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第二十二話 羽ばたけフレッシャー! ネガティブ乱舞

 ここはとある地方都市。一見のどかで平穏な町だが、度々悪の影が忍び寄る。

 悪の権化を排除し、平和を地に取り戻す者。それが、我らがヒーロー。我らがご当地ヒーローなのだ!


「ぐわっははは! もっと恐れおののけ、人間どもよ!」

 町随一の憩いの場である公園に、下品な笑い声が響き渡る。

 声の主はクラブソルジャー。頭部と左腕は人間のものでありながら、右腕の代わりに巨大なカニのはさみを持つ、悪の組織『ダークグローリア』に属する怪人である。漆黒のマントをなびかせながら、人々を恐怖のどん底に追いやっていたはずだったのだが。

「……このように、わざと威圧的に声を上げることで人間どもの恐怖心を駆り立て、抵抗する意欲をそぐのが基本。これは、怪人として職務をこなす際には欠かせないことだ。わかったか、デス・バタフライ」

「は、はい。クラブソルジャーさん」

 現在カニ怪人の隣には、緊張した面持ちの若い男が立っている。すらりとした長身で、どこか憂いを帯びたハンサムな二枚目。軽やかなダークバイオレットの衣を身にまとう姿は何とも美しく、一見するとモデルのようにも思われる。だがこれでも、れっきとしたダークグローリア所属の怪人だ。

 デス・バタフライ。最近生まれたばかりの新入り怪人。名が示す通り、彼の背には蝶を連想させるような巨大な羽根が生えている。それは鈍色と黒を基調としており、ドクロにも似たおどろおどろしい模様が浮かんでいた。

「ふう。我もとうとう、このような任務を任せられるほど重用されるようになったか」

 クラブソルジャーは今回、新人であるデス・バタフライの教育を目的としてここに派遣されていた。

 新人教育はのちの人材の質に関わる重要な問題。それを総裁直々に申しつけられたのだから、これは気合を入れずにはいられない。何としても、期待に沿わなければ。

 生真面目なカニ怪人は非常に躍起になっていたものの、それが異常な忠誠心が仇をなした考え過ぎであることはもはや通例である。彼がこの任務を賜ったのには、ある別の理由があった。

「わかりました。わかってはいるんですけど」

 デス・バタフライはボソボソ呟いたかと思うと、途端に目を伏せてうつむく。

 それを見たクラブソルジャーはいささか戸惑いながら、その整った顔をのぞき込んだ。

「ど、どうした。どこが具合でも」

「いえ、まだ具合は悪くないんですけど。まだ……」

「まだ? まさか、具合が悪くなるような予定があるなど」

「具合が悪くなるどころではないでしょう!」

「は⁉」

 いきなり肩をガッと引っ掴まれ、クラブソルジャーは目を白黒させる。

 新人はそんな先輩を揺さぶりながら、ヒステリックに叫んだ。

「僕なんて、量産性の出来損ない怪人なんですよ? ヒーロー達が来たら、どうせ瞬殺されるに決まっています。具合がどうこうで済まされる問題などでは」

「お、お、落ち着け。お主は決して、出来損ないなどでは」

「いいえ! 僕の身体を見て下さいよ。この無駄に大きな羽根。動きづらくてかないません。しかも、この羽根から出る鱗粉でアレルギーまで起こして、僕は生まれてこの方ずっと鼻炎気味なんです。殺されるでしょ、こんな奴。僕は残念な奴なんです!」

「だから、そ、そ、そんな、ことはっ」

「しかも、クラブソルジャーさんと違って、僕にはこれといった武器も与えられていないんですよ。この細く軟弱な身体で、どう太刀打ちすればよいものか。ああ……お先真っ暗です」

 そう。このデス・バタフライは、異様なまでにネガティブな思考回路の持ち主なのである。

 これまで何人ものベテラン怪人が彼の教育を受け持ってはみたのだが、誰もがこの絶望的なマイナス思考に悲鳴を上げ、職務を投げ出したのだ。その非常事態の報告を受けた総裁が「うーん。困った時にはクラブちゃんっしょ。美味しいラーメン屋さんを知ってるくらいだし、大丈ブイ!(意訳)」と発言したせいで、クラブソルジャーにこの難役が回るはめになったのだった。

