やり直し探偵
お正月企画その4
――そうしてわたしは、事件に巻き込まれなかったのです。
だから事件に巻き込まれることになったのです。
わたしがこの《大明神邸》を訪れた、まさにその夜のことでした。
山奥にある、古風な西洋風のお屋敷です。わざとそう見せているだけで、実際にはそんなに古くありません。大明神家ご当主の、大明神権一さんのご趣味だというお話でした。
「うむうむ。しかしこのローストビーフは絶品だなあ」
わたしの連れである大学の同級生――谷崎太郎くんが言います。
そんな呑気な連れの様子に、わたしとしては辟易してしまう部分がありました。
「この状況で、よく食事ばっかりできるよね」
そう苦言を呈したわたしに、けれど太郎くんは笑顔で答えます。
「ええ? だっておいしいじゃない? 汐留ちゃんは食べないの?」
彼はこうして……なんと言いましょうか。ときどき、とてもユルい部分を覗かせます。たとえるなら農場で飼い慣らされたアルパカのごとし。あるっとしていてぱかっとしています。
若くして白髪の交じった癖っ毛が、同じ大学の女の子には人気でした。よくわかりませんが。
わたしは少々むっとしましたという表情を作って、太郎くんに言い募ります。
女の子を拗ねさせるのはこわいのです。
「だって、ねえ……わかるでしょう?」
ぼかして言うわたしに、太郎くんも少しだけ表情を引き締めて答えます。
「そりゃ、まあ、わかるけどさ」
「ほ、ほら。だったら……」
「わかるけど。わかるからこそ、今のうちに食べておいたほうがいいんじゃないかな」
「……」
「場合によっては、しばらく食事にありつけなくなりそうだし。長丁場になったら体力に響くよ?」
太郎くんの言葉には一分の理がありました。思わず押し黙ってしまいます。
そう。それはわたしにもわかっていたことなのです。
ですが、だからといってその考えの通りに動けるかは別の話でして。わたしは言います。
「わたしは女の子なの。か弱いの。太郎くんみたいに気楽ではいられないの」
「ええ……?」
太郎くんは疑わしそうな視線をくれました。失礼です。
「だって谷崎さん、いつもは俺よりもずっとよく食べるじゃ――」
「――なんですか?」
「いや。うん。なんでもない」
笑みを向けると、太郎くんは口籠るように視線を背けました。
わたしの可憐な笑顔に照れてしまったものと思います。
仕方ありませんね。だって可憐ですから。やれやれウブなオトコノコです。
「それじゃあ、わたしも食べ物を取ってこよう」
パーティ会場になっている大広間には、立食形式でところ狭しと豪華な食事が並んでいます。
今日は大明神権一さんの、七十回目の誕生日なのです。それを祝うパーティが、このお屋敷で盛大に開催されているという状況でした。
もちろん、一介の大学生でしかないわたしと太郎くんは、大明神家から直接の招待を受けたわけではありません。
ひょんなことから、このお屋敷にたまたまご厄介になることとなりました。
広いパーティ会場には窓があります。
とはいえ山奥で、それもいい時間ですから。暗い外の様子を窺うことはできません。
できませんが――天気のほうは、だいたい予想がついていました。
わたしがお皿に食べ物を載せて戻ってくると、ちょうど窓を眺めていた太郎くんが、小さな声で呟きます。
「……風が出てきた。荒れそうだな……」
なんだか拗らせた中学生みたいなことを言う太郎くんですが、これはわたしも同感です。
というより、おそらく会場にいる全員が同じように思っていることでしょう。
なにせここは山奥のお屋敷。
ここを訪れるには、ですから当然、深い山の森の間を抜ける道を通ってこなければなりません。
また山道の途中には深い深い谷があって、そこには古びた木製の吊り橋が、一本だけ架かっているのみです。それを通らなければ、この場所へは来られません。
つまり逆も然り――出ることもできないということです。
ええ。
はい。
うん。
もうおわかりでしょう。
ミステリなどではお約束の閉鎖環境、クローズドサークルが完成するに相応しい条件が完璧に整っているのです。
そうなれば、そのあとに何が起こるのか――わからないはずがありましょうか。
「……雪が降るかな」
小さく呟いた太郎くんに、わたしは答えます。
「いや、今は夏だし。さすがに。台風とかでしょ、嵐の山荘」
「まあどっちでもいいけど」
季節感を無視した発言をどっちでもいいのひと言で済ませる太郎くんでした。
適当な奴です。ぷんぷんです。
責めるわたしの視線に気づいたのか、太郎くんはちょっと不平そうに呟きました。
「……ところで汐留ちゃん」
「なんです?」
「いや。皿に盛ってきた食事の量、やっぱり俺より多いと思って」
わたしは同じことをもう一度だけ繰り返します。
「――なんです?」
「いや。なんでもない」
不用意な発言ばかりを繰り返す太郎くん。
ですが優しいわたしは、一度目はそれを見逃してあげるのです。女神と崇めてくださっても構いませんよ?
