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おまけ――ヤチビの脳内辞書に出来の悪い子ほど可愛いという言葉はない

 あんたがこの森に何をしに来たのか、大体の察しはついている。

 どうせ俺の本当の名前が『ヤチビ』だっていうことも知ってるんだろう?

  

 まったく、あの親父は……俺はもう、ちっちゃなヒヨコじゃねえっつうの……

 

 まあいいや。

 俺のことを知ってるっていうんなら話は早い、ちょっとした愚痴を聞いてくれよ。

 まあ、あの狼が嘘つきだって話なんだけどな……



   ◇◇◇


 ヤスケと別れた後、ヤチビは嫁さんを見つけた。

 茶色い羽色をした、おっとりとした娘鶏だ。

 この森へ来る途中の農場で彼女を見初めたヤチビは、この嫁さんをかっさらってこの森に住み着いた。

 それからしばらくして彼女は卵を産んだのだが、これはもちろん、ヤチビの子供たちだ。

 卵から孵ったのはいずれも気の強い、りりしい子供たちだったのだが、一匹だけは――明らかに母親に似たのであろう、おっとりとした金茶色の子であった。

 ヤチビは別にこの子ばかりを贔屓したわけではない。だが、他の子供たちがミミズ探し競争をしている最中に一匹だけ後ろのほうでニコニコしているような子だったので、手をかけがちになるのは仕方のないことだった。

「お前は兄さんたちと遊ばないのか?」

 陽だまりの砂地に並んで座りながら、ヤチビはちっぽけな息子に声をかけた。

 ヒヨコは、きゅっと首をかしげたが、相変わらずにこにこと笑っている。

「だって、こうしてみているの、楽しいよ」

「じゃあ一緒に遊んでもらってこい。あれは遊びのように見えるが、自分で餌を探す練習でもあるんだ」

「じゃあやっぱり、いいや。おとーちゃんとおかーちゃんがご飯くれるから、僕はいらない」

「そんなことを言っていると、一人になった時に困るぞ」

「ひとり? ボクはひとりにならないよ。迷子にならないように、ちゃんとおとーちゃんについていけるよ?」

「そうじゃなくってな……」

 こういうときにヤチビが思いだすのは、養い親の狼の背中と、彼が別れ際によこした言葉だ。

――俺の脳内辞書に出来の悪い子ほど可愛いという言葉はない――

 そんな言葉は嘘だと、今のヤチビは思っている。なぜなら、他の兄弟よりも少し出来の悪いこの子は、やっぱりかわいい。

 例えば母鶏が餌を配るときも、ぼんやりしているというのか要領が悪いのか、やんちゃな兄姉に先を越されてくいっぱぐれることが多いのだ。だからヤチビは、他の子たちには内緒で、この子の分の餌だけをこっそりと確保している。

 夜も、この子だけ夜泣きがおさまらない。兄姉はみんなで羽を寄せ合っておとなしく寝ているというのに、風の音が怖いだの、雷が鳴っただの、いろいろと理由をつけてはヤチビの羽の下にもぐりこんでくる。

 小さなヒヨコの規則正しい寝息、その呼吸の確かなリズムを聞きながら眠る夜は、特にあの養い親の言葉が身に染みるのだ。

――あれは、あの狼の精いっぱいの強がりだったのではないだろうか。

 肉食の獣である彼には、ちっぽけなヒヨコなどかよわく、出来の悪い子だったのだろう。あの養い親は過保護すぎるほどにヤチビを甘やかした。

 ねぐらから数メートルも離れていない草地に遊びに行くのさえ彼に許しをもらわなくてはならない。ヤチビが目に見えるところにいないと、森の獣に食われたのではないかと、やたらに心配するのだ。

 餌なども、かなり大きくなるまで彼が獲ってきてくれた。ヤチビが「餌を探すことぐらい自分でできる」と言っても頑として聞き入れず、自分は食べもしないミミズなどを捕まえてくる。