「や、やめっ……ちょっ……うぐう。頼むから放して……」

「あ、す、すみません。僕としたことが」

「ううっ」

 ようやく地獄のヘッドシェイクから解放されたクラブソルジャーは、真っ青な顔で二、三歩よろめきベンチの方に崩れ落ちる。

「そ、それのどこが虚弱なのだ。こんなに強く揺さぶりおって……うええっ!」

 そして、滅多打ちにされた三半規管が絶叫し、激しくえずいた。

「はあ……はあ……あああっ。目、目が回る。ううう、頭がズキズキと」

「そうですよね。こんな出来の悪い新人の教育を押しつけられては、しんどさのあまり体調不良の一つや二つ引き起こしますよね。ああいっそ、迷惑をかける前に殺虫剤を頭から被って自ら」

「こんなことで自刃などせんでよろしい。しかし、噂には聞いておったが、まさかここまでとは。二重の意味で頭が痛むというか」

「そこまでだ、怪人!」

「う……?」

 どこからともなく、高らかな声が飛んでくる。

 振り向くと、そこには逆光に照らされたいくつかの影が差し込んでいた。

「やはり来たか……うっ」

「来たって、あれがヒーローという奴ですか?」

「ああ、そうとも。あれが憎きヒーローが現れた合図だ」

「そうか。僕にもとうとう命日が。せめて速やかに天に昇れるよう、お経でも。ハンヤーホーリャーメーリャー」

「自分で自分に唱えるな! しかも、これまたいい加減な」

「俺達が出てくる前にコントなんてやってんじゃねえよ……とうっ!」

 どういうわけかは一切不明であるが、謎のBGMが流れてくる。そして、それと同時に影の持ち主が正体を現した。

 腕に特殊なブレスレットを光らせ、シャレていながらも高性能であるスーツを身に着けている。仮面をつけ、素顔を隠したヒーローが、その名を地に轟かせる!

「正義の戦士、トロワーレッド!」

「勇気の戦士、トロワーブルー!」

「博愛の戦士、トロワーピンク!」

「「「三人合わせて、トロワーファイブ!」」」

 いつものように、しっかりとヒーローらしくポーズを決める三人。だが、当の怪人達は、そちらの方になどさほど注目してはいなかった。

「いいじゃないですか。僕には、死んだ時にお経を唱えてくれるような人もいないのですから」

「そんなに悲観的にならなくともよいではないか。大体、怪人たるもの主君のためにいつでも命を投げ打つ覚悟で」

「わからないんですよ! いつもダークグローリアで煙たがられて一人ぼっちのあなたには、自分の死を悲しんでいる方がいないつらさなんて、わからないんですよ! あああ、何て僕は不幸なのか」

「……今さりげなく、我の悪口を言わなかったか?」

「そんな、とんでもない! クソ真面目でお堅いがために心通わす友もおらず、異常なまでな忠誠心でドン引きされて上司にまで避けられているあなたが、僕と同じくらい哀れなのではないかと思っているだなんて、まだ一言も申し上げておりません!」

「しばくぞ、貴様」

 一周回って猛毒と化したネガティブ発言に、クラブソルジャーはつい剣を抜きそうになる。

 状況が全く把握できないトロワーファイブは、どうしたものかと困惑する。

「お、おい。クラブソルジャーさんよお。そこのでっかい羽根をつけた奴は、一体何なんだよ」

 レッドが声をかけると、冷静さを失いかけていたカニ怪人はやっと我に返った。

「あ、貴様ら。いたのか」

「いるに決まってんだろ。でさあ、そこのでっかい羽根をつけた、軟弱そうなひょろひょろは一体誰なんだよ」

「ひょ、ひょろひょろですか?」

 ヒーローの言葉が繊細な神経に触れてしまったのか、クラブソルジャーが答える前にデス・バタフライが悲観に満ちた声を漏らした。明らかに、厭世家スイッチが入ったサインである。

「そうですね。僕の腕はどう見ても女性並に細いですし……。あはは、僕はどうせ駄目なんだ。これならまだ、田畑の肥料になる分、動物の糞尿の方がもう少し価値がある違いない」

