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第二十一話 小池さん再び!

 ここはとある地方都市。一見のどかで平穏な町だが、度々悪の影が忍び寄る。

 悪の権化を排除し、平和を地に取り戻す者。それが、我らがヒーロー。我らがご当地ヒーローなのだ!


「薫子殿……」

 町随一の憩いの場である公園に、苦悩に満ちた溜め息が響く。

 声の主はクラブソルジャー。頭部と左腕は人間のものでありながら、右腕の代わりに巨大なカニのはさみを持つ、悪の組織『ダークグローリア』に属する怪人である。本来ならば漆黒のマントをなびかせながら、人々を恐怖のどん底に追いやっていたはずだったのだが。

「まさか、あそこまで我のことを好いてくれているとは。しかし……」

 彼が悪事などそっちのけで頭を抱えるのも無理はない。先日、人間の女である薫子から告白めいたことを言われてしまい、それからずっと悩みっぱなしなのだ。

「我も、彼女のことは決して……。だが、悪の怪人と人間が恋仲になるなどあってはならぬこと。ううむ」

 眉間にいくつもしわを作り、ベンチに深く腰掛ける。そして、虚空を見つめながらもう一つ息をついた。

「我に出会えることが幸せ、か」

 ダークグローリアの世界には、彼女がかけてくれたような温かい言葉など存在していない。怪人はあくまでも使い捨ての駒であり、そんなものを必要としていないからだ。

 だが、初めて誰かに必要とされたと知った時、明らかに心というものが揺れ動いた。しかも、肯定的な方向に。

「もし彼女と一緒になれるのであれば、それこそ……。いやいや! 怪人がこんなことで動揺してはならぬのだ! 常に使命に忠実で、目的の遂行のためならばどんな手段にも打って出るほどの冷徹さを持たなければならぬというのに、こんなことで……。でもあの時、我もつい彼女の言葉を受け入れるようなことを」

「ふふーん。クラブちゃん、それって相思相愛って奴? 青春してるねえー」

「とんでもない。どちらかというと、青春劇というよりは」

「愛と欲にまみれた、骨肉の争い?」

「いやいや。それではサスペンスドラマではないか。愛はあるやもしれぬが、欲と骨肉の方は」

「じゃ、悲恋系のラブストーリーだ! ロミオとジュリエット的な?」

「叶わぬ恋という意味ではあながち間違っておらぬが、それよりもある意味大きな壁が……ん?」

 ちょっと待て。今は一人でいるはずなのに、自分は誰と会話をしているのだ。というかそもそも、こんな展開が前にもあったような。

 クラブソルジャーは、おそるおそる声のする方に顔を向ける。するとそこには、本来ここにいるはずではない人物が案の定現れていた。

「いいよねえ、ロミオとジュリエット。僕ちん、ああいう大恋愛に憧れちゃうなあ」

「そ、そ、総裁⁉」

 頭に黒く輝く二本の角を生やした、どっしりとした風格を持つ総裁が、いつのまにやら横に座り込んでいた。その手に何故か、大きなゴマせんべいを持ちながら。

「いやっ。あっ! 総裁! ご、ご、ご機嫌麗しゅう……」

「うんうん、僕ちんはいつでも麗しいよ。にしてもこれ、超美味しいなあー」

 ベンチから飛びのいて立膝をする部下を前にしながら、総裁はバリバリとせんべいをむさぼる。ダークグローリアでは決して食せない美味を堪能しているためか、非常に機嫌がよさそうだ。

「今日も、視察ですか?」

「うんうん、そうだよー。クラブちゃんのことはすっごく信用してるんだけど、やっぱそれに頼り過ぎて自分が動かないと隙を作っちゃうっていうかねー。大事だよね? 視察って」

「さ、流石は総裁。自ら行動を起こすとは……発想が、他の者とは比べ物になりませぬな」

 クラブソルジャーはあっさり納得するが、言うまでもなくこれは真っ赤な嘘。単に前回の地域巡りですっかり味をしめ、再びグルメツアーに赴いたというだけだった。

「褒めてくれてありがとね。でもさあ、僕ちんのことは小池さんって呼んでくれないかなあ? 前にクラブちゃんにつけてもらったあだ名、気に入っちゃって。いいセンスしてるよねー」

