正義の味方の味方の人たち
「――では、彼女は僕の自由にします。ええと……それで構わないですね?」
「ぐ、ち……ちくしょう!」
黒髪の少年の言葉に、金髪の男が猛るように吠えた。
そいつは、言うのところの負け犬の遠吠え。
互いの名誉に誓った決闘。その敗北者が、それでも敗北を認められずに叫んだ言葉。
誰が聞いても、その通りであった。
「俺は……俺は貴族だぞ!? この王国の誇る七大貴族が一角、ヌイセマカ家の嫡男! 次期当主だぞ!」
見苦しい囀り。それは文字通りの噛ませ犬。
傷つき、剣を取り落とし、無様に膝をつく男の声に、対する少年は落胆の声を上げた。
「だからといって、彼女を奴隷のように扱っていいはずがない。彼女は、この王国の宮廷魔術師なんでしょう? しかも、聞けばいちばんの実力者だというじゃないですか」
「それがどうしたというのだ!? 俺は偉いんだ! 偉ければ何をやっても許されるのではないのか!?」
「……話にならない……」
そう呟いた少年の手には、ひと振りの剣が握られている。
聖剣。この王国における伝説の業物。
それを所有しているという事実。それ自体が、所有者たる少年が本物の《勇者》である証明。
「――くっそお、貴様あぁぁぁぁぁぁっ!!」
それを、まるで認めないとでも主張せんがばかりに。
敗北者の青年は吠えた。そして、決闘が終わったにもかかわらず、勇者に向かって斬りかかった。
「……ああもうっ!」
それを、勇者の青年は予期していたかのように、剣のひと振りだけで防いだ。
返すように放たれたのは、相手を傷つけないよう気を遣われた剣の柄。
鳩尾を突かれた金髪の美丈夫は、それで完全に意識を失う。
「――見事です、勇者様」
その背後から声をかけたのは、王国つきの使用人のひとり。
その中でも頂点に立つ使用人長の女性だ。
「ああ。さすがは勇者様。凄まじい実力だ!」
「剣を執ったのが初めてとは思えないな」
「これなら、きっとこの王国も救われることだろう……!」
「それに引き換え、あの貴族のボンボンときたら……」
「まったく、この王国の面汚しではないか……」
観戦の騎士から口々に告げられる言葉。
それを遮るように、メイド長は勇者を連れて行く。
去りしな、勇者は少女に問う。
それは今し方、彼が助けた宮廷魔術師筆頭の少女だ。
「……では、僕はこれで」
「はい。わたしは、仕事がありますので」
救った側と救われた側とはいえ、溝がないわけではないのだ。
なぜなら、勇者たる彼を、別の世界からこの世界へと呼び寄せた張本人が、ほかならぬ少女なのだから。
それでも少女の窮地を救った勇者は、きっと善なる人間なのだろう。
それがわかっただけでも王国にとっては充分だ。
――きっと、この世界を救ってみせよう。
そう覚悟した少年は、そのままメイド長とともに与えられた部屋へと向かっていく。
場に残されたのは騎士たちと、宮廷魔術師の少女。
そしてたった今、無様に敗北したひとりの青年だけだった。
しばらくの時間があってから、少女がことのほか大きく言葉を発する。
「あ、もう大丈夫ですよ。メイド長から連絡がありました」
その言葉を最後に、騎士たちの肩からふっと力が抜けていく。
顔には笑みが浮かんでいた。それを見て取って、宮廷魔術師の少女も笑った。
「お疲れ様です。――いや、皆さんなかなか名演でしたね!」
その言葉に、騎士たちも笑いながら答えた。
「いやあ、やりゃあできるもんだよな、俺たちも! 騎士を失職したら、いっそ役者になるのも悪くねえかもな」
「バカ言ってんじゃねえよ! お前にできんなら俺にだってできらあって話さ」
「おいおい、お前その顔で舞台に立つのはなかなか難しいんじゃねえの?」
そんなやり取りを、微笑みながら聞いていた騎士団長が言葉を発する。
「はは。そんなに騎士を辞めたいのなら、私から国王に進言してやってもいいぞ。役者になりに行ったとな」
「おっと団長、そいつはやめてくださいよ! ちょっとした冗談じゃないですか! なあ?」
