姪探偵マイちゃん
警察官である俺、新島名太郎がその不気味な孤島に到着したとき、すでに駐在警官の二本松熊五郎によって事件の主要な容疑者たちが屋敷に集められていた。
海千山千の百戦錬磨を自負する俺だったが、この事件には初めから、どこかきな臭いモノを感じざるを得ない。
それは島の富豪であり、被害者の近松金左衛門の住まいだというこの《松切屋敷》が持っている、ある種の瘴気ともたとえられるような独特の凄惨な雰囲気のせいだったのかもしれないし、あるいはこの《南浪島》自体が持つ、古い因習に囚われた魔的な感覚のせいだったのかもしれない。
「昨日、屋敷に近づいた人間はこれで全員です」
「熊さん」
熊さんといっても森に住んでいるわけではなく、これは駐在の二本松さんのあだ名だ。
刑事で熊五郎なら、あだ名は熊さんに決まっているのである。
「この中に、事件を起こした犯人がいるんだな……」
すでに熊さんの手によって、ひと通りに事情聴取は済んでいた。
俺はこの島に来るまでの船の中で、事件のあらましについて学んである。
概要はこうだ。
今朝七時前、この松切屋敷の主人である金左衛門氏が、何物かによって殺されているのが発見された。
第一発見者は、金左衛門氏の妻である芳江夫人。日課である狸の狩猟、というか害獣駆除にいつも朝五時には向かう金左衛門氏が、この日に限って起きてこなかった。
不審に思った芳江夫人が金左衛門氏の自室に向かったところ、ベッドの上で心臓をひと突きに刺殺されている金左衛門氏の遺体を発見したという。
先んじて向かっていた鑑識によると、死亡推定時刻は昨夜の零時から二時の間。
その間、屋敷に立ち入ることができた人間は、同じ日に金左衛門氏によって開催されていたパーティーのしょうたいきゃくだけということがわかっている。
よって、容疑者は以下のリストに絞られる。
・近松芳江――金左衛門の妻
・近松門太郎――金左衛門の長男
・近松織枝――金左衛門の長女
・近松毬絵――金左衛門の次女
・近松シルヴィエ――金左衛門の三女(養子)
・遠山権左衛門――近松家の庭師
・遠山=メルシヴィエール=クラリエッタ=パンタロン=夏子――近松家の家政婦、権左衛門の妻
・新島芽衣――毬絵の友人
・向坂舞――芽衣の友人
「なんか、ややこしい名前が多いな」
「そういうこともあります。偶然でしょう」
「そうか……」
熊さんは頼りになる相方だった。
ともあれ、俺は嫌な予感を感じつつも、事件の容疑者たちに会いに行く。
彼らは屋敷に大広間へ、一堂に集められていた。
※
「さて、皆さん」
というお決まりの表現がある。
もっぱら推理小説において、探偵役が関係者全員の前で、己の推理を披露するときに使う言葉だった。
俺はミステリが嫌いではなかった。警官の仲間には、よく小説の中で無能扱いされるからと嫌う人間もいたが、俺はそうは思わない。
だから、このときもなんとなく、「さて、皆さん」の言葉から話を始めようと思っていたのだ。
できなかったが。
――先に言われてしまったのである。
「警察の皆さんもいらっしゃったことですし、ここでわたしの推理を披露したいと思うのです。そう――謎は全て解けた!」
それを言ったのは、向坂舞という女子高生の少女だった。
高校生探偵なのだろうか。
いや、そんなことはどうでもいい。警察らしく、俺は彼女を止めに入る。
「ちょっと」
「なんですか、今いいところに入るところなのに」
「まだいいところじゃないだろう。ならいいじゃないか」
「いいですけど……で? なんです?」
「態度でかいな君。いやね。素人探偵気取りで事件を掻き乱すのはやめてもらいたいのだ」
「いやでも犯人わかりましたし」
「俺が来た意味がないんだが。まだ捜査してないんだが」
「知りませんよ、そっちの都合なんて」
「せめてそういうことは警察に……」
「いやでもお約束的にそれはできないっていうか。わたし、ほら、姪探偵ですので」
「名探偵」
「いえ。姪探偵です。アクセント」
「姪探偵」
なんだそれは。そんな言葉を寡聞にして俺は知らない。
「それとこれとなんの関係がある」
「警察は名探偵の推理を邪魔をしちゃいけないんです」
「君は姪探偵であっても名探偵ではないんだろう」
「あれあれ、いんですか? そんなこと言っちゃって」
「何がだ」
「わたしが誰の姪かもまだ聞いてないのに」
