命脈
「先生ー!」
「リディアちゃん!!」
村人が助けに来たことを悟り、ティアの上にいた騎士は舌打ちをして立ち上がった。いくつもの炎の揺らめきが辺りを照らす。とりあえず貞操の危機は去り、助かったようだ。ティアが上体を起こそうとすると誰かが支えてくれた。
「もう安心していいよ、さあこれを着て。」
ダニーとマリーの父親が大きな上着を掛けてくれた。手を借りて立ち上がり、周りを見渡すとダニーと農具を構えた数人の村の男達、そして母親に支えられたマリーが立っていた。泣きじゃくりながらこちらを見ている。安心させたくて笑おうとするが顔の筋肉が上手く動かず、ティアまで泣きそうな顔になってしまい、むしろ今まで泣いていなかったのかと自身に驚いた。
「リディア、ごめんなさいっ、私……。」
「ちがうの、私こそ臆病で……怖かったよね、ごめんなさい。」
マリーの涙を指でそっと拭う。身体は雨に打たれ続けすっかり冷たくなっていたが、腫れた頬は熱を帯びていた。ティアは保身に走って助けに入るのが遅れたことを悔やんだ。もっと早ければ彼女は殴られずに済んだかもしれないのに。
「このことは帝国軍に報告するからな!」
「ウィルノアの兵がガイナの民を傷つけるなんて!」
二人の騎士は村の男達に罵倒を浴びせられ、すっかり委縮していた。
「議会や帝国軍がこのことを許すはずがない!」
「おや、何やら物騒な話をしていますね。」
知らない男が闇からぬっと現われた。綺麗な身なりをしているが腰に差した長剣は日中に見たものと同じだ。彼もまた騎士なんだろう。これ以上どんな展開があるというのか、ティアはもうくたくただった。
「隊長!」
「帝国に報告されては困りますね。それにそうした所で君たちにどんな得があるというのか。」
隊長と呼ばれた男は懐から小さな袋を取り出すとそれをティアに差し出した。中から硬貨と硬貨が当たりあう音が聞こえる。衣服は裂け、泥に塗れてぼろぼろのティアを見下して薄く笑った。
「目に見える恩恵の方が君たちには得なのでは。もちろんこの者たちにはふさわしい罰を与えましょう。」
庶民を人と思わないような目つきが、ティアが嫌いな性分の貴族だと直感した。鼻先で袋を揺らし、ティアが飛びつくのを今か今かと待っている。虫唾が走った。
「何もいりません。謝罪し、この場から立ち去ってください。」
「ほう……。」
男の表情が変わり、顎に手を添えて強引に上を向かせられた。にやつく顔を前髪の奥から睨み付ける。視線が交差した。
「その瞳、まるで我らが探し人のようではないか。」
「っ!放して!」
血の気が引いた。やはりティアを捜していたのだ。腕を払い下がると、騎士の一人が何かを前の男に渡していた。ペンダントだ。
「なぜこのようなものを持っている?」
「……行商人から買い取りました。」
「ウィルノア貴族の家紋が入っているこれをか?こんな辺鄙な村に来る一商人が扱えるような品ではないさ。盗んだか、もしくは本人だな。おい、この女を連れて行け。」
騎士に後ろ手で拘束され、連行される。村人たちの非難が聞こえた。
「リディアをどうするつもりだ!」
「こんなことが許されると思っているのか!」
「確かに何の罪もないガイナ帝国の人間ならばそうでしょうな。しかし彼女はウィルノア貴族の家宝を所持している。これは非常に価値が高くてね、亡き王女がその最期に持ち合わせていたのだよ。何故これを所持しているのか、我々は問いたださねばならない。それともこの場に、彼女の出生や無実を証明できるものはおりますかな?」
誰も答えられず、沈黙が支配した。
ティアは前が見えない暗い森の中を歩かされ、少しずつ村から遠ざかって行った。どんどん事態が悪い方へと転がっていく。あの時もしも家から出なければ、マリーを助けずに村人を呼びに行けば……そんなことを考えてしまう自分も、追い立てる野蛮な騎士も、冷たい雨やぬかるんだ土さえ、何かもかもに嫌気がさした。
騎士に連れられ拓けた場所に出ると、かがり火を焚いた周りに数人の騎士が雑魚寝をしていた。起きていた一人が近づいてくる。隊長の男と言葉を交わした後どこかへ走って行ったと思うと、馬を引いて戻ってきた。まず隊長が乗り、馬上から腕をとられ荷物のように乱雑に持ち上げられた。体勢を立て直す間もなく馬は駆け出し、危うく落馬しそうになる。
