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虎口を逃れ

 その日は結局、ティアの正体がばれることはなかった。持ち場にいないのを見かねてやってきた侍女長の一喝によって皆散り散りになってしまい、他の使用人と顔を合わせることもなく無事に屋敷まで帰ることができた。

 玄関前ではセバスチャンが不安げな顔をして待っており、ティアは胸が暖かくなるのを感じた。ティアが攫われた後に王宮からの伝令が来たらしく、彼は事情を理解していてくれた。それどころかセバスチャンは、主人の留守の間にその侍女を攫うなど陛下といえど許せぬ、と憤慨していた。放っておくとそのまま抗議に行きそうだったので、ティアが必死に宥めねばならなかった。






 ――翌日。

 王宮へ行くと一転、周りの雰囲気が昨日とは異なっていた。使用人用の出入り口から中に入ったが、すれ違う人々からの冷たい視線がティアに突き刺さる。興味、嘲笑、蔑み、恐怖……向けられる感情には覚えがあった。柱の陰でひっそりと交わされる会話の内容だって分かる。「裏切りの元王女が帰ってきた。」「大罪人だ。」「ああ、恐ろしい!」謁見の間で浴びせられたものと同じだった。

 この国ではきっとこれが当たり前の反応で、ロエン邸での扱いの方が異端だったのだ。ただ与えられただけのあの場所を、ティアは酷く恋しく感じた。


 その日の持ち場がまたよりによって大広間だった。王宮の玄関口、あらゆる通路の交差地点、城の中で最も人通りが多いこの場所で仕事をやらされるらしい。誰が意図したか知らないが明らかに仕組まれた嫌がらせだった。遠巻きに指を刺され、陰口を叩かれる。通りかかる高官などは嫌味を吐き捨てて行った。


「おや、見慣れない顔だ。」


 ……これで何人目だろうか。10を超えてから数えるのを止めた。既にティアは悲観するのも嘆くのも馬鹿らしくなっていた。

 声の主は頭部が寂しい官吏の男で、にやにやとティアを見下していた。他の侍女と同様に頭を下げると、相手の身に着けた高級なローブが視界に入った。緑のベルベット調の生地に赤の刺繍、裾は金で縁取りされていて趣味の悪さが窺える。


「なんと王女様ではないですか!こんな所で何をなさっているのかな?……ああそうか、今は元・王女様、でしたな!はっはっは!!」


 わざとらしい官吏の発言に周囲も同調して嘲笑った。

 こういう輩には言いたいだけ言わせておけばいい。ティアは早く去ってくれないかなと思いながら、気味の悪い刺繍を見つめることに集中していた。様々な模様を作る赤い糸を追いかけていくと、沢山の薔薇が描かれている。頭を下げる前に見た男は、薄い頭にお腹がでっぷりと出た、いかにも中年といった風貌だった。何故この柄を選択したのか、似合わないにも程がある。


「おい、聞いているのか!……ちっ、陛下の恩情で生きながらえているだけの女が!」


 薔薇男は捨て台詞を吐いて去って行った。最後まで格好が悪い。


 打たれ強くなったのか麻痺してしまったのか、とにかくティアは自分が無実だと知っていたので開き直っていた。いつまでもくよくよしていては前には進めない。現状進んでいるとは言い難いし、ロエンからは逃げ回っていたが、それでもティアが打ちのめされ悲観する様を期待する人達には、そんな姿を見せたくなかった。




 ティアへの心無い仕打ちは役人だけに留まらず、むしろ侍女によるものの方が熾烈を極めた。


 まずは些細な嫌がらせだった。拭き終えた廊下に水を撒かれたり、5人来るはずの持ち場に誰も来なかったり、そこに何故か鼠の死体がごろごろ転がっていたり……ティアは鼠を見て叫び声でも上げればいいのだろうかと考えたが、村ではこんなもの日常的に目にしていた。一緒に暮らしていたと言ってもいい。その処理も元王女とは思えないほど手慣れたもので、全く苦に感じなかった。


 それが更に彼女達を焚きつけてしまい、次の日には洗面所の個室を掃除しているところへ上から水をかけられた。びしょ濡れでは仕事にならないので庭に出て服を絞っていると、頭のすぐ横に壺が落ちてきた。直撃していれば無事では済まなかっただろう。流石にぞっとしていると、壺が割れた音を聞きつけた侍女長に何故かティアがこっぴどく叱られた。世の中は理不尽にできているらしい。




 段々過熱していく仕打ちに然しものティアも辟易とし始めた頃、またしても例の薔薇男が現れた。


 今日も今日とて薔薇模様が描かれた毒々しい色のローブを身に纏っているが、暑くないのだろうか。見れば額から滝のように汗が流れ、布地に新たな模様が出来上がっていた。


「君、今夜どう?色々と困っているだろう?」


 しかもティアが一人で廊下を掃除している隙を狙って迫ってきた。この間は罵倒までしていたのにどういう心境の変化だろう。


「君の態度次第によっては陛下に進言して罪を軽くしてあげられるよ?」


 当時の第一王子暗殺未遂の罪状を、一体全体どうすれば軽くできるというんだ。この人が犯人でした、と自首でもしてくれるのだろうか。

 ……装いだけでなく、頭の中までお花畑なのかしら?

