暗雲
「姉上と同じ馬車には乗りたくありません。」
ユリスの突然の一言に、ティアは今までにない衝撃を受けた。
事の発端はグレンにあった。出発の朝、リコの村を離れることに少しの寂しさを感じていたユリス。そんな彼を見て何を勘違いしたのか、グレンは訳知り顔でユリスに声をかけた。
「いやあ、姉君が遠いところへ行ってしまったような気がしますよね。俺にも姉がいたんでわかります。けど、女性は大人の階段を昇ってこそ美しく魅力的になっていくんです。」
「?」
「しっかしまさか王女様とあの仏頂面があんな仲だったなんて驚きましたよ!ん?もしかして国王陛下があいつを王女様の護衛役に就かせたのって、それを知っていてってことですか!陛下も娘には甘いんですかね~。」
「…どういうことですか?」
なぜかグレンは得意げに言った。
「ティア様とロエンが一夜を共に過ごしたって話ですよ!」
そして冒頭の一言をぶつけられたティアは、一人馬車の中で落ち込んでいた。ユリスは使用人を連れてもう一つの馬車に乗り、騎士に守られ前方を走っている。窓から見える景色も森の鬱蒼とした木々ばかり。少し後ろを見やると二人の騎士がおり、ティアは大きな溜め息をついた。
「…よりによって、どうしてこの二人が私の護衛なんだろう。」
決めたのは自分だけれど。王都出発前の自分を呪いたい。それよりも帰るまでにユリスの誤解を解かなければ。恐らく、先程から青い顔をしているグレンがユリスに何かを言ったのだろう。グレンが私のことで知っていることと言えば、昨夜の事件だ。
ティアはもう一度大きな溜め息をついた。
「―――っ!―――――!!」
話し相手もいなかったティアはコクリコクリと舟をこいでいた。だが、外から何かの声がする。ゆっくりと意識を浮上させていくと誰かの叫び声が聞こえた。
「止まれっ!土砂崩れだ!!」
瞬間、
―――ガラガラガラガラ、ドーン!
聞いたことのない凄まじい音がしたかと思うと、車体に大きな衝撃を受けた。馬車は横倒しになる。ティアは座席を飛び、そのまま壁に体を打ち付けた。何が起きたか理解できず、そのままじっとしているとやがて音が止んだ。
「何が?土砂崩れって…っ!ユリスっ!!」
ティアは立ち上がると、頭上にある扉を押した。扉がある方が地面側に倒れなかったのは不幸中の幸いだろう。しかしどれだけ押しても扉はビクともしない。馬車の上に土砂が積もっているのかもしれない。どうして無理矢理にでもユリスと同じ馬車に乗らなかったのだろう。最悪の事態を考えてしまい、ティアは焦燥感に駆られた。
「誰か!誰かここを開けて!!」
「ティア様!!」
聞きなれた声がすると、馬車の上に人が乗ったのが分かった。何度かドサ、という音がした後に扉が開く。伸ばされた腕をとると、そのままグッと持ち上げられた。
「ティア様、ご無事で…」
「ロエン、ありがとう。」
よろめいた身体をロエンが支える。そのまま横抱きにされ、馬車から降りた。
「まさにお姫様抱っこっすねー。」
「こんな時まで軽口をたたけるのはお前だけだ。」
ハハハ、と笑った後、グレンは頭をかいて言った。
「しっかし、これは一体どういうことっすかねー。」
「…ユリスは?ユリスは無事なの!?」
慌ててロエンの腕を抜け出そうとすればそっと足を下ろされた。あちらをご覧ください、と言われ顔を向ける。倒れた馬車と大量の土砂の向こう側に緑色の狼煙が上がっていた。
「あれは全員が無事だという意味です。どうやら私たちを二分するように土が流れたようです。」
「そう、良かった…ユリスが無事で…。」
ティアの震える肩を、ロエンが安心させるように抱きしめる。グレンは狼煙を上げるようと火を起こしていたため気付かなかった。辺りを見渡すと木に寄り添っている御者がいたので近くに寄る。
「王女殿下、申し訳ありません。」
「気に病むことはないわ。自然災害ですもの。あなたも無事でよかったわ。」
ここしばらく雨は降っていなかったはずだが。昨夜の村長の言葉が蘇る。姿勢を正そうとした御者がうめき声を上げたのでティアは驚いた。
「あなた怪我をしているのね!大丈夫?」
「足を折ってしまった様です。」
再度謝ろうとする御者を止め、背後の二人に手当を頼む。
「馬は?」
「馬車を引いてたのはもう助からないでしょうね。俺とロエンの乗ってた馬は傷一つありません。」
「そう、ありがとう。」
御者は折れた足が痛むのだろう。額に汗を浮かべていたのでティアは手巾でそれを拭いてあげた。
「ロエン。」
「はい。」
「私を守ってくれるといったわね。」
「はい、命に代えても。」
あなたを信じます、というティアの言葉にロエンは深く頷いた。
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