リディア
アンナ達、暁の傭兵団が帰ってきたことで、その夜村は大変なお祭り騒ぎとなった。
村の男や傭兵団の男たちは酒を酌み交わし、子どもたちは冒険談をせがんだ。女たちが腕を振って作った料理は、片っ端から傭兵団の男たちの胃袋に消えていった。皆が再会を祝し、笑い、歓喜に沸いていた。
そんな村の広場から離れた、木々が生い茂る場所にアンナとリディアはいた。杯を片手に密談するその姿は遠目からは仲の良い恋人同士のようにも見え、一部の男たちは邪な想像を膨らませていた。タイプは違うが見目麗しい二人の女、結婚適齢期にも関わらず恋人がいないのは、お互いの存在があるからではないかとまことしやかに噂されているのである。
そんなことは露知らず、いや、それすらも利用しているのかもしれないが、二人は内密の話をしていた。
「ここで暮らし始めてもう5年か。月日が過ぎるのは早いものだな。」
「6年前アンナに助けてもらって、傭兵団の皆と旅をして、この村で先生になれて……。今、こうして生きていられるのは貴女のおかげよ。本当に感謝してもしきれない。」
「リディア、もうその話は聞き飽きたよ。」
やれやれ、と笑うアンナの横顔が月明かりに照らされ浮かぶ。リディアよりもいくつか年上だろう。傭兵団の紅一点として日夜駆け回っているおかげで、同年代の女性たちよりもだいぶ肌が焼けている。それでも男たちのような野性味は感じられず、元々の美しさと相まって行く先々で大層な麗人としてもてはやされていた。その上快活な性格で面倒見も良いため、この村では老若男女を問わず人望が厚い。リディアがこうして二人で話していると、必ずと言っていいほど羨ましがられるものだ。
「今回は随分と長い旅路だったのね。みんな、帰りを待ちわびていたわ。」
「半年……それくらいか。」
アンナ達、暁の傭兵団は国や地域を問わず、依頼に応えるためにあちこちへ赴く。近年大きな戦争は起きていないので、もっぱら賊退治が中心だ。特定の活動拠点は無く、依頼先へ向かうべく根無し草の日々を送っている。けれど何か縁があるのか、昔からこの村には頻繁に訪れていた。
「髪を切ったんだな。」
「ええ。染粉にも限りがあるし、長い髪を毎日染めるのは結構手間がかかるの。」
リディアは肩までしかない茶色の髪をそっと耳にかけた。その髪が本当は闇夜を照らす月のような、美しく流れる金糸だということをアンナだけが知っていた。アンナはその色が好きだった。しかし目の前の彼女がそんな自身の容姿を疎んでいることも知っていた。誰かから隠れるためではなく、もはや自分自身を欺くために髪を染め、どうあっても変えられない瞳の色は長い前髪で覆い隠していた。
半年間、この村に戻らなかったのには理由があった。それを彼女に話すのは躊躇われたが、意を決してアンナは口を開いた。
「ウィルノア王国の王が病に伏せがちだったことは以前にも話したな。」
「政務に就くのが難しい状態だと、あなたから聞いたわ。」
「……成人したのを機に、ついに第一王子が王位に就いたそうだ。」
「…………そう。」
目線だけで表情を窺ったが、特に変わりはなかった。けれど杯を持つ手は明らかに震えている。アンナは自分の杯を地面に置き、両手でその手を包み込んだ。夏が近づき始めているというのに、リディアの指先は凍っているように冷たい。
「ティア、」
「もう、アンナったら言い辛くて帰ってこなかったの?私なら大丈夫よ。誰も覚えていないわ、死んでしまった人のことなんて。…ねえ、しばらくはここにいるの?もうすぐ庭のラズベリーが採れるから、パイを焼くつもりなの。みんなに焼き方を教えてもらったのよ。せっかくだから食べていって、ね。」
「……そうだな、楽しみにしているよ。」
ここはウィルノア王国の隣、ガイナ帝国にある小さな田舎村。
6年前、ウィルノアの第一王女が実の弟を殺害しようとしたが失敗、逃亡の末死亡したことはガイナ帝国にも伝わった。
5年前、この村に縁のある傭兵団が一人の少女を連れてきた。名はリディア、過去は語らず、けれど学のある彼女は村で初めての教師となった。村人はすぐに彼女を受け入れた。それはリディア自身の気立ての良さや、何よりアンナのお墨付きがあったからだ。
そして半年前、ウィルノア王国に弱冠18歳の新たな王が誕生した。だがガイナ帝国の、この辺鄙な村の一女教師には関係のないことだった。