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王の資質

 晩餐に招かれたティア達は大きな円卓を囲んでいた。ユリスとティアが隣同士で並び、その向かい側にアナスタシアが座った。皇女の隣の空席は第二皇子が着席する予定だが、部屋に到着した当初は三名分しか席が用意されていなかったので、アナスタシアが急遽準備させたものだ。


「遅いな」


 アナスタシアがぼやいた。確かに予定されていた晩餐の開始時刻はとうに過ぎていた。


「準備は悪いし遅刻はするし、兄さんは何を考えているんだ……先に始めていようか」

「僕らのことはお気になさらず。せっかく招いていただいたのですから、もう少しお待ちしましょう」


 ユリスがにこやかにほほ笑むと、アナスタシアは胡散臭げな視線を送った。ティアに話したとおり、皇女様は隣国の国王がお気に召さないらしい。知ってか知らずかユリスがさらに楽しそうに話しかけるので、アナスタシアは口元をひくつかせていた。

 いよいよ皇帝候補と対面するんだ、と緊張していたティアも、この険悪な雰囲気を解消してくれるなら皇子でも誰でもいいから早く来てほしい、と思うようになっていた。

 円卓を囲む三人以外の人間は壁際に並び、微動だにしなかった。


 待ちくたびれた皇女が欠伸を噛み殺していると、遠くから数人の足音が近づいて来て、部屋の前で止まった。侍女が扉を開けるより早く、それは自ら扉を開け放った。

 背の高い男だった。ロエンと変わらないくらい大きい。侍女や衛兵が頭を下げ、アナスタシアが「兄さん」と呼んだ。彼が、ガイナ帝国の第二皇子だった。

 しかしティアが注目したのは皇子ではなく、その後ろに付いて来たグレンだった。何故か帝国軍の制服を纏っており、ティアと目が合うと困ったように笑った。


「待たせてしまったか」


 本気で悪いと思っているようには聞こえなかったが、皇子はユリスの元までやってきて一礼した。ユリスとティアも挨拶をするために立ち上がった。


「ようこそお越しくださいました、ウィルノア陛下。ガイナ帝国第二皇子のジルヴァードと申します。どうぞジルヴァとお呼びください」


 妹と同じ紅い髪は襟足で一つに結ばれ前に垂らされていた。尻尾のように胸の前で揺れるそれは、ウィルノアの一般的な男性と比べてもとても長い。アナスタシア程整った顔立ちではないが、不思議と目を引く男だった。年はティアよりも上で、三十ほどだろう。


 ところで、とジルヴァはティアの方を振り向いた。鋭い眼差しにティアは思わずぎくりとした。


「そちらの女性はどなたでしょうか。見たところ、先ほどまで席に着いていたようですが」

「ジルヴァ殿、彼女は私の姉の、」

「姉? ウィルノア陛下には姉君がいらっしゃったか」


 ユリスの言葉を遮った第二皇子は大げさな程驚いた態度を取った。皇女は訝しげな顔をして兄を嗜める。


「兄さん、何度も話しただろう。彼女がティアだよ」

「ティア? 私の知っているティアという人物は、ウィルノアで王位簒奪を目論んだ大罪人だ」


 瞬間、アナスタシアが机を叩きつけ、勢いよく立ち上がった。


「なんてことを言うんだ!! 冗談にしたって悪趣味すぎる!!」

「至って真面目だ。どこの誰とも知らない女が私の開いた晩餐の席に着いている。招いたのはウィルノア国王だけのはずだ。ならば私は彼女が誰なのかを確かめねばならない」

「皇女の私が招いた友人だ、それでいいだろう?」

「アナスタシア、これは重要なことだ。確かに事情は君から聞いた。だがいくら君が彼女を信用していても、隣国の大罪人を客として扱うことは出来ない。私達は皇族だ。それがどんな立場か、よく分かっているはずだね」


 アナスタシアはまだ何か言いたげだったが、厳しい表情の兄を相手に黙り込んでしまった。

 そしてジルヴァはティアとの距離を詰め、顔を覗きこむように屈んだ。


「さあ、君はいったい誰なのかな?」

「私は…………」


 深い翡翠の双眸がティアを貫いた。戸惑いも不安も、すべてを見透かす瞳だった。どう答えるのが正解なのか、何を言えば満足してもらえるのか。考えながらティアは手足の指先が冷たくなっていくのを感じていた。




「僕の姉です」


 澄んだ声が響いた。

 ユリスはティアを庇うように前に立ち、第二皇子と対面した。離れている間に姉を追い越した、大きな背中だった。


「ウィルノア陛下はそうおっしゃるか」

「ええ、そうです。彼女は僕の姉だ」

「しかし世間はどう思うでしょう。貴国にとって、彼女は未だ重罪人だ。王家の籍から排出されたままの罪人を、国王である貴方が姉と呼ぶ。……それがどんな意味を持つか、よく考えた方がいい」


