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薬膳探偵

お正月企画その2

 大手探偵評価サイト《名探偵になろう》。

 今、彼女はそこで、ひとりの探偵のレビュー欄を眺めている。


 世は大探偵時代。年々、複雑化の一途を辿る犯罪に対抗するため世間には探偵が溢れ返ったが、数はそれでも足りなかった。それが優秀な人間であるならば、素人探偵でも構わない。そういった風潮が広まっているのだ。

 だが果たして、その探偵が本当に《優秀》であるのか否か。

 それは依頼してみるまでわからない。だが依頼してみてからでは全てが遅いのも事実だ。

 有名どころでは《たてログ》、《Tanooたんー知恵袋》、《探偵seek》といった探偵評価サイトがアクセス数を稼ぐのも当然の風潮であると言えた。


「……この探偵はどうかしら……」


 彼女――秋山あきやま美智子みちこもまた、探偵を探しているひとりだ。

 というのも現在、彼女の実家では祖父の秋山春乃進はるのしんが亡くなり、その遺産相続について紛糾しているのである。

 そこでちょっとしたアクシデントに行き遭った美智子は、事態を収拾できる優秀な探偵を探している。

 今、彼女が見ている探偵。この人は、さて、信用できるだろうか――。

 レビュー欄には、こんなことが記されているのだった。




  ■トップ依頼者レビュー


   ★★★★★ 安定して優秀

   投稿者:横山山荘殺人事件被疑者 XXXX年XX月XX日

    件の事件に際し解決を依頼しました。濡れ衣を着せられたのです。

    以前もご依頼したのですが、解決までのスピードなどが安定しており頼れます。

    依頼の報酬が少し面倒臭いのが難点ですが、背に腹は代えられません。

    そして実際、彼は期待通りの――否――期待以上の成果を見せてくれました。

    次に被害に遭うのが待ち遠しいです。


   ★☆☆☆☆ おいしくない

   投稿者:埼玉保険金殺人被疑者 XXXX年XX月XX日

    見事に解決してくれました

    いっしょに食べた薬膳がおいしくなかったので星ひとつとさせていただきます

    つぎはハンバーグ食べたいです


   ★★★★☆ 薬膳探偵

   投稿者:新春薬膳毒物混入事件担当刑事 XXXX年XX月XX日

    素人探偵など捜査の邪魔だ。このときまで私もそう考えていた。

    だがこの考えが浅はかであったことを、私は事件を通して知ったのである。

    確かに少し風変わりな人間で会ったことは事実だ。

    けれどそれは先入観に過ぎない。

    彼の事件解決に対する意欲には私も感心しきりだった。

    このような探偵が増えることを祈るものである。


   ★★☆☆☆ 栄養バランスが偏る

   投稿者:フレンチ料理人 XXXX年XX月XX日

    オリーブオイルもある意味で薬みたいなところはあった

    私は今もそう確信している。それだけだ

    なにせオリーブオイルは完全食。きっとお粥にかけてもおいしいだろう


   ★★★☆☆ 奴ぁやる奴だよ

   投稿者:釈然探偵 XXXX年XX月XX日

    そう、俺の次にな!

    というわけで白河探偵事務所をよろしく頼むぜ!