「誰のだ」
「警視総監です」
俺は黙った。
警察は探偵の推理を邪魔してはいけないのだ。
「さて――皆さん」
姪探偵マイはもう一度そう言った。
言いたいだけかもしれない。
「皆さんは、被害者の金三郎氏が」
「金左衛門だ」
「失礼。金左衛門氏が残した最後の言葉に、どうやらお気づきではない様子」
「まさか」
ざわ、と一堂の間に衝撃が走る。
「そう――ダイニングメッセージです」
「ダイイングメッセージだと!?」
一堂の間に衝撃が走る(五秒振り二回目)。
ちなみに、姪探偵マイの間違いには誰も突っ込まなかった。
姪探偵マイは間違いをなかったことにして続ける。
「では実際に、ダイイングメッセージを見に行きましょう。そう。ダイイングです、ダイイング。ダイニングじゃないですよ」
被害者の部屋に向かった。
もちろん遺体はすでに運び出されている。
だが、現場の状態はしっかりと保存してあった。
「これです」
と姪探偵マイが示した先には、確かに血の痕が残っていた。
というか血だった。血だまりだった。なんならほぼほぼ乾いていた。
「血だな」
「いえ、ダイイングメッセージです。いや血ですが」
「血じゃないか」
「血ですけど。よく見たらメッセージに見えるでしょう? ほら、こっちから――」
丸みを帯びた血だまり。
まあ、なんというか、よくよく見れば絵のように見えないこともないこともなくはないくらいの勢いならば僅かながらないこともない。あれ今どっちだ?
「これがダイイングメッセージです」
「なんて書いてある」
「なんてって……見ての通りですよ……なんの絵かわかりません?」
「しいて言うなら――」
赤いが、もしこれが青ければ。
なんだろう。あの、有名な国民的な、あの……。
「ドラ――」
「狸です」
姪探偵は断言した。
「いや、あれは狸じゃなくて猫……」
「アレとか知りませんし。なんですかそれ。これは狸の絵です」
仕方がないのでそういうことになった。
「しかし、狸と事件にいったい何の関係が……」
「狸と言えば狡猾ということです。そう、つまり犯人は金狐氏の」
「金左衛門」
「失礼。金左衛門氏の遺産を狙っていたということ。つまり犯人は芳江夫人、貴女です」
「な――なんですって!!」
夫人は叫んだ。そりゃそうだろう。
「私が主人を殺すだなんて……そんな、そんなこと……」
「話は署でゆっくりと聞きましょう」
首を振る姪探偵。いや、お前は来ないだろう。
だが姪探偵の華麗な推理によって、現場には安堵の空気が流れていた。
これで解放される。そんな感じだった。そんな馬鹿な。
「待ちなさい!」
だが、そこに静止の声がかかる。
声を上げたのは、長女である織枝さんだった。
「なんですか、事件は解決を見たんですよ」
首を振り振り呟く姪探偵マイに、織枝さんは食い下がる。
「母さんが犯人のはずないわ! このダイイングメッセージは、もっと簡単なことを示しているのよ!」
「なぜあなたにそんなことが」
「なぜなら私は鳴探偵だからっ!」
「鳴探偵」
「そう。私には動物たちの鳴き声が言葉としてわかるの」
「なんと」
「山の狸たちが言っているわ。犯人は――貴女よ、毬絵」
「なんですって」
ざわざわしてきた。
「貴女は遺産を貰えない――なぜなら貴女は、私の本当の妹ではないのだから」
「急展開」
「貴女の本当の両親は、そこにいる遠山さんご夫妻。貴女は近松毬絵ではなく遠山毬絵だったのよ。近くなかったのよ遠かったのよ。そのことを知った貴女は遺産が貰えなくなることを恐れ父を殺したの。違う?」
「そんな織枝姉さん」
「私は姉さんじゃないのよ毬絵」
「芳江母さんも何か言ってよ!」
「今まで黙っててごめんね、毬絵……」
もう誰が何だかようわからん。
だが、そこで追い詰められた毬絵が叫んだ。
「違うわ! わたしは、本当の犯人を知っている!」
「悪あがきを」
「本当よ。ていうか獣風情の言うことを信じるとかあり得ないからマジ」
「獣風情って」
「黙っていたけれど――わたしは本当は命探偵。命探偵マリエだったの」
「命探偵」
「そう。わたしには消えゆく命の声が聞こえるの」
そっかー。
「死んだ命が言っていたわ。犯人はシルヴィエ、貴女よ」
「そんな」
シルヴィエは青褪めていた。
俺は冷めていた。
「死者は嘘をつかないわ。さあ白状なさい」
「そんな薄情な」
