身分違いの恋
滞在数日目の午後、ティア達は離宮内の劇場へやって来た。皇都でも人気のある、実力派の演劇団をジルヴァがわざわざ招いてくれたからだ。ティア達にくっついてきたマリーはすっかり浮かれていた。
「今日の演目は『あの日の約束』、今一番熱い、感動必須の恋愛ものなのよ!!」
ティアは知らないが帝国では流行りの話らしい。案内された席に腰を下ろすと、その隣にジルヴァが座った。背格好の大きなジルヴァが座るとゆとりのある座席も小さく見えるから不思議だ。自然とティアとの距離も近くなった。
「得てして女性は観劇を好むが、ティア殿も同じか?」
「はい。今日の舞台も楽しみにしていました」
「そうか、俺も劇は好きだ。……妹はそうでもないみたいだが」
ジルヴァの視線の先には、一番隅の席に座るアナスタシアがいた。既に眠りの体勢に入っていて、彼女付きの侍女であるマリーは腰に手を当て憤慨していた。
「もうアンナってば、起きなさい!」
「こんなの興味ないよ。終わったら起こしてくれ」
そう言って本格的に眠り始めた皇女を置いて、マリーはぷりぷり怒りながら扉の脇に立つロエンに近寄った。二人は何か会話を交わし、その傍にいたグレンが笑った。
ティアはぼんやりその様子を眺めていたが、ユリスに声を掛けられ、始まった舞台に目を落とした。
劇の主題は「身分違いの恋」だった。
ある国のお姫様と市井の青年が出会い、恋に落ちる。様々な障壁を前に二人は引き裂かれてしまうが、それでも互いへの愛を忘れず、再会する。
ありきたりな話だが、それでもティアはどんどん物語へ引き込まれていった。一国の姫という立場のヒロインへの共感も大きかった。
舞台は最終局面を迎えていた。
嵐の中。身分や家族すら捨てて逃げる二人の前に、恋敵の王子が現れる。追っ手との戦いで傷ついていた青年は崖っぷちまで追い詰められ、絶体絶命の窮地に立っていた。
「この状況こそ我らの力関係を表していると、そうは思わないか? 姫は王子である我にこそふさわしい」
「身分の差など関係ない。そんなもの乗り越えて、俺たちは生きていく!!」
「ええい、わずらわしい。姫は我のものになるのだ!!」
剣を掲げた恋敵が叫んだ。あと一歩で崖下に落ちる、そんな状況においても、青年は最後まで諦めなかった。
「……守る、守ってみせる。この身体朽ちるその時まで、姫を守ると誓った!!」
なんだかどこかで聞いたことのあるような台詞だ、とティアは思った。
雷の演出と共に、役者の黒い髪が揺れ、敵の剣を交わしそのまま相手を切り捨てた。王子は転落し、力尽きた青年が倒れ込む。
姫が駆け寄り、その身体を抱きしめた。強く抱き合う二人は永遠の愛を誓う。いつの間にか止んだ雨。雲の隙間から差し込む光が、祝福するように二人を照らしていた。
……とまあ、王道の恋愛劇だったのだが、ティアはなかなか感動していた。全身全霊をかけて愛し愛され、苦難にも負けず永遠の愛で結ばれる。ティアは恋人がいたことはないし、そんな余裕も無い波乱の人生だが、それでもこんな大恋愛に憧れた時期もあった。
とりわけ思春期の女の子には効果絶大だったらしい。拍手喝采の中役者が退場すると、背後からマリーがすすり泣く声が聞こえてきた。ティアが振り向くと、薄暗い空間の中でロエンが自分の手巾を差出していた。なかなか受け取ろうとしないマリーにしびれを切らしたのか、彼女の手を取って無理やり手巾を持たせる。そんな光景を前にやれやれといった様子のグレンが頭を掻きながらその場を離れた。
「なんだ、あそこでも物語が生まれそうだな」
ジルヴァはにやにやしていた。実はティアもこっそり涙を滲ませていたのだが、瞬きをしたり目を見開いたりしてなんとか引っ込ませた。手巾を差し出されなかった自分が泣いていたなど、周囲に知られたく無かったのだ。
「お気に召しましたかな」
「えっ、ええ、いたく感動しました」
ジルヴァに悟られたのかと一瞬どきりとしたが、彼はティアの方を向いてはいなかった。ほっと安堵する。
ティアの脳裏には未だ先ほどの二人の光景がちらついていた。気持ちを切り替えるようにひとつ咳をし、笑みを浮かべてジルヴァを見上げた。
「ジルヴァ様はいかがでしたか」
「演出にも凝っていて、陳腐な話だがなかなか面白かったよ。ただ、劇の中では二人は結ばれたが、やはり現実はあれほど上手くいかないだろう、と……おっと、これは野暮だったかな」
「そう、でしょうか」
せっかくの感動に水を差され、思わずティアの眉間が曇る。気付いたジルヴァが悪い悪いと謝ったが、今度はユリスが乗っかってきた。