 正論だった。

 ユリスがティアを許しても多くの人にとっては罪人でしかない。案の定、ユリスが恩赦を与えたことで官吏や貴族は国王へ対する不信を強めた。

 それは隣国の皇子にとっても同じだったのだろう。責めるようなジルヴァの視線が、ユリスとティアに降り注いだ。

 見かねたロエンが口を開こうとしたが、ユリスが制した。自分より大きな存在に怯むことなく、ユリスはジルヴァをしかと見据えた。


「……確かに、ジルヴァ殿の言うとおりでしょう。ですが、だからこそ僕はここへやって来ました」

「ほう、と言うと?」

「僕の姉は、無実の罪で王女という立場を追われました。それは今も変わりません」


 ユリスは苦しげに顔をしかめた。大好きな姉を傷つけたのは自分も同じだった。未だ謝ることすらできず、それすら受け入れてくれる姉の優しさに漬け込んでいる。

 ……幸せにするなんておこがましい。せめて彼女がもう傷つかなくていいような、そんな国をつくりたい。それがユリスの望みで、償いでもあった。


「例え国王である僕が異を唱えても、王宮の人間は耳を傾けようとしない。……姉上のことだけじゃない。ウィルノア全体が、正しいものを覆い隠そうとしている」


 ティアは王宮で調べた不正の数々を思い起こした。それを働いた貴族の醜悪な顔や、暴力を振るう騎士の顔も。ユリスの脳裏にはもっと多くの顔が浮かんでいるかもしれない。

 熱が籠ったように、ユリスは力強く訴えた。


「姉上のように何の罪もない人が虐げられたり、正しいことを言った人が責められたり……そんなのは嫌だ。僕は、皆が安心して暮らしていける、そんな国をつくりたい。そのために、貴方達の力を貸して頂きたいのです」


 ユリスの本気の訴えは、ティアの胸に強く響いた。アナスタシアもそうだったのだろう、驚いたようにユリスを見つめていた。

 沈黙が支配する中、皇子は俯き、次第に肩を揺らして大きな笑い声を上げた。



「ハッハッハッ、なるほどなるほど!」


 面白がっているのか、はたまたコケにされているのか。判断がつかず成り行きを見守っていると、ジルヴァがユリスの肩を叩いた。


「いやあ、なかなかに興味深い。分かった、皆席に着いてくれ。ああ、三人ともだ。食事にしよう」


 座るよう促され、困惑しながらもティア達は言われた通りに座った。すると、部屋の隅で控えていた侍女たちが次々と料理を運んできた。温かなスープからはうっすらと湯気が上がっており、その蒸気越しにニヤリと笑ったジルヴァが語りかけてきた。


「まずは俺の非礼を詫びよう。ウィルノア国王、それにティア殿、ようこそ我が宮へ。盛大に歓迎しよう」

「どういうことでしょう。先程から一転、随分と雰囲気が変わられた」

「ウィルノアの国王がどんな人物か、噂通りの昏君かそれとも少しはまともな奴か、確かめてみたかったんだ。試すようなことをしてすまなかったな」

「…………。それで、ジルヴァ殿の見立ては?」


「――愚王にも成り得る、と言ったところか。なに、俺はただの皇子だ。王の地位についたこともない。戯言だと思ってくれ」


 愚王――それが皇子の、次代の皇帝の審判だった。

 ティアにはとても戯言とは思えなかった。その言葉が重くのしかかり、とても食事に手をつける気にはなれなかった。

 一人食事を始めたジルヴァは、大きな肉の塊を丁寧に切り分け濃厚なソースを絡めて口に放り込んでいた。何度か咀嚼した後に酒で流し込むと、ようやく周りが沈黙しているのに気が付いたらしい。


「俺は歓迎する、と言っただろう。もてなしを受けてくれ」


 ティアはおずおずと手近の皿に手をつけた。何かの燻製だが、初めて食べる味だった。きっと美味しいのだろうが、憂鬱で味がよくわからない。一切れでお腹いっぱいになってしまった。


「なんだ、食が進まないのか」

「兄さんがあんなこと言うからだろう」

「さっきのことを気にしているのか?」


 気にしない人がいれば教えて欲しい。

 自分のせいで弟が非難されたようで、ティアはいたたまれない気持ちでいっぱいだった。晩餐前の険悪さすら今では懐かしいくらいだ。


「俺は「成り得る」と言っただけだ。それに、ウィルノア国王の考え自体は嫌いじゃない。ガイナだってウィルノアと同じような側面はまだ残っているし、俺はそれを解決したいとも思ってる。……だが、隣の国に助けて欲しいってのはどうだ。それは君の役目だろう。内政がよそ者に干渉されれば、いつ国を乗っ取られたっておかしくない。そうなれば歴史に残る愚王になるだろうさ」


 晩餐は始まったばかりだった。どんどん豪勢な料理が運ばれてくる。

 会話は無く、パチンと薪が爆ぜる音だけが響いた。


 今回のガイナへの訪問は今後の活路を開くためのものだったが、第二皇子ジルヴァードにより見事にくじかれた。いや、くじかれたどころではない。崩壊だった。

 ユリスが嫌いだと言ったアナスタシアまで、彼に同情的な視線を向けていた。


 しかし、当の本人は平然としていた。優雅に葡萄酒まで堪能している。強がりだろうかとティアが心配していると、ユリスは余裕の笑みを浮かべた。



「いえ、僕がお願いしたいのは――「何もしないでほしい」ということです」




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