憂い顔の女神は、これから先に待ち受ける苦難を思って目を伏せます。たぶん麗しい宗教画の一幕のようになっていることでしょう。食事も普段より喉を通りません。
……そろそろ、ひとり目の犠牲者が出る頃でしょうか。
※
夜も深くなるより前に、パーティに招待されたお客様たちの多くが帰っていきます。
あまり人数が多いと展開に不都合が生まれますからね。容疑者の数は、なるべく減らしておきたいところです。かといってあまりに少なすぎるのも問題ですが。
お疲れ様でした、モブの皆さま。また次の作品でお会いしたく思います。
今夜はそのまま解散になりました。
明日の朝辺り、たぶん誰かが死体となって見つかる感じでしょう。これだと。
与えられた部屋に向かう途中、わたしはお屋敷のご主人である権一さんに出会いました。
隣には太郎くんもいます。
「やあやあ!」
権一さんはどうやら上機嫌のようでした。
自分のパーティだから、というのは少しおかしい気がします。
正直、権一さんの立ち位置は、一番目の犠牲者として最も確率が高いからです。
「うん? 君たちは、えっと……そうだ。予定にはない招待客だったね」
「ええ。お世話になっております」
頭を下げて答える太郎くん。柔らかい笑みの人なので、これで受けはいいのです。
わたしもそれに倣い、小さくお辞儀をしました。
「いやいや! 構わないんだよ!」
権一さんは笑顔でした。とても上機嫌です。
その証拠に、訊いてもいないのにその理由を説明し始めたのですから。
「なにせ今回の被害者はおそらく私だからね! いやあ、一度はやってみたかったんだ」
「そうなんですか?」
「もちろん。この歳になると、あまり大役は貰えなくなってきてね」
「おや。ということはすでに出演経験がおありで?」
余計なことを訊いたのは太郎くんです。
ああもう、とわたしはこっそり溜息をつきます。
その手のことを掘り下げると、話が長くなるに決まっているのですから。
案の定、権一さんは禿げ上がった頭をひと撫ですると笑いました。
「過去に一度だけ、さる金融作品の悪役を務めたことがあってね! いやあ、アレは実にいい機会だったとも!」
「なるほど。僕には縁遠い世界です」
「しかしそれからはもっぱら脇役ばかりさ。だがこんな機会があるなら歳を取るのも悪くないというものだ。きっと私が死んだあとに、過去の悪行なんかがいろいろと暴露されていくに違いない! 実に楽しみだ!」
「悪役になりたいんですか?」
「というより、モブに飽きていてねえ。死に花でも咲かないよりはマシさ」
とんでもないことを言う方でした。
その気持ちは、あまりよくわかりません。
「どうせなら大きな役を貰いたいじゃないか、なあ? 出番がないよりはずっといい。だいたいミステリでいちばんの外れ役は、特に推理にも絡まない、けれどなんだかんだ最後まで生き残ってしまう役だと思うのだよ」
「すごいこと言いますね……」
「そうだな、とんでもなくいけ好かない、殺されて当然の極悪人だといいんだが。ああ、どんな風に殺されるんだろうなあ……上手いトリックだと嬉しいんだが」
「その辺りは探偵役次第でしょう」
「うむ。君らには期待しているともさ! 私が死んだら、是非とも華麗な推理で物語を盛り上げ――もとい犯人を追い詰めてくれたまえ!」
どうやら権一さんは、わたしたちが探偵役だと思っているみたいです。
ちょうどふたりペアですからね。わたしがワトソン役になれると期待しているのでしょうが……。
はて。しかし今回、わたしたちが探偵役という話は聞いていないのですけれど。
「では私は部屋に戻って早く寝るよ! 鍵を閉めてね! 密室! ああ楽しみだ!」
上機嫌の権一さんは、わたしたちが弁解するより先に廊下を去って行ってしまいます。
弱りました。私には推理なんてできないのですが。太郎くんに期待しましょうか。わたしは視線を横合いに向けます。
「あの壺、高そうだよな……いくらだろ」
太郎くんはこちらを見てすらいませんでした。
使えねえです。もういいです。
