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黄昏の王

 謁見の間の前で待たされる間、ティアは何度も深呼吸をした。目の前にそびえる巨大な扉は何度も見たことがあったのに、初めて見るような気がする。入り口の両脇には背筋を真っ直ぐに伸ばした騎士が佇んでいる。知らない顔だ。この数日で何人もの騎士に出会ったが、今のところ自分の横にいる忌々しい仏頂面しか知り合いを見ていない。けれどこの扉の先には長い時間を共に過ごした家族がいる。不安と微かな期待が渦巻いて、心臓は破裂寸前だった。もう一度、ゆっくりと深呼吸をした。


 重い音が地を鳴らし、玉座への道が繋がる。生きるか死ぬか、決まるのはここだ。




 騎士の一歩後ろを、赤い絨毯を踏み締めながら歩く。いくつもの窓から夕日が差し込み、広間全体が茜色に染まっていた。左右には騎士や高官が控え、何人か見覚えのある顔もいる。皆一様に刺すような視線を送ってきたが、ティアは正面だけを見据えた。その先の一番高い位置、国王だけが座ることを許されたその場所に、彼はいた。壇上の手前で立ち止り、最上位の礼節を以て頭を垂れる。相手はこの国の頂点だった。


「ティア=カークランドを連行いたしました。」


 呼ばれた名からは王家の姓が取り払われていて、王族から追放されたと知った。分かっていたことだが、ティアが連れてこられたのは歓迎のためではないらしい。何を言われるのか、心臓の連打が耳に響く。しかし聞こえてきたのは臣下たちのざわめきだった。


「陛下、お止め下さい!危険でございます!」

「その女は陛下を殺めようとしたのですよ!」


「良い、気にするな。」


 透き通るような男の声で広間は一気に静けさを取り戻す。すぐ近くから柔らかい声がかかった。




「姉上、どうか顔を上げてください。」


 ティアが静かに頭を上げた瞬間視界が金色で埋まり、はずみで後ろに手をつく。花のようないい香りが漂って、抱きしめられていると理解した。それが誰かは考えるまでもなかった。耳元で囁かれる様に喋られ、とてもくすぐったい。


「ずっと心配していたんです。本当に、会いたかった…………本当に……」

「ユリス……」


 ティアは最悪な対面を想像していたが、ふたを開けてみれば感動の再会だった。嬉しくて、ここ数日の冷酷な仕打ちで傷ついた心が癒しで包まれる。背中に回った腕は痛いくらいに強く力がこもっていて、大人の男への成長が実感される。……ふと、弟の肩が震えていることに気づいた。まさか泣いているのだろうか。ティアは床から手を離し、その肩を抱きしめ「と、でも言うと思ったか。」よう、と、




「え?」

「はっ、とんだ間抜け面だ。」


 回された腕は外され、狂気に満ちた笑みがティアを見下ろしていた。誰だこれは、これがあの愛くるしかったユリスなのか。狼狽えるティアを見て周りの臣下がどっと沸く。騙されていたんだ、と虚脱感が襲った。天国から地獄へ堕ちた気分だ。


「よく僕の前に顔を出せたな……この裏切り者が!」


 連れて来られたのはユリスの命令であってティアの意思ではない。ひどい横暴だ、とティアは思った。それに彼は未だ毒を盛ったのはティアだと考えているようだった。それは真実ではない。ティアは叫んだ。


「私、あなたを裏切ってなんかいない!何もやっていないの!」


 すかさず周りから怒声を浴びせられ、ティアは身をすくませた。ここにはティアの味方は誰もいない、一人ぼっちだ。ここで踏ん張らなければならないのに、聞いたこともないようなたくさんの汚い言葉で罵られ、我慢できずに下を向いてしまった。赤い絨毯が滲んで見える。


「なんだこの汚い髪は。」


 蔑むような声が降り、元の色と染粉の色で斑になった髪を思いっきり引っ張られた。痛みを緩和しようと自然と腰が浮く。そんなティアを一瞥し、ユリスは自分の方へ思いっきり引き寄せた。鼻と鼻がくっつきそうな距離だ。どんな顔で自分を見ているのか、ティアは弟と視線を合わせることができなかった。


