平行と交差
翌朝、ティアは自室まで迎えに来たロエンと共に朝食の席へ向かっていた。離宮で働く者は朝早くから活動を始めているようで、廊下を歩いていても数人の侍女とすれ違う。
ロエンは鎧や騎士服ではなく、屋敷にいるときのような軽装を纏っていた。昨夜、ティアのいないところでユリスと話し合い、マリーのために騎士を連想させるような格好は控えることに決めたらしい。帝国側に失礼の無いよう、アナスタシアの了承も得ているそうだ。
そんなことを話しながら食堂へ向かっていると、前方に侍女の集団がいるのが見えた。何かを囲んで大いに盛り上がっている。
「何かしら」
目を凝らしてみると、集団の中心にはユリスがいた。
「ユリス様、食堂へは私がご案内いたしますわ」
「いいえユリス様、この子すぐに迷子になりますの。ここは私が、」
「そんなことより朝の散歩はいかがですか? 外は雪が積もっていますけど、この宮にはとても素敵な室内庭園があるんですよ」
「私、ユリス様と離れたくありませんわ」
なんだあれは。
ティアは思わず立ち尽くした。
見れば、妙に着飾った侍女達が互いを押しのけユリスに近づこうとしている。隣を陣取る色っぽい侍女など、その豊満な胸をぐいぐいユリスの腕に押し付けていた。
「そうだね、僕も君たちと離れるのは辛いな」
しかも当の本人は嫌がるでもなく、侍女たちと熱く見つめ合っている。人を惑わすような妖しげな微笑を受けた集団からは感嘆の息が漏れていた。
ティアの知らないユリスがまだいたのか、と驚いていると、
「ああやってまず女性を味方につけるんです。ユリス様の常套手段ですよ」
とロエンが説明してくれた。
敵だ。奴は女の敵だ。
どこで育て方を間違えたのか。やはり自分が離れたのがいけなかったのだろうか。
ティアは思わず頭を抱えた。
「ユリス様の邪魔をするわけにもいきませんし、先に朝食へ参りましょう」
「……そうね、そうしましょう」
ロエンがユリスと鉢合わせないように道順を変えたので、ティアも大人しくそれに従った。
それでも無意識に耳を立て、ユリス達の様子を窺ってしまうのが姉の性だった。
楽しげな談笑の中、ガイナで女性に人気の品は何かと、ユリスが尋ねた。それに応える女達は自分が贈り物をされると思っているのか、好き勝手に欲しいものを挙げ始めた。皇都にある高級店の新作ドレスや社交界で人気の青琥珀の髪飾り、ある侍女は「ユリス様の隣にいる権利、かな」とかなんとか言っている。しかもそれに応えるユリスの台詞が、「……様、」聞いている方が恥ずかしくなる「……ィア様、」ような、
「ティア様」
何度もロエンに呼ばれていたらしい。聞き耳を立てるのに夢中で、全く気が付かなかった。
真面目な顔でこちらをじっと見るので、ティアは誤魔化すように笑って返事をした。
「な、なあに?」
「いえ。迷わずについて来られているかと思いまして」
ロエンはそう言うが、先ほど角を曲がってからは真っ直ぐな廊下が伸びているだけだ。子どもでも迷わないだろう。
「流石にこんな所じゃ迷わないわよ」
「……それもそうですね。申し訳ありません」
この人がこんな可笑しなことを言うのは珍しいなあ、とティアは思った。風邪でも引いたのかと見上げるが、隣に立つ男はいつもと変わらぬ様子だった。
ユリスの声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
「あれ、そういえばグレンは?」
「……」
「またサボっているのかしら」
「……溜まったツケを払いに行ったのでしょう」
ガイナでもツケを貯めているとは、一体どんな生活をしているんだ。
午後になるとようやく雪が止み、雲間からは太陽が顔を出すようになった。
それでも外の寒さは変わらず積雪の量も凄まじいので、ティア達は宮殿の中にある庭園に来ていた。
侍女の話にも上がっていた通り、その庭園は壮麗たるものだった。
硝子張りになっている高い天井の先からは光が差し込み、その下に植えられた花々が鮮やかに照らされている。ウィルノアには生息しない植物もあれば、春に開花するはずの花が咲いていたりして、寒さ厳しい冬国とはまるで思えない。
