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 もうここまで話しちまったら隠していても仕方ねえ、言おう。

 実は「俺の脳内辞書に出来の悪い子ほど可愛いという言葉はない」ってのは、俺の親父の口癖だった。親父は……厳しい男だった。

 そりゃあ小さいころの俺はやんちゃで、反抗的で、決してかわいくはなかったさ。おまけに、兄弟の中で一番不器用でな、親父が教えてくれる必殺の爪さばきってのがどうしても会得できなかった。だから親父は、毎日のように俺と組手をしてくれたね。

 ただし、あんたらが思うような平和的なもんじゃない。ひどく厳しかった。

 いつだったか、俺は親父の前足をよけそこなってしたたかに鼻先を打ち、失神したことがある。そん時、親父はどうしたと思う? 川に放り込んだんだよ、俺を。

 確かに一発で目は覚めたが、俺はこれで親父が大っ嫌いになったね。

 そんな親父が常々俺に言って聞かせたのが件の言葉、「俺の脳内辞書に出来の悪い子ほど可愛いという言葉はない」だ。

 ガキだったころの俺は、この言葉を深くはとらえなかった。「親父も俺が嫌いなんだろう」ぐらいにしか思わなかったんだ。

 だけど俺は、この言葉の意味と、これを言った親父の気持ちをもっと考えるべきだったんだ。そうすれば、ヤチビとだって、もう少し真っ当な別れ方を……


◇◇◇

 しばらくすると、ヤチビの羽はすっかり白くなった。赤いとさかも生え、身体だってがっしりと大きくなったのだから、もうヒヨコとは呼べない。

彼は、立派な鶏になった。

 それでもヤスケが彼を『一人前』と認めることはなく、これがこの親子の諍いの原因になることもしばしばであった。

「なんでだよ! そりゃあ黙って出かけたのは悪かったけどさ、ちょっと餌を探しに行っただけじゃないか!」

 真っ白な羽をぷうっと膨らませて、ヤチビが怒りをあらわにした。

 しかしヤスケはいささかも動じない。

「そういうときは俺がついて行ってやる。何しろ森ってのは危ないんだ、お前みたいなチビがふらふらしてたら、食われちまうぞ」

「ちえっ! 子ども扱いしやがって」

「子供だろう。お前はまだ小さいし、戦うための牙だってない」

「そりゃあオオカミに比べりゃあ小さいのは当たり前だけどさ、この羽の色を見てくれよ、黄色いところなんかないだろ? それに牙はなくても、戦うための蹴爪がある」

「ふん、そんなもん」

 さもさも小馬鹿にしたように、ヤスケが「へっ」と笑った。

 これを聞いてトサカに血が上ってしまうあたりは、ヤチビもまだまだ青い。

「あんた……には負けるかもしれないけど、そこらのオオカミぐらいには負けないねっ! 見てろっ!」

 ばさっと羽を広げて、ヤチビは洞窟から駆け出して行った。

「やれやれ、半人前が」

 羽のある鳥のくせに、大空を翔ることもできない。さりとて地べたを翔るオオカミのように俊敏でもない。その中途半端さが、ヤスケは心配で仕方ないのだ。

 頭ではもうすっかり、あれがちっぽけなヒヨコなどではなく、雄々しい雄鶏だと理解している。しかし心はままならないものである。

「仕方ねえ、迎えに行ってやるか」

 実は、ヤチビが激昂して飛び出して行くことなど、今までも何度かあった。

そのたびにヤスケは、こっそりとその後をついてゆく。もしも森中でヤチビにちょっかいかけようとするものがあれば、ヤスケが素早く割って入るのだ。

 森で一番体の大きなオオカミに「おい、これは俺の獲物だ」と、ドスの利いた声で言われれば、身のすくまぬわけがない。もはや、この森ではすでにヤチビに手を出そうという者はいない。

