陰陽師ラブコメみたいな話
――中学時代、あだ名が一時期《マ〇ニー》だったことがある。
そう俺を揶揄した阿呆にいちいち報復していたわけでは決してないが、それでも程度が過ぎれば相手の眉に膝をブチ込むことも吝かではなく。
そのためかそのせいか、荒れていた俺には「マ〇ニー感がない」という理由ですぐ廃れた。マ〇ニー感ってなんだ。
ともあれそれ以来、俺は苗字で呼ばれることが多くなった。
確かにまあ、名前よりは苗字が俺は気に入っている。それは比較の問題で、絶対的に言えば正直あまり苗字も好きではなかったのだが、からかわれるならともかく、普通に呼ばれているだけで怒っては理屈に合わない。筋が通らない。
別段、曲がったことが嫌いだ、なんて言わないけれど。
それは俺が、曲がっことにも曲がっているなりの筋が通っていると思うからだ。
筋の通らないことは、概して俺は好きではなかった。
さて。
しかし《筋が通っているか否か》という問題を、俺が個人で判断することは酷く難しいことだ。
場合によっては、それは独善に繋がる。そいつはそれこそ筋違い。陽にも一点の陰が含まれているし、その逆も然り。
こいつは実に難しい問題だ。
理不尽に、ただ理不尽だと怒鳴ることはできないということ。
というか自分にとってそれが理不尽だと感じられることであればあるほど、平静で客観的な判断は難しくなる。
そういうとき、俺は、どうするべきなのか。
「――……いや本当、どうしろって言うんだっつーの……」
そいつがまさに俺が今、直面している問題だった。
目の前で、正座をして座る女は言う。
「言ったでしょ。どうしろもこうしろもない。従ってもらうっていう通達に私は来たの」
「そいつに筋が通ってりゃの話だ、それは。今のところ俺はまだ、その判断を下せていない」
自宅だった。その応接間に俺はいる。
高校二年に進学した俺の日常は、もっぱらのところ平穏だ。もう少し刺激があってもいいと思うコトは事実だが、何も波乱に満ちた生活を送りたいとまでは思っていない。
つまるところが迷惑だ。
そりゃそうだろ?
いきなりやって来た見も知らぬ女に、結婚相手になれと命じられるなんて――。
そいつはちょっと、なんつーか、スパイスが効きすぎているってもんだ。
「だいたい……えーと? あー、すまん。なんつったっけ、お前?」
「――倉橋。倉橋泰奈。さっき名乗ったでしょ、もう忘れたの?」
「ああ、そう。予想外が多いもんで、すまんね。で、倉橋。俺とお前はどっかで会ったことがあったかね」
「なくはないんじゃない? 一応は親戚筋だし。まあぜんぜん覚えてないけど」
「初対面も同然ってことで、そいつはいいんだよな」
「そうね」
「……なるほど。じゃあそこはいい。で、なんだ……お前は俺に惚れてるってのか?」
「はあ?」
目の前に座る女は、酷く見下した目を俺に捧げた。
嫁入り道具にしちゃあ気が利いていないぜ、まったくな。
「なんで初対面も同然の相手に惚れられてると思うわけ? 意外と自分に自信があるのね、あんた」
「……まあ怒らないでおいてやる。じゃあ確認が済んだところでもう一度訊くぞ。お前は俺に、結婚を申し込みにきた。そうだな?」
「結果的にはそうね。けど正確には違う。私は、言ったでしょ? 決定事項の通達に来たの」
「俺とお前が結婚することは決まっていることだと」
「許嫁ってわけじゃないけどね。家からの命令なんだから似たようなものでしょ。正確には子を為すことが大事なんだけど――まあ、私だってそこまで覚悟決まってるわけじゃないから。その辺りは勘弁ね」
「勘弁してほしいのはこっちだぜ……」
遠縁(分家筋がどーたらこーたら)を名乗る同い年の女が、いきなり訪ねてきて結婚を迫る。
素直に喜ぶには問題が多すぎたし、そもそも俺は素直ではなかった。