「そうそう! それに、今回の作戦の主演俳優を差し置いて、俺たちが役者になるのは難しいですよ」
その言葉に、反応する男がひとり。
「いや、やめてください皆さん。――どうしたか、俺の演技?」
さきほどの決闘で、勇者に敗北した惨めな青年だった。
そんな彼が、笑顔で立ち上がったのだ。
「名演でしたよ、先輩。さすが、本当に騎士を辞めて役者になった人は違います」
さきほどまで敵対していた宮廷魔術師の少女が、やけに親しげに声をかける。
それに軽く肩を竦めて、貴族の御曹司だった青年が――頭に被っていた金髪のかつらを外した。
「おいおい、皮肉か。やめてほしいな……」
「見事な負けっぷりでしたよ、実際。鍛え直したほうがいいんじゃないですか? 本気だったんでしょう」
「本気でやってもあっさり負けるからこそ俺の出番でしょ?」
「最高の噛ませ犬でした」
「役者としては褒め言葉だけど……なんだろな。あんまり嬉しくない」
そうしてまたひと笑いが起こる。
――果たして。この中に、心の底から笑えている人間が、いったい何人いるだろう。
だとしても、これだけが彼らの希望なのだ。
ならば攻めて笑っていよう。
たとえそれが演技でも、貫き通すと決めたのは、ここに集う全員の本心だ。
役者の男は、隠していた灰髪を掻きながら小さく零した。
「――さて。呼び出した勇者様は、きちんと国のために戦ってくれるだろうかねえ……」
※
その会話は、王城の最も深い場所で行われていた。
「そろそろですね……」
「ああ。俺たちに失敗は許されない。気合い入れていくぞ。……準備は大丈夫か?」
「大丈夫です、先輩。任せてくださいよ!」
気丈な呟きに、国王が小さく首肯する。
といってもそこは玉座のある大広間ではない。最も高きではなく深き。
その場所は王城の地下。そこに広がる儀式場であった。
「我がハンブルガ王国は今や滅亡の危機に瀕している」
儀式場に集まった面々に対し、ハンブルガ王国国王モイ=マクダーネルズ七世が重々しく告げる。
ハンブルガ王国・首都《モス》の都。
今、この土地には国中から実力のある戦士や魔術師、冒険者が集められている。
「魔大陸からの魔族の侵攻。魔王を討滅し、この状況を打破するためには、もはや異界の勇者に縋るしかない」
「……申し訳ありませぬ、国王様。我々が不甲斐ないばかりに……っ!」
歯噛みするように、大臣が自らの力のなさを嘆く。
それは、ここに集う兵たち全員が共通して抱く想いだった。
だが国王は、鷹揚に首を横に振って。
「よい。それ以上言うな」
「国王様……!」
「むしろ我輩は誇らしく思う。次元違いの強さを誇る魔王を相手に、それでも――こんなにも多くの国民たちがまだ王国のために立ち上がろうというのだから! 我輩は、それを誇りに思おうぞ!」
そこには、国の王がいた。
国政を担う大臣がいた。
国家のために剣を振るう騎士がいた。
宮廷を守護する魔術師がいた。
冒険者として前線で戦い続ける戦士がいた。
古の資料を読み解く学者がいた。
補給と輸送に携わっている商人がいた。
民に希望を与える役者がいた。
その全員が――例外なく王国存続のために立ち上がった勇者であった。
そうでありながら、けれど彼らは決して主役にはなれない。
この国の――いや違う、この世界の人間では、決して魔王には敵わない。
それは、たとえるならそういう風に設定された物語であるかのように。
次元が違う。立っている土俵が違いすぎる。
王国の戦力を総動員したところで、きっと魔王に傷ひとつつけられないはずだ。
この状況を打破する方法など、もはやひとつしかあり得なかった。
「……すまない。我輩は、皆に捨て石になってもらうほかない」
「構いません」
そう答えたのはひとりの男。
彼は役者だ。決して戦闘を生業とする人間ではない。
もちろんひとりの男として、相応に戦う力は所有している。けれどもそれは、騎士や魔術師、冒険者といった本職には及ぶべくもない程度。