「そうやって身なりや名前を変えれば別人になれるとでも思ったのか?」


 そうだ、とティアは思った。そう信じ、つつましく暮らしてきた。けれどそれの何がいけないんだ。無実の罪で祖国を追われ、家族を失い、信じた者に裏切られ、それでも生きていくためにはそうするしかなかった。王宮で育った人間が他の国の小さな村で暮らすのは辛く大変だったが、それでも泣き言は洩らさなかった。色んな思いが込み上げてきて、目頭は熱くなり喉の奥も震えた。どうして自分だけがこんな目にあわなければいけないんだ。どうして誰も分かってくれないんだ。


「僕を見ろよ。」

「やめて、もう放して……っ。」

「僕を見るんだ!!」



 紫苑の瞳が、交差した。



「……似ているだろう。母親が違っても、どれだけ離れていても、僕たちは憎らしい程似ているのさ。」


 6年間ティアが疎み、隠していた顔がそこにはあった。男女の違いはある。けれど目元、鼻筋、唇の厚さや肌の質感、どれをとってもティアとそっくりだった。紛れもない血の繋がりが、ウィルノア王家の血が二人の間には流れていた。ただ、その瞳に浮かぶ憎悪の色だけが異なっていた。


「僕が邪魔だったんだろう。だから消えてほしかった。」

「そんなこと思ってない!ねえ、本当に思っているの……?私が、貴方を裏切ったって、本当にそう思っているの!?」

「っ誰かこのうるさい女を黙らせろ!」


 王を守るように立っていた護衛の騎士がティアを後ろ手に拘束し、何か布のようなものを口に詰め込んだ。吐き出しそうになると無理やり押さえつけられる。惨い仕打ちだと思った。いつの間にかユリスは玉座に戻り、抵抗できないティアを憎しみのこもった目で見下ろしていた。


「どんな罰を与えてやろうか。」


 途端に外野が活気づき、殺せ、処刑しよう、などの言葉が飛んだ。誰かが見世物にしようと提案するとその一帯は更に盛り上がった。娼館に入れろという声も聞こえる。引き裂かれたズタズタの心が、それでも死にたくないと叫ぶ。くぐもった音と一緒に涙が零れた。


「黙れ!」


 ユリスが声を張り上げ、瞬く間に辺りが静まる。臣下たちは困惑して顔を見合わせた。


「決めるのは僕だ。この女には、僕が味わったものと同じ苦しみを与える。そうだな……ロエン、お前はどう思う。」

「…………。」

「殺したつもりの相手が目の前で生きているというのは、どんな気持ちなんだろうな。」


 それがどちらに向けられた言葉なのか、答えはユリスしか知らない。ティアはかつての護衛の名が呼ばれたことで、裏切りの瞬間を思い出した。逃げて、縋った、信じていた人は、その刃をティアに向けた。今度こそ本当にこの男に殺されるのかもしれない。恐怖に満ちて青ざめていくティアの様に、ユリスはほくそ笑んだ。


「……自身を裏切った騎士の下僕となるのも面白い。お前は今日からロエンの下女だ。自分を捨てた従者に、今度はお前が忠誠を誓うのさ!」



 あんなに一緒だったのに。

 もう言葉の一つさえ、届かなかった。



 主従関係は逆転した。ティアはこれから主人となる男に手を取られ、その場を後にした。

 焼けるような夕日は色を変え、暗い夜の闇が押し寄せていた。









 帰りの馬車の中、ティアは俯いて手を握り締めていた。強く握りすぎて柔らかい皮膚に爪が食い込み、今にも突き破りそうだった。ロエンはなぜか向かいではなく隣に座っており、目を瞑って何か思案した様子を見せるとそっとティアの手に触れた。……慰めのつもりだろうか、白々しい。払いたくて仕方がないが、自分はこの男のしもべになったのだった。