「なんで納得してんだ、お前は。この平成の世で、そんな親からの命令みたいなもん通らねえっつーの。嫌なら無視しとけ」
「嫌だなんて言ってないでしょ別に。私には私の役目があって、家を――いえ、陰陽の血統を守るためにはやむを得ない。なら私は納得するわ。――第一」
倉橋はこちらを睨んで語る。
その目には、ああ。確かに見覚えが俺にはあった。
「あんたも陰陽師なら――その一族の血を引く者ならわかるでしょう」
「……なあ」
「何? それとも陰陽師の癖に、それも阿部氏嫡流のあんたにその程度の覚悟もないと――」
「いいから聞け。――いいか、俺はそもそも陰陽師じゃねえ」
さっきからこの女は何を言っているんだ、という話だった。
陰陽師。確かに、ああ、日本人ならおおむね知っている言葉――というか役職だろう。
だがそんなもん何百年前のことだっつーお話。今の世の中で食っていけるお仕事じゃねえっつの。
「な――は? 陰陽師じゃ……ない? あんたが?」
俺の言葉に、倉橋は驚いたようによろめいた。
俺からしてみれば、現代において真面目に陰陽師を名乗る倉橋のほうが変わっている。
「俺は俺だ。肩書きで言やあ単なる高校生でしかねえよ」
「ちょ、ちょっと待って……待って。嘘でしょ? よ、よりにもよって、あんた……ええと。はるさめだっけ?」
「そんなヘルシーな名前じゃねえ」
まあ確かに、そのせいでマ〇ニーなんてあだ名になった過去もあったが。
そもそも春雨とマ〇ニーじゃ原材料からして違えだろ、と。
ていうか、俺の名前もまず春雨じゃねえよ、と。倉橋だって覚えてねえじゃねえか。
「俺は晴雨だ。晴れた雨っつー矛盾した文字列で晴雨」
「そ、その……あんたが。あの晴明の血を引く嫡流、土御門家の次期当主が……陰陽師じゃ、ない?」
「まあな。つーかそもそも本当に血を引いてるのかどうかわかったもんじゃねえ」
俺はそう答えた。
土御門晴雨、なんてご大層な名前で恐縮だが、陰陽道なんざ齧ってもない。
うちはもう、爺さんの代でそういうのとは別れたのだ。
「……じゃ、じゃあ陰陽師としての訓練は」
もはやこの世のものではない何かを見るような目で、倉橋が問う。
少し申しわけなくも思ったが、かといって俺のせいにされても困るという話。
筋は、通している。
「もちろんやったことねえよ。中学んとき陸上ならやってたけどな。短距離だったわ」
「ちょ、ちょっとくらい……式くらいは使え、」
「は? なんで急に数学の話?」
「――終わった」
正座で堪えていた倉橋が、ついに姿勢ごとくずおれた。
なんかもう、ちょっと哀れに思えてくる。
「け、計画が……別れていた陰陽道の血を合わせ、再び家系を立て直すために、なのに……そんな。あわよくば乗っ取ってやろうという壮大な目標が……!」
「今さらっと恐ろしいこと言わなかったか? まあどうでもいいが」
「……いや待って。むしろチャンス? 要は血さえ取り込めれば問題ないのでは――」
「おい待て」
ぶつぶつ呟く倉橋を止める。
俺がなぜ、ここまで話に付き合ってやったと思っているのか。
「さっきからぽろぽろ口に出してるが、そいつはさすがに筋が通らんだろ」
「……筋?」
「ああ。要するにお前の――倉橋の家は今も真面目に陰陽師をやってて、その零細企業っぷりを立て直すために同じ陰陽師の家系だった俺を訪ねた。そうだな?」
「……まあ、認識はあってるよ。零細企業って言い方はどうかと思うけど」
「だが、当のこっちはとっくに陰陽師は廃業してる。うちがまだやってたなら家の命令を、理不尽でも聞かなきゃなんねえってことはあったかもしんねえな。だが、そうじゃないなら話は違え。その判断は俺の責任で下していい箇所だ」
「あんた……」
話は終わりだ、と俺は立ち上がる。
そんなこちらを、ぽかんとした表情で倉橋は見上げた。
「尖った見た目の癖して、意外と考えてるのね」
「褒めてんのか? 貶してんのか。どっちだ、倉橋?」