「自分を排泄物以下の存在と決めつけるでない。もう少し明るく気を持たなければ、この先やっていけぬぞ」

「そんな気なんて持てませんよ。例えこの場をしのげたとしても、僕には何もない。きっと人望がないクラブソルジャーさんのように、周囲に虐げられて一生を過ごすのです」

「何故さっきから、我に対して毒をちょいちょい挟むのだ?」

 新人からの毒舌マシンガンに、先輩怪人の手は剣の柄を握ったまま震える一方である。眉間のしわも多数刻まれ、殺気に似たおぞましいオーラまで放つ始末だ。

「ずいぶんと暗い考え方をするお方ですね。もしかして、実戦慣れをしていない新人ですか?」

 ここでブルーが妙な勘の良さを発揮し、大まかな事情を察知する。

 クラブソルジャーはどうにか高ぶりかけていた気を落ち着かせ、問いに答えた。

「まあ、そういったところだ。彼はデス・バタフライという、生を受けてまもない怪人だ」

「なるほど。生まれた時から成人とさほど変わらぬ見た目をしていると。勉強になります」

 人間ではまずありえない事象に対し、頭脳派っぽく興味深そうに振る舞うブルー。学者でもない彼が怪人の生態を知ったところで、何の勉強になるのかは永遠の謎であるが。

「へえ、怪人にもこんなイケメンがいるんだ~。あたし、結構タイプなんだけど~」

 ピンクはうふふと笑うと、何のためらいもなくデス・バタフライの元へと近づいていった。

 ヒーローに対して恐怖心しか抱いていない彼は、それを前にして怯えた目つきで硬直する。

「ひいっ!」

「そんなに恐がらなくてもいいじゃないの。でも、見れば見るほどかっこいい~。彼氏がいなかったら、狙っちゃうところなんだけどなあ~」

「狙うって、何をですか?」

「あなたの、ハ・ア・ト♡」

「⁉」

 これを聞いたデス・バタフライは、仰天しながら高速で後ずさりをした。その動きは蝶というより、カサカサとうごめくゴキブリに近い。

「ハートということはつまり、心臓ですか? それは、僕みたいな最弱怪人など一瞬にして心臓を抉り出して倒すという宣戦布告……」

「あははっ! 超ウケる~。そんなわけないじゃない。でも、いいなあ。彼氏もかっこいいけど、本当に素敵かも~。怪人にしておくのもったいな~い」

「怪人にしておくのがもったいないということは、僕が人間でないことを惜しんでいる。それはつまり、人間が怪人よりも優位な立場にいることを示すアピールでしょうか? 人間よりも劣る怪人である僕を、貶めて哀れみの目で見ていると」

「あははっ! 何でそんな面白いこと考えられるの? マジやばいんですけど~」

 歪みに歪んだ解釈の仕方に男性陣は絶句するばかりだが、ピンクは腹を抱えて笑ってばかりだ。どうやら、このスーパーネガティブシンキングがツボにはまったらしく、一人だけ異様に楽しそうである。

「ううう、笑われた。笑われてしまった。そう、僕は哀れなピエロ。人に見下されることでしか自分が存在していることを確認できない、悲しい怪人。戦う前からこれだもの。道端の石ころよりも存在意義が謎であっても仕方がない。ははっ。ははは……」

 誰も何も言っていないというのに、自嘲ムードは勝手に最高潮である。ゆっくりと羽ばたき鱗粉を散らしながら、天を仰いで不気味な笑みを浮かべ始めた。

「さあどうぞ! こんなみじめな僕を笑って下さい。あは。あははは……」

「やべえよ、こいつ。頭大丈夫か?」

「知りませんよ。おそらく、先輩に匹敵するレベルの方だとは思われますが」

「余計なこと言ってんじゃねえよ」

 あまりの自虐ぶりに、ヒーロー達は戦うという発想すら生まれぬまま困るばかり。多少痴話喧嘩じみた言動も入り混じったようだが、このタイミングでは流石に本格的な言い合いには発展しない。

「ぐぬぬぬ……」

 それを快く思わないのは、彼の監督を委ねられているクラブソルジャーである。その苛立ちはピークに達し、ついにいても立ってもいられなくなった。

「いい加減にせんか、この腰抜けが!」

「うわあっ」

 俊敏な動作で駆け寄り、左手でデス・バタフライの胸ぐらを掴みあげたかと思うと、彼の潤んだ瞳を凄まじい眼力で睨みつけた。そして、そのまま顔を近づけ、物々しい口調で語り始めた。

「確かに、怪人の命は儚いものだ。だがな、我は貴様のように戦おうともせずウジウジしているやからが最も気に入らぬ。もし貴様の命を尊いものにしたいのであれば、それ相応の手柄を立てて周りから認められるよう努力しろ。我は十年もの間命を長らえておるが、これまで様々な地域のヒーローどもと剣を交える中で、何度も落命しかけた。だが、そのたびに、次は負けまいと必死になって修行に励んだ。そして今ここに、幾多の争いを乗り越えてきた我がおる」

「え、えっと……」

「何故自分はできないと始めから決めつける? 己が強くないと自覚しているのであれば、それを克服するよう力を注ぐべきだ。それすらせずに、自虐して同情を集めるとは片腹痛い。貴様のような者になど、何の価値もありはせぬ!」