「は、はあ」

 あれはヒーロー達に素性をバラさないために、即興でつけただけのものだったのだが。やはり、崇高な思想を持つお方の考えは、凡人ではいまいち共感しにくい。

 クラブソルジャーはひとまず苦笑いをするが、ここでちらりと総裁の表情を確認する。

「あの、総さ……コホン。小池さん」

「なあに?」

「わたくし、あなた様の気配に全く気がつかず、あいさつもなしに独り言を呟いておりました。しかも、あなた様のお言葉にタメ口で返すという愚行まで……。この罪は、万事に値するものと存しております」

「あ、それなら気にしなくていいよ。また切腹芸見せられても、僕ちん困っちゃうだけだしー」

「流石はダークグローリアの頂点に立つお方。何て寛大な心をお持ちなのか……。わたくし、あなた様のような主君に仕えられて幸せでございます。そこで……その。無礼を承知で、一つお尋ねしたいことがあるのですが」

「んー?」

「あのですね……その。小池さんは、わたくしの独り言をどこから耳に入れておられましたか」

 悪の怪人ともあろう者が、人間に恋心を抱いていると知れたら大参事。特に、その相手が組織の最高指導者であればなおのこと。

 薫子の横にいる時とはまた違う、ドクドクと鳴り響く心音を聞きながら、総裁の様子をじっと伺う。

「んーっとねえ。確か、彼女がどうこうって言ってた辺りかなあ? 恋っていいよね。青春だよねー」

「さ、左様ですか」

 よかった。どうやら、当の恋の相手が誰であるのかまでは聞こえてはいなかったらしい。

 クラブソルジャーはとりあえず安堵し、ホッと胸をなでおろした。

 だが、油断するにはまだ早い。ここから、総裁の怒涛の質問攻めが幕を開ける。

「ねえねえ。ところでさあ、お相手は誰?」

「あ、相手……ですか?」

「そうそうそう。クラブちゃんの、恋のお相手。誰? 怪人って、女の子が少ないからだいぶ限定されちゃうとは思うんだよねえ」

「う……」

「誰? ねえ誰? 下っ端一かわいいって噂のキャットニャンコちゃん? それとも、ちょっと色気のあるレディ・クロウちゃん? はたまた、地獄の女番長アイアンマッスル?」

「いやいやいや。マ、マッスルさんはちょっと」

 何も稽古という名目で、子分百匹をわずか五分で戦闘不能に追いやってしまった最強の女幹部を候補に挙げなくても。

 彼女と付き合った怪人は、色々な意味でただで済んでいないという話。想像するだけで冷や汗が浮かんでくる。

「いいよねえ、マッスル。惹かれちゃう気持ちもわかるなあ。あのモリモリの肉体美は、誰にも負けないもんねえ」

「あの、だからですね、マッスルさんはわたくしにはもったいないと言いますか……」

「どうやって鍛えてるんだろうね? 今度筋トレをきっかけに、デートに誘ってみたら?」

「だから、わたくしの思い人は決してマッスルさんでは……」

「そこまでだ、怪人!」

「おっ」

 どこからともなく、高らかな声が飛んでくる。

 クラブソルジャーが振り向くと、そこには逆光に照らされたいくつかの影が差し込んでいた。

「よ、よかった。助け舟とはこのことを」

「あれれ? 前にもこんなことあったような……あ! ヒーローが来るんだね。僕ちん、思い出したよ」

「左様でございます。あの影は、憎きヒーローどもが現れた合図でございます」

「ところでクラブちゃん、あれってヒーローなんだよね? 舟じゃないみたいだけどー?」

「え、あ、いや、その」

「何をごちゃごちゃ言ってやがるんだよ……とうっ!」

 どういうわけかは一切不明であるが、謎のBGMが流れてくる。そして、それと同時に影の持ち主が正体を現した。

 腕に特殊なブレスレットを光らせ、仮面をつけて素顔を隠したヒーローが、その名を地に轟かせる!