「姉上、身分違いの恋なんて上手くいくはずがありませんよ」
ジルヴァとは反対に座るユリスが、さも当然のように言った。
「僕たちのような立場にある人間が、誰でも好きな人と結ばれるなんて許されないことだ」
「ユリス殿は意外に現実的だな」
「夢物語を描いても待っているのは悲劇だけですから」
「確かに俺やユリス殿が侍女や市井の娘なんかを妻に迎えたら、目も当てられないことになるだろうな」
せっかくの感動も台無しだ。ティアは思わず役者が近くに残っていないか探してしまった。あんな熱演の後にこんな無粋な話を聞かされたら、劇団をやめてしまうかもしれない。
しかしティアの心配をよそに、男たちの議論はますます白熱していた。恋愛関係で何か鬱憤でも溜まっているのだろうか。呆れ果てていると、なぜかティアにまで飛び火してきた。
「ですから姉上、よく分からない貴族の男とか、怪しい男なんかと結婚しようと思ってはいけませんよ!!」
今の自分と結婚したい物好きなんているのだろうか、とティアは思ったが、面倒だったので素直に頷いておいた。
――そういえばロエンの屋敷にいた頃は「新婚」とか「若奥様」とか、冗談で呼ばれていた。ここ何か月かの話なのに、随分前のことに感じられる。家令のセバスチャンや屋敷の皆は元気にしているだろうか。お土産何がいいかな。
「……姉上、僕はロエンだけは絶対に許しませんからね」
「私そんなこと一言も、」
「顔に出ていましたよ」
どちらかと言えば、考えていたのはセバスチャンのことだった。
それに、許されるもなにもロエンにその気はないだろう。さっきだって、主人を放って他の子に自身の手巾を差し出したのだ。今だってティアが見ていないから、マリーといちゃついているかもしれない。
そう考えるとティアはむっとした。なんだか面白くない。でもそんな些細なことを気にしては小さな人間になるようだったので、ティアはそれ以上考えるのをやめた。
「ユリス殿は、姉君の結婚相手にはどんな人間がふさわしいと?」
「誰であっても許しません」
爽やかに、さも当然だと言う顔でユリスが言った。
姉想いなのかなんなのか知らないが、それでは一生結婚なんてできないではないか。ティアが小さく抗議すると、ユリスがいつかの冷ややかな視線を向けてきた。思わず縮こまる。
「はは、まあ仮定の話だ」
「……まあ、姉上の籍が王族に戻れば、自ずと相手は絞られるでしょうね。有力な貴族か、他国の王子か。あ、心配しないでください。姉上は僕が幸せにしますから」
「心配しなくてもそんな迷惑はかけないわ」
「じゃあ、俺はどう?」
「いえ、ジルヴァ様にもご迷惑は……え?」
不意に、皇子の翡翠色の瞳が細まったかと思うと、ジルヴァはさっとティアの腕を取った。ティアより高い体温が触れ、じわりと熱が伝わる。
「俺もいい年だし、周りが五月蠅いんだ。国内から選ぶといらぬ争いを招くし、君が王家に戻れば晴れてウィルノアのお姫様だ。誰も文句を言うやつもいないだろう。悲劇の王女として同情票を得て、逆に株が上がるくらいだ」
「いえ、あの、」
「君は美しいし、聡明だとも聞く。王宮での生活にも慣れていて、身の振り方も承知している。ティア殿がいればアナスタシアも城に寄りつくようになるだろう。姉がガイナへ嫁いだとなればユリス殿の国王としての体面も立つし……ふむ、思いつきで言ってみたが考えるといいことだらけだな」
圧倒されて言葉がでないティアに、ジルヴァは顔を近づけた。胸元で緩く結われた紅い髪が、ティアの頬を撫でるように落ちた。
「心配しなくても、俺は一人の女性を愛する男だ。妹が惹かれたくらいだ、きっと俺も君を愛せるだろう。……それに、傍にいれば君も俺のことを好きになる」
「……大層な自信ですね」
「自信が無ければ、皇帝になろうとは思わないさ」
ユリスがティアの身体を引くのと、ジルヴァが離れたのは同時だった。いつの間にか照明が灯され、周囲は明るくなっていた。アナスタシアの欠伸がどこからか聞こえてくる。
「すべてはティア殿が無事に王家へ戻ることが出来れば、の話だがな」
ジルヴァは立ち上がり、一人出口へと向かった。
「決して悪い話じゃないだろう。まだ先の話だが、頭の隅にでも置いておいてくれ」
ロエンの横を通り過ぎる際、ジルヴァはちらりと騎士の顔を見た。相変わらずの無表情でこちらを見ようともしない。その仮面の下に何が隠されているのか、ジルヴァは想像してくつりと笑った。