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腐敗

――王宮勤め7日目、最終日。


 ティアはユリスに頭を下げていた。

 昨日の出来事を考えれば顔を出そうとする方がおかしいのかもしれないが、ティアは今日も執務室へ赴いた。与えられた仕事は終わっていなかったし、それを投げ出すのは嫌だったからだ。それが例えただの雑務で、ティアがおらずとも他に代わりは幾らでもいたとしても、だ。


 弟に叱り飛ばされながら姉は空想に耽っていた。最初こそ反省したが、そもそもティアは悪くないので自分で自分を責めることは止めた。

 ……姉弟喧嘩をしてもあの頃であれば、大方ティアの方が先に折れたものだ。今回の場合に即せば、「ユリス、昨日は私の思慮が足らず、貴方を傷つけてしまってごめんなさい。」とまず姉が謝り、「いいんです、僕の方こそ強く怒鳴ってしまって……すみませんでした。」と弟が目を潤ませ、「ユリス……!」「姉上……!」ああ、美しい姉弟愛……「おい、聞いているのか。」可愛い弟だったのに、「おい!」


「はい、申し訳ありませんでした。」

「ちっ……。」


 本当にどうしてこんな風に育ってしまったのか、現実の厳しさに直面した姉は、もう何度目か分からないが涙が出そうだった。




 与えられた雑務は一見どれもティアに知られても差しさわりがなさそうな内容だったが、細かい計算を重ねていると、段々と違和感を覚え始めた。それでも何も言わずに淡々と仕事をこなす。しかし、地方都市と王都における農産物の価格変動率を求めていると、その違和感は確信に変わった。明らかにおかしな上昇を見せている項目が複数見受けられるのである。王都での振り幅は小さいから気付きにくいが、財務官が分からないはずはないだろう。なぜこんな状態が野放しにされているのか……いや、不作で生産量が落ち、流通する量も減ったのかもしれない。そうであれば相場が上がるのも説明がつく。

 どちらにせよ他にも幾つかの項目を確認しなければ、はっきりとした結論は出せなかった。


 ユリスを見ると、何かの書状をしたためていた。言われたこと以外に手を出せば、また彼の機嫌を損ねてしまうだろう。それでもティアは手元の問題が気になって仕方がなかった。もし国民の生活を脅かすような事態になっているのであれば、今はもう何の地位も無いけれど、もともと血税で暮らしていた身として決して見逃してはならない。

 ティアは唾を飲みこみ、口を開いた。少し震える声が情けない。


「陛下、ご無礼を承知で申し上げます。過去数年分の農産物各種の収穫高、それと……例年の今頃の変動を記した資料を拝見させて頂けませんか。」


 ユリスは手を止めた。眉を顰めたが、それはティアが声を掛けたことに対してであって、意外にもその発言の内容にはさして驚いていないようだった。


「……僕の目の見える範囲でなら。」


 ティアは礼を言って、早速資料を探し始めた。先日ユリスが書庫から持ってこさせた文献の中にそのどれもが揃っていたのは、偶然ではないかもしれない。羽ペンを握る手に熱がこもった。




 日が暮れても二人は帰らなかった。ティアは既に与えられた雑務は終えており、それを伝えれば帰れるのだが、そうはしなかった。いつの間にかユリスも難癖をつけるのを止めていた。


「陛下。」


 大きな机案の向こうにいるユリスは、目を通していた書類から顔を上げて手を組んだ。こうして改めて対峙すると威圧感があり、彼がウィルノアの国王だということを改めて思い知らされる。


「どう思った。」


 ……やはり自分は試されていたんだ。

 ティアは手にした紙片を机の上に広げた。


「価格の上昇が異常な品目が散見されます。多くは農産物ですが、特に凶作が起きたわけでもなく、生産量も例年と変わりありません。一部商人による買い占め・独占が行われた可能性も考慮しましたが、王都内での流通量にも然したる変化は無く……。」

「御託はいい、結論を言え。」

「誰かが不当に内国関税をかけている、と考えました。」


 恐らく地方に領地を持つ貴族達が、と言葉を重ねる。

 ユリスは組んでいた手を下ろし、ゆっくりと立ち上がるとティアの方は見ずに窓際まで歩いた。背中しか見えず、どんな表情をしているのかティアには分からない。外はもう真っ暗だった。


「その通りだ。」

「……こんなこと、財務官が知らないわけがありません。特例を除いて内国関税は廃止されたはず。どうしてこの様な状況を放置していらっしゃるのですか。」

「そこの、緑の表紙の報告書を見てみろ。」


 机案の脇に置いてあったそれを取り上げる。それなりの厚みがあり、柔らかい皮の表紙で綺麗に綴じられている。開いて中を見ると、それは報告書というより帳簿だった。ティアが計算したものと同じように、それぞれの品目の原価や生産量、地域別の市場価格が記入されている。数枚捲ってみても、特に問題になるような箇所は見当たらなかった。最後まで目を通してもそれは変わらない。最初に戻り、大きく記された調査の日付を見て、やっとユリスの意図を理解した。これはティアが出したのと同じ期間の記録だ。それなのに中の数値が全然違う。


