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裏切りの真実

 夏だとはいえ、濡れたままでは風邪を引く。一旦その場は別れ、着替えてからロエンの部屋に向かうことにした。自室に留まって背を向けることも出来たが、そうしてしまえば今度こそ本当に何もかも失ってしまうような気がした。

 部屋へ向かう途中、廊下の窓から横殴りの雨が降っているのが見えた。まだまだ昼の時間帯だが、厚い雲のせいで辺りは薄暗い。遠くからは雷による地響きも聞こえてきた。天候は本格的な嵐に変わったらしい。


 ティアがロエンの寝室に来るのは二度目だった。扉を叩くとすぐに開けられる。出迎えたロエンも、ティアと同様に乾いた服に着替えていた。

 長くなるだろう、そう思ったティアはロエンに断わってお茶を入れた。侍女だからではなく、ティア自身がそうしたいと思っての行動だった。

 正面に座って向き合う。ティアがお茶に口をつけ受皿に戻すと、それを待っていたようにロエンはゆっくりと語り出した。底が見えない真っ暗な闇のような双眸が、ティアを見据えている。ティアは震える手を隠すように、指と指を組み合わせた。


「あの頃、私が貴女にお仕えしてまだ1年足らずでしたが、ティア様を(あるじ)とできたことを本当に幸福だと感じていました。まだ15歳だった貴女は、明るく素直で、王女らしい気品と美しさをお持ちでした。それだけではありません。未だ男性優位のウィルノアにおいて、自ら熱心に政務に取り組まれるお姿は、王女と言う位もあって一際光彩を放っていました。男女の別も貧富の差も、地位も問わずに国民を慈しみ、導こうとする……貴女は自分で思われているよりずっと、人々を惹きつけて止まなかった。私はそれを守りたいと、強く願っていた。」


 いきなり褒めちぎられて、ティアは正直面食らった。今も昔もそんなに立派な人間ではない。落とす前に上げておくと言う魂胆か、と邪推しそうな程だ。しかしロエン自身は真剣そのものに見えたので、横槍を刺すことは止めた。ここで終われば美談だが、話はこれからだ。今は遠い過去の栄光を褒め称えられたからといって、ティアがそれで納得するはずは無かった。


「同時に、そのような貴女に反発する貴族や諸侯も多くいた。既得権益にしがみ付くだけの彼らは、いつか自分の利権を奪われると考えていたのでしょう。次代の国王であられたユリス様とティア様が懇意だったのも、奴らには面白くなかった。王宮の裏で不満は燻り、いつ火が点くかという状況でした。」


 そんな矢先にユリスが倒れた。ティアが入れたシオンの茶によって。

 王女の存在を厭う者に仕組まれ、暗殺未遂・王位簒奪(さんだつ)の罪を被らされたティアはその地位から一気に転落してしまった。


「私は任務でリコの村に滞在していましたので、そこでグレンから一足早く報告を受けました。」

「グレンから?」

「ええ。王女の身に何かあればすぐに私に知らせるように命令……ゴホン、頼んでいましたので。非常にふざけた奴ですが、信用には足る男です。」


 彼らは同期だったはずだが、6年前からはっきりとした上下関係が築かれているらしい。ロエンが隊長になった今では、名実ともに上司と部下になってしまった。


「王女が王子に毒を盛ったこと、死罪が処されること……そして牢から脱し、逃走しているという話を聞いた私は、一刻も早く貴女を助けに行かねば、と思いました。あれほどユリス様を愛していた貴女が、自ら毒を盛るような真似をなさるはずがありませんから。」

「私の無実を、知っていたと言うの? でも貴方は来なかったわ。入れ違いになったわけでもないでしょう。」

「……はい。」


 ここにきて、ロエンは何かを言い淀んでいた。

 実はティアを疑っていた、とか上の命令には逆らえなかった、と言われても、今更別段驚きはしないとティアは思った。

 視線で続きを促すと、ロエンは重たい口を開いた。


「……当時の私はまだ若く騎士団では新米でしたが、貴女を連れて逃げることはそう難しくないと思いました。馬術や剣技にも自信があった。若気の至りかもしれませんが、実際に追っ手から逃れ、生き延びることは可能だったでしょう。」


