漫然探偵
お正月企画その3
ディティクティブハイスクールでは日夜、生徒たちが一人前の探偵になれるよう厳しい訓練が行われている。
「佐藤! 佐藤、貴様! やる気あるのか貴様コラ貴様ッ!!」
「赤羽先生は常に語尾に《貴様》ってつきますね」
「貴様が貴様ってつけさせるからだろう貴様! ……あっ本当だ」
「ほら」
「貴様!」
佐藤はこのディティクティブハイスクールきっての問題児だった。
決して落ち零れというわけではない。このディティクティブハイスクールでは要求する基準に能力の満たない者は容赦なく退学処分となる。これも社会に最高のディティクティブハイスクール出身探偵を排出するため、そしてディティクティブハイスクールのブランド力を守るために必要な措置だ。
その点、佐藤は確かに最優秀ではないが、それでもディティクティブハイスクールの厳しい試験を最低限、突破する程度の探偵能力を持っている。ディティクティブハイスクールではディティクティブハイスクールに所属する多くのディティクティブハイスクール候補生がディティクティブハイスクール担当教師探偵にディティクティブハイスクールが誇る探偵技能を育てるディティクティブハイスクール専用過程のディティクティブハイスクール訓練が課されているのだから。生半な修行ではディティクティブハイスクールに入学することもディティクティブハイスクールで暮らすこともディティクティブハイスクールを卒業することもできない。
「貴様こんなことは初めてだ貴様!」
「そう言われても」
「このディティクティブハイスクールには当然ディティクティブハイスクールに入学するため難関と名高いディティクティブハイスクールの入学試験を突破してディティクティブハイスクールで訓練を重ねいつかディティクティブハイスクールを卒業した暁には最高の探偵として世に出て行くことも目的としてディティクティブハイスクール」
「語尾」
「それを貴様は! どういうことだ、まったくやる気が見られん!」
「だってディティクティブハイスクールって、長いし。何回言うんですか」
「仕方ないだろう探偵になったらスポンサーとなるディティクティブハイスクールの宣伝しないと経営とか大変なんだから。今から癖つけとかないと」
「もうそれ探偵高校でいいじゃないですか」
「ディティクテブファイスキュール!」
「噛んでる」
「ディティクティブハイスクールっ!!」
「だから探偵高校でいいでしょう。略して探高」
「なんか炭鉱みたいだろ!」
「……実際、炭鉱並みに厳しいですけどね。タコ部屋かよ、ここ」
「おいやめろ! ディティクティブハイスクールのイメージが悪くなるだろう!」
「まだ言うし……」
「だ、おまっ、でぃてっ……もうっ!」
「もう諦めたらどうですか」
やる気のない佐藤に、赤羽はご立腹だった。
――まったく最近の若い奴は、とブツブツ呟く。もう三十年にも近づこうかという探偵教師生活だが、こういった生徒は初めて受け持つのだ。
「なんなのだ貴様は」
頭を抱える赤羽探偵教諭。
彼は、決して佐藤に個人的な恨みがあるわけではない。
いやむしろ期待しているのだ。彼が本気を出せば、あるいはもっと素晴らしい探偵になるはずだと。
「さあ補習問題だ佐藤。――お前が行き遭った山荘で殺人事件が起きた。辺りは吹雪で脱出できない状況。どこから推理を始める」
「まず警察に電話します」
「じゃあ電話線は切れてます!!」
むしろ赤羽がキレそうだった。
「えー。じゃあ赤羽先生に連絡とるってのもダメですか?」
「推理しろっつってんの! なんで他人頼み!?」
「適材適所じゃないですか」
「ここお前を適所の適材にするための学校なんだけどぉ!」
「なんて?」
これだ。この男には、自分の力で事態を切り開こうという意識が決定的に欠けている。
けれど果たして、どうすれば教えてやることができるだろうか。赤羽にはもはやそれがわからない。
「昔はまだわかりやすかった……教師に逆らおうって奴はな、目に見える形で反逆したものさ。やれ俺のほうが賢いだの、ロートルが昔に解決した事件なんぞ誇るんじゃないと……卒業のときにはお礼参りもされたものさ」
「そうですね。卒業のときは、僕も先生に花束とか買いますよ。みんなと」
「もはや言葉の意味すら通じていない!」
この先生めんどい、という顔を佐藤はした。
赤羽は理不尽だと思った。
「なんなんだ貴様は! 体力訓練はやる気がない、推理とあらば他人に頼る……どういうつもりだ」
「効率をそれなりに重視しての行動だったんですが」
「は、効率! 今の若い奴はこれだ! 貴様はなぜ探偵高校に入ったんだ!?」
ディ(略)は諦める赤羽だった。
佐藤は答える。
「まあ、なんか……漫然と」
「漫然と!?」
「なんか探偵とか格好よさそうだったし。なんとなく」