太郎くんはもう放置して、わたしも部屋で眠ることにしましょう。
――なお、与えられた部屋はひとつでした。
こんちくしょーめ。
※
あ、権一さん死にました。夜中に。
※
密室殺人です。
嵐の山荘です。
はてさて、どうなることやらです。
というわけで、明けて翌日。
おはようございます。笑顔のステキな汐留ちゃんです。
大広間に集められた招待客ご一行は皆、一様に暗い顔をしていま嘘です。ぜんぜんしてません。
むしろどこか晴れやかなくらいで。
とてもではありませんが、人の命が失われたあと、という感じではありませんでした。
もちろん、これは何も権一さんが嫌われていたわけではありません。
いや嫌われていたかもしれないですけれど。
そこまでは知りませんけれども。
ただ、それでも皆さんの顔が一様に晴れやかな理由はひとつ。
ついに物語が動き始めたからにほかなりません。
「――集まったな」
と。最後に現れたわたしたちを目にして、ニヒルな笑みを見せる男性がひとり。
大明神家の長男である、大明神又二郎さんです。御年三十三歳。
少し神経質そうな細身の男性ですが、今はその表情に隠しきれない歓喜の色が窺えます。
といっても、この配役で、そういい役を宛がわれているとは思えないのですが……。
……長男なのに又二郎なのは、権一さんとの被りを避けるためでしょうかね……?
「じゃあ、始めようか」
やはりニヒルに、一堂を見回して又二郎さん。
すると、次の瞬間には表情を一変。沈痛な面持ちでひと言。
「まさか……親父が殺されるだなんて。いったい誰が犯人なんだ――!?」
――ああ。
言いました。言ってしまいました。
私は静かに瞑目をします。死者ではなく、それは生きている自分を慰めるために。
これで場は整いました。
もはや推理を完成させ犯人を特定するまで、物語はノンストッパブルです。
「確かに。ああ、確かに親父は仕事柄、恨みを買うことも多かった! だが命を奪われなきゃならないほどの悪党じゃなかったはずだ!!」
役に入り込んでいる又二郎さん。
……いえ。これは……。
「……犯人かもしれないな」
小さく、周りには聞こえないだろうほどの音量で呟く太郎くん。
その表情には、少しだけ意地の悪い色を覗かせています。
「いや、正確にはまだ犯人志望と言うべきか」
わたしは咎めるように返しました。
「ちょっと……駄目ですよ、太郎くん。物語が始まったというのにメタ発言は」
「どうせ誰も聞いてやしないだろう。構わないさ」
「かもしれませんけど……」
「地の文では……そうだな、どうせ『太郎と汐留は何ごとかを小声で会話していた。場の様子から、それは明らかに浮いていた』とか書かれる程度だろ」
「いや、そんな伏線っぽい感じで意味深なこと書いちゃあマズくないですか?」
「この作者の力量じゃ回収しきれないから大丈夫。読者のほうも慣れてはいるはずだからね。適当に流してくれるって」
「そういうこと言うのやめましょうよ」
「だいたい読者だって大半はバカなんだ。流されるがままに読むだけで、伏線がどうの布石がどうのなんてほとんどが気にも留めていない。いや、気に留めているように見せかけている連中だって、その大半が所詮はネットで拾った知識を、さも自分で気づいたかのように流用しているだけに過ぎないよ。それも、鬼の首を取ったように叩くための口実としてね」
「そういうこと言うのやめましょうよ!!」
「そもそも《文章力》ってものを根本的に勘違いしているのさ、みんな。要するに伝える力のことだろう、それは。なら平易で読みやすい、小学生にだって伝わるような文章が最高ってことになってなきゃおかしいじゃないか。語彙力って言葉を、難しい言葉をいっぱい知っていることの評価に使っているようじゃ程度が知れるってものだよね」
「やめろっつってんだろうがァ!!」
