころか、光のひと筋さえ映してはいない。彼女が目を開くのは、夜の時間だけなのだから。


「相談があるんだろう? それを聞くための、今日は早起きだったというわけさ」

「…………」

「ほら、話してみてごらんよ。それを聞くのが、私のお仕事なんだからね?」


 豪奢なチェアに腰を下ろした状態で、行儀悪く膝を抱いている少女。その身に纏うのは、まるで舞踏会に臨む淑女のドレスを思わせる漆黒の衣装。酷く現実感に乏しい光景。

 俺は彼女に何も言っていない。にもかかわらず彼女はまるで、それをあらかじめ知っていたかのように平然と、淡々と俺に告げる。魔女はどこまでも魔女だった。

 その相談事が俺に持ち込まれたのは今朝のことで、それも偶然からだったのに。

 まあ、彼女に相談しようと思っていたことは事実だった。話が早いなら、それに越したことはないだろう。

 そう思うことにして、俺は言う。


「――なら聞いてくれ、(くろ)。今日、大学の後輩に相談されたことなんだけど――」


 丘の上の魔女――玄布院(くろのいん)(くろ)

 神秘に生き、虚構を食む真っ黒な少女。平凡な大学生である俺の雇い主。

 俺たちはときおり、現実の外側に足を運ぶことがある。


 ――これは、そんな物語の一断片だ。





     第一話


 夜は魔刻だ。誰も気づいておらずとも、その裏側には必ず、よくないものが存在する。

 あるいは、そういうものたちは、光を厭うのかもしれない。こんな地方都市でも、現代では明かりがそう絶えない。だが一歩でも裏に足を運べば、境界の先は闇の支配下だ。

 ……なんて言うと、まるでゲームかマンガのように響くけれど。

 少なくともその足音を、このときの俺はきちんと、その両耳に捉えていた。


「うぅ……すみません、せんぱい……ごめいわくをおかけします……」


 背中に負ぶった後輩の少女が、呻くような声音でそう言った。


 ――俺はお酒があまり好きではない。

 ただ別に嫌いでもなかった。少なくとも飲み物としては、気に入っているものもある。あまり一度に量を飲むことを好まない、と言ったほうが正確だろうか。

 だから、騒がしい飲み会の空気だって、実のところそう嫌いというわけではないのだ。羽目を外しすぎさえしなければ、大学生らしい宴会に付き合うのも吝かではない。

 ただまあ。それでも好きと断言できないのは、おそらく俺が好みの割に、アルコールに耐性があるせいだろう。肝臓が強いというか、酔いが頭に回ることがほとんどない。


 つまるところ。

 なまじお酒に強いせいで、宴会後に酔い潰れた連中の介抱が、毎回のように俺の役目となることが気に食わないだけなのかもしれない。

 この日もそれは同じだった。


「気にするな。水、まだ飲むか?」


 背中の後輩に声をかける。さきほどまですっかりダウンしていた彼女だが、少なくとも口調ははっきりし始めていた。この分なら、そう心配はないだろう。


「……いえ、だいじょぶです。割と回復してきましたので」

「鬼の霍乱だな」


 なんか違う気もするが。とはいえ実際、こいつがこうも酔っ払うのは酷く珍しい。同じサークルの中では、俺に次いでアルコール戦闘力の高い奴だったから。

 さきほどまで、俺が所属する大学のサークルでの、久々の飲み会があった。

 そう派手なサークルではない。だから解散も割と早く、現在時刻は午後十時を少し過ぎたところだ。俺は酔い潰れた彼女を背負って、駅を目指しているところである。ちなみにほかの連中は、過半数が二次会に、残りは揃って別の最寄りへ向かった。

