宴の裏
リコの村の視察も終わり、明日朝にはまた王都へと出発する。最後の夜は、村人総出のお祭り騒ぎとなっていた。王宮で食べる豪華なそれとは違うが、女たちが愛情を込めて作った料理はとても美味しいとティアは思った。ユリスはこの2日間ですっかり子ども達と打ち解け、今も彼らに囲まれて話をしている。騎士団の兵達も、それぞれ警備を交代しながら村人と酒を酌み交わしていた。
そんな中でも相変わらずの仏頂面を見上げて言った。
「せっかくの宴の場なのですから、あなたも少しは楽しんだらどう?」
「私のことはお気になさらず。」
そうは言うものの、村長と話をしていても、子どもたちと遊んでいても、女たちにせがまれ社交界の煌びやかな話から裏の暗い話までを紹介していても、常に横に愛想のない顔が隣にあればやはり気になってしまう。けれど自分が何を言っても、ロエンは真面目に己の職務を全うするだろう。どうしたものかと考えていると、村の男達と酒の飲み比べをしている騎士が目に入った。グレンだ。ティアと目が合うと、フラフラとこちらへやって来る。
「主役がこんな隅にいちゃダメっすよ~。それとも何すか、もしかして俺ってお邪魔虫~?」
へへへ、と笑うグレンは完全に酔いが回っているようだ。対するロエンの額には青筋が浮かんでいる。酔っ払いの言うことなんて真に受けなければいいのに。どこまでこの人は真面目なのだろう。ティアは慌ててグレンが持っていた酒瓶を奪い、自分の空のグラスをロエンに押し付けた。
「まぁまぁ。お疲れ様ということでロエンも少し、ね。」
「いや、私は…。」
「それとも私のお酌は受けられないってことかしら?」
言葉に詰まるロエンを無視しグラスにお酒を注ぐ。それでもなかなか口をつけようとしないので、焦れたグレンがグラスを奪おうとした。
「お前が飲まねえなら俺が飲んでやるよ~よこせ~!」
「や、やめろ!お前には渡さん!」
何か焦ったようなロエンは、一気に酒を煽った。見事な飲みっぷりに周囲も感嘆する。
「なんだよ、兄ちゃんなかなかイケる口じゃないか!」
「もっと飲ませろ~!」
「王女様もどうですか?」
「いえ、私はまだ15歳なので…。」
何時の間にかすっかり出来上がった村人達にロエンは囲まれた。グラスにはどんどんアルコールが注がれていく。このままでは自分も同じ目に遭いかねないと感じたティアは、ロエンを残し一人脱出した。すると一人席を離れどこかへ歩いていく村長が見えた。ティアは後を追いかけた。
村長が足を止めたのは、村の住居が集まる場所から少し離れた小高い丘だった。村長が上を向いてたので、ティアもつられて空を仰ぎ見る。
「わあ・・・!」
そこには満天の星空があった。王宮から見たほうが空は近いはずなのに、今目の前に広がる星々は今までで一番輝いて見える。
「おや、ティア王女。」
「あ、すみません、私・・・。」
ほっほっほ、と笑った村長は隣へ来るように誘った。
「村でもここからが一番よく星が見えます。何かと不便な土地ではありますが、これを見るとここからは離れられません。」
「ええ・・・本当に素晴らしいです。」
しばらく二人で夜空を見上げていたが、ふと村長がティアに向き直った。真剣なその表情にティアも思わず背筋を伸ばす。
「ティア様、私たちはあなたに、感謝してもしきれない恩を感じております。」
「ふふ、この滞在中何度も聞きましたよ。それに、まだまだ解決しなければならない問題はたくさんあります。この村も、ほかの町も。私の中にも改めねばならないものがあるでしょう。」
「・・・あなたが、次代の王であればと願わずにはいられません。」
ティアは目を瞑った。その間も、村長のまっすぐな視線を感じる。
「そう、思ったこともあります。愚かなことですが・・・。」
「その様なことは!」