「貴方の手が穢れてしまいます、離して下さい。」

「そのようなことはありません。……どうか自分を傷つけるのはお止め下さい。」

「ご心配痛み入ります。私は平気ですので、お気になさらず。」


 ロエンは手を離さなかった。

 ティアの手がぼろぼろなのは本当だった。冬にできたひびやあかぎれはまだ完治していなかったし、爪は割れて土や砂が入り込んでいた。対してロエンは男性のものとは思えないほど傷一つない美しい手先をしていた。村にはこんなに綺麗な手の持ち主はいなかっただろう。けれどもティアに触れている手の平の皮は厚く、剣を握る箇所には肉刺ができていた。

 その後は馬車が止まるまで会話も交わされず、結局手が離されることもなかった。先に降りたロエンがエスコートしようとするが、ティアはそれを無視して一人で降り、目前にそびえ立つ大きな屋敷を見上げる。貴族の屋敷にしてはそう大きくもないが、あちこちに施された細かい装飾はきっと名のある職人の手によるものだろう。建てられて新しいようで、白い外壁が暗がりの中ぼんやり光って見える。中に入ると優しそうな顔をしたお爺さんに迎えられた。恭しくお辞儀をされたのでティアも同様に礼を返す。彼が家令であれば、これからはこの人の下で働くことになるだろう。


「部屋は。」

「はい、準備できております。」


 二言三言会話を交わすと、ロエン達は歩き出した。エントランスやその先の廊下も、大理石や高級そうな敷物が敷かれていて、ティアは今更ながら汚れた靴で歩くのが躊躇われた。けれど二人はどんどん奥へ進んでいくので、できるだけ砂や埃を落とさないように気を付けてついて行った。

 到着した場所は誰かの寝室のようだった。広々とした部屋には天蓋付きの、3人は寝られそうなベッドが置かれている。柔らかそうな椅子や華奢な脚のテーブルも設置され、日当たりのよさそうな大きな窓には花模様のカーテンが引かれていた。他にも高価そうな調度品備えられている。素敵な部屋だが、まさかロエンが可愛い花柄趣味だとは思えない。きっと妻か恋人か、そういった人のための部屋なのだろう。

 ロエンは扉を開けたまま相変わらずの仏頂面でティアを見下ろしている。何か視線で訴えているようだが怖いだけで全然分からない。十分綺麗に整えられているが今から掃除しろとでも言いたいのだろうか。ティアは思い切って聞いてみた。


「奥方様のお部屋ですか?」

「いえ、貴女の寝室です。」


 思わず「えっ」と声を上げてしまった。明らかに下女の使っていい部屋ではない。王宮ですらもっと狭くて質素な部屋に、複数人で寝泊まりしていたはずだ。それともここの侍女は破格の待遇を受けていて……いや、また騙されていて、ティアの呆けた顔を見たいだけかもしれない。疑心暗鬼になってその場から動こうとしないティアの肩を、白い髭と笑い皺が特徴のお爺さんがポンと軽く叩いた。


「たくさんあるお部屋も余っていますから、どうぞ遠慮なく使って下さい。」

「は、はぁ……そうですか。」


 その後も色々と理由を並べて、この部屋はティアのものだということを力説してくれた。どうしてもこの部屋で寝泊まりをして欲しいらしい。勢いに押されてティアが納得していると、付け加えるようにロエンが言った。


「あと、私に妻はおりません。」

「そうですか。」






 二人と別れ、ティアは寝台に横になった。身も心も限界を超えている。身体を洗わなければ真っ白なシーツを汚してしまうと思ったが、柔らかなベッドに捕らえられると一歩も動けなかった。……まさか自分がロエンに仕える日が来るなんて。自分を殺そうとした男と同じ屋根の下で寝るのは恐ろしいが、今はまだ生きている、生きているんだ。この手には、もう何も残っていないけれど。


 その夜ティアは夢も見ず、死んだように深く眠りについた。




読んで下さった方、お気に入り登録、評価などして下さった方本当にありがとうございます。

とても嬉しく、励みになります。

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