「なんてことだ……」
頭を抱える赤羽。そこに、声をかけるものがあった。
この一年クラスに生徒たちが戻ってきたのだ。お昼休みであった。
「まあまあ赤羽先生。いいじゃないですか、佐藤だってがんばってるんだし」
「黒沢」
黒沢だった。
「実際、佐藤もちゃんと授業にはついて来てるでしょう?」
「ううむ……だがお前とて努力して成績一位を勝ち取ってるわけだろう? 恨めしくはないのか」
「またまっすぐ訊きますね、先生」
苦笑する黒沢。
やはり私は古い人間なのだろうか。赤羽は思い悩んだ。
「俺はほら、実家が探偵稼業ですからね。ほかに道もなかったですし」
「そうか……確かお前は、両親も探偵だったな」
「ええ。といっても売れない探偵ですが、だからこそ家を継ぐにはこの道しかなかった」
「だからって、誰も彼もが探偵になりたいわけじゃないですよねー」
言葉を受け継ぐ女子生徒。
「青山」
青山だった。
「このご時世ですしねー。事件だって、せいぜい浮気調査や失踪人探しでー、殺人事件なんて滅多に関われないですしー」
佐藤は緑川からパンを貰っていた。
「はい。お金はあとでね」
「ありがとう緑川。あ、おいしい」
「この辺りで流行りのお店なんだよね」
赤羽は見なかったことにした。
「なあ、お前たち……このまま卒業したとして、将来はどうするんだ?」
赤羽は訊ねる。彼はただ、生徒たちの将来が心配なだけなのだ。
なにせ水物のこの稼業。職を離れ、探偵ではない道へ移る者も決して少なくない。かつての教え子たちの、いったい何割が今も探偵としてこの業界で生きていることだろう。
赤羽はこのディティクティブハイスクールで長年、教師探偵を続けている。
もはや現役探偵だった時期より教師探偵だった時期のほうが長い。
自分など、ああ確かに時代遅れのロートルなのかもしれない。赤羽はどこかでそう思っていた。
だが。
たとえそんな自分でも、生徒の将来を案じることくらいは許されていいはずだ。
それが意味のない自己満足でも、その気持ちに嘘はないはずだった。
「俺はもちろん家業を継ぎます。このままプロの探偵に一直線です」
へへ、とはにかむように笑う黒沢。
彼にもきっと、赤羽の気持ちは伝わっているはずだった。
「依頼なんて犬探しくらいだけど、俺がディティクティブハイスクールを卒業したって看板があれば、きっと依頼も増えますから。運がよければ殺人事件を解決して、名前が売れるかもしれませんし!」
「おお、黒沢……!」
「ははは。なんて、殺人事件が起こることを探偵が祈っちゃダメか。今のは冗談ってことにしといてください」
「いいんだ……いいんだ黒沢。がんばってくれ……!」
零れそうになる涙を、赤羽は大人として、いや教師として、いやさ教師探偵として必死に堪えた。
いいんだ。これでいいんだと――何か報われたような気がしていた。
ひとりでもいい。こうやって心から探偵を目指す若者に、ほんの少しでも力を貸すことができたなら。それをきっと赤羽は誇れるはずだった。
現役探偵を退き教師探偵になったとき、お世話になった先輩探偵に言われたことを思い出す。
――困ったら薬膳を食え。
うん。まあなんかこれは関係なかったって感じだけど。
ともあれこれでいい。これでいいのだ。
赤羽はそう確信することができた。自分のやって来たことは決して間違いではなかったのだと――。
「それにやっぱり、ディティクティブハイスクールを卒業ってのは大きなアドバンテージですから。ビジネス上、ほかの探偵とアライアンスを組むにしても、イニシアチブを取っていけること多いですよ」
「え、うん。なんて?」
黒沢の言葉に首を傾げる赤羽。
ちょっと何言ってるのかよくわからなかった。
「やっぱ今は探偵もイノベーションが必要とされてるっていうか。もっとグローバルな視点を持っていかないと」
「いのべ?」
「結果にコミットできる探偵っていうんですか? 佐藤じゃないですけど、場合によってはアウトソーシングも視野に入れて事件をシェアしていけば、大きなシナジーが得られると思うんです。カスタマーからしてもフレッシュなマインドで事業に携わっている探偵を選べばいいし、手が空けばスキームにもバッファが持てる。誰にとってもウィンウィンでしょう?」
「うぃ?」
「ウィンウィン、ウィンですよ」
赤羽の意識が薄くなりそうだった。
どうしよう。言ってることの意味がひとつもわからない。
赤羽は話を移す。
「あ、青山はどうだ?」
「あたしもやっぱりネットとかきちっと使っていきたいですよねー」
「そ……そうか。確かにな。今の時代は、そうかもな」
「そう。あたし実は思いついたことがあってー」
おっとフラッシュアイディアかな? みんなでブレインストーミングでブラッシュアップするかい?