「……なるほど」


 美智子はそう呟いた。最後のレビューはとりあえず規約違反なので通報しておいた。

 正直、ロクなこと書かれていない気がしたが、詳しく読めば評価自体は決して悪いものではない。


 ――彼になら。

 薬膳探偵・財前ざいぜん厄丸やくまるになら、ともすれば期待できるかもしれない――。

 美智子は自分のアカウントから、厄丸のアカウントへダイレクトメールを送る。

 内容はこうだ。すなわち、――『我が家の祖父が遺した、遺言の在処を見つけ出してほしい』。


 返答は、日を跨ぐことなくすぐに来た。


 ――『報酬は薬膳でお支払いいただくことになりますが、よろしいですか』。


 美智子はほくそ笑んで笑う。

 彼女は、薬膳を得意とする料理人だったのだ。



     ※



 財前厄丸との顔合わせは、美智子が勤めている料理店『霊枢れいすう』にて行われた。

 厨房を任される、いわばエースの立場にいるのが美智子だ。店長が気を遣ってくれたということなのだろう。

 薬膳を振る舞うことになるのだ。甘えさせてもらうことにして、美智子は厄丸を招いた。


「――改めまして。私が薬膳探偵・財前厄丸です」

「今日はありがとうございます。依頼人の、秋山美智子です」


 正月休みの店内。二階には店主とのその奥さんがいるが、一階の店舗部分は貸し切り状態だ。

 財前厄丸は線の細い男だった。薬膳しか食べていないと聞かされても納得がいくだろう。まあ知らないけれど。

 髪が長く、白に近い色素の薄いそれをまっすぐ流しているスタイル。

 割に美形であるため、どことなくヴィジュアル系バントのメンバーを思わせたが、ギターが持てるかどうか怪しいという気もする。


「ではさっそく、依頼の話に移らせていただきます」


 名刺を受け取った美智子が切り出す。

 コトは存外に厄介だ。亡くなった祖父・春乃進の遺言に関する事件である。

 遺言自体はすぐに見つかった。弁護士に預けてあったからだ。

 だが、その遺言には、遺言ではなく暗号が記されていたのである。


 ――この暗号を解いた者に、全ての遺産を相続させる。


 親族一同がひっくり返ったことは言うまでもない。ふざけるなという話であった。

 だが、遺言は法的に有効であり、暗号を解かなければならない。相続までの時間ギリギリまで誰も解けなかった場合のみ、通常の法律に従って分配されるという話だった。

 これといって別段、仲の悪い家族ではない。

 遺産を巡って血みどろの云々といった争いには発展しそうになかった。

 誰もが、


 ――これもう時間切れ待てばいいんじゃね?


 というテンションだ。美智子もぶっちゃけること同意である。

 それでも、美智子は探偵を頼ってでも、暗号を解くことに決めたのだ。

 決して遺産目当てではない。

 ただ、祖父が遺した最期の悪戯心に応えたい。それだけが美智子の望みであった。


 美智子の祖父・春乃進は、界隈では名の通った推理作家だったのだ。

 その才能は誰も継がず、また同じ道を歩む者もいなかった。それは仕方のないことではあるが、暗号や悪戯、そういった知的遊戯を好む春乃進が、家族の誰にも付き合ってもらえず悲しんでいたのを美智子は知っている。

 もちろん彼には、同じ趣味を共有できる仲間がいた。

 家族もがんばって付き合ったが、相手にならなかったため仕方がないというのも事実だ。


 ――最期くらい。


 たとえ自己満足でしかないのだとしても、おじいちゃんっ子だった美智子がそう考えたことに無理はない。

 家族の了承も得ていた。それで遺産を美智子が全て継いだとしても、その場合は納得すると。晩年の春乃進を最も支えた人間が、ほかでもない、孫の美智子であることは誰もが認めるところだった。

 事実、美智子は遺産目当てではなかったし、それは誰もが理解していた。

 おそらく相続した遺産は、結構な部分を解き明かした探偵――財前厄丸に支払われることになるだろう。

 なんかこう、相続税とかで苦しまない程度のアレで。


 とまあ、そういった話を告げようとした美智子に対して。

 その正面に座る厄丸は、こんな台詞を告げた。


「――ではまずは、貴方の作る最高の薬膳をお願いします」

「え、何、いきなり?」

「私はそのために来ているのです」

「暗号を解くために呼んだつもりだったけれど……」

「あ、それ、や! く! ぜん! や! く! ぜんっ!!」

「あの」

「そーれ、それそれ! 薬膳薬膳、一気にそーれっ! ワイ、エー、ケー、ユー、ZENZENZEN!!」

「すみません、大学生の飲み会みたいなコールやめてもらっていいですか」


 どうしよう人選を早まったかもしれない。


 とはいえ、確かに報酬として薬膳を振る舞うことは契約の範疇だ。

 今日だってご馳走するつもりではいた。薬膳料理人の自分が言うのもなんだが、薬膳を好んで食べる人間なんて、実のところそうそういないのだ。それこそ美智子の周囲では亡くなった祖父くらいのもので、それを楽しみに来てくれていること自体、美智子にとっては喜びだった。


