2
本当にちっぽけなヒヨコだったなあ。俺の鼻先にちょいと乗っちまうくらいなんだから、その気になればぺろりと一飲みにすることだってできたんだ。
はあ、『小さくてかわいい』ねえ……そんなふうに思ったことは一度もなかったな。むしろ壊しちまいそうで、怖かった。
そもそもさあ、何であんな浮かれた色してるんだか、やたら鮮やかな黄色が、どうも癇に障っていけねえ。見た目からして落ちこぼれな生き物だよ、ありゃあ。
ああ、でも、寝るときには暖かくって……優秀な湯たんぽだったな。あいつが可愛かったのは、唯一、そこだけだ。
◇◇◇
ヤスケの住処は雨露がしのげる程度の小さな岩のくぼみで、これはヒヨコを隠すのにはひどく都合がよかった。何しろヤスケ一匹が寝れば埋まってしまうほど狭い空間なのだ、他の者もそれを心得ているから敢えて訪ね来ることもない。
ヤスケは咥えてきたヒヨコを、岩のくぼみにポンと放った。
「ここが今日からお前の家だ」
ヒヨコは、いまだくちばしを食いしばったままだ。
「お前は強情な性質だなあ」
正直、ヤスケは子守には自信があった。オオカミはオスでも群れの子どもの面倒を頼まれたりする。そういうときに彼は子オオカミたちにひどく懐かれるのだ。
だから、こんなちっぽけな生き物くらい楽勝だとも思った。
「まあ、まずは名前でも決めてやるかな。俺がヤスケだから……ヤチビでいいか?」
できるだけ気さくな声を出したつもりだったが、ヒヨコはびくりと身を震わせる。相変わらず悲鳴をこらえたままで、だ。
ヤスケの頭に、かっと血が上った。
(食ってやろうか)
相手には反撃の牙も、力もない。爪はあるが、オオカミのそれとは比べ物にならないくらいに脆弱で、飲み込まれるときにのどに引っかかるのがせいぜいだろう。
あぐっと牙をむいて口を開いて、ヤスケはふと思いまどった。
(本当に一口で終わっちまうな)
それはこのヒヨコもよくわかっているだろうに、けっして悲鳴を上げようとはしない。不憫なくらいにぶるぶると体を震わせているのに、硬いくちばしは折れるんじゃないかと思うほどにぐいっと閉ざしたままなのだ。
「おい」
低い声で呼べば、驚いたことにヒヨコは震えながらも視線をあげた。その眼は揺らぐことなくまっすぐにヤスケを見上げ、震えている体とのアンバランスな強い性根が、すぐに見て取れる。
「ここならどれほど悲鳴を上げても誰にも聞かれねえ。だいたいが、食われて死ぬんだからそんなに必死こいて悲鳴を我慢する意味も分かんねえよ」
ここで、ヒヨコは初めてくちばしをほどいた。声は存外にしっかりとした、良く通る声音であった。
「僕が悲鳴をあげれば、あんたが喜ぶんでしょう。で、僕の最後を面白おかしく仲間なんかに話して聞かせるんだ。そんなふうに、死んだ後まで笑いものにされるなんて、絶対に嫌だ」
「俺はそこまで性格悪くねえぞ」
少し困惑して、ヤスケはヒヨコを見下ろす。黒目がちなくるりとした瞳は、白目がちで眼光鋭いオオカミの眼を強くにらみつけていた。
(ちびっこいくせに、大したプライドだ)
内心で舌を巻きながら、ヤスケは小さくて黄色い腹に前足の爪を伸ばす。
「おいチビ、俺が怖くないのか?」
「怖いさ! でも、怖がってなんかやらない!」
「ふふふ、ヒヨコのくせに」
ヤスケの頬が緩んだ。自分の身の丈に合わないプライドを抱えて背伸びする姿が、実に『クソガキ』らしくて好ましい。
「おい、ヤチビ、良く聞け」
ヤスケは爪先でそっとヒヨコをつまみ上げて、自分の鼻先にぶら下げた。
「俺はお前を食ったりしない、さっきの賭けを聞いていただろう。ただし、オオカミ式に育ててやるから覚悟しろよ」
身勝手かもしれないが、このヒヨコをただの鶏に育てるのはもったいないような気がした。
「心配するな、お前にそっくりの、小憎たらしいガキを良く知ってる。そいつは今じゃあ、誰よりもオオカミらしいオオカミだ」
「へえ、そんな奴がいるんだ?」
急にヒヨコの口調がとろくなった気がして、ヤスケはその表情をのぞき込む。ヒヨコはとろりと目を閉じかけていた。
「なんだよ、おねむか」
「眠くなんかないやい! いいから、そのオオカミらしいオオカミってやつの話でもしてよ」
「ああ、まあそれはそのうちな。今日はもう寝ちまえ」
「眠くなんかないって言ってるだろ」
「ち、世話の焼けるガキだなあ」
もう日も傾いてきた。鳥目という言葉もあるぐらいなのだから、鳥が眠くなるのは当たり前のような気もする。それに、こんなに幼い子どもなのだから、気疲れも相当にあるのだろう。
ヤスケはごろりと体を横たえ、胸元のふわふわした毛の中にヒヨコを抱き込んだ。
「俺もちょうど眠くなったんでな……ああ、寝ながらモノ食うほど行儀悪くないんで、安心して寝ちまっていいぞ」
「ふん。ひょっとしてその、僕に似てるやつってさあ、あんたのことか?」
「さあな。いい子で寝たら、そのうち教えてやるよ」
「むう、子ども扱いするな」
そうはいっても眠気は抗いがたく、ヤスケの毛の中は暖かい。いつしかヒヨコは、小さないびきをかきはじめていた。
「ち、勘のいいガキだなあ」
ヤスケは黄色い翅に鼻先をこすりつけてみる。陽光の下に咲くタンポポに似たその色は、日向のようなにおいがした。
「まったく、俺のガキの頃そっくりだ」
ふと、父親を思い出す。
(親父はどんな気持ちで……)
こんな小生意気な、可愛げのない子どもを育てたのだろう。
ガキらしくピーピー泣けば手心の加えようもあろうに、悲鳴すらかみ殺して、甘えることを拒む。おまけにこちらの言うことに「はい」とは言わない。
「育てにくいガキだよ」
それでも、胸の毛の中がほっこりと温かい。寝息に合わせて膨らんだり縮んだりを繰り返す体は、なんだか繊細な心臓を直接に抱きかかえているような、そんな気分になる。
「おっと、このまま寝ると潰しちまいそうだ」
前足を少し張って、胸元の空間を守る。なんだか足が緊張してつりそうだが、それでもこのぬくもりを手放す気になれないのはなぜだろう。
「ヤチビ、俺は厳しいぞ」
何気なく呟けば、「ぴ」と、小さな寝言が応えた……