「乗り方を忘れてしまったのか?6年前は見事に馬を乗りこなし逃走したと聞いていたが。」
カマをかけているのか、それとも単なる嫌味なのか。ティアは答えなかった。辺りの景色は暗くてよく分からなかったが、雨粒が横に流れて見えるので実は結構な速度で走っているのだろう。この先にいくつかの隊が集まる野営地があるらしく、ティアはそこに連れて行かれているようだった。
特に言葉を交わすこともなく森を抜け、目的地へ到着した。明確な国境があるわけではないが、ここはもうウィルノアの領地だということが周囲の様子から察せられた。大小様々な天幕が立てられ、王国旗がはためいている。夜間にも関わらず見張りや巡回の騎士が何人もおり、厳戒態勢のように思えた。
馬から降ろされ、隊長は一際大きな天幕の前にティアを連れてきた。入り口の両脇を見張りの騎士が固めている。待つように言われ、隊長はどこかへ行ってしまった。この隙に逃げようかと思ったが見張りが刺すような視線を送ってくる、それにきっとティアの足ではすぐに捕まってしまうだろう。しばらくして戻ってきた隊長は大きなタオルを手にしていて、頭からばさりとそれを被せられた。
「今夜はこの中で休みなさい。明日、副団長が貴女に会われる。」
天幕の中にはたくさんの人影が寝転んでいた。あんな目に会ったばかりなのに騎士の男達と一緒に寝ろというのか、非道すぎる!とティアは憤っていたが、目が慣れてくると全員女性だと気付いた。身なりはバラバラだが若い人が多く、金の髪や栗色の髪の持ち主ばかりだ。王女に似た人物を片っ端から誘拐しているのか、でなければここの主任の趣味だろう。前者の方が本人としては困るが、後者でも凄く嫌だなと思った。所在なさ気に突っ立っていると、足下で休んでいた女性に声をかけられる。
「そんなとこに立たれちゃ邪魔で寝られないよ。空いている場所で早く寝な。」
「はい、すみません……。」
人を踏まないように合間を縫って、天幕の端に行きついた。隊長にもらったタオルをシーツ代わりにして横になる。一応地面の上に厚い布か何かは敷いてあるようだが小石や土の盛り上がりが背中に伝わって不快だった。それでも目を閉じると今日一日の疲れがドッと襲ってきて、ティアはすぐに意識を手放した。
誰かに身体を揺り動かされる。目を開けると見慣れない金髪の女性が横に座っていた。
「あなたも早く起きなさい。騎士の方が外に出るようにって。」
身体を起こすと金色の髪の女性が天幕の中にたくさんいるという異様な光景が目に入った。昨夜のことは夢じゃなかったのかと、一気に目が覚める。伸びをすると節々が酷く痛むし、なんだかお腹がずきずきと疼いた。ちらりと服を捲ると大きな痣になっていて、よく見れば手足も青痣だらけだ。隣の女性もそれを見てさすがに心配そうな顔をしたが、早く外に出るように騎士に促されたのでそれに従った。
昨日とはうって変わって輝く太陽が眩しく、恨めしい。髪色がきらきらと光る女たちがぞろぞろと歩く中、茶色の頭のティアだけが妙に浮いていた。あれだけ雨に打たれたのでもしかしたら少し色が落ちているかもしれないが、自分でははっきり確認できないので落ち着かない気分だった。
一番立派な天幕の前に来ると列を作らされ、一人ずつ中へ吸い込まれていった。外に出てくると騎士から小さな包みを貰って去っていく。金か何か入っているのだろう。
それにしても中では何が行われているのだろう。村でやっていたように王女かどうか確認をしているのか、本当に金髪趣味の人が花嫁探しでもしているのか。天幕の中にいる時間は人によってまちまちだった。どんどん列が短くなっていく。逃げる隙を窺ったが運悪く真横に見張りの騎士がいたので無理そうだった。ここで下手なことをするよりも皆に紛れて上手くすり抜ける方が得策に思えた。隊長の男はティアが王女ではと疑っていたが、ここにいる女性たちは皆どこかしらそれらしき特徴を持っている。案外正体がばれずに事なきを得るかもしれない。
そんなことを考えているうちに後ろの方にいたティアにもついに順番が回ってきた。入り口の騎士が中に声を掛け、入室を許可されると覚悟を決めて足を踏み入れた。