庭園の中央にある噴水には本物そっくりのリスやウサギの彫像が置かれていた。噴水の周りには人々が寄り添って座り、憩いの場ともなっているようだった。
「せんせー!!」
不意に聞こえた子どもの声。姿を確認する前に、ティアは身体への衝撃を感じた。
「ダニー!!」
「せんせー!!」
久しぶりに再会した教え子は、ティアに抱き着き飛び跳ねる。頭同士がぶつからないよう、ティアは妙なのけぞりの姿勢を強いらされることになった。
「ダニーは相変わらず元気そうね。会えて嬉しいわ」
「先生、俺もうすぐ軍学校に行けるんだよ!!」
「良かったわね、あなたの夢だったもの」
「うん!!」
満面の笑みを浮かべる少年を見ると、ティアも自然と幸せな気持ちになった。その肩越しにはマリーの姿も見える。
ティアは自分の後ろに控えるロエンに、下がっているよう指示を出そうとした。
「待って」
そう言って、マリーはこちらへ歩み寄ってきた。
「でも、」
「心配しないで。この人と話がしたいの」
マリーがロエンの正面に立つ。昨日とは違い、自分の足でまっすぐ立っていた。
ティアとアナスタシアは少女を心配げに見つめ、ユリスは事態を静観している。ダニーは手を握りしめていた。
「わたし……」
絞り出した言葉の先が見つからず、マリーは俯いてしまった。
そんな彼女を見て、ロエンは深く頭を下げた。
「……同胞が貴女を傷つけたと伺っております。許しを請うつもりはありません。だが、同じ騎士として謝罪をさせて欲しい……本当にすまなかった」
謝罪する騎士の姿に、マリーは打たれたように顔を上げた。そして、震える声で想いを吐き出した。
「騎士は嫌いです。憎いです。今でもあの時のことは忘れられない。もしリディアが助けに入ってくれなければと想像すると、怖くて動けなくなる。騎士は、絶対に許せない」
「……」
「でも、貴方とあの男は違うんですよね。分かっていたけど、昨日は取り乱して、嫌な思いをさせてしまって。……謝ります」
「貴女が謝ることは、」
「いいえ、これはわたしのケジメです。もう、騎士を見ても怯えたりしたくない。だから……」
憎くてたまらない騎士。今でも恐ろしい、悪夢のような記憶。それを克服しようと騎士に立ち向かうマリーはとても立派だ。
マリーとロエンの間に割り込む者は誰もいなかった。少しずつ話をする二人を見守っていると、ダニーがティアの手を引っ張った。
「先生、あっちに見せたいものがあるんだ。来て来て!!」
マリーを心配して振り返ると、アナスタシアが大丈夫、と頷いた。その場は皇女に任せ、ティアは大人しくダニーについて行くことにした。
「ダニーはどう思ったの」
皆から離れて二人きりになったところで、ティアはダニーに問うてみた。姉想いの彼は何も言わなかったが、その胸中では何を想っていたのだろう。
「俺も騎士なんて嫌いだよ。姉ちゃんみたいに怖くは無いけどさ。でも、アイツは嫌いじゃないんだ」
「どうして?」
「……今朝、早く目が覚めたんだ。まだ誰も起きてないような時間にさ。俺は姉ちゃんと同じ部屋で寝てるから、姉ちゃんを起こさないように外に出たんだ。そしたら、窓の下にアイツが見えてさ、見慣れないヤツだなって思って近づいたら、まだ暗くて寒いのに剣の稽古してたんだよ」
ロエンは毎日欠かさず朝稽古をする。それはウィルノアでも同じで、ティアも何度か目撃したことがあった。
「話しかけてみたら全然笑わなくて怖かったけど、でもすごいイイ奴だった。俺はアイツがウィルノアの騎士だって気付いてなかったけど、向こうは俺が姉ちゃんの弟だって分かってたみたいで、さっきみたいに俺に謝ってきたんだ。……俺、アイツが騎士だって分かったらムカついて色々言ったりしたんだけど、それでもずっと謝るんだよ。アイツが悪いわけじゃないのに」
「…………」
「そうしたらなんか俺が悪いみたいじゃん。ごめんって言ってくれたし、あの時の男はもうボコボコにしたって言っててすっきりもしたし、だからまあいいかなって!!」
ティアは喜びたかったが複雑だった。ロエンは自分にとっても大切な人だ。その彼を嫌いにならないでくれて良かった。そう思うのに、「ボコボコにした」という言葉が引っかかる。ロエンは子どもに一体何を教えたんだろう。
