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 ああ? はぐれオオカミがどうなったかって?

 聞くまでもないだろう、俺がそんな流れ者ごと気に負けるわけがない。叩きのめして森から追い出してやったさ。

 股の間に尻尾を挟んで逃げ出すはぐれオオカミを見送った後、俺が最初にしたのはヤチビを怒鳴りつけることだった。

 だって仕方ないじゃないか! ヤチビを失うかもしれないという緊張と不安から解放された瞬間、他の感情をすべて押しのけるほど強く沸いたのは、怒りだったんだ。

 安堵と怒りは同質のものであると、この時、俺は初めて知った。


◇◇◇

「このバカ! 俺が間に合ったから良かったが、そうじゃなきゃどうするつもりだったんだよ!」

 ヤスケの剣幕に、ヤチビは「こっ」と首をすくめた。が、それも一時のこと、すぐに首を立てて胸を張る。

「別に、あんたが来なくても、あんなへなちょこに負けたりしないし!」

「オオカミを舐めすぎなんじゃないか?」

 前足をぐっと踏ん張って、頭を低く構えて、ヤスケが吠えた。

「かかって来い、チビ! オオカミの怖さってもんを教えてやる!」

 別にけがをさせようとか、痛い目を見せてやろうと思ってのことではない。ただ、謝罪の言葉を期待しただけだ。

 だがヤチビは、羽を広げて戦いの気概を見せた。

「もう子供じゃないってことを、今日こそ見せてやるよ!」

 いつもの手合わせのつもりだった。ヤスケはヤチビを軽く組み敷いて、軽く説教の一つも食らわせて終わるつもりだった。だから軽い気持ちで、大きく飛び上がって上からヤチビを狙った。

 これが良くなかった。ヤチビはオオカミ式の戦闘を教え込まれているのだ。それに加えてふっさりと大きな羽がある。

 ばさっと乾いた音がして、ヤスケの視界が白一色に遮られた。

「うおっ?」

 無様に声をあげて、ヤスケは視界を取り戻そうと身をひねった。空中で体勢が崩れた。

「今だっ!」

 声こそ勇ましかったが、ヤチビだってヤスケを傷つけようと思っていたわけじゃない。

 ただ、タイミングが悪かった。

 鋭い蹴爪がヤスケの眉間をえぐった。自慢の灰褐色の毛がいくばくか散った。血が流れた。

「ぐうっ」

 地べたに転がったヤスケは、傷口を押さえようと前足でもがいた。幸いに傷は浅いが頭部だ。一筋の血河が鼻先まで伝った。

――ヤチビは? 

 わずかに血が入ったか、かすむ右目をこすって、ヤスケはその鶏がうなだれているのを見た。いつも強気で小生意気な彼がしょげかえっているのを見た。硬いくちばしをカタカタいうほど震わせて、小さな声で呟くのを見た。

「ごめんなさい……」

 その瞬間、(ああ、俺の役目は終わったんだ)と、ヤスケは思った。

 この息子はいつの間にか強くなった。並のオオカミではかなわないくらいに戦い方を心得ている。それに……傷つけてはいけない、大切な『家族』というものがわかっている……

 それに気がついてしまったからこそ、ヤスケは厳しい表情を作った。

「この、馬鹿が!」

 こ、と首をすくめて、ヤチビがさらにうなだれる。

 それでも、子離れのタイミングは今しかないのだから、言葉を緩めるわけにはいかない。

「俺は、『家族』を傷つけるような馬鹿に育てたつもりはないぞ!」

「それは……」

「出ていけ! 今すぐ、この森から出ていけ!」

 もうどこへ行っても、一人で暮らしていけるのだから……ぐっと涙をこらえて、もう一言……父と自分は実の親子だったから、この言葉が許された。血の絆とはそういうものだ。だが、ヤチビは拾ってきた子だ。種族だって違う。だから今まで、一度だって面と向かって聞かせなかった言葉だ。

「俺の脳内辞書には、出来の悪い子ほど可愛いなんて言葉はないんだよ」

 これは別れの、そして手向けの言葉だとヤチビは気付いただろうか。

 出来が悪いとも、可愛くないとも思ったことはない。ただ、そう思い込んでこの息子を手元に縛り付けていたのは、自分のほうだ。だから今……そのくびきを解いて鶏本来の生き方を彼に戻してやらなくてはならないのだ。

 それを聞いたヤチビの嘴は、さらにわなわなと震えながら、今まで決して言わなかった一言を紡いだ。

「お父さん……」

 それだけでヤスケは満足だった。心の中では、だ。

「お前みたいな馬鹿を息子にした覚えはない。さっさと俺の前から消えろ」

 わざと聞かせた荒々しい口調に、ヤチビはとぼとぼと歩き出す。白い尻尾がしょんぼりとうなだれていた。

(元気でやれよ、ヤチビ)

 白い後姿が遠ざかったのを確かめてから、ヤスケはどさりと地面に倒れ伏す。

 傷が痛んだわけではない。血は止まりかけているし、元々が大した傷じゃあない。戦い疲れたわけでも、もちろんない。

 ただ心の痛みが……身体の一部分を引きちぎられたような喪失感が、彼を地面に引き倒したのだ。

「結局、あいつの泣き顔を見なかったな」

 ふと鼻先をあげれば、風に揺れている一輪のタンポポが目に入った。それはちっぽけなヒヨコが羽を膨らませている様によく似ていた。

「ふん、お前は本当に強情だな」

 タンポポに話しかけるオオカミの声は甘やかで優しく、ほんの少しだけ、水っぽかった。

 黄色い花は何も言わず、ただ風にゆすられている。あの日、歯を食いしばって悲鳴をこらえていたヒヨコのように、ただ、ひたむきに咲いて……


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