「正義の戦士、トロワーレッド!」

「勇気の戦士、トロワーブルー!」

「博愛の戦士、トロワーピンク!」

「「「三人合わせて、トロワーファイブ!」」」

 今日は誰一人欠けることなく、三人で姿を見せたヒーロー達。久し振りに、しっかりとポーズを決めていた。

「また来たのか、ヒーローどもよ。何度も現れおって、目障りな」

「何か、顔が安心してるように見えるのは気のせいか? 俺達が来て、やった! ラッキーみたいな感じに見えるんだけど」

「うぐっ」

 レッドに痛いところをつかれ、クラブソルジャーは露骨に顔を曇らせる。

 そんな部下を目にしてもなお、総裁はマイペースにせんべいに噛りついていた。

「うーん、このゴマと醤油のハーモニーが何とも。あ、君達、前にもあったよねー。やっほー」

「やっほ~! 角を生やした変なおじさ~ん!」

 ピンクは敵と対面しているとは思えない振る舞いをしながら、堂々と彼のことを変なおじさん呼ばわりする。

 あまりにも無礼な態度に、忠誠心が軒並み高いカニ怪人が黙っていられるわけがなかった。

「変なおじさん言うなあ! 貴様ら命が惜しくば、このお方のことはきちんと総さ……」

「「「総さ?」」」

「あっ」

 三人からのツッコミで致命的なミスを犯す寸前だったことに気づき、クラブソルジャーは咄嗟に左手でパッと覆う。

 ああ、何て自分は愚かなのか。正義の味方とは思えないほど俗的で野蛮なトロワーファイブどものこと。このお方の正体がダークグローリアの総裁だと知った瞬間、問答無用で総攻撃を仕掛けてくるに違いないというのに。そのために、わざわざ小池さんなどというあだ名まで捻り出したのではなかったのか!

 戒めの意を込めて自身の額を数回小突き、頭をブンブンと振る。そして、大げさに咳払いをしながら再びヒーロー達の方に向き直った。

「いやいやっ! うー。コ、コホンコホン。こ、このお方のことは、小池さんと呼ぶのだ。貴様らだって、全身タイツの変態集団などと呼ばれたくはないだろう?」

「何気に失礼なこと言ってくれるな、おい」

 思いがけずに変態呼ばわりされたレッドは、表情を確認せずとも充分に機嫌が悪いと判断できる低い声を出した。

 さらに畳み掛けるように、ここでブルーが加勢する。

「そうですよ。変態とは失礼な」

「そうだそうだ!」

「先輩はともかく、僕とピンクには全くもって該当しませんよ」

「そうだそ……って、はあ⁉」

 ただしその中には、仮にも味方である相手に対する毒が仕込んであったが。

「ブルー! 誰が変態だって? てめえだって、この前まで胸にクマちゃんを」

「あなたの目は節穴ですか? それでしたらとっくに、組織に掛け合って新しいスーツを作っていただきましたよ。この通り、今着てるのはピッカピカの新品です。それに、僕は決して間違ったことを言った覚えはありませんが? どこの誰でしたっけねえ、酒の席で、美人に思い切りムチでぶたれたいなどとほざいていらっしゃったのは」

「は? お、俺、そんなこと言った覚えなんてねえし?」

「おやおや、とんだ鳥頭ですね。確か他にも、両手足を縛られて」

「ちょ、ちょちょちょストップ! 皆まで言うな! いや、マジで」

「でも、ここは後輩として先輩の失われた記憶を取り戻す手伝いをすべきでしょう。ええと、あとはヒールの尖った靴で尻を」

「ありがとう! 君のその素晴らしい頭脳のお陰で、俺の目覚めるべきでなかった記憶がありありと蘇ったよ!」

「おや、そうですか。そんなに感謝されるのであれば、今度は新年会の時の記憶を」

「ガチでやめてえええ――――っ!」

 馬鹿かこいつらは。というか、これがいい歳をした大人が公共の場ですることか。

 怪人そっちのけで勝手にぺちゃくちゃやっている男二人を眺めながら、クラブソルジャーは顔面の筋肉を凝固させていた。

「いや~ん。二人とも、何で性癖の話ばっかりしてるんですかあ~。最低~!」

 この通り、いつもはろくなことを言わないピンクが一番まともに見える始末である。これがいかほどにまずいことなのかは、先程彼女がやらかした言動を加味すれば、考える間もなく察することは容易である。