「にもかかわらず、それっぽい、綺麗っぽい言葉が多用されているだけで、この作品は文章力が高いだのなんだの言い出す始末。そんなもの辞書を片手にすれば誰にだってできるっていうのに。しかも逆に、今度は軽くて読みやすいライトノベルの文体なんかになると、もうそれだけで文章力が低いと言い出すんだ。中身が軽ければなおさらだね。作風と文章力をごっちゃにしているとしか思えない。君も小説を書くなら、綺麗で美しいファンタジーでも書いてみればいい。あるいは爽やかさの間に苦々しさのある青春モノかな? どれほどわかりにくい文章だろうと、上手いとか味があるとか個性的だとかいって、適当に持て囃してもらえるようになるさ。逆に転生モノやハーレムラブコメはお勧めしないね。こういうのはどれだけ丁寧に書こうが、逆にストーリーを伝わりやすくするために崩して書こうが技術だと思われることはないわけだ。世の評論家気取りを敵に回す。眼高手低どころかお目まで低いとはね、まったく笑わせるよ――ハッ!!」
「これはあくまで作中登場人物の主張であり作者の見解ではありません――ッ!!」
思わずフォローを叫んでしまいました。
そういう敵だけ増やすようなこと言うのやめてもらっていいですか本当に。
チラシの裏とかツイッ○ーアカウントの裏とかでやってください。巻き込まないでください。
大丈夫ですか?
キャラの言っていることが必ずしも作者の考えとは限りませんからね。
むしろ違う場合のほうが多いというものです。混同しないようお願いいたします。
ていうか、なんなんですか。
何があったんですか。
どうしてそんな闇を抱えているんですか、太郎くんは。
やめてくださいよ、まったく。
読んでくださる方々がいてこそ書き甲斐もあるというものじゃあないですか。
ねえ?
――さておき。
広間ではさっそくのように議論が開始されています。
密室の状況がどうだったとか、遺産の相続で動機がうんたらとか、警察が来るのが遅れるらしいハイハイとか。
まーたぶんそんなようなことを話してたんだと思います。よく聞いてなかったですけど。
どうせパターンは決まってますからね。
そんなものです。
正直どうでもいいんで、この辺りは巻きでいきましょうね。
議論も停滞し始めてきました。
話が動き出したのは、ちょうどそんなときでした。
口火を切ったのは、権一さんの長女である大明神明子さんでした。御年三十七。
どうでもいいですけどネーミング適当すぎじゃないですかね。
「――もうやめて――ッ!」
彼女は言います。悲痛な表情で、それは身を切るような叫びでした。
いやあ、演技派ですねえ。
「誰が殺したとか、なんだとか! そんな話はもうたくさん!」
明子さんは言います。
これは……。
「お父様が殺されたっていうのに、どうしてそんな話ができるの!? もう信じられない。誰も信じられないっ!!」
「おい、落ち着けよ、姉さん。こんなときだからこそ、話し合わなきゃいけないんだろう? そりゃ確かに親父が亡くなったのがショックなのはわかるが――」
又二郎さんが窘めますが、明子さんは聞く耳を持ちません。
「嫌よ! もうこんな場所にはいられません!」
あ。あーあー。あーあーあー。
あー、これ、アレを言いますよアレを。間違いない感じですよコレ。
「――私は部屋に戻らせてもらいます!」
ほら。ほーら言った。
お約束ですね。お決まりです。絶対言うと思いましたもん。誰か言わないとですもん、むしろ。
その役を持っていくことにしたんですね、明子さん。いやあ女優ですねえ(棒)。
明子さんは、そのまま広間を駆け出していこうとします。
しかし、そのときです。
その瞬間から、この場の異変は始まったのです。
「待て! そんなこと言って、実は姉さんが犯人なんじゃないのか!?」
広間に声を響かせたのは、権一さんの次男である吉三郎さんです。面倒臭えな。
部屋は広く、窓を打つ嵐の音さえ遠い状況。そんな中に波紋を散らした吉三郎さんのひと言で、辺りは水を打ったように静まり返ったのです。
そう、嵐の山荘だけに、水を打ったように――なんちゃって☆
「あれ。なんか隣からロクでもないことを考えている系のオーラが」