「……ありがとう、ダニー。でもロエンみたいにはならないでね」
「うん、俺アイツよりカッコよくなる!!」
ティアは願った。どうかその純粋さのまま、大きくなってください、と。
薔薇のアーチや生け垣で区切られた細い道を進むと、不意にダニーが立ち止った。小さな白い花が咲いている以外には特に何もないその一角に用があるらしい。
「先生、これ見て」
ダニーが見せたのは、緑と茶色が濁ったような色をしているギザギザの葉っぱだった。何かを期待するように見上げてくる。
「チユの葉ね」
「授業でやっただろ! 止血に効くって先生言ってたから、俺覚えてたんだ」
「すごいじゃない」
「へへっ。先生、この白い花も薬になるんだよ」
ダニーは落ちていた花を手に乗せた。小指の先くらいの小さな花だ。チユの葉と一緒に群生する野草の一種だが、それが薬になるとはティアは知らなかった。
「粉にしてから飲むと風邪が治るんだよ。でも、チユの葉と一緒に使ったらダメなんだって」
「そうなの?」
「うん、逆に出血が止まらなくなって大変だってアンナが言ってた」
ダニーが得意げに胸を張る。頭を撫でて褒めると、ダニーはくすぐったそうにしていた。
「……おいお前、姉上にくっつきすぎだ」
突如、どこからか現れたユリスがティアとダニーの間に割り入った。ダニーはそのことを気にも留めず、ぽかんとユリスの顔を見上げた。
「この人、先生に似てるね」
「私の弟で、ユリスっていうの。仲良くしてあげてね」
「えー! 綺麗だから女の人かと思ったのに」
ユリスは硬直した。
が、すぐに気を取り直し、ダニーの頭を掴んだ。
「子どもには僕の男としての魅力が分からないんだろう。まあいい。ほら、姉上と話をするからお前はあっちへ行け」
「後から来たのはユリスだろ」
「子ども、僕のことは「ユリス様」と呼べ」
「俺は子どもじゃなくダニーって名前があるもん」
「お前なんか子どもで十分だ」
「ユリスだって様付けでなんて呼んでやらねー」
聞いている方が馬鹿らしくなる幼稚な喧嘩に、ティアは呆れかえった。二人は次第にティアのことを忘れ、「チビ」だの「男女」だの、凄く程度の低い言い争いを発展(衰退)させていた。
「随分賑やかだと思ったら……アレは何だい。子どもの喧嘩か?」
「アナスタシア」
アナスタシアはユリスを見て小馬鹿にしたように鼻をならした。ティアは弟を援護できなかった。
「そういえばマリーは?」
「心配しなくていい。ほら、あそこ」
アナスタシアが指差した生け垣の先には、ロエンとマリーがいた。二人はこちらに気付いていなかったが、ティアにはマリーが笑っているのが見えた。
「なんだかあっという間に打ち解けたみたいで、仲良くやってるよ」
「本当、驚いたわ。……でも良かった」
はあ、とアナスタシアが大きなため息をついた。
「相変わらず、君はホントにお人よしだね」
「アナスタシアだって心配していたでしょう」
アナスタシアは首を横に振った。
「今回のことだけじゃない。あの騎士も、そこの馬鹿な王様も、よく許せたなと思ってさ。あんなに酷いことをされたんだ、憎んで恨んでが当然じゃないのか」
「誤解や行き違い……そういうものがあったから。今はもう分かりあえたわ」
ユリスはまだダニーと言い争っていた。ロエンは段差を昇るマリーに手を差し出していた。
「本当にそうだったとしても、よく彼らを許せるね。なかなか出来ることじゃない」
「それだけ大切だったってことかな」
傷ついても離れても、それでも忘れられなかった人達。だからもう一度信じてみたいと思った。ユリスもロエンも、かけがえのない存在だったから。
「今、こうして一緒に居られることが幸せなの。夢みたいよ」
ティアの話を聞いても、アナスタシアは納得できないらしい。ユリスを見る目は憎々しげだ。
「ティアらしいと思うよ。……けど、私は彼らを好きにはなれない。君をあんなに苦しめたんだから」
アナスタシアはティアから離れて庭園の入り口に向かった。
「晩餐には兄も来ると言っていた。それまでは自由に過ごしてくれ」