「では、まず振る舞わせてもらいますね。厨房を借りる許可は貰っているので……」

「さすがですね。来た甲斐があります、ありがとうございました」

「あの、本当に解いてくださるんですよね……?」

「任せてください。ただ、成功報酬と必要経費は別個で請求させていただく、というお話です」

「…………」


 果たして薬膳は必要経費に含まれるのだろうか。

 まあ薬膳探偵なのだし、そういうこともあるのかもしれない。



     ※



 およそ三十分後。美智子はテーブルに、店の人気メニューである薬膳を配膳した。

 仕込みは、実は終わらせておいたのである。こういう流れになることを予期していなかったわけではない。


「――どうぞ、お召し上がりください」


 テーブルに並んだ薬膳を見て、薬膳探偵・財前厄丸は、にわかに微笑んだ。


「なるほど、これは見事。お店の努力が見て取れます」

「ええ、まあ。近頃は単純な薬膳ではやっていきませんから……」


 そも薬膳とは何か――。

 その問いに、美智子は単純な答えを出す。


 すなわち《体にいい食べ物》だ。


 もちろん中医学の理論に基づいて様々な生薬を材料に、美味しく食べられることは前提である。

 だが、要するに医食同源の思想が原点。それを食事とすることで、楽しく健康に生きられるのであれば、それは薬膳と呼んで差し支えないだろう、と美智子は考えていた。

 祖父の体を気遣い、ただ美味しいと言ってもらうことを目的としていた――。

 それが美智子にとっての根源だ。

 どんな人間でも、美味しく楽しんでいただけるようにという願い。この店の膳には、それが込められている。


「――ご馳走様でした」


 しばらくあってから、厄丸は全てを平らげた。

 凄まじいまでの食事スピードだった。無礼にならない最速というか、その身体のどこにというか。

 彼は言う。


「大変に美味でした」

「ありがとうございます。店主もきっと喜びます」

「なるほど。このメニューは店長氏がご考案されたのですか?」

「ほとんどはそうです。わたしが考えて採用されたのはひとつだけで……」

「ほう。それはこのスープですか?」

「え――ええ」


 言い当てられた美智子は、少なくない驚愕を覚えた。

 さすがは薬膳探偵。薬膳に関することはお見通しということらしい。


「なぜわかったのですか?」


 好奇心から訊ねた美智子。

 だが厄丸は、小さく首を横に振った。


「いえ。それよりも、秋山さん」

「あ、はい」

「――これでは、依頼をお引き受けすることはできかねます」

「な……!? なぜですか!?」


 さきほどより勝る衝撃に、美智子は堪らず言い募る。

 よもや提供された料理が不満だったのか。いや確かに彼は美味しいと言ったはず。

 ではなぜ――?

 混乱する美智子に、厄丸はただ淡々と告げる。


「これは、貴方の本気の料理ではない」

「私の……本気の?」

「言ったはずです。貴方の最高を見せていただきたいと。それができなければ契約は不成立です」

「そ、そっ、そんな……」

「ですから今一度だけお願いしたい。今度こそ、貴方の料理を――貴方の全霊の薬膳を見せてほしいと!」


 なんて抽象的で、しかも身勝手なことを言うのだろう。

 そう、美智子は怒ってもよかったはずだ。この世には薬膳探偵以外の探偵もいる。別に、そちらに依頼し直せばいいというだけの話だった。

 けれど美智子はそれを選ばない。

 彼女にもプライドがあった。あのコースの中から美智子が考案したメニューを当てるほどの薬膳人を相手に、曲がりなりにも薬膳使いとしての自分が勝負から逃げるなどあっていいだろうか。いいやよくない。