 ティアがユリスを振り返っても、彼は外を眺めたままだった。


「嘘でしょう、国王に上がってくる報告が改竄されているなんて!」

「よくあることさ。農産物に限ったことじゃない。各部門に当てた予算の使い道だって、僕の元に来る報告とは全く違っているだろう。」

「こんなこと許されない、立派な罪よ。気付いた誰かが、」

「……すべてが仕組まれていたとしたら?」


 ようやくユリスが振り返った。口元は笑っているのに、瞳の中には何の光も浮かんでいない。嘲笑も憤怒も憎悪も、成長した弟の色々な表情を見てきたがこんなのは初めてだ。ティアはぞっとした。


「みんな、僕以外の高官の言いなりになっていて、何一つ真実が伝えられていないとしたら?」

「そんな、そんなこと……」

「それが事実だ。若すぎる王は何も知らない、分からない。そうやって気付かないと思って好き勝手にやっている。」

「じゃあ、この情報はどうしたの?私が出したこの結果だって、貴方に与えられた数値を元に出したのよ。こんなウィルノア全体の生産量や市場価格なんて、いくら国王でも一人で調べられるものじゃないわ。」


 すっかり敬語が取れていたが、ユリスはそれを指摘したりはしなかった。男の人にしては随分と細い手を額に当て、ため息と一緒に言葉を零す。


「若くて優秀なのが何人かいてね、彼らと……ロエン達に、あちこち駆け回ってもらっている。僕もこればかりにかまけてはいられないから、暇そうなお前を使ったんだ。処刑されるよりはいいだろう?まあ、僕の補佐官に比べれば雲泥の差だがな。」


 実際にティアの計算は早くなかったので、何も言い返せなかった。ユリスはいつの間にかいつもの調子を取り戻し、ティアの愚鈍さについて不平不満を述べ始めた。そんなことを言われて当然気分は良くないが、さっきのような表情をされるよりはずっと良い、ティアはそう思った。


「分かっていらっしゃるなら順に捕らえられたら如何ですか。まさか騎士団まで他の貴族に牛耳られてはいないでしょう。」


 騎士団が忠誠を誓うのはウィルノア国王に対してであり、団長、副団長、隊長以下含め一人も残さず国王の御許にある。それが通らねば国家の転覆になってしまう。

 ティアが息巻いてそう言うと、人を小馬鹿にしたような態度でユリスに見下された。


「数人を見せしめとして捕まえた所で、一時は収まってもまた同じような事態になる。首謀者は表立っては出て来ないし、しっぽを切らされるだけだろう。僕に限ったことでなく、父上の時代も程度はあれ同様の政治腐敗はあった。」

「だからと言って何も対策を取らない理由にはなりません。」

「無論だ。尾でなく本体を探す。そのために国王陛下様は何も知らない馬鹿な昏君(こんくん)のふりをして、泳がせるさ。だからといって全員検挙するのは難しいが……。」

「どうして、」

「そんなことしてみろ、誰が国政を担うんだ。体制を立て直す間に他国に侵略されても文句は言えないぞ。……ガイナ帝国の第一皇子は領土拡大に対して強硬派だとも聞いている。」


 一気に気が重くなった。かつて愛したこの国の汚職がこんなに進んでいるなんて、ティアはちっとも知らなかった。だが、薔薇男のような人間が王宮に巣食っている貴族だと考えれば、その実感が湧いてきた。この国の役人はあんな人間ばかりなんだろうか。


「そういう奴らは他にも不正を働いているから、その罪状でロエン達に資産を取り上げてもっている。……関税についてはまだ目星も立っていない。お前、ここまで首を突っ込んだんだから最後までやれ。」

「……はい、やらせて頂きます。」

「ちなみに今夜中にだ。」

「えっ、もう日が落ちてから随分と時間が……。」

「終わらなければどうなるか分かっているだろう、やれ。」


 そう言い捨てると、ユリス自身は執務室を出て行ってしまった。

 仕方がないので不法な関税がかけられていると推測される地域を、貴族の領有地やその地域を治める執政官と照らし合わせる作業を開始した。






 ユリスはなかなか戻って来ず、ティアは一人お腹を空かせながら地図に書き込みを入れまくっていた。昼は逃げ回っていたので昼食もろくに食べていない。ロエンの屋敷の美味しい食事が恋しかった。