 ――どうしてそうしてくれなかったのか。かつてのティアもそれを望んでいた。生きるために、助けて欲しかった。互いにそう想い合っていると信じていた。

 それは結局、ティアの独りよがりだったけれど。


「ですが私は気付いてしまった。……それが本当に貴女の幸せなのか、ということに。」

「……どういうこと?」

「私は貴女だけで良かった。貴女以外、何もいらなかった。騎士の地位を捨て、貧しく暮らし、家族に会えず、国に戻れなかったとしても、貴女といられるならそれだけで良かった。二人で逃亡することが、いっそ魅惑的に感じられた程です。…………しかし、貴女は違う。貴女は生まれついての姫だった。」


 自分には貧しい庶民の暮らしは出来ない、そう言っているのかとティアは思った。王宮育ちのお姫様は、豪華絢爛なきらびやかな世界で、ドレスとお菓子に囲まれてしか生きられないと。ロエンはティアの本質を見誤っているのだと。

 だからティアは反発した。この数年間、実際につつましく暮らしてきた。自信の境遇を嘆きこそすれ、貧しい生活に不満は無かった。穏やかに、優しい村人と可愛い生徒に囲まれ、幸せだったのだ。


「私はお姫様なんかじゃない。どんな生活だって送れるわ!」

「そうではない、そうではないのです……。この一週間、王宮で過ごされたそうですね。昨夜帰宅出来なかったのは、陛下のお仕事を手伝っていたからではありませんか?」


 なぜ今そんな話をするのか、ティアには理解できなかった。

 けれどロエンが返事を求めるので、素直に頷いた。


「ユリス様がどのような状況に置かれているかは私も存じております。そんな陛下が貴女を利用しようとすることは想像に難くない。……どうでしたか、久しぶりに政務に携わってみて。」

「何を……?」

「やりがいを、心が満たされるのを、感じたのではありませんか?」


 確かに侍女の仕事よりはやりがいがあった。あれだけ深刻な問題を取り扱ってこう感じるのは不謹慎かもしれないが、ただ掃除したり野菜の皮を剥くよりは、ずっと面白かった。


「そうね。でも、この話がどんな意味を持つの? 話を逸らすのはやめて頂戴。」

「薄々分かっておられるのではありませんか、私の言わんとすることを。」


 心がざわつく。それに気付かぬふりをして、ティアは首を横に振った。

 激しい雨風が窓硝子を叩きつけ、ガタガタと震えている。一瞬、室内が光に包まれ、雷が落ちたことを知った。


「貴女は侍女でも、村娘でもない。この国の中心で、人を導いてこそ輝かれるお方だ。周囲だけでなく、貴女自身がそれを望んでいる。逆に言えば、貴女が真に満足を得られる場所は王宮以外に存在しない。……何度でも言いましょう。貴女は生まれながらの姫だ。紛れも無く、王の血を受け継いでいる。」


 重い地響きが鳴る。先程落ちた雷の振動が遅れて伝わってきたらしい。ティアはもう、ロエンに顔を向けることが出来なかった。


「どこか遠い地で、私と――いや、私でなく誰か愛する人と、たとえ穏やかに暮らせたとしても、きっと心から幸せになることは出来ない。いつの日か、かつての地位を欲してしまう。もしかすれば、愛する男よりも強く。……もちろんそれは悪いことでは無い。それが貴女の性分で、元々貴女のものなのだから。だから私は、貴女と、貴女が還る場所を守りたかった。」

「還る場所……。」

「王女としての地位。……望まれるなら、玉座さえも。だから私は貴女の命を守り、自身は王宮に留まることでその潔白を明かそうと決意しました。……気付かなければ良かったと、何度も自分を呪いましたよ。何も知らずに貴女を連れ去ってしまえば良かった。ティア様と離れたこの6年間、私は世界から光を失ったも同然だった。」


 ……そんなのロエンの勝手な言い分よ。私だってロエンと一緒に逃げたかった。

 そう言いたいのに、言葉が出てこない。ロエンの言葉に、どこか納得する自分がいるからかもしれない。 その事実に向き合いたくなくて、逃げるようにロエンを責めた。そんなことをしても意味がないのに、そうせずにはいられなかった。


「嘘よ……だって貴方は私にその刃を向け、殺そうとした。私が一命を取り留めたのはロエンのおかげなんかじゃない、自分で選んだからよ! あの道を通ったのも、崖に飛び込んだのも、全部私の選択だわ!」