「そんなことを言っている場合じゃないですよ、太郎くん!」
この期に及んでマイペースな太郎くん。
まあ、気持ちはわかります。わたしたちは今回、ある意味で最も安全な――いえ、安定な立ち位置にいますから。
ちょっと状況にのめり込めない気持ちで場を見ている中、目の前でお話は続いていきます。
「わ、わたしが犯人だっていうの!? 言いがかりはよしてほしいわ。なんてことを……!」
明子さんは蒼褪めた顔をして、両の手で口元を覆います。
なんですかね。笑みを隠しているんですかね。どうせそんなところでしょう。
今のが通っていれば、犯人は無理でも、犠牲者役は素直に獲得できるところでしたからね。
「ふん! どうだかね。気の強い姉さんがそんな殊勝なことを言い出すとは思えないな。裏があるんじゃないか?」
言い寄る吉三郎さんの魂胆は、けれど透けて見えています。
彼は、別に明子さんが犯人だと疑ってはいないのです。
――ただいい役に就きたいというだけなのです。
理想は犯人ですが、犠牲者役も保険として持っておきたいというところでしょう。
もしこのまま明子さんが部屋へ駆け出してしまえば、彼女が第二の犠牲者役を奪う可能性は非常に高いです。もちろん連続殺人かどうかまだわかりませんが、そういったムーヴはレートを高めますからね。
犠牲者枠にも限りがあります。ホラーやスプラッターじゃないんですから、なかなか全滅は考えにくいのです。
そんな中、貴重なおいしい犠牲者役を、むざむざと渡すわけにはいかないわけです。
ここで明子さんが部屋に戻ったら、かなり高い確率で死にますからね。全力阻止でした。
「――ふん」
しかし、やはり明子さんは女優でした。一枚上手です。
女性はみんなが女優ということなのでしょう。
これは計算ですね。彼女は、止められることを想定していたように、わずかに笑みを深めます。
「そうね……少し取り乱したわ。だけど、わたしが犯人とはどういうことかしら?」
「――っ!!」
上手い切り返しです、明子さん。
こう問われては、明子さんと亡くなった権一さんの間にある確執を吉三郎さんが語らなければなりません。
今ので、もしも仮に明子さんが自分から犠牲者への恨みを語ったら、怪しい奴は逆に怪しくないメソッドによって明子さんは犯人から離れてしまいます。
だからこそ、自分ではない誰かに動機を語らせる。
これは強固ですよ。なにせ動機を隠していたわけですからね。一気に犯人レートが上がることになります。
どうやら明子さんは初めからそのつもりだったようです。被害者役に甘んじると見せかけて、虎視眈々と犯人役を狙っていた模様。
「……おい」
小声で吉三郎さん。
あ、これちょっとメタ入っていく感じですかね。
聞こえない振りを各自願います。
「おい。ちょっと、おい。それはずるいだろ、姉さん! 盤外戦術じゃないか!」
「うるさいわね、私だっていい役が欲しいのよ! 父さんばっかりズルいじゃないの!」
「だからってこんな嵌めるような……!」
「貴方だって変わらないでしょう。みんなそうよ! 自分のことばかり考えて!!」
なんかこう、犯人を押しつけ合っている醜い確執のようですが。
内情は正反対で、むしろ犯人を取り合っています。それはそれでどうなの感すごいですが。
嵌められたと気づいたときには遅く。
観念したのでしょう、吉三郎さんは一度だけかぶりを振って、それから言います。
「……姉さんは、親父に恨みがあっただろう。借金を肩代わりしてもらう代わりに、安い仕事をさせられていた」
苦肉の策とばかりに、あんまり大したことない感じの動機を出してきました。
まあ、決定的な動機をこの状況で持たせるわけにはいかないでしょう。一気に犯人レートが上がります。
明子さんは訥々と答えました。
「借金を肩代わりしてもらったのよ? 感謝こそすれ、恨むはずがないじゃない」
「その借金、いくら働いたって返しきれる額じゃなかったんだろう?」
「くっ……!」
「姉さんには自由がなかった。親父を殺そうとしたって不思議じゃないさ」
