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俺だってバカじゃない。鶏とオオカミが全く別の生き物だってことは心得てるさ。
だけど、ヤチビは特別なんだ。見た目はちっこいヒヨコのくせして、中身はオオカミのように……いや、オオカミだって、ヤチビほど高潔で一途な奴は滅多にいないさ。オオカミなら、ボスにもなれる器だ。
ただ惜しいことに、身体のほうはちっぽけなヒヨコなんだ。いくら教えてやっても、オオカミみたいに戦えるわけじゃない。弟子としちゃあ出来の悪い部類だったよ。
は? 可愛がってる? 馬鹿言っちゃいけねえ。俺はヤチビを苛め抜いたんだ。
いらいらするんだよ、あいつ。オオカミらしいことなんて遠吠え一つ出来ねえくせに、気持ちばっかり一人前でさ。だから、一度でいい、ほんのちょっとでいいから泣かせてみたかった、ただそれだけだよ。
だけど、ああ……あいつの泣き顔を見ることは、ついに無かったな……
◇◇◇
ヤチビは少しばかり体が大きくなった。黄色一色だった体のあっちに一本、こっちに一本と、白い翅が生えはじめたりもした。
その頃には、ヤチビがヤスケを怖がることはすっかりなくなった。だが、それが一緒に暮らしてきた慣れなのか、いつ食われても仕方ないというあきらめなのか、ヤスケにはわからない。
ただ、ヤスケはこの鳥を強く育てることだけに情熱をかけていた。そのため、無理とわかっていても、オオカミ流の体さばきを要求することもしばしばであった。
「違う! もっと頭を低くして、首を狙うんだ!」
今日も自ら組手の相手をしてやりながら、ヤスケが激を飛ばす。ヤチビは言われたとおりに頭を下げた攻撃態勢を保ったまま、とがったくちばしをさらに尖らせた。
「オオカミみたいに牙があるわけじゃないんだ。首なんか狙ったって、大したダメージはあたえらんないよっ!」
「ばかか! 何のためにくちばしがあるんだ! いいか、首ってのはぶっとい血管が通っていて、全ての動物共通の弱点だ。ここさえ狙えれば、どんな相手とでも戦えるんだぞ」
「そもそも体格差がありすぎるよっ! 勝てっこないじゃん!」
確かに少しばかり大きくなったとはいえ、ヤチビは小さなヒヨコなのだ。その体はヤスケの前足の肉球ほどの大きさしかない。
それでもヤスケには容赦してやるつもりなどなかった。
「お前はバカか。いつ、どんな相手と戦うか、俺たちに選ぶ権利などない。出会った相手が敵なら、それがどんな化け物であれ倒さなければ死ぬ、それが自然の摂理ってやつだろう」
「知ってるけどさ……」
「ははん」
ヤスケは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。プライドの高いガキの扱いなら、心得ている。
「わかった、やめよう。お前には無理だな、鶏だし、チビだし、できなくて当然だ。いや~、俺が悪かったよ」
「できないなんて言ってないっ!」
「へえ? じゃあ、黙ってかかって来いよ」
ばっと羽を広げて、ヒヨコが身を翻した。そのままオオカミの喉笛めがけて……
「ば~か、隙だらけだ」
べしっと音がして、大きな肉球がヒヨコを弾き飛ばした。
「ま、まだまだっ!」
両足を踏ん張って起き上がったヒヨコは、今度は拙く飛び上がり、オオカミの脳天を狙う。
「だから、下から狙えって言ってんだろ。上からじゃあ動きが見え見えなんだよ」
今度は首をひと振りしただけだった。ごつっとした鼻先がヒヨコを振り飛ばす。
「くそう! まだだっ!」
ぷるぷると頭を振りながらヒヨコが立ち上がったその時、くさむらからひょこっと、例の友人君が顔を出した。