黒沢が言って、赤羽と青山はそれを無視した。ていうか意味がわからなかった。
「やっぱ今はヴァーチャルかなって」
「ば? ちゃ?」
「あたし、ヴァーチャルユーチューバー探偵になりたいんですー」
「緑川あー! 緑川はどうするんだー!?」
意味がわからなすぎて、赤羽はさらに話をズラす。
緑川は佐藤とパンを食べながら答えた。
「あ、僕は卒業後はケーキ屋さんになろうかと」
「なぁんでこの学校入ったの!?」
「いや、ほら。やっぱ親が高校くらいは出とけってうるさくて」
「それでこの学校!?」
「なんか、ほら……家から近くて」
――ダメだ。赤羽は自らの敗北を悟った。
そう。ほかでもない、赤羽は自分自身に負けたのだ。決して彼ら生徒が悪いのではない。
事態に適応して、新しい道を模索しているのは、だって彼らのほう。
いつまでも同じ場所でうろうろと歩いているのは自分だった。漫然と探偵をしているだけの時代の遺物――。
もう、引退しようか……。
彼らを見送って、この職を辞そうか。
赤羽は、そう考えてしまった。
「まあ、僕も将来は探偵ですかねえ」
――佐藤が、そう言わなければの話だったが。
「な……なんだって!? お、おま、お前……探偵になりたいのか!?」
「え? まあ」
「なんで!?」
「だってほら、格好いいですし。そう言いませんでしたっけ?」
漫然と探偵学校に入ったと言う佐藤。けれど考えてみれば、最初は赤羽もそうだった。
ちょっとした、探偵という職業に対する幼い、けれど鮮烈な憧れ。それがいちばん先にあった動機。
その憧れのまま漫然と探偵を目指しても、望む場所に辿り着けるならそれでいい。
「まあ漫然とした考えしかないんですけど……つまり大して考えてないんですけど……せっかく学校で習ったことは活かして暮らしたいですよね。普通に」
「そうか。そうか……! お前は、探偵になるんだな……! なりたいんだな……っ!!」
「まあ漫然と」
「そうか……そうだったか……!」
「なんで泣いてるんですか、赤羽先生」
「いや。いや、なんでもないさ。いいんだ、これでいいんだ……私は間違っていなかった……!」
「よくわかんないですけど」
「いいんだ。さあ、そうとわかれば私もがんばるさ! 私の持つ全ての探偵技能をお前に仕込んでやる!」
「まあ漫然とがんばります」
「ヴァーチャルなんとかでもケーキ屋でもいいさ。俺が必ず、お前たちを卒業させてやるからな……ああ、ああ! 俺にできることなら、なんだって言ってくれて構わない!」
「そうですか。やったー。じゃあお願いがあるんですが――」
※
――十年後。
世に颯爽と現れ、あらゆる事件を解いていく名探偵がひとり。
その名を佐藤――漫然探偵・佐藤。
彼は自ら推理をせず、事件によってなんとなく力になってくれそうな相手を頼るスタイルの漫然探偵。
今日も赤羽のスマートフォン(使い方は黒沢に習った)に、佐藤から着信が入る。
「先生、事件です。さっぱりわかんないんで推理をお願いしますー」
「貴様またか貴様っ! 仕方ないな貴様!!」
現役復帰した探偵赤羽。
今日も教師として、教え子に実地で探偵のなんたるかを説くのだった――。
疲労がピークに達したので今日はここまでです。
また明日……。あといくつだっけ……。