「よくも、あなた……!」
……おっと、これは意外にいいパスですね。
逆手に取った模様です。明子さんのキャラ的に、言われっ放しではいられません。
「吉三郎、貴方……」
「ふん。いいように使われたんだ、こっちだって反撃するさ」
「ちくしょう!」
「ははは! さあ作れ、反撃のために僕にも動機があったことにするんだ! ダークなヤツを頼むぜ!」
なんですか、このやり取り。
このあと明子さんが「貴方だって父さんには恨みがあったはずよ!」とかなんとか事情を語り出すと思いますが、もうその辺りは興味ないっていうか、どうでもいいアレなので聞かないでおきます。
わたしは改めて、太郎くんに向き直りました。
「どうするんですか? 場がかなり混沌として来てしまいましたよ」
太郎くんは軽く肩を竦めて笑います。
「ははは。確かに面白くなってきたよねえ。さーて、誰が犯人なのかなあ」
「言ってる場合ですか。――だいたい、それを決めるのは太郎くんなんですよ?」
そう。この状況、わたしたちは犯人役になることができません。
また集った皆さんも犯人役を取り合うばかりで、もっといい役――すなわち探偵役を目指しません。
なぜでしょうか?
答えは決まっているのです。
この状況――探偵役は太郎くんに決まっているからです。
確約です。当選確実です。なんせ偶然に訪れただけの大学生なんですから。
しかも助手役ことわたしまで完備。これで探偵役でないはずがあろうかという強固なレート強者。
さきほどからの争いは全て、太郎くんに「お前が犯人だ!」と指摘してもらうために行われているアプローチ、アピール合戦ということなのです。
それはもう、メスに求愛するオスクジャクがごとしです。
「そうだね。じゃあ僕も、そろそろ参加してくるとしようかな」
そう呟くと、太郎くんは一歩を前に出ました。
その姿は悠然と。さすが、探偵役らしい雰囲気が出ていると言えましょう。
「まあまあ、皆さん、落ち着いて。ここは冷静になりましょう」
そのひと言で、太郎くんは場の注目を一身に集めます。
誰もが「なんだアイツ?」という顔で(表面上)太郎くんを睨みます。
「なんだね、君は! 部外者は黙っていてほしいな」
長男の又二郎さんが言いました。
言いましたが、その顔は「どんどん喋ってくれ!」という気持ちが隠せていません。
適当に理由つければ折れますよ彼は。
「いえいえ。こういった事態ならばお役に立てると思っただけで」
「――あ、ああッ!」
柔和に切り出した太郎くんに対し、屋敷で働くメイドさんが叫びました。
メイドさんは、叫んでしまったことを恥じるかのように、しゅんと肩を竦めて俯いてしまいます。
……ああ、演技派だなあ。
案の定、わかっているとばかりに又二郎さん。
「どうしたね、奈々子くん。彼について気になることでも?」
誘導が露骨ってレベルじゃないです。
メイドさん――奈々子さんは恥じ入るように。
「え、えっと、その……申し訳ありません」
「構わない。話してみてほしい」
「……で、では。そちらのお客様のお顔、どこかで見覚えがあると思って」
「どこで見たんだい?」
「その……新聞で。有名な、探偵さんだって」
「ああ!」
吉三郎さんが手を打って応じます。
ああ。設定が生えますよ。
「そうか、見覚えがあると思っていたが、あの《夢想館殺人事件》を解き明かした名探偵! 君だったのか!!」
「な、なんだって!? そ、そうだったのか!! き、気づかなかったぞー! わ、わあー!」
「その事件なら私も知ってるわ! まあ、こんなところで有名な探偵さんにお会いできるだなんて!」
もちろんそんな事件は存在しません。
が、言ったので生えました。設定は生えます。アドリブで。
やっぱり名高い探偵が解決した事件の犯人になりたいものなんでしょうね、皆さん。
ちょっと意味わからないですけど。
だいたいなんですか、夢想館殺人事件って。
もうちょっとなんかあったでしょう。
作者だって、これはちょっと恥ってものを知ったほうがいいです。