「ああ、何故我はこんな輩の相手をせねばならぬのか。小池さん、そろそろ……あれ?」

 振り向いてみると、ベンチにどっかりと座り込んでいたはずの総裁の姿がどこにもない。

 周囲を見回してみると、彼は意外なところに移動していた。

「ねえねえ。ムチでぶたれるのって、気持ちいいものなの?」

「えっ……」

「そ、その」

 何ということか。総裁は無邪気な様子で、原色コンビにあれやこれやといらぬことを尋ね始めていた。

 図体の大きなおじさまがするとは思えない純真無垢な瞳に、激しくうろたえる二人。顔を見合わせながら、どうしたものかと口をつぐむ。

「僕ちんさあ、今までムチって武器だと思ってたのね。だけどー、それでぶたれるのが気持ちいいとなると、ヒーロー達を回復させちゃうのかなーなんて思っちゃったの。新発見だなあ」

「ええっと、別にムチでぶたれることによって回復してるわけじゃなくて」

「これは、先輩などのごく一部の特殊な方に限られる現象でして」

「じゃあ、ヒールの尖ったところでお尻をっていうのは? もしかして、人間って尖ったかかとでツボ押しとかして疲れを癒してるの?」

「別に、そこまで凄まじい荒治療は……」

「疲れはきちんと、しかるべき療法を用いて取り除くものですし……」

「じゃあじゃあ、両手足を」

「「これ以上は答えられません!」」

 レッドとブルーは尋常なる速さで退き、一人取り残されていたピンクの元に駆け寄る。そして、小さな背中に隠れるようにしてガタガタと震え出した。

「やべえよ、あいつ! 俺達に、公共の場で言えないようなことを言わせようとしてやがるぜ」

「これは新手の作戦でしょうか。ヒーローにあえて卑猥な発言をさせ、地域の住人からの好感度を著しく落とそうという」

「今回は、二人が勝手におバカなことを言い始めただけじゃないですかあ! 周りの人達なんて、ドン引きし過ぎてとっくに帰っちゃいましたよお!」

 半ばヤケクソ気味に叫ぶピンクの言葉が耳に入るなり、二人はさらにビクッとする。

「何ぃ⁉ やけに人気がないと思ったら……」

「これはまずいですね。また上の方からお叱りを受けますよ。これは、迅速に謝罪しに行くべきです。下手をすれば、なけなしの給料を削られかねません」

「ええーっ! あたし、全然悪くないのにぃ⁉ もうっ! さっさと行きますよ。とばっちり食らうなんて、たまったもんじゃありません!」

「「は、はい、すみませんでした……」」

 男どもが弱々しくうなずくと、ヒーロー達はいずこへと走り去っていった。

 それを見たクラブソルジャーは、どうしたものかとポカンとしたまま絶句した。

「あ、あいつら、怪人をおいて帰りおった。いくら総裁が爆弾発言を繰り返したとはいえ……。これでいいのか? 我も近頃堕落気味であるが、それ以上にあの馬鹿どもは……」

「何で帰っちゃったのかなあ。僕ちん、もっと聞きたいことあったのにい。ねえ、クラブちゃんはヒーロー達が言ってた意味わかる?」

「い、いえ。わ、わたくしにはさっぱり。そ、そうです。憎きヒーローどもはもう去りました。なので、そろそろダークグローリアの方に」

「うーん。その前に僕ちん、ラーメン食べたい。この間のあれ、もう最高で! またいいお店紹介してよー」

「え、あ、はい。りょ、了解しました。……まあ、変な方向に話題が流れるよりはマシか」

「何か言った?」

「い、いえいえ! な、何でもございません! 行きましょう、今すぐに善は急げです! あっはははは!」

「よーし、レッツラゴー!」

 こうして今日も、地域の平和は守られた。

 ありがとう、トロワーファイブ! これからも、怪人の魔の手から人々を救い続けてくれ!

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