 少し体勢が悪くなって、俺は背負い直すようにバランスを取った。背中で揺られた後輩が、とても恥ずかしそうな声を出す。


「えと、本当にもう大丈夫ですよ? 降ります、先輩」

「別に気にしなくてもいいぞ、ぽち」


 ぽち、というのが彼女のあだ名だった。仮にも花のJDにつけるには、割かし不名誉なネーミングだと思うのだが。少なくとも俺が呼ぶ分には構わない、と彼女は言う。

 それなりに、慕ってくれている証拠だろう。


 なお本名は(ほり)千波(ちなみ)

 初めは前半を取って《ほりち》などと呼ばれていた気がするが、気づけば《ほっち》に転じており、最終的には捻って《ぽち》である。命名に携わった先輩曰く、「似合っているだろう」とのこと。

 実際、それは否定できない。なんとなく犬っぽい奴なのだ、ぽちは。

 薄い茶系の色味に染めた背中くらいの髪を、ひと纏めにした簡素な髪型。通常、それは馬の尾(ポニーテール)と呼ばれるものだが、彼女に関しては犬の尾(パピーテール)といったほうが近い印象だ。

 平均より少し低めの身長と、小柄ながら活動的な、ころころ変わる表情が相まって、どこか仔犬を彷彿とさせる。たまに後ろ髪が、それこそ尻尾のように揺れている気がするほどだ。