 だからヤスケは何の焦ることもなく、頃合いを見てヤチビを迎えに行くつもりだったのだが、この日は勝手が違った。友人君が息せき切って駈け込んで来たのだ。

「おい、ヒヨコちゃんを隠せ!」

「残念だが、散歩に出ている」

「じゃあさっさと連れ戻せ! はぐれオオカミがこの森に入り込んでいる!」

 どこぞほかの森の群れから、ボス争いに負けて追い出されたオオカミだ。気性が荒いであろうことは容易に想像できる。

「早くしろ! よそ者から見たらあの子は、美味そうな鶏でしかないんだぞ!」

「そんなこと、言われなくてもわかってら!」

 ヤスケは駆け出した。ヤチビの行きそうなところなら、いくつか把握している。

不安にもつれる四足で、もがくように森の中を駆け巡った。あっちの木の影、こっちの水場と、ヤチビの姿を探して必死に駆けた。

 だから、森はずれでヤチビを見つけた時には、酷い怒りを感じたのだ。

「あのバカ、言わんこっちゃない!」

 ヤチビはすでに、そのはぐれオオカミと対峙していた。

 はぐれオオカミは少し薄汚れたような濃い色の毛並みをしていて、ずるがしこそうな顔をした奴だ。ヤスケの一番嫌いなタイプである。

 ヤチビは、実に鶏らしく、椎の木の枝にとまっていた。胸の羽を大きく膨らませて、はぐれオオカミを見下ろす行為は、挑発のそれだ。

「どうしたのかな、こしぬけぴよちゃん、怖くてそこから降りれないんですか~?」

 はぐれオオカミのからかいの言葉にも、ヤチビの態度が揺らぐことはなかった。

「お前こそ、僕が食べたきゃ上って来いよ。それとも、高所恐怖症ってやつか?」

「ち!」

 忌々しげに舌打ちして、はぐれオオカミはヤチビを見上げた。

「可愛げのないやつだなあ。鶏ってのは、普通オオカミを見れば恐れて逃げ回るもんでしょ。そうそう、ここに来る前に人間の農場を襲ったが、あそこの鶏たちは俺を見たとたん、大騒ぎして逃げ回って、楽しかったなあ」

「ふうん、それで?」

「ふうんって……お前のお仲間を食べたんだけど? 憎いとか、怖いとかないのかよ」

「仲間ねえ……オオカミのくせに、ずいぶんとぬるいことを言うなあ」

 くちばしを揺らして、ヤチビが笑った。

「僕ははぐれ鶏なんでね、あいにくと仲間なんかいない。戦う力のない弱い鶏がオオカミに食われた、それだけの話だろ」

「へえ、かっこいいね、ぼくちゃん」

「あんたはかっこ悪いね。僕が知っているオオカミとは、雲泥だ」

 ヤチビは大きく羽を広げた。バサッとそれを振って、木から飛び降りる姿勢を見せた。

「こうやって睨み合っててもしょうがないし、そろそろはじめよっか」

 対するはぐれオオカミは頭を低く構えた。地面に張り付くような、それでいていつでも飛び上がれるように脚を矯めた攻撃の姿勢だ。

「さっさと食われてくれよ、ぴよちゃん。もう、おなかぺっこぺこなのよ」

 二匹が今まさに飛び込もうとしている、その交点にヤスケは飛び込んだ。

 彼がまずしたことは、はぐれオオカミの小ずるそうな顔をねめつけることだった。

「この鶏に手を出すことは許さない。これは俺の獲物だ」

「あんたこそ、横取りしないでよ。獲物ってのは、先に見つけた者に優先権があるんでしょ」

「優先権ね。だったらやっぱり、俺にそれがある。俺がこいつを見つけたのは、こんなちっぽけなヒヨコのときだったからな」

「で、それからこんな大きくなるまで飼ってたの? あんた、変わってるねえ」

 自分より一回りも体の大きなヤスケに臆さないのは、さすがはぐれオオカミだ。一匹でここまで生き抜いてきた自分の強さに、さぞかし自信があるのだろう。

「自分のペットちゃんを食うなってか。ずいぶんと甘やかしてるんだねえ」

 この挑発に腹を立てたのは、ヤチビのほうだ。

「甘やかされてなんかいない! こいつは賭けのために僕を育てただけだ!」

 それを聞いて、ヤスケは背中から撃たれたような衝撃を覚えた。

(そうだ、俺はそのためにこいつを育てていたんじゃあないか)

 後悔が湧く。しかしそれは、賭け代に入れ込んだことへの後悔ではない。

(あの時、最初にこいつを拾ったときに……)

 いや、その後も何度でもチャンスはあった。「お前は俺の息子だ」といってやるチャンスが! もしそれを言えば、ヤチビとの関係はもっと違うものだったかもしれない。

「仕方ないじゃないか、俺の脳内辞書に出来の悪い子ほど可愛いなんて言葉はないんだからよ」

 父親の口癖をぽつりとまねて、ヤスケはうなだれる。

――言うつもりだった。いつか自分が認められるほど強い男になったら、その時に、一人前の証として「お前は俺の息子」だと、言ってやるつもりだったのだ。

 この時初めて、ヤスケは父の愛情の深さに気付いた。

(男親の愛情ってのは、ひねくれてるなあ)

 ただ可愛いと愛育するはメスオオカミのやり方だ。自分の腹を痛め、乳を与えていれば、いやでも無償の愛情の何たるかを知る。しかし男親は……

(結局俺も、出来の悪い父親だったか)

 ヤスケは動こうとはしなかった。それが彼流の、彼のやり方での精いっぱいの愛情だった。

「俺は自分の獲物を人にくれてやるほど善人じゃないんでな、欲しければ力ずくで来い」

 はぐれオオカミに挑発の視線を投げて、頭を低く構える。尻尾は立て、幾度か尻を振って攻撃の態勢を整えた。

 木の上にいる『出来の悪い子』、あの可愛い我が子に牙を向けたはぐれ者に、ちょいと灸を据えてやらにゃあならん……


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