「ティア様が私を信じたと言ったように、私も貴女を信じていたのです。いや、願っていた。想い出の残るリコの村を、母君のご実家ではなく、私を選んで下さると。」

「傲慢ね。」

「おっしゃる通りだ。だが貴女は、私の元へ来た。」


 その通りだった。ロエンを信じ、彼を選んだ。自らが生き残るために。

 胸が軋む。この悪夢のような年月を苦しみ、耐えてきた。それは意味が無かったのだと、全てを覆されることがティアには恐ろしかった。


「本来であればあの場で真実をお伝えし、リコの村からティア様を逃がす算段でした。あそこは国境沿いでもありますから。ですが、思いのほか追っ手も早かった。貴女の潔白を証明するには私自身が王宮に留まる必要があった。他に頼れる人間は、当時の私にはほとんどいませんでしたから。だから貴女に剣を向けたのです。貴女なら必ず、何としても生きることを選ぶと信じて。」

「あの場でよくもそんなに頭が回ったものね。感動するわ。」

「……そうですね。心の赴くまま、何としても貴女を守ろうとすべきだったのかもしれない。」


 しかしそうすれば、ロエンもティアも揃って追われる身になっただろう。二人とも、二度と祖国の土を踏むことは出来ずに。


「貴女を救ったのがグレンでなく流れ者の傭兵団だった点も大きな計算違いでしたが、逆に都合が良かった。彼らは権力に組み従うことを嫌い、一カ所に属さない集団でしたから。……彼らについては、私よりもティア様の方が良くご存知ですね。」


 ロエンの言う傭兵団とは、アンナ達のことを指しているのだろう。グレンに助けられ、真相を知っていればまた違った6年間を過ごしたはずだ。それでも彼女達に拾ってもらえたこと、アンナに出会えたことは、ティアにとって幸運なことだった。彼女はティアの立場を知った上で匿い、安心して暮らせる環境まで整えてくれたし、なによりこの数年、ずっとティアを支えてくれた。


「貴女が無事に生きていれば、後は無実を証明するだけだった。王宮に巣食う闇は濃く、敵は多い、地位が必要ならばと武勲(ぶくん)や戦功を立て、時には取り入り、味方を増やすために信頼の置ける者を集め、隊を作りました。……それでも分からないのです。毒の種類さえ分からず、真犯人を突き止められない。私が王宮へ戻った時には、当事者や参考人は消され、証拠品も全て消失していた。自分の無力さを思い知りました。それでも、なんとか真実の欠片を拾い集めようとし、長い歳月が流れた。私も焦りを覚え始めました。……そんな時です。前国王陛下が、貴女のお父上が倒れられたのは。」




「元々あの事件以来、貴女のお父君は病に伏せがちでした。随分と心労も溜まっていたようで……。これは私の想像でしかないが、あの時性急に死罪を適用したことを悔いておられたのではないでしょうか。」

「父上が……。今は、どうしていらっしゃるの?」

「ある日朝議の最中にお倒れになり、それからはずっと病床に就いておられます。ユリス様の母君のルイーゼ様は、付きっきりで看病をしていらっしゃるとも聞いています。」


 ティアの処刑を決定したのは、父だ。

 でも、その父を恨んだことはティアには無かった。父は王族の継承権争いを酷く嫌悪していたし、絶対に犯してはならないご法度だった。厳しい処罰を与えなければ後世で同様のことが起きてしまう。それでも、もしほんの少しでも、父親として自身の行動を悔いることがあったのならば、ティアは幸せ者だと思った。

 

「ちょうど成人を迎えられたこともあり、ユリス様はすぐに即位され、それと同時にある勅令を発布された。……ティア様、貴女の捜索命令です。」

「6年も経ってどうして? 私は死人扱いされていたのでしょう?」


 ロエンは目を伏せ、首を横に振った。こればかりは彼にも分からないらしい。


「陛下の真意は彼自身にしか分からない。……しかし、ユリス様もまた信じておられたのでは無いでしょうか。王宮でただ一人、貴女が生きていらっしゃるということを。」


 姉弟の再会は、決して喜べるようなものではなかった。辛く厳しい現実を突き付けられ、ティアの心は砕けたも同然だった。昨夜のユリスは、少しだけ違ったけれど……。

 弟の胸中を図ろうとするティアに、ロエンは無情にも言い放った。


「あの方は昔とは随分と変わられた。もし隙を見せられたとしても、貴女は気を緩めてはならない。実の姉弟であっても、彼が今もそう考えているとは限らないのです。」


 それに対しては上手く返事が出来なかった。ティアはまだどこかで、弟は変わらぬと信じていたかったのだ。けれどユリスを近くで見てきたロエンがそう言うのならば、きっと事実なのだろう。