「あの、本当にだいじょぶですから。なんか恥ずかしいですよ……っ」


 背中に届くぽちの声。口と耳が近いせいで、少しだけくすぐったく感じた。

 俺は後ろを振り向かず、前を見たまま声だけで答える。


「本当に嫌なら降ろすけど」

「なんか今日、ちょっと強引じゃないですか、先輩?」


 珍しい、というようなニュアンスでぽちが呟く。きっと目を丸くしていることだろう。


「あ、や……その、嫌ではないですがっ」

「それじゃ、駅までは。そのあとは普通に歩きで送っていくよ」

「……すみません。ありがとう、ございます」

「いえいえ」


 俺は軽く首を振ってみせた。実際、この程度なら軽いものだ。

 この一年で、ぽちが酔いに負けるところなんて初めて見た。酷く珍しい事態だ。

 普段と様子が違うことだけは明らかだった。そんなわけだから、俺としても少しくらい後輩を気遣おう、という意志を見せたわけである。


 幸い、ぽちとは電車の方向が同じだ。このサークルでは俺とぽちだけである。この状態のぽちを置いていこうものなら、それこそ先輩たちにどやされてしまう。

 無論、俺は肩を掴む彼女の手が、不規則に震えていることには気がついていた。そしてそれが、酔いのせいではないということにも。


 ――ポケットのスマートフォンに、SNSアプリを通じて連絡が入る。ぽちを背負ったまま片手で取り出して画面を見ると、三年の先輩からメッセージが届いていた。


『送り狼にはなるなよ、名鏡(なかがみ)ー』


 余計なお世話だ、と俺は電源を落とす。


「いいんですか、返事?」


 と、ぽち。画面までは見ないようにしてくれたらしい。

 俺は軽く首を振って、それから告げる。


「いいよ、別に。大した用事じゃない。送り狼になるな、だってさ」

「あはは……今なら簡単に押し倒せそうですしねー、わたし」

「しねえよ、そんなこと」

「……そうですか」

「今は、それどころじゃなさそうだしな」

「…………」


 以降、駅に着いて降ろすまで、ぽちは口を開かなかった。

 その分フリーになった耳が、背後にずっと――静かな足音を捉えていた。



     ※



 ぽちを送っていくのは楽だ。彼女の自宅の最寄り駅は、大学から見て俺の最寄りの三駅手前になる。つまり、帰る途中にそのまま寄っていくことができるということ。


「ありがとうございました、貴人(たかと)先輩」


 ぽちの最寄り駅に着いたところで、いっしょに降車した。最悪、終電を逃しても歩いて帰れる程度の距離だ。この駅で寄り道するのは、だからそう珍しいことでもない。

 頭を下げるぽちは、珍しくかなり申し訳なさそうだった。まあ、こんな失態は彼女には珍しいため、その辺りで気を遣わせているのだろう。別にいいのに。


「修よりはマシだよ。酔ったときのあいつは、本当に面倒臭いから」

山谷(やまたに)先輩ですか」

 ぽちは少し表情を顰めた。


「先輩は確か、山谷先輩とは長いんでしたっけ、付き合い」

「小学校以来、ずっと同じだからね。腐れ縁ってヤツ」

「……よく付き合ってるなあ、とは思いますが」


 目を細めるぽち。山谷修とは俺の同期で、同じサークルに通っている男だ。

 ぽちは、なぜか修と折り合いが悪い。仔犬らしい人懐こさを持つ彼女が、珍しく負の感情を隠すことなく露わにする、その意味では限られた相手が修だ。

 もっとも修の側は、噛みついてくるぽちをいつも軽くいなしていた。


「山谷先輩、いつも貴人先輩に雑用とか押しつけるじゃないですか」

「まあ、だね」


 俺は頷いた。別段それを否定する気はない。俺は体よく使われている。


「その分、俺も修を使うからね。その辺りはおあいこだよ。ギブ・アンド・テイク」

「そうですか……?」


 疑わしげなぽちだった。まあ、普段の修はチャラい上にだらしない。そう思われるのも無理はなく、それをことさら庇ってやる気もなかった。


「普段はどうしようもないからね、アイツ。でも、どうしようもないときだけ、ときどき輝くんだよ、修は」

「はあ……よくわかりませんが」


 首を傾げるぽちに、苦笑しつつ俺は言う。

「いざというときは結構、頼りになるってこと」

「ところで先輩」

 ぽちはあっさり話題を変えた。

「最近、なんか忙しそうにしてません?」


 修の話題を、これ以上は続けたくないと言わんばかりであった。修……。


「そう?」

「なんとなくですけど、あんまり大学で見る機会が減ったかな、と思って」

「授業はちゃんと出てるんだけどな……」

「授業後、あんまり部室に顔出さなくなったなあ、って。何かご用事があったりとかですか?」