 呆れ果ててティアは二の句が告げなかった。

 そんなティアの沈黙を肯定と受け取ったらしい薔薇男は、妙にくねくねしながら更に近寄ってきた。非常に気持ちが悪い。仕事があるので失礼します、と断り、手桶を持ってその場から離れた。




 しかし薔薇男は諦めが悪かった。

 次の日もティアが1人でいるところを見計らってはこっそり近づいて来た。ティアは男がいつ仕事をしているのか疑問に思いながら、巧妙に避けて仕事をした。面倒だったがロエンから逃げることに比べれば楽だった。

 侍女達の嫌がらせも止まらず、薔薇男を避けて行き着いた先の食堂でティアは彼女達からも逃げ回る羽目になった。本当は逃げないで立ち向かいたいが、次々と食器が飛んでくるので何とか身を反らせるだけで精一杯だった。


「あんたみたいなのがどうしてのうのうと生きてるの?」

「陛下に背いた、国家の反逆者!」


 嫌な予感がして慌ててしゃがむと頭の上を白い円盤が通過し、派手に皿が割れた。誰が片づけるんだろう。

 侍女達は食堂にあったありとあらゆる物を投げつけてきた。中身が入ったままのポット、大小様々な皿、盆、燭台、余りもののパンや果物……食堂の長い机をぐるぐる走り回って追いかけっこを続けていると、ようやく知恵を働かせたらしい侍女達はティアを挟み撃ちにしてきた。壁際にじりじりと追いやられる。風を切る音がして顔の横にナイフが突き刺さった。侍女の腕を褒めるべきか、ナイフの切れ味を褒めるべきか……どちらにせよ絶体絶命だ。改めてナイフやフォークという素晴らしい凶器の存在に気付いたらしい彼女達は、それらを順々に隣の人に手渡ししている。仲が良くて羨ましい。


「自分を殺そうとした女が同じ空気を吸っているなんて、ユリス様がお可哀想だわ!」

「ユリス様はお優しいから……代わりに私達がこの女をやっつけましょう!」


 侍女達は各々大義名分を掲げて襲いかかってきた。その姿はさながら王国の騎士である。

 ナイフやフォークくらいで死ぬことはないと思ったが、彼女らを見るとそうも言っていられないかもしれない。恍惚の表情を浮かべ、その目にはぎらぎらした異様な光が灯っている。欠片ほどの罪悪感も感じていないようだ。彼女達は自身の行動を紛れもない正義だと考えているのだろう。悪はティア。悪は滅せよ、排除せよ。そんな心の声が聞こえる。


 ティアは体当たりで扉の前の侍女の包囲網を突破し、廊下に出た。走りながら後ろを見ると、雪だるま方式で人数が増えている。しかも運悪く曲がり角で薔薇男にまで出逢ってしまい、ティアは大軍団を引き連れて城中を駆け回った。




 全力疾走の末に体力が尽きて足を止めると、ティアは知らない場所に来ていた。普通の廻廊に見えるが、ティアの息切れ以外は物音ひとつせず、ひんやりとした空気が流れている。


「――!」


 どこからか静寂を破る薔薇男の声がして、ティアは近くの部屋に忍び込んだ。なんてことのないただの部屋で、扉には鍵も付いていない。男はすぐにやってきて、扉の前で立ち止った。隠れる場所も無く、ティアは逃げ場を求めてテラスに出た。


「ここかな~? 」


 地上は遥か遠い。下から風が吹き上げて来て、まるで6年前のようだと思った。崖から飛び降りても助かったのだからここから落ちても何とかなるだろうか。ティアは横の手すりに足をかけた。……高い。無理そうだ。ああ、こんなことなら村にいた時にアンナに護身術でも習っておけば良かった。

 微妙に現実逃避しつつ横を向くと、テラスは無いが隣の部屋の窓が開いていた。


「どこに隠れたのかな~?」


 薔薇男は待ったなしに窓際までやって来ていた。


 ええいままよ、とティアは片手で手すりを掴んだまま外へ身を乗り出し、壁面の横に続く出っ張りに足を乗せた。中に水を流す配管でも通っているのだろう。ティアの足の横幅がぎりぎり収まるくらいの広さだった。両足を乗せ、壁の微妙な凸凹を手でとらえて少しずつ進む。意外に安定していたが背後を振り返る余裕などあるはずもない。

 どうして自分の人生は逃げてばかりなのだろう、とティアは思う。挫けず前へ進みたいがちっとも状況は改善しない。一歩進んで二歩下がっているようだ。


 隣の部屋は、2枚の窓のうちティアとは反対側のそれが外向きに開いており、簡単に部屋へ入れそうだった。窓枠を掴もうと必死に腕を伸ばす。






「……何をしている。」


 そこから出て来た自分とそっくりの顔を見て、ティアは本当に絶望した。





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