「いいえ、愚かなことです。あんなに優しく素直な子を、妬ましく感じてしまうというのは。私も結局権力に執着する一人だということです。けれど、ユリスは違います。様々な思惑が乱れる王宮の中で、まだ何ものにも染まっていない。その高潔さが自然と人を魅了する。あの子を見ていると、きっとこの国は変わると、そう思えるのです。」
「ティア様・・・。」
「まだ小さな芽です。私の役目はあの子が花開くまで、守り育てることだと考えています。」
育てるなどと言ったらユリスの母君に怒られますね、と笑った。
「私には、王宮や貴族たちの世界はわかりません。けれどお気を付けください。昔感じた悪い空気が、この国に漂いつつあるような気がするのです。」
「・・・?」
「大きな変化があるとき、それを嫌悪する者が必ず現れます。・・・もしティア様の身に良くないものが差し迫ったなら、その時は私たちをお頼り下さい。民は貴女様の味方です。」
ティアは困ったような顔をした後、小さく頷いた。
夜空の明かりに目が眩んだのか、近くにいたもう一人には気がつかなかった。
「どこかへ行くときには、私を連れていくよう何度も言ったはずです。」
ティアが皆のもとに戻ると、ロエンに腕を引かれ自室に連れ込まれた。さらになぜかベッドの上に座らされ、怖い顔をして立っているロエンに説教をされていた。明らかに見下されている。
「あの、私一応王女なんですが・・・。」
「何度言っても約束を違えるのがいけないのです。私をあのような酔っ払いの巣窟に放り込んで、自分だけ逃げ遂せるとはよくない知恵がついたのではありませんか。」
「あれは私も思いもよらなかったというか。それに星を見ていただけです。遠くへは行っていません。」
「星を見ていた・・・?」
ロエンはそのまま近づいてきたかと思うと、ティアの両脇に腕を置いた。完全に逃げ場がない。
「あの、ロエン?これは一体どういう・・・?」
「それはこちらの台詞です。星を見ていたとはどういうことですか。誰と見ていたんですか。ユリス様はあの場に留まっておられたので違うとわかっております。」
「誰って・・・。」
だんだんロエンの顔が近づいてきている。年の割にしっかりした王女だと言われてきたが、それでもまだ15歳。思春期真っ盛りのティアはパニックに陥っていた。
「言えないのですか。私にグラスを渡しておきながら。」
グラス?グラスって何のこと?ロエン、この状況を他の人に見られたら、色々困るんじゃないかしら。それとも、もしかしてそういうつもりなの。近くで見ると、思っていたよりずっと綺麗な顔をしている。そういえばどことなく赤いような・・・。
「・・・もしかして、酔ってる?」
「酔ってません。」
「酔ってますよね。」
「酔ってません。」
ただ酔っているだけだということが分かり、ティアは大きな溜息をついた。少しドキドキしてしまった私がバカみたい。けれど酔っ払いにそんな心情が分かるはずもなかった。
「そんなに私のことがお嫌か。」
「そんなこと言っていないでしょう。早く酔いを醒ましなさい。」
「そう言って、また逃げるおつもりか。」
これからはロエンにお酒を飲ませるのはやめよう。顔をそらし、そんなことを考えていたティアの顔にロエンの手が触れた。
「一緒に星を見た男のことを考えているのか。」
「違います。何なんですか、もう。」
「・・・逃がさない。」
「えっ!?」
気付くとティアは完全に押し倒されていた。自分の顔の横にぴったりロエンの頭がある。これには流石のティアも完全にパニックになった。身体を持ち上げようにもびくともしない。
「ロエン、私たち、そんな仲じゃ・・・!酔った勢いでってのも良くないわ!自分のことは大切にしなきゃ!そうでしょう!?」
「・・・スー、スー。」
「・・・・・・・・・・。」
不敬罪で訴えてやろうかとティアは思った。
その後、様子を見に来たグレンによってティアは救出され、翌朝珍しく怒った王女と謝り続ける護衛が見られたという。