「ああ……最近ちょっとバイトを始めてね。その関係で」

「そうなんですか? どんなバイトなんです?」

「……あーと」

 俺もまた、話題を誤魔化そうと視線を逸らす。

「清掃……かな?」

「はあ……そですか」


 会話は、そこで途切れた。発展性があまりになさすぎた。

 しばらくの間、ぽちは手持ち無沙汰に視線をそこここへと移ろわせる。だがやがて、何かを諦めたように小さく呟いた。


「えと、それでは、わたし帰りますね。ありがとうでした」


 敬礼してみせるような手振りで、普段通りのテンションを取り戻したぽちが言う。

 普段なら、ここで別れて俺は帰宅する。家の場所は知っているが、別に付き合っているわけでもなし、そうそう訪ねることはない。

 だが今日は、ここで別れる気はなかった。


「――家まで送っていくぞ」

「え」


 と、ぽちが狼狽える。引かれたわけではない、と思いたい。


「えぁ……っと、い、いや、大丈夫ですよ! あ、さては貴人先輩、本当に送り狼になるつもりですか? 弱ってるところを突こうだなんて、結構やり手ですねー?」


 ぽちの口調は乾いていた。無理に陽気を装っているが、水気のなさが露呈している。


 ――さきほどの飲み会のときから、ぽちはずっとそうだった。


 まるで、何かに怯えているような様子なのだ。そして、それを無理に隠そうとするようでもあった。

 しきりに背後を気にしては、そこに何もいないことを常に確認する。まるで襲い来る不安を誤魔化すために、自ら安心を取り繕っているような感じと言えばいいか。

 珍しく酔ったのは、アルコールの力で酔いを誤魔化そうとしたせいなのだろう。

 それは、ここまで帰ってくる間も変わらなかった。

 もう一年来の付き合いだ。明るく、何も考えていないようでいて、常に周りを気遣っているぽち。その変化に気づけるくらいの付き合いを、俺はしてきたと自惚れている。


「なんか、あるんだろ?」

「――――っ」


 端的に、それでいて抽象的に言った俺に、ぽちは肩をびくりと震わせて反応した。

 帰り道に怯える――この場合、普通に考えればストーカーとか、まあそういった類いのものだろう。

 だがそれなら、ぽちはきっと誰かに相談できたはずだ。異性の俺が嫌でも、同性の友人に伝えることくらいはできたはず。だがぽちは、誰もにそれを隠している。


 ――その理由が俺にはわかっていた。

 言ったところで、きっと誰も信じてなどくれない――彼女はそう思っているのだろう。


「場合によっては力になれるかもしれない。嫌じゃなければ言ってくれ」

「……言っても、きっと信じてもらえませんよ」


 ぽちは小さく首を振った。それは、けれど明確に、俺に助けを求める行為だ。


「信じるよ」

 だから、俺はその求めに応える。

「どんなことでも。――たとえば幽霊が出たとか、そういうことでも」

「……先輩、何か知って……?」

「よくないものに憑かれてる気配がある、とか言ったら笑う?」

「……笑いません」

 ぽちは首を振った。

「笑えません……あの、先輩。聞いてもらっていいですか?」

「うん」

「――最近、何かにずっと尾行られている気配がするんです」


 誰かに、とは、ぽちは言わなかった。

 彼女は自分を尾行る《何か》が、常識の枠内にあるものだと思っていない。


「……どうしてわかったんですか?」


 訊ねるぽち。俺はことさらに明るく、笑顔を浮かべてこう言った。


「言ったろ。最近、新しくバイトを始めたって」

「はあ……えと、それが?」

「うん、実はね」

 ちょっとだけ、悪戯っぽく。

「俺、バイトでゴーストスイーパー始めたんだよね」

「は、はい?」

 ぽちは目を真ん丸にした。

「さっきは清掃のバイトって言ってたような」

「うん。幽霊掃除ってこと」

「……なんですか、それ」


 と、ぽちは小さく、吹き出すように微笑んだ。



     ※



 ぽちに先導してもらいながら、彼女の自宅への道を歩く。案内してもらっているというより、単に後ろを守っていると言ったほうが近いだろう。

 彼女の後をつける何かは、常に背後に現れるという。


「……もう、二週間くらい前のことになるんですけれど」


 道すがら俺は事情を訊ねた。ぽちが訥々と語って曰く、


「歩いていると、ときどき後ろから足音が聞こえてくるんです。かつかつかつ、って……結構な速足なんで、妙に耳に響いて。最初はすぐ抜かされるかなって思ったんですけど、絶対にわたしより速いのに、いつまで経っても追い抜かれることがなくって」


