リコの村
王都を出発してから三日目。
最初はあれだけはしゃいでいたユリスも、変わらぬ森の景観に飽きたのかおとなしく眠っていた。反対にティアはリコの村の人々に会うのが楽しみで逸る気持ちをなんとか静めていた。すると、馬車の速度が緩やかになっていく。到着にはまだ早いはずだ。不審に思っていると、外からロエンの声がした。
「何かあったのですか。」
「先発隊が、この先道が二つに分かれていると報告をしてきました。どちらも方角的にはリコの村へ続いているはずですが・・・。」
ああ、とティアは頷いた。
「片方は狭い、崖の道になっているの。森の中の方が馬車が通るのには安全よ。」
わかりました、とロエンは前方に馬で駆けて行った。以前にリコの村を訪れた時はロエンとはまだ会っていなかった頃なので知らなかったのだろう。当時、村人は崖に沿った道を近道として開拓中だと言っていたが、ようやく完成したのかもしれない。
「う・・・ん・・・。」
ユリスが目を覚ましたようだったので、もうしばらくで到着することを伝えた。
王子・王女一行がリコの村へ到着すると、村人全員で盛大な祝福で迎えてくれた。これにはティアとユリスだけでなく、日夜張りつめていた騎士の面々も大いに喜んでいた。
「ユリス王子殿下、ティア王女、このような所まで遥々ご足労頂き、心から感謝致します。」
前に出て膝をついた老人が、この村の村長だった。懐かしい顔に、ティアも笑みがこぼれた。
「何もない村ではありますが、我々村人一同心からお持て成し致します。どうぞこちらへ。」
村長に続き、ティアとユリスは並んで歩き出す。それぞれわきにはロエンと副団長が控えていた。
村長の家でしばしの休息をとった後、ティアは学校を見せてほしいと頼んだ。快諾した村長に着いていくと、小屋のような建物にたどり着く。扉へ向かおうとするとユリスが声をかけた。
「もしかして、これが学校なのですか?」
はい、と村長が答える。
「王都にある学校を知っていると、驚くのも無理はないわ。でもこの村では、ここが立派に学校の役割を果たしているのよ。」
ユリスが不思議そうな顔でティアの後ろからそっと小屋に入ると、中には10名ほどの子どもたちがいた。前で話をしている男性が先生だろうか。男が何か質問を出したのか、子どもたちは元気に手を挙げていた。
「彼が、王都よりこの村にやってきたジョン先生です。彼のおかげで、子どもたちは初めてきちんとした学習をすることができています。」
この村には、もともと学校がなかったわけではない。先の国王が貧しい街や村を憂い、多くの学校を設立したのだ。しかし、裕福な暮らしをする王族や貴族たちは、民が持っていないのは物資だろうと考えていた。実際貧困にあえぐ民は食べ物や雨風をしのげる土地、衣服を欲していたし、間違いではなかった。そしてこれまで物資の支援が民のためになるとされ、続けられてきた。ユリスもそれが王族として当然の義務だと考えていた。
「けれど、物資の支援はその時しのぎなの。食糧を送っても、食べてしまえばなくなってしまうでしょう?」
「はい、だから民に土地を与え、民は作物を育てます。」
そう、教師を派遣するのはそれと同じことよ。とティアは言う。ユリスはしばらく考えたが、よく分からなかった。
「民が土地を耕すのはなぜだと思う?」
「食べ物を育てるためです。・・・援助だけでは食べていけないから。余った作物を売れば、お金にもなります。」
ティアは頷き、続きを促してきたのでユリスは考えを巡らせながらゆっくりと口を開いた。
「そうすれば、食べるため以外のことにお金を使えます。衣服を新しくしたり・・・」
ユリスは目の前の元気な子どもたちを見た。
「子どもに、本やノートを買ってあげることもできます。」
「すると子どもたちは?」
「子どもたちは、賢くなります。・・・将来、医者や教師になることができます。教育の大切さ、ということですか?でも、学校はあったって・・・。」
惜しい、とティアは漏らす。
「ユリスは本が読める?」
「当然です。レイナールや母上に教えてもらって・・・あっ!」
そういうこと、とティアは言った。
「学校はあったけど、先生がいなかったってことですか!?」
「ふふふ、そうなの。私たちのおじい様は、まさか文字が読めない大人がいるなんて思わなかったのね。だから学校を建てて本を送れば、子どもたちは勉強ができると思ったのよ。」
ユリスの周りには、文字が読めない大人は一人もいなかった。城下町の子どもたちだって、王都の学校に通って読み書きができるだろう。
授業の時間が終わったのか、ジョンと呼ばれた先生が村長のもとに歩んできた。ティアと挨拶を交わしている。ユリスはまだ、先ほどの続きを考えていた。どうしてリコの村に先生がいないことに気付かなかったのだろう。
「王子殿下、あなた様の姉君は本当に偉大な方です。」
村長が優しい顔でユリスに語りかけてきた。
「お言葉ではありますが、王都に住む人々や貴族たちはこんな田舎の村のことは気にして下さいません。我々もそれが当然だと思っておりました。住む世界が違いますから。」
そんなことは、と言おうとしたが、果たしてそうだろうか。自分が外への興味を持ったのは、姉上がいたからだ。
「けれど、ティア様は違います。こんな我々のことを心から思って下さる。上辺だけでなく、自らこのように赴いて。ジョン先生がこの村にやってきて、村は明るくなりました。大人たちが知らないことを子どもたちは学んでいきます。きっとこの子たちは、今の私たちより豊かな暮らしを送ることができるでしょう。」
村長は慈愛に満ちた目で生徒たちを見つめていた。興味津々にこちらを見る子どもたちと目が合う。とてもキラキラとした瞳だ。
「それだけで十分すぎるほど幸せなのに、またこうして訪れて下さった。我々を想って。」
「私たち民は、ティア様を愛しております。」
ティアを残し、一人外に出た。扉の横にはロエンが立っていた。中の声も聞こえていたのだろう。
「ロエン殿、姉上は、本当に民に慕われているのですね。」
「そうですね。この国のこと、民のことを自分のことのように・・・いやそれ以上に考えておられます。」
「僕も・・・」
ユリスは空を見た。何も遮るもののない青空が、この国のこれからを表しているようだった。
「僕も、いつか・・・。」