「おお、相変わらずやってるね」
この友人君、こうしてちょくちょく様子を見に来るのだが、本気で賭けの結果を気にしているというわけではない。ちょっとした暇つぶしの冷やかしで、だからこそ気安い。
「あーあー、ヒヨコたんかわいそうに、ぼろぼろじゃねえか」
友人君は小さな羽をなでてやろうと前足を伸ばしたが、ヤスケがそれをはねのける。
「甘やかさないでくれ」
「いいじゃんか、ちょっと撫でてやるくらい」
「おい、ヤチビ、家に戻ってろ」
きりっとくちばしをあげ、無言で去るヒヨコを見送って、友人君は呆れきったように言った。
「別に食ったりしないぞ。お前があれをどれほど可愛がっているか、知ってるからな」
「可愛がってなんかいない。食いたければ食えばいい」
「んなこと言って、あいつが食われそうになったら、助けるんだろ」
「当然だ。あいつを立派な鶏に育てることができたら俺がボスになれる、そういう賭けだろう」
「あー、はいはい。そういえばお前は、ガキの頃からそういうひねくれた奴だったな」
「別にひねくれちゃいない」
そういいながらヤスケは、ふさりとしっぽを振って立ち上がる。
「おい、どこに行くんだよ」
友人君の声に少しだけ耳を曲げて、ヤスケは答えた。それは、当然ありきたりのことを答えるとき特有の、特に感慨もない口調であった。
「ミミズをとりに行くんだよ」
「ミミズぅ? そんなものをどうするんだ」
「ヤチビの飯だ」
「はあ? 正気か?」
友人君は驚いた。あのヒヨコは確かに小さいが、それはオオカミに比べてのことであって、すでに自分で餌ぐらいとってもおかしくない歳だ。
「それは……甘やかしすぎだろう」
「そんなことはない。鍛えるために体を酷使させているからな、植物性の食い物より虫のほうが成長にもいいだろう」
「そういう栄養的なことを言ってるんじゃなくて、お前はあれをいつまで手元に置いておくつもりだ」
「さあな、そんなこと考えたこともねえよ」
「じゃあ、考えたほうがいい、あれはいずれ鶏になる。そんだけ大事に育ててりゃあ、まるまるとした、さぞかしうまそうな鶏になるだろうさ。そうしたらお前、どうするんだよ」
ヤスケは黙り込んだ。ただ、うまく考えがまとまらないことを示すかのように、尻尾がせわしなく揺れていた。
友人君はしびれを切らして、口を開く。
「悪いことは言わねえ、まずは自分で餌をとることを覚えさせろ、一人でも生きていけるようにな」
「そうだな、もう少し大きくなったらそうしよう。だが今はまだ、あんなに小さいからな」
友人君が嗤う。
「お前は本当にチビすけの親になっちまったんだなあ」
「バカか、オオカミとヒヨコが、どうやったら親子になれるんだよ」
「ああ、いいよいいよ、解らないなら。さっさとミミズでもとりに行って来いよ」
「そうする」
しゃりっと足を踏み出して、ヤスケはふと振り向いた。
「ヤチビを食ったりしたら、殺すからな」
「はいはいはい、解ってるってば」
明るく取り繕った返事だったが、そこに込められた友人君の不安を、ヤスケは鋭く感じ取った。だから、ふっと笑息をもらす。
「心配しなくても、俺がオオカミであいつが鶏だってことは忘れちゃいないさ。いずれあいつが大人になったら、別れる時が来る。だから今だけ、あいつが子供のうちだけなんだよ、一緒にいられるのは」
それはひどく低い、つぶやきに似た言葉だった。けっして友人君の不安をはらってはくれない、物がなしい言葉でもあった。
「ヤスケ、お前は……」
「あー、そうだ! ミミズをとってこなくちゃな」
妙にからりとした声をあげてヤスケは歩き出すから……その尻尾が揺れるのを見守る友人君の目は、どこか寂しいものであった。