 その束縛の強さに辟易することもあったが、子供を持った今ならわかる。

 出来の悪い子に必要以上に手をかけてしまうのは本能的な親心だ。ヤチビはこのちっぽけでおっとりとした息子が心配で仕方ないのだ。

 こうして砂に脚を埋めるようにして並んだのは、歯がゆくて仕方ないからである。

「おとうちゃんやおかあちゃんは、お前といつまでも一緒にはいられないんだぞ」

「なんで? どっかいっちゃうの?」

「そうじゃなくて、母ちゃんが次の卵を産んだら、お前はお兄ちゃんになるだろう?」

「お兄ちゃん? ボク、お兄ちゃんになるの!」

「落ち着け。話はちゃんと最後まで聞きなさい」

「うん」

 ヤチビは小さな息子を見た。大事な言葉を伝えようと胸を張ると、黄色いふわふわの体がますます小さく見えた。

「おとうちゃんもおかあちゃんも、ちいさなヒヨコのめんどうをみてやらなくちゃならないのだから、『お兄ちゃん』のめんどうまでは手が回らない」

「うん」

「大きなお兄ちゃんがヒヨコと一緒にご飯をもらっていたら、恥ずかしいからな?」

 ヒヨコは黒い目をパチクリさせてヤチビを見上げた。

 ヤチビは首を下げて、その瞳を優しく覗き込む。

「それに、いつまでも『お兄ちゃん』じゃないだろう。一人前の若鶏になってまで ヒヨコみたいに世話をやかれていたら、もっと恥ずかしいとはおもわないか?」

 ヒヨコはきゅるりと首をひねりまわして、ヤチビの言葉を一生けんめいに理解しようとしているようだった。

(のみこみの悪い子だ)

 次の卵が生まれるまでの間に、この子を少しでも大人にしなくてはいけないという焦燥感。

(だが……)

 ずっとこのままの……かわいらしいヒヨコのままでいてほしいという、実現不可能な親のわがままとがせめぎ合う。

 だからこそ、あの頃の養い親の気持ちが良く分かるのだ。

(『俺の脳内に出来の悪い子ほど可愛いという言葉はない』なんて、嘘じゃないか、父さん)

 獣臭い、大きな背中を思い出しながら、ヤチビはくちばしの端を緩めた。

 彼の深い愛情に感謝している。いま、こうしてヒヨコたちと暮らしていられる幸せはすべて彼がくれたものだ……

 

   ◇◇◇

 

 だからさ、『俺の脳内辞書に出来の悪い子ほど可愛いという言葉はない』なんていうのはやっぱり嘘だったんだよ。

 

 実はこの前、あの狼の様子を見に行ったんだ……あ、これは内緒にしておいてくれよ。

 

 あの狼は強くて賢そうな子供たちにかこまれて楽しそうだった。

 組手の相手をしてやったり、餌を分け与えてやったり、僕にしていたようにこまやかな愛情で子供たちを育てていたんだ。

  

 は? 嫉妬? ちがうちがう、そんなんじゃないよ。

 

 僕はできの悪い子だったから、手間だけを見ればあの狼児よりもかけてもらったのさ。

 でも愛情は……


 おっと、ヒヨコたちが呼んでるな。そういえば遊んでやる約束をしていたんだった。

 僕はもう行かなくちゃならない、話はここまでだ。


 なんだよ、まだなんかあるのか?

 はあ、『俺の脳内辞書に出来の悪い子ほど可愛いという言葉はない』の意味ねえ……


 例えばあんた、僕があのおくての子と、他の兄弟と、どっちが可愛いか優劣をつけてると思うかい?

 ヤスケが、ちっぽけなヒヨコと自分の子に違う種類の愛情を持っているとでも?

 つまりはね、そういうことなんだよ。


 ああ、ヒヨコたちが騒いでる。

 こんどこそ話はおしまいだ。


 ここまで聞いてくれてありがとうな。


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