あとひとり演技が棒すぎます。
「ま、まあ……そういう感じですかね。はは」
ちょっと狼狽えて太郎くんは頷きました。
心なし嫌そうです。
いい気味ってものでした。
「では、探偵さん。貴方はもしかして犯人がわかっているのかい!?」
さっそくのように又二郎さんが言います。
推理の展開を手助けする代わりに、俺を犯人に指名してくれと言わんばかりでした。
「まずは、皆さんの昨夜のアリバイを聞かせてください」
太郎くんは言います。
これは、なかなか探偵っぽいですね。
皆さんこぞって言いました。
「私はないわ!」
「俺もないぞ!」
「かー! 俺もアリバイないわー! これ疑われるわー! かーっ!」
「昨夜は気分が悪くてずっと部屋にいたのだわー。およよー」
ひっどい。も、ひっどい、ほんと。
全員、取り合うようにアリバイを放棄しました。なんて連中でしょう。
犯人になれればなんでもいいと言わんばかりの有様です。
それを受けて、太郎くんは静かに言いました。
ああ。始まりますよ、太郎くんのアレが。
これ本当に酷いんですよ。だからわたしは太郎くんの助手とか嫌なんです。
太郎くんは言いました。
「――やり直し」
そのあまりの放言に、被疑者一同は揃って顔を見合わせます。
何を言われたかさっぱりわからない。そんな表情でした。気持ちはわからないでもないです。
「や、やり直し……とは、いったい……?」
一同を代表するように又二郎さんが訊ねました。
太郎くんは一度だけ頷き、それから、再び同じ言葉を告げるのみです。
「だから、やり直し。今のなし。そういうの面倒臭い」
「は、いや……え? めん……えっ?」
「そうだな。とりあえず又二郎さんはアリバイがあることにしよっか」
「なんで!?」
「いいからいいから。ほら、逆らうと容疑者から外しちゃうよ?」
強権でした。
独裁者が如きでした。
「じゃあ今から僕が言うこと復唱して」
「え、えっと……」
「いいから」
「あ、はい」
「――私にはアリバイがある。昨夜は酒を飲みたくてな、部屋に奈々子くんを招いていたんだ」
「はっ――!?」
その台詞で意図に気づいたのでしょう。
混乱していた又二郎さん、意を汲んで太郎さんの台詞を繰り返します。
やり直しです。
「――私にはアリバイがある。昨夜は酒を飲みたくてな、部屋に奈々子くんを招いていたんだ」
こうして又二郎さんにアリバイができます。
しかし、容疑者からは外れません。
そうでしょう? これは、疑わしくない人ほど実は犯人の法則です。
アリバイがあるからこそ崩されれば一気に怪しい。
又二郎さんは、やり直しによって犯人レートを上昇させることに成功したのです。
「ははは。ウィスキーを部屋に運んでもらったんだが、少し暇でね。話し相手になってもらったのさ」
ノリノリの又二郎さん。
これで犯人役は貰ったと言わんばかりです。
「そうだろう、奈々子くん?」
「え? えっと、はい。そうですね。お邪魔させてもらいました。その……少しの時間だけですけれど」
「――やり直し」
「えっ」
「えっ」
太郎くんのやり直し大岡裁きが続きます。
「そこはこうしよう。奈々子さんは、又二郎さんの愛人だったってことで」
「えっ」
さきほどの「えっ」とは質の違う「えっ」でした。
ちょっと嫌そうです。
「……じ、実はそうだったのさ。は、はは……バレてしまっては仕方ないな……ははは」
乾いた笑いで、又二郎さんが合わせました。
割とガチなトーンで引かれたことが、ちょっと心を傷つけたようです。
まあ歳の差ありますしね。そういうこともありますよ。
「はあ……まあ、じゃあ、そうです……」
流されるように受ける奈々子さんでした。
「ちょっと! 兄さんばかりズルいわ!」
ここで明子さんが吠えます。
「なら私もやっぱりアリバイがありましたー! 執事と不倫してましたー!」
「やり直し」
「なーんーでーよー!」
「ふたつは面白くないからかな。明子さんは……そうですね。ちょっと汐留ちゃん」
え、わたし?