天幕の中は広く、後ろには大きな王国旗が掲げられていた。その正面に大きな椅子が置かれ、一人の男が偉そうに踏ん反り返って座っていた。
「王国騎士団副団長の前である。控えられよ。」
横に立った騎士からそう言われ、すぐに床に頭をついた。できるだけ庶民らしく見えるようにと、作法もへったくれもなかった。副団長はリコの村へ行く時も同伴していたし、ティアもよく顔を合わせていた。しかしこの男のことは知らなかったのでこの数年のうちに交代したのだろう。
「おいおい、まず髪色が違うじゃねーか。誰だよこんなの連れてきたやつは。」
「私でございます。」
正面からは副団長、斜め前からは昨夜の隊長の声がした。
「大体王女なら6年前に死んだはずだ。なんで今更そんな死人の捜索を…骨にでもなってるだろうよ。」
「しかし発見すれば多額の報奨が頂けると聞いております。」
「生きているならな。で、なんでこんな女を?」
「髪の色こそ違いますが、紫の瞳はまさに王女のものかと。それにカークランド家のペンダントを持っておりました故。王女でなければ盗人です、どちらにせよ罰しなければなりますまい。」
嫌な汗が額を流れた。顔を上げるように命令される。
副団長の男は随分と若く、隊長の男より一回りくらい違うようだった。泥のついた汚い身なりのティアを見て露骨に顔をしかめたが、昨夜のせいで胸元の衣服が伸びきっていたのを視界に入れると鼻の下を伸ばして近寄ってきた。騎士団はいつからこんなに変態が多くなったのか、ティアは呆れ果てた。
「いやー顔がよく見えないからな、どれどれ。」
視線は胸に置いたまま、副団長はティアの長い前髪を掻き上げた。目が合わないように地面を向く。この際胸を見るのは許すから顔を見ないで欲しかった。なかなか…と呟いているが一体何がなかなかなのか。誰かがゴホンと咳を鳴らした。
「それで王女には似ていますか。この中で実際に会ったことがあるのは副団長だけです。」
「うーん、似ていると言えば似ているような…。なーんか見覚えはあるんだけど。」
副団長は小さな声で、死に際に見ただけだからなー、と零した。あの時、ティアが崖から身を投げた時にその場にいた騎士だったのか。そんな些細な動揺を隊長だけは見逃さなかった。
「王女の顔が分からなくとも、その近縁者はどうですか?」
そう言われた途端に目の前の男の表情がみるみる変わっていく。
「そうか!お前、陛下に似ているのか!……いや、だが頭はどうだ。陛下のような美しい金の髪をしていたはずだろう。」
「なんでも帝国には髪の色を変えられる染め粉があると聞きます。」
それなら自分も知っています、と入り口に立つ若い騎士が言った。なんでも湯や石鹸で色が落とせる、とも。
副団長はティアの襟元を掴み、立たせると強引に引きずって歩き始めた。外に出て洗い場がどこにあるか尋ね向かうと、数人の下っ端騎士が団員の衣類を洗っている最中だった。突如現れた上司に緊張の面持ちで敬礼をするが副団長はそれらを意に介さず、ティアを大きな桶の前まで引き出した。地面に転んだ細い身体を持ち上げ、頭からその水に突っ込む。桶の底に額がぶつかった。慌てて顔を上げようとしたティアの頭はガシリと掴まれ、泡だらけの水の中へ戻された。もう片方の手では乱暴な手つきで髪を洗われる。息ができずに窒息しそうになってくると頭を上げさせられ、必死で空気を吸い込むが、すぐにまた桶の中に頭を戻される。拷問だった。苦しすぎて、途中から水を飲んでいるのか空気を飲んでいるのか分からなかった。時折視界の端に洗濯途中の衣服が見え、自分も衣類になったようだった。どれくらいそうされただろう、いつの間にか頭を押さえつける力が無くなり、解放されたと知った。桶から這い出て、人目も気にせず飲み込んだ水をげえげえと吐き出す。石鹸が溶けた水は苦く、目に染みて痛かった。自分も地面もびしょ濡れだった。
「見ろ!!紫の瞳に金の髪、まさしく王家の人間だ!王女は生きていたんだ!!」
男の大きな高笑いが響く。桶の水は茶色く濁り、せっかくの洗濯物が汚れてしまっただろうな、と場違いなことをティアは考えた。顔にかかる横髪は元の色と染粉の色でまだらになっていた。