「私の、それが義務なのです」


 厄丸は言う。


「義務……ですか?」

「ええ。これは依頼にも関わってくるお話です。さあ、貴方にとっての薬膳を、ぜひ私にご教授願いたい」

「……わかりました。そこまで言われては、私も引き下がるわけには参りませんから」


 ――しかし、果たして何を作ればいいのだろうか。

 厨房に戻った美智子の手は、頑として動き出そうとしない。迷いが、確かにそこに現れていた。


「ねえ、おじいちゃん……どうしたらいいかな?」


 そのとき、美智子の脳裏に天啓が走った。



     ※



「――完成しました。どうぞお召し上がりください。これが私の、最高の薬膳料理です」

「これは……お粥ですか」

「はい。これは生前、祖父のお気に入りだったお粥です」


 その言葉を聞いた瞬間、薬膳探偵・財前厄丸は、ほんの少しだけ悲しそうな表情を見せた。


「おじい様の好み、ですか。ですが今、貴方の目の前にいるのはおじい様ではない。薬膳探偵ですよ」

「ええ。それでも今の私にとって、貴方に出せる最高の薬膳は、そのお粥だと思いますから」

「……では」


 実食――厄丸がレンゲを持ち、そっとお粥をひと掬い、口の中へと運ぶ。

 そして、襲い来た衝撃に目を見開いた。


「こ、これは――!?」

「ええ。五穀を中心とした中華粥に和風のアレンジを施したひと品です」

「驚いた……お粥とは思えない濃厚な旨味だ。周りには、実は餡がかかっているのか……」


 美智子は微笑む。まるで、もういない誰かを懐かしむかのように。


「晩年の祖父は、あまり味の濃いものを好みませんでした」

「おじい様が……ですか」

「ええ。味覚が弱ったとしても、かといって味つけを増やすことをよしとしなかったんですね。私が作っているのは薬膳で、それは健康を食から支えるためのもの。祖父は、それをわかっていたんです」

「ですが――これは」

「ええ。だからこのお粥は、わたしのいちばん得意な――そして祖父が好きだった料理にアレンジを加え、若い方の下にも合うようにしたものです」


 それが解答だった。

 薬膳探偵が求めるものは、いつだって薬膳探偵のためにこそつくられた薬膳だ。

 ほかの薬膳では断じてなかった。


「なるほど……そして、それだけじゃない」


 薬膳探偵の呟きに美智子は頷く。


「ええ。五臓を養う五穀に、五臓を補う肉類。そして――」

「これは海松子かいしょうし……松の実だ」

「気を補い、内臓機能を調節する生薬。また脳を活性化させるとも言われております」

「なるほど……高齢者が食べるのもいいが、探偵にもまた相応しいと。そういうわけですね」

「ええ。薬膳探偵ですから」


 粥を平らげた薬膳探偵は、レンゲを置いて手を合わせた。


「見事。――貴方ほどの使い手の薬膳に巡り合えたこと、一生の宝です」

「いいえ、財前さん。いえ、薬膳探偵さん。私のほうこそありがとうございました」

「お礼など」

「貴方は私が祖父のためにばかり薬膳を作りすぎていたと気づいた。だからご忠告くださったのでしょう」

「勘違いはいけませんよ。それは素晴らしいことです。ですが貴方は、それ以前に料理人だ――いや違う。薬膳使いだ」

「そこは料理人でもいいのでは」

「薬膳使いだ」

「あ、はい。わかりました」


 ふたりは篤い、友情の握手を交わした。

 それは薬膳が繋ぐ絆だった。


 去っていく薬膳探偵を見送って、美智子は思う。


 ――私も、そろそろ前に進まないと。


 思えば祖父の介護ばかりで、多くのことを忘れていたのだ。

 それは、自己満足ではなかっただろうか。祖父は喜んでいてくれただろうか。

 孫が自分にばかり構うことを、あの優しい祖父は危惧していたではないか。


 それは、もはや祖父のことさえ見ていなかったということだ。


 だが美智子はもう迷わない。

 彼女は、立派な薬膳使いとしての第一歩を、改めて踏み出したのだから。



     ※



 ――後日、薬膳探偵・財前厄丸から一通の手紙が届いた。

 それは暗号の解読法が記された手紙だ。暗号を解くと、そこには美智子に向けての言葉が記されている。


 お粥、美味かった。


 たったそれだけのメッセージ。それを春乃進は暗号に封じて遺したのだ。

 美智子は、世話になった薬膳探偵へのお礼として、《名探偵になろう》のサイトにレビューを残すことを決めた。


 気づいたのはそのときだ。

 薬膳探偵最初の事件。いちばん初めのレビューにあった《横山山荘殺人事件》。

 思い出した美智子が検索すると、それはまだ美智子が幼い頃、春乃進が巻き込まれた事件だった。

 ――祖父と、薬膳探偵は知り合いだったのだ。


 つまりはそういうこと、なのだろうか。

 祖父が遺したメッセージの意味。

 解読を薬膳探偵に依頼したことは偶然ではなかったのだろうか。

 祖父は、そこまで知っていて、だから彼は美智子に作り直しを命じたのではないだろうか。

 今となってはわからない。

 単なる偶然でも、それはそれで構わないと美智子は思う。


 ただ、遺されたたくさんの想いを胸に抱き締め、今日も美智子は薬膳を作る――。


 食べる人が、いつまでも健康でありますようにと願いを込めて。

一個一個が長すぎてぜんぜん消化できないコレー!

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