「なんですか、太郎くん」
「昨日の夜、明子さんを廊下でばったり見かけたことにしようか。そうだね、時刻は死亡推定時刻前後」
「まあ……!」
嬉しそうな明子さんでした。
犯人っぽいですからね。まあ仕方ないです。
わたしは助手なので、言うことは聞いておきましょう。
「……太郎くん」
わたしは小声で言いました。
↑これを地の文に置くことで全員聞いていても太郎くんしか聞いていなかったことになります。
「実は昨夜、権一さんの部屋の前で明子さんを見かけたんです」
「何時くらいだい?」
太郎くんも小声(比喩)で応じます。
全員聞いてます。
「ちょうど、権一さんが亡くなる前後くらいでした……」
「ふむ、なるほど。有力な情報だね」
笑う太郎くんですが、この有力な情報は偽造です。
もちろん、設定でそうなればそういうことになるのが世界法則というものですからね。
仕方ないですね。
「ちょっと! 何をこそこそ話しているの!?」
甲高い声でヒステリック(を装い本当は嬉しそう)に明子さんが言いました。
もちろん彼女にも全部聞こえていました。
太郎くんの本領発揮です。
やり直し探偵は、全ての推理を都合よく形作る最強のメタ探偵です。
「――じゃあ、どんどん行こうか」
※
「やり直し」
「やり直し」
「やり直し」
「やり直し」
「やり直し」
「やり直し」
「やり直し」
「やり直し」
「やり直し」
「やり直し」
※
「――嫌な、事件でしたね……」
帰りの車の中、わたしは太郎くんにそう語りかけます。
「そうだね」
と応じる太郎くんは、けれどどことなく悲しそうな表情をしていました。
今のは地の文の表記であって、本当はうっすら笑ってますが。
「まさかあの人が犯人だったなんて……」
意外だった感を醸し出すようにフォローするわたし。
本当は誰だったのか、ですか? それは、発売されたら書店でご確認ください。
探偵役ならざるわたしに、犯人を示すことはできないのですから。
地元の警察から解放されて、わたしたちはタクシーで東京へと戻っています。
田舎の山の風景。それを見ていても、なんとなくやり切りないような、そんな気分になります。
と。
いきなりタクシーが停止しました。
……おや?
「ああ、すみません、お客さん。エンストです」
「なんですと」
そんな。帰ったらやらなくちゃいけないレポートがありますのに。
「参ったな……応援を呼ぶ無線も応答がない。お客さん、携帯は通じますか?」
「ダメですね、圏外です」
太郎くんが言います。
なんかもう、めちゃくちゃ嫌な予感がしてきました。
一台の車が道を通りかかったのはそのときです。
車外に出たわたしたちに、通りがかった車の運転手が声をかけてきました。
若い、プレイボーイ風の男です。彼はニコリと笑顔を見せて、
「どうしました?」
「……えと。実はタクシーが動かなくなってしまって……」
「それはいけない」
男は歯を見せて笑います。
「どうです? この近くに私の別荘があってね。実はパーティを行うところなんだが、何、お客さんが少し増えるくらいなら構わないさ。乗っていくかい? 明日には送ってあげられるよ」
……ダメですねコレね。
導入です。また別の物語が始まろうとしています。
「どうする、汐留ちゃん?」
笑みで問いかける太郎くん。
わたしはそれを見て、それからプレイボーイさんに向き直り。
それから、こう告げることにしました。
「――やり直し!」
が、できたら嬉しいんですけどね。
一作に14000字もかけてたら終わらないんですけど。




