御神渡り
寒い地域の湖では、御神渡りと呼ばれる現象が起きる。
湖に張った氷が冷えて縮んで割れ、その割れ目がさらに凍り、膨張した氷が割れた氷を押し出す。それが道のように見えることから、神が渡ったとされ、御神渡りという名がついた。
美しいが、所詮自然現象である。実際に神が渡った訳ではない。しかし極稀に、本物の御神渡りが見られる場所があるという。
雪が淡々と渦巻いていた。冷え切った空気が纏わりつく。息が白く凍った。風が吹く度に肌を切り裂かれるかのような錯覚に陥る。木々の葉は全て抜け落ち、雪を被っている。振り返れば足跡を消さんと画策する者共。眼下には厚く凍った湖があった。そこにまん丸眼鏡にYシャツズボン、肩には薄紅色の羽織を着て、その上からコートで全身を包んだ男がいた。
男はとある店の店主であるが、一年のほとんどは旅をしていた。
彼は巨大な湖をそれとなく眺めていた。熱いお茶の入ったポットを片手に。
「あー寒いなぁ、もっと着込んでくりゃよかったぜ」
独りで居ると独り言が多くなるという。話し方を忘れない為にだろうか?
しばらく待っても何も起きない。ふと、誰かに見られている気がして振り返った。
そこには7歳くらいの小さな子どもがいた。
「よう!なにしてんだ、あぶねぇぞ、ここはよ」
「おめぇこそ、神様に連れていかれっぞ」
ほほう、人攫いの神か。おそらく昔、生け贄やら人柱やらをやっていたのだろう。その上ここらで神隠しなんてのも起こった。だから地元の者にこうして伝わっていくのだ。
「大丈夫だよ、俺は神様にとことん嫌われる質でな」
実際、人攫いの神はいる。しかし、昔から神様に人の娘を捧げる儀式がそこかしこにあり、人をわざわざ攫わなくとも人が手に入る環境にあった神は人攫いにはならない。よほど人の踏み入れぬ土地に住む神ならば、あるいは人攫いとなるのかもしれない。
「ふぅん、変な奴」
「変な奴ねぇ、そうだよなぁ、変な奴だよなぁ」
「なんだぁおめぇ?」
「お前こそ、どうしてこんな所に出てきた。攫われるぞ?」
「あっ!いっけねぇ、今日は家に居なきゃなんねぇんだ」
子どもはそのまま何処かへと去っていった。
それからまたしばらく経ち、夜になった。よりいっそう冷え込んだ空気が一々体を刺す。
ズズズ…ズズズ…
何か這うような音が聞こえてきた。
ズズズ…ズズズ…
目を凝らすと蛇がいた。ただの蛇ではない。人の何十倍もあるような、大きな白蛇だ。
ズズズ…ズズズ…
赤い目がこちらを向く。一瞬身体が強張ったが、すぐに元に戻る。
ズズズ…ズズズ…
白蛇は諦めたように、またどこかへ進む。と、白蛇が凍った湖を渡りだした。
バリバリ…ゴゴゴゴゴ…バリバリバリ…
張った氷を割りながら、白蛇は悠然と進む。男はそれを、尻尾の先が見えなくなるまで眺めていた。
孤独の世界やリンクと同じ主人公の話。そのうち連載をする。