 あの人、この事案を丸投げして自分はもう帰ったんじゃないわよね……。あまりに長い時間一人でいたので、ティアが疑いを持ち始めていると、小さく扉が叩かれた。ユリスはそんなことはしないし、一体誰だろう。


「おや、君は……。」


 入ってきたのは眼鏡をかけた男性だった。鳶色の長い髪を後ろで緩く括っている。ティアも良く知る人物だった。


「レイナールせんせ……レイナール様。」

「先生で構いませんよ。」


 姉弟の教育係だったレイナールだった。ユリスの叔父でもあり、非常に優秀な人材だ。以前にはなかった白髪が混ざり少し老けて見えたが、穏やかな微笑は変わらない。

 この3日間で、国王の執務室にユリス以外の人が立ち入るのは初めてだった。ティアが物言いたげな顔をすると、レイナールも同じことを思ったらしい。


「ここにいるということは、陛下の許しは得ていますよね?」

「はい、勿論です。」

「そうですか。……私は陛下に用があったのですが、いらっしゃらないのなら待たせて頂きましょう。」


 そう言うとレイナールはティアの前に座った。手には何かの書簡を持っている。

 ティアはお茶でも出すべきかと迷ったが、彼があの事件のことを知らないはずはないし、ユリスと同じような反応をされても困るので、結局大人しくすることにした。


「……思っていたより元気そうで安心しました。ここに来る前は教師をしていたそうですね。騎士団からの報告を受けて、貴方らしいと思いましたよ。きっと良い先生だったでしょう。」


 かつての師にそう言われると、とてもきまりが悪かった。けれど、内心はどうであれ、他の役人のように自分を責めずにいてくれるという嬉しさがそれに勝った。


「いえ、そんなことは。……けれど、レイナール先生のようになりたいと思っていました。」

「ふむ、では怒ると怖い先生だったのかな?」


 ティアは思わず声を上げて笑った。レイナールは普段温厚な分、一度怒るととんでもなく恐ろしかったからだ。ティアも幼少期はよく叱られた。レイナールも釣られたように、目元に皺を寄せてくつくつと笑っている。

 続きを促され、ティアは村の子ども達との温かい思い出話を語った。こんな話をするのはレイナールが初めてで、彼の人柄がそうさせるのかもしれなかった。


 レイナールは頷いたり時々相槌を挟んでいたが、ティアが喋り終わると懐かしいものでも見るようにしみじみと言った。


「貴女は変わられない。」

「はい、お恥ずかしながら。全く成長していなくて、」

「そうではありませんよ。……本当に、眩しいくらいです。」


 にっこり笑う先生の笑顔の方が眩しいです、とティアは思った。

 私も年を取りましたかね、と言ってレイナールが席を立つと、ちょうどユリスが扉を開けて戻ってきた。レイナールがいるのを見ても、そんなに驚いた様子は無い。


「叔父上。」

「陛下、お探ししておりました。先日の……」


 ユリスはティアを一瞥した。盗み聞きするな・仕事しろ、という心の声が伝わってきて、ティアは作業に戻った。


 不当な関税がかけられていると思しき地域は大きく分けて3つ、どこも地方都市の要所が含まれている。問題はどの時点で価格の引き上げが行われたか、だが……。流通途中で巧妙に仕組まれているものだけでなく、最初から原価に上乗せしているものまである。最初からさらさら隠す気がないのが見て取れ、どれだけ国王を侮っているかがはっきりと表れていた。これはティアやユリスが調べなくても、近いうちに商人が暴動を起こしたのではないだろうか。


「陛下、いくら姉君といっても彼女は大罪人です。あの様なことまで手伝いをさせて、貴方が許しても周りの者がどう思うか……。」


 不意に、自分の話題が耳に入ってきた。ティアはさも仕事をしているふりをしながら聞き耳を立てた。


「分かっている。人手が足りない以上使えるモノは何でも使っているだけだ。この女を許す気も無い。邪魔になれば監禁でもする。それでいいだろう?」

「……ええ、陛下の決めたことに逆らうつもりはございません。ですがその立場は御自覚下さい。」


 それでは、と言ってレイナールは退室した。

 レイナールが来るまではずっと2人っきりだったのに、空気が重たくなったようにティアは感じた。先生の癒し効果が消えた所為だろうか。


「終わったか?」

「まだです、申し訳ありません。」


「……隣の部屋に軽食を用意させた。」


 予想だにしなかった台詞に、首を傾けた。この人は今なんと言ったんだろう?


「腹が減ったなら食え。……毒が入っていない保障はしないがな。」


 持っていた羽ペンが手から転がったのも気にせず、ティアは弟を凝視した。驚きのあまり呼吸まで止まっている。

 そんな姉を見て、弟は何度目か分からない舌打ちをした。




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