 背後をついて来る奇妙な足音。

 都市伝説としては、まあ、ありそうな話と言ったところか。


「振り返って見ても姿が見えない、と」


 訊ねた俺を振り返って、疲れたような笑みで頷くぽち。


「そうですね。……そう言うと、なんかすごくありきたりな話みたいですけど」

「たとえ幽霊の正体が枯れ尾花だったとしても」

 俺は言う。

「そこで感じた恐怖まで、嘘になるわけじゃない」

「ありがとうございます」

 呟き、ぽちは前に向き直った。

「最初は、やっぱりストーカーか何かかと思ったんです。少なくとも幽霊とか、都市伝説とか……そういう類のものだとは考えませんでした」

「ま、それが普通だろうね」

「それでわたし、ひとこと言ってやろうと思って」


 果たして幽霊とストーカー、より恐ろしいのはどちらだろう。

 俺個人としては後者を選ぶところだけれど、ぽちとは意見が合わなかったようだ。


「曲がり角を曲がる振りをして、道を戻ってみたことがあるんです」

「……本当にストーカーだったら逆に危ないだろ」

「ごめんなさい」

 小さく、ぽちは肩を竦めた。

「わたしもちょっと反省してます」


 ちょっとだけなのか、と蒸し返すようなことでもないだろう。俺は続きを促した。

 ぽちは少し、肩を抱くように身を縮ませる。そのときのことを思い返したみたいに。


「……それでも、やっぱり見つからなかったんです。隠れたわけでもなかった」

「どうして、そうわかったんだ?」

「だって」

 ぽちは言った。

「振り返ったら、足音がまた後ろから聞こえてきたんです」

「…………」

「回り込むような時間は絶対にありませんでした。だから、これはおかしいって思って、それでちょっと怖くなって」

「ちょっと?」

「嘘です。ほんとは、だいぶ」


 強がって笑うぽちだったが、それは大変な恐怖だっただろう。

 後を追われるというだけで恐怖に足るというのに、まして相手が目に見えないとくればそれも倍増だ。恐慌状態に陥ったりせず、家に戻れただけ彼女は強かった。


「……それで?」

「足音、ずっと追ってきて。どんどん近づいて来るんですけど、やっぱり姿は見えなくて。なんとか家に逃げ込んで、そしたら音もなくなったんですけど……それ以来、同じことが何度も起こって。ああ、これは普通のことじゃないんだな、って思って。……正直、あれ以来ほとんど部屋には帰ってません。音は聞こえてきちゃんで、関係ないみたいですけど」