 ロエンの話はこれで一応終了したらしく、すっかり(ぬる)くなったお茶に口をつけている。ティアが外を見ると雨はまだ降り続いていた。雷は、鳴り止んでいた







 ティアは手元に目を向ける。荒れた指。侍女の仕事をこなすために爪は短く切られ、ささくれ立っている箇所もあるが、前にできたひびやあかぎれはもう完治していた。村にいた頃よりは随分とマシになった。


 ――私はロエンに裏切られたのではなかったのか。

 先の見えない迷宮で、自分は置いてきぼりにされたのだと思っていた。けれど彼は、動けないティアの代わりに、たった一人で出口を探しに行ってくれたのだ。

 でも素直に喜べなかった。頭で理解しても、心がついていかない。一人ぼっちの間、たくさん怖い目にあった。寂しくて、孤独だった。

 邪魔な自分を見捨てたんだと、そう思っていた。だから、嫌って、恨んで、憎もうとした。自分が理不尽な目にあったのは、ロエンのせいだと。そう思わずには進めなかったから。

 自分だけじゃない。きっとロエンも苦しんでいたんだ。今なら分かる。


 けど、もっと早く言って欲しかった。

 思わず非難するように声を荒げた。どうしてもっと早く、教えてくれなかったの、と。


 ティアの言葉に、ロエンは深く瞼を閉じた。その姿は何かを懺悔しているようにも見えた。


「……私は卑怯で、臆病だったのです。真実を話し、それでもなお貴女に許されないことが恐ろしかった。」

「でもそれは、私を想っての行動だったのでしょう?」

「主君の意思に背いたことには変わらない。あの時貴女が死なないという確証だって無かった。それに、結果として貴女に貧しい暮らしを強い、悲惨な目に合わせることにもなってしまった。……貴女は私を許されるべきではないのです。」


 許して欲しそうなのに、自分を許すなとロエンは言う。そのまま表情を隠すように俯いてしまった。

 ティアは立ち上がり、ロエンの傍に寄る。見下ろすと、大きな身体が今は小さく見えた。

 ティアが悪いのか、ロエンが悪いのか。二人とも悪いのか、誰も悪くなかったのか。嘘か(まこと)か、正解は分からなかった。


 ――でも。と、言葉が続く。

 でも、ティア自身ですら気づかなかった望みを、この人は叶えようとしてくれた。毎日寝る間もなく、身を削り、ティアの潔白を明かすために奔走したのだろう。すべてはティアのために。


 ティアはロエンの隣に腰かけると、俯いた黒い頭をそっと胸に抱えた。濡れた髪はまだ湿っていて、毛が柔らかくなっている。まるで子どもをあやす様に、ティアはロエンの頭を撫でた。


「……信じるわ、貴方のことを。」

「嘘を、でまかせを言っているのかもしれませんよ。」

「そうね。でも信じることにしたの。」

「貴女は私を、許してはなりません。」


 小さな、くぐもった声が耳に届く。




「…………許さないわ。」


 ティアの審判に、ロエンの肩が少しだけ動いた。いつも凛とした気丈な男の動揺だった


「だから、傍にいて。」

「……、」

「もう離れないで。私を守って……ずっと、傍にいて。」


 ロエンが顔を上げた。闇の双眸は煌めいたように見えたが、ティアの潤んだ瞳が反射しただけかもしれなかった。


「ティア様、」

「私は還る、望む場所へ。私から貴方に誓うわ。」


 ティアはロエンの手を取った。長い指に広い手のひら、剣の鍛錬でできた肉刺がある。ティアとは全然違う、誰かを守るための大きな手。

 その甲に、そっと顔を近づけ、唇で触れる。


「な、何を……!!」


 さっきまでの落ち込み様はどこへやら、ロエンは見事に顔を染めていた。仏頂面は崩れ、口をパクパクさせている。その様子が面白くて、ティアは声を上げて笑った。これ以上ない、満面の笑みだった。


 自分が笑われていることを認識したロエンは、一度咳払いをして、負けじとティアの華奢な手を取った。椅子から降りて身体を屈め、片膝をつく。その動作はとても優雅で、鎧を纏っていなくとも紛れも無く騎士だった。


「私からも再度誓わせてください。この身朽ち果てるまで、いえ、魂のみになったとしても、ティア様を守り抜くことを。…………貴女に、永遠の忠誠を。」


 静かに、まるで神に祈るように。

 柔らかな唇が、ティアの手の甲に触れた。


「……忠誠を、許します。」


 いつの間にか嵐は去り、雨は止んでいた。

 雲の隙間から、何かを祝福するように、眩しい太陽の光が差し込んでいた。





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