「あ、えと……ごめん。別に貶すつもりはないです。えーと……晴雨」
そう呼んでいいか、と視線で訊ねてくる倉橋。
筋は通った。なら構わない。
「そういうことだ。さ、そろそろ帰れ。途中までは見送ってやるよ、泰奈」
「……え、でも、どうしよ。今日帰るなんて想定してない……てっきり話が通ってるって……」
お前のほうは、はきはきしてた割に意外とぽんこつじゃねえかと。
そんなことを思いつつ笑う。
俺を追って立ち上がろうとした泰奈が、足を縺れさせて転びかけたからだ。
「あ、ああっ……足、痺れ……っ! あ、つー……っ!!」
「……わかった、治るまでは待たせてやる。構いもせず悪かったな。今、茶くらいは淹れてきてやる」
小さく笑ってから、俺は客間の障子戸に手をかけた。
――泰奈が鋭く叫んだのはその瞬間だ。
「待って! ――待って、晴雨!」
「あ? まだなんか用が――」
「そこ! 誰かいる、下が……ああもうっ!」
手をかけていた障子戸が倒れたのは、その瞬間だった。
いや、倒れた、というのは単なる結果論だ。それ以上の異常としてまず、燃えた、という点を認識すべきだろう。
「うおおっ!?」
咄嗟に手を引いて後ろに下がる。なんだこの自然発火現象は。
崩れる障子戸。ぼろぼろの灰になって開けた視界の先に、黒尽くめの人影を俺は見た。
「……なんだそりゃ。今日は来客の多い日だな、おい」
「下がって、晴雨! そいつ――陰陽師だ!」
後ろからは泰奈の言葉。
そして同時に、前の黒尽くめも言葉を発した。
「……お前が土御門春雨だな?」
「――――」
「恨みはないがお家のため。その身柄、ここで拘束させてもらう」
逃げて! と叫ぶ声が後ろから聞こえていた。
俺はほんの一瞬だけそちらを見る。
慌てた様子の泰奈は、咄嗟に、印を切る忍者みたいに二本の指を立てて。
そこで前に視線を戻すと、黒ずくめのほうも同じことをしていた。
黒尽くめは言う。
「臨――」
その瞬間、俺は前に一歩を踏み出す。
そして両手をぱん! と閉じて猫騙しを敢行した。
びくっ! と目の前の黒尽くめが隙を見せる。喧嘩慣れしていなさそうな立ち振る舞いだった。
そのまま俺はさらに前へ。
黒尽くめの、黒に隠された顔面に、俺は思いっきり足を蹴り入れた。
「――うるせえし遅え」
「ふぎゃっ!?」
「住居侵入だぞ。名前が違う。ここは春雨さん家じゃねえ。筋が通らんぞ、知らない人」
そのまま、黒尽くめは後ろ向きに倒れ込んだ。
廊下から足を踏み外し、庭に向かって背中から倒れ込んでいく。
「――ふにゃっ!!」
という、なんか潰れたみたいな声が響いた。
そして――それきりだった。
「う、嘘ぉ……」
振り返ると、そこには呆然と二本指を立てて佇む泰奈。
足の痺れは忘れたのだろうか。まあいい。俺は彼女にこう訊ねた。
「なあ泰奈、お前、スマホ持ってねえ?」
「す……須摩保?」
そういう陰陽道の用語がありましたっけ? みたいな発音だった。
ねえよ。知らんけどたぶん。
「スマホだよ、スマホ。スマートフォン」
「えっと……なんで……」
「あ? 決まってんだろそんなもん」
埒が明かない。俺のスマホは、確か自室に投げたままだ。
それを取りに行くか――ああいや、一階の固定電話のほうが近くにある。
「な、何しに……どこ行くの?」
さらに訪ねてくる泰奈に、俺は当たり前のことを答えた。
「いや。――警察に通報するに決まってるだろ」
足の痺れを忘れた泰奈に、それだけはやめろと必死で止められた。
意味がわからない。けれどその必死さに、理由だけは一応聞いてやろうと俺は思う。
ああ、まったく。陰陽師ってのは、面倒な仕事らしい。
陰陽師でもないしラブコメでもないという始末。
まあ「みたいな」だからね。仕方ないね。
……俺が書いたら、なんでかこうなっちゃうんですよねえ……。