それでも、この《作戦》になくてはならない男だった。
「国王様。我々は、全員が望んでこの場に立っているのですから。捨て石だろうと噛ませ犬だろうと構わない――この国を守る方法は、もはやそれ以外にないのですから」
「先輩が言った通りです」
受けて、その隣に立っている少女が言う。
宮廷魔術師筆頭。その座につく、若き俊英もまた、今回の作戦の最重要人物。
なにせ異世界から勇者を召喚する、その張本人なのだから。
「――次元を異にする魔王には、同じ次元に立てる異界の英雄を呼び出す以外にありません。けれど、古の記録や、魔術によって判明した多世界記録の中には、召喚した勇者当人に国を滅ぼされた例も少なくない」
強大な魔王を倒すために、強大な勇者の力を借りる。
それは、言葉通りの諸刃の剣だ。敵に回ってはそれこそ世界が終わる。
だからこそ、その手綱は完全に握っておく以外になかった。
そいつは裏切りだ。
こちらの都合で勝手に呼び出した勇者を、こちらの都合で騙し通そうという最低の行為。
だとしても――それ以外に、世界を救うすべはない。
「せめて勇者様には、気持ちよく、物語の主人公のように戦ってもらう。そのために俺たちが勇者を騙し通す」
勇者がこの世界を救いたいと思うように。
そのために強くなれるように。
その道筋を全て、脚本通りに進める――それは一世一代の大芝居。
あらゆる人間が役者として、勇者の周りを固めて強化/操作しようという大作戦。
舞台は王国。役者は国民。そして主演は異界の勇者。
魔王討滅までのシナリオを完璧に進めようという、それは王国全土を巻き込んだ大劇場の大公演。
ゆえに灰髪の青年は呼ばれたのだ。
この国で最高の役者として。勇者を、必ず魔王討伐まで導く者として。
「――王国の全てを使って勇者を主人公に仕立て上げる。この国をひとつの物語にする」
それが、青年の目的だった。
ゆえに――、
「まずはいけすかない噛ませ犬の貴族として勇者に負けるところから始めるぞ」
「わたしが虐げられていて、それを助けるかどうかがまず見るべきところですよね」
「ああ。できれば善人であってほしいんだが……そのほうが、騙すのは心苦しいかもな。といってもやるんだが」
「では――召喚を行います。その前に、先輩の目の色を魔術で変えますね」
「頼む」
こうして変装し、ただの役者から《いけすかない貴族のボンボン》になった青年。
彼が、勇者に決闘を吹っかけるところから、この王国の――勇者の冒険の物語は始まるのだ。
※
「へへ。あなたが例の勇者様ですか」
青年は変装をして、旅立った勇者に声をかける。
「そうですが……あなたは?」
「いや、あっしはしがない商人でさあ、へへ。ちょいと勇者の旦那に頼みがありましてな?」
「それは構いませんが……えっと、頼みというのは?」
人のいい勇者に、青年は告げる。
「いえね。なんでも近隣の村に、魔物の巣ができてたって話なんでさあ」
「なるほど。それで僕に討伐を頼みたいと」
「へへ……さすが勇者様、お話が早くていらっしゃる。もちろん謝礼は幾許か……」
「まあ、そのくらいなら喜んで。君も構わないよね?」
勇者は問う。仲間として旅だった、宮廷魔術師の少女に。
「はい、もちろん。勇者様がお望みであれば」
「では引き受けます」
「ははあ。いやあ、思い切ってお頼みした甲斐がありましたぜ……」
青年はもちろん少女には視線さえ向けることがない。
だが勇者の少年は、そんな青年を見て、ひとつだけ訊ねた。
「ところで。不躾な質問だったら申し訳ないのですが、ひとつだけ訊いてもいいですか?」
「なんでしょう? いえいえ、気にせずなんでも訊ねてください」
勇者は問う。
「――もしかして、どこかでお会いしたことがありませんか……?」
青年は答える。
「いえいえ。あっしのような下働きの商人は、高貴な方々にはとんと縁がなく。――初対面ですぜ?」
っていう長編を考えていたんですが、書く暇がないので没供養です。