「駄洒落を言っている場合じゃないわ」
「あたしじゃないわ。そんなこと誰に訊いたって言うの!? 死んだ父様!?」
「が、駆除した狸の魂よ」
「そこは本人に訊きなさいよ」
「いや人間は無理だから……もっと、なんか動物とかじゃないと……」
「さっき獣風情がどうとか言ってた癖に」
「言ってない!」
「言いましたー。あたし聞きましたー」
「きぃー!」
「つーか父様めっちゃ狸駆除してたんだから! 狸に訊いても本当のことなんか言わないわよ! 恨み骨髄でしょ!!」
「盲点」
「そしてあたしには本当の犯人がわかっているわ! なぜならあたしは迷探偵シルヴィエ」
「迷探偵」
「そう。勘で犯人を当てるのだわ」
「勘」
ああ、ついに来たかー、と俺は思った。
もうどうでもいい。
「犯人は刑事さん――あなたよ」
「ええ、こっち来るの!?」
俺はさすがに驚いた。まさか俺が疑われるなんて。
適当だった地の文が活力を取り戻していく。
「俺はさっき島に来たばかりなんだが……」
「そう見せかけたのでしょうね。なるほど大胆なトリックだわ。でも、このあたしには通じない。あなたが島の関係者だという証拠は残っているの」
「なんだって」
「この島の名前は《南浪島》だわ。これは読み方を変えると《なろう島》とも読める」
「だから?」
「そして刑事さんの名前は《名太郎》。ここでダイイングメッセージに着目してほしいの。狸……そう、つまり《た抜き》! 名太郎からたを抜いたら」
「なろう」
「つまりあなたが犯人よ」
「なんでや」
「あとほら苗字に島って入ってるし」
「だからどうした」
――ちなみに《松切》は《小説》とも読めるわ!
そう自信満々にシルヴィエは言う。クッソどうでもいい。
「待ちなさい!」
だがそこでさらに静止がかかった。
口を開いたのは、姪探偵マイの友人である新島芽衣だった。
「兄さんは犯人ではないわ」
「兄さん!?」
「そう。私は新島芽衣。そして刑事は新島名太郎」
「まさか……兄妹だと言うの!?」
「そうよ。そして私の正体は妹探偵。妹探偵メイだったの」
「妹探偵」
「犯人は兄さん以外の誰かよ!」
「身内を庇っただけだ……」
「じゃあ犯人は権左衛門ってことで」
「じゃあって」
「動機はもうなんか名前が似ててウザいとかでよくない?」
「斬新」
「近松金左衛門と遠山権左衛門……どこで差がついたのか。むしろどこに差が?」
「ならあたしだって芳江母さんや織枝姉さん、毬絵姉さんを殺してるかもしれないじゃないの」
「いやシルヴィエはあんまり似てないから」
「そんな」
「むしろ遠山=メルシヴィエール=クラリエッタ=パンタロン=夏子のほうが」
「似てない! あと夏子さん名前長すぎ」
「そんなこと言われてもぉ……」
「待たれよ」
さらに来た。遠山権左衛門だった。
「黙っていたが、実はぼくはモブ探偵」
「モブ探偵」
「犯人は門太郎くん、君だ!」
「どうして僕が」
「実はあのダイイングメッセージは狸ではなく猿なのだ」
「猿」
「そして君は名前が猿っぽい」
「猿っぽいて。いや、どっちかっていうとこの絵はパンダに似ている」
「パンダ」
「だから犯人は遠山=メルシヴィエール=クラリエッタ=パンタロン=夏子さんだ」
「なんだとこの猿」
「猿じゃない。だってほら、パンダロンだし」
「パンタロン!」
「似たようなもんだろ!」
「ぜんぜん違う!」
「黙れモブ」
「なんだと猿」
ヒトが罪を押し付け合う様子は、なんと醜いのだろう。
事件は迷宮入りの様相を呈してきた。
そのときだった。
鑑識から、俺の元に連絡が入ってきたのは。
※
「……嫌な、事件でしたね……」
帰りの船の中、そう呟く姪探偵マイに、妹探偵メイが頷く。
もう何がマイだかメイだか。
「ええ。まさか熊さんが犯人だったなんて」
「ペットの狸を間違って殺された恨みですか……恐ろしいですね……」
「あのヒトは狸っぽかったものね。顔」
「熊さんじゃなくてポンさんだったんですね。二本松だから」
「ぽんさん狸殺人事件ね……」
「いい名前です……」
こうして事件は解決した。
その後、俺は警視総監の姪である舞の父の姉であり警視総監の妹でもある女性と結婚し、舞が義理の姪になるのだが、それはまた別の話だ。
姪探偵マイちゃんの事件簿は、まだまだ続いていく――。
「ジャンルは?」
「ミステリ」
「喧嘩売ってんのか、お前」