「うわあっ!」

 勢いよく投げ出されると、デス・バタフライは地面に尻餅をついてひっくり返った。人生の先輩の目を、しっかりと見据えながら。

「自分の価値は、自分で決めるものではない。他人から価値のある存在として認められてこそ、存在意義があると思えばよいこと。己を罵るよりも、そのためにはどうすればいいのかを考えることに脳を働かせようとは思わぬのか」

「……」

 デス・バタフライはクラブソルジャーをきょとんとした表情でじっと見ながら、何度もまばたきを繰り返す。

「何これ? 青春劇?」

「さあ。熱血教師もののドラマにはよくありそうな展開ですが」

「今日、何か超ウケることばっかりなんですけど~」

 この掛け合いにやいのやいのと苦言を呈す声も若干三人分ほどあるが、そんなことなど気にも留めず、新人は声を詰まらせながら答えた。

「ぼ、僕の中には、そんな考えなんてちっともありませんでした。僕は今まで、自分が弱いとだけ思っていて、それを自力でどうにかしようだなんて試みたこともなかった……。だけど、今の言葉で目が覚めました。今の自分に価値がないのであれば、価値のある自分に変わればいい。それだけのことだったんですよね」

「うむ。その通りだ」

「そうですよね。それだけのことだったんですよね。ああ、劣等感にさいなまれて悩んでいた自分は一体何だったのか……」

 デス・バタフライは先程までの自嘲的なものではなく、どこか吹っ切れたような笑みを作る。

 それを見たクラブソルジャーは、安心しきった様子で口元を微かに緩めた。

「それでいい。悩むこともまた、生きていれば何度でもあること。気にせずともよいだろう」

「ありがとうございます。クラブソルジャーさん……」

 新人は感謝の言葉を述べながら、その場でゆっくりと立ち上がる。そして、先輩のことをしっかり見つめながら、とびっきりの笑顔で言い放った。

「ありがとうございました。僕はこれから修行に励み、周囲に認められる怪人になりたいと思います。決してクラブソルジャーさんのような、気の毒で、みじめで、ぼっちで、心寂しい、とんだ堅物などではないような、人望のある素晴らしい怪人になってみせます!」

「…………」

 あれ? 何だろう、この気持ちは。こういうのを、巷では殺意と呼ぶのではないだろうか。

 まさかのタイミングで放たれた凶悪暴言メドレーが耳に入ると、クラブソルジャーはピシッと動きを止め、顔面を強烈な吹雪に当てられでもしたかのように凍りつかせる。

 この時、彼の頭の中にプチっという、何かが切れる音が響いた。

「き、き、貴様……! ぶっ殺す!」

 理性の欠片がいずこへ去った直後、左手で素早く剣を手に取り、その刃を丸腰のデス・バタフライに向けて振り下ろそうとした。

「うわあっ! やめろよ、クラブソルジャーさんよお!」

「いけません! 同族で殺し合うなど、あってはいけないことです!」

 すかさず止めに入ったレッドとブルーは、どうにかすんでのところで怒りに燃えるクラブソルジャーを取り押さえる。

 その力は尋常ではなかったが、スーツの効力を借りることで何とかその動きを封じることは叶った。

「度々互いに殺し合いをする、貴様らにだけは言われたくないわ! ええい、この腐りきった根性を叩き直してくれる。こう見えて我は、メンタルが弱いのだ! 孤独でいることのどこが哀れだ! ど畜生!」

「それ、堂々と胸を張って言うことかよ」

「ああ、完全に壊れてますね。あれだけ言われれば、こうなって当然でしょうけど」

 涙目で剣を振り回そうとするカニ怪人を、必死に食い止める二人。それを見てポカンとするデスバタフライと、さらに大笑いをするピンク。

 果たして、何をどう間違えばこのような事態に発展するのか。この場にいる中に、答えを導ける者は不在だった。

「僕、何かまずいことでも言いましたか? 僕はただ、事実に忠実な発言を心掛けて口を開いていただけですが……。うん、今日からもう少し前向きに気持ちを持とう。で、クラブソルジャーさんのような、周囲から嫌がられて慕ってくれる人もなく、出世争いにも勝てないような悲しいお方にならないよう頑張ろう」

「我は決して、慕われていないわけではない! ただちょっと、近寄りがたいのか誰も声をかけてこないというだけだこの野郎!」

「うわわっ。てめえもこれ以上何も言うなよ!」

「悪意なき毒舌ほど、恐ろしいものはありませんよ。これなら僕の方が、まだマシと言いますか……」

「きゃははは! ガチで超ウケるんですけど。動画撮ってブログにアップしちゃお~っと」

 こうして今日も、地域の平和は守られた。

 ありがとう、トロワーファイブ! これからも、怪人の魔の手から人々を救い続けてくれ!

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