「なるほどね」

 と、俺は呟く。

「それで、その聞こえてくる足音っていうのは――」

「はい」

「――この音でいいのか?」


 言った直後。ぽちの真後ろを歩いていた俺は、少しだけその位置を横にずれた。

 途端。俺とぽちの背後から。


 ――かつん。


 と、舗装された地面を硬い靴で歩くような、そんな硬い音が響いてきた。


「――ひ……っ!?」


 息を呑むぽち。

 そう広くない住宅街の道路。少し先にある街灯が、明滅させていた明かりを失った。

 まるでひと気を――生気を感じない。辺りに数多く立ち並ぶ家々には、きっと眠る住民が何人もいるだろうに。なんなら起きている人だって、まだたくさんいる時間だろう。

 それでも、辺りはまるで世界から隔絶されてしまったかのように空虚で、乾いている。


「落ち着け」

 俺はすぐぽちの真後ろに戻ると、その肩に手を乗せた。

「大丈夫。この音は俺が真後ろに立ってれば届かない。――だろ?」

「え……?」

 目を見開き、首だけで振り返ったぽちが、そして頷く。

「あ、え――本当だ」


 音が止んでいる――わけでは、実のところなかった。

 音はずっと、俺の耳に響き続けている。それがぽちには聞こえていないだけだ。


 実のところこの足音は、居酒屋を出てぽちと一緒になってからずっと聞こえ続けていたのだ。

 だから俺は気がついたわけで、俺は自分を壁にしてその音を止めていたわけだ。


「ごめん。なんか脅かしたみたいになったけど、ただの確認だから。だいたいわかった」

「た、退治する方法とかですかっ!?」


 背筋をぴんと伸ばすように、ぽちは硬直していた。

 恐怖から、それとも(おれ)にいきなり両肩を掴まれたからか。後者でないことを俺は祈る。

 震えを止めてやろうと思っての行為だったため、当初の目的を達してはいるのだが。


「期待されてるとこ悪いけど、そうじゃない」

 というか。

「俺にそんな技能を求められても困る。霊媒師とかじゃないんだから」

「で、でもゴーストスイーパーのバイトをしてるんですよね?」

「バイトだから。より正確に言うなら、ゴーストスイーパーの助手のバイト。別に俺自身がゴーストをスイープできるわけじゃない」

「にわかに抱いた期待を返還させてください!」


 混乱しているのか、若干わけのわからない言い回しになっているぽち。

 それがちょっとだけおかしくて、思わず吹き出してしまう。


「何笑ってるんですかあっ!!」

「悪い。とにかく歩こう――手、離すよ」

「……大丈夫なんですか?」


 俺が冷静でいることに引きずられ、ぽちも理性を取り戻した様子だ。

 手を離した俺は、その手で今度はぽちの背中を軽く押し、さらに軽い口調で告げる。


「ほら、早く家に帰ろうぜ。悪い飲み方したんだ、今日は早く寝たほうがいい」

「……こんなことがあってそう簡単に寝られるわけ……」

「大丈夫だから」

 俺は断言した。

「もう、ぽちのところにこいつは来ない」

「――はい?」

「こいつ、俺が連れて帰るから」


 言った瞬間、ごっ、という鈍い音が背後から聞こえてきた。

 ぽちが怯えに身を竦ませる。だが逆を言えば、この《何か》はその程度しかできない。


「脅しだと思え、ぽち。向こうは何もできない――だからこうして気を引こうとしてるんだ。そうだな、素直になれない男子小学生が、好きな女子に意地悪するようなもんだ」

「……幽霊に向かって、ものすごいたとえしますね、先輩」

「正確には幽霊っていうより、お化けって言ったほうが近いと思うけど」

「や、違いがわからないですよ……」でも、とぽちは微笑んだ。「そのお陰で、少し気が楽になってきました」

「その意気だ」


 そのまま俺は、ぽちを彼女の自宅まで送り届けた。

 まだ少し怯えている様子のぽちを、半ば強引に部屋の中へと押し入れる。


「――んじゃ、暖かくして寝ろよ?」

「そんな、普通の別れ際みたいなこと言われましても……」


 部屋の前でこちらを見上げているぽちは、やはり不安なのだろう。だいぶ焦燥した表情を見せている。まあ、この状況で素直に寝れる人間もそうはいないだろうが。


「大丈夫だから」


 根拠はともかく、そう断言してやることには意味がある。

 だから俺は言い切った。


「もう金輪際、今の奴はお前のところに現れない」

「……そうなんですか?」

「ま、俺には何もできないからね。上司のところに連れて行って、なんとかしてもらう。人頼みだよ」

「先輩がそう言うなら……」

「おう。だから安心してさっさと寝ちゃえ」

 俺は笑った。

「大丈夫だよ、お前の図太さならすぐ寝つける」

「どういう意味です、それ」


 ちょっと不平そうに、ぽちは唇を尖らせて言った。この分なら心配なさそうだ。


「ストーカーに狙われてるかもしれないと思って、その顔を見に行くような奴は充分に図太いだろ」

「いや、そう言われたらそうかもしれないですけど……」

「だいたい、俺がここにいたら意味ないしな。ひと晩中ずっと音に苛まれるぞ」

「なんか釈然としませんが」

 ぽちは言う。

「だいたい先輩、いつの間にそんな……オカルト世界の住人? になっちゃったんですか」

「だから最近だって。ていうか、なんだその表現」

「……まあ、先輩が言うなら信じますけどね」

 ぽちは小さく息をついた。

「実際、なんだか専門家みたいな感じになってますし。バラエティのホラー特集とかに呼ばれそうです」

「つまんない番組になりそうだな……」


 実際には専門家どころか素人もいいところなのだが、あえて言う必要はあるまい。

 せいぜい、なんでもわかっているという面で騙してやるほうがいいだろう。


「わかりました。……ありがとうございます。今日は、ちょっと安心して眠れそうです」


 ぽちはそう言って微笑んだ。

 実際には、そう簡単に安堵もできないだろう。ただぽちも、このところはあまり眠れなかったのだろう、表情には疲れが溜まっていたし、今夜はお酒も入れている。そのうち、眠気に負けて自然と落ちるはずだ。朝になれば安心できると思う。


 ――もっとも、俺が翌朝まで生きていればの話だが。

二年前の夏ホラーに出そうとしていて挫折した作品です。

HDDの肥やしになっていたので供養。

プロットが残されていないので、たぶん続きはないと思います(笑)。

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