彼方人
美しく咲き誇った花が散り始め、緑生い茂る夏がそっと鼻先を見せ始めた頃。
そろそろ椅子の上でじっとしているのにも飽き、窓の外を眺めた。太陽は高く昇り、青い空が眩しい。学校から離れた所にいる大人たちの声が少しだけ聞こえた。どこかで昼食を準備しているのだろう、何かの美味しそうな匂いが漂ってくる。少年は空腹を満たすように思いっきり息を吸い込んだ。
「ダニー、今はお昼ごはんじゃなくて詩について考える時間よ。」
突然声をかけられギョッとしたのか、椅子がガタンと大きな音を立てた。そんな間抜けな様を見たクラスメイトはからかうように笑った。少年が赤くなった顔を隠すように少し俯くと、彼の頭上から先生の声がした。
「じゃあダニーに続きを読んでもらいましょう。」
宿題で詩を写してきた自分のノートを慌てて開く。隣の友達がこっそりどこを読むかを教えてくれた。昔の人が作った、女性へ愛を伝える詩だ。
「『ああ なんと美しい ああ なんという慈愛の深さよ 君は僕の』、………。」
「君は僕の?」
「……め、『女神だ!』っもう、やだよこんな小恥ずかしい文読むの!!」
女子はクスクスと笑い、男子は同情の眼差しを送った。
「貴方だっていつか好きな子に告白をするとき、こういう風に詩を読むかもしれないのよ。」
「俺はこんなキザな台詞言わないよ!」
「あら、女の子は結構喜ぶんじゃないかしら。」
ねえ?と先生はクラスの女子に呼びかけた。何人かが同意の声を挙げる。
「うえー、女って気持ち悪ー!」
今度は男子が騒ぎ立て始めた。こうなるといつも男子と女子の言葉の応酬に発展してしまう。
「はいはい静かにー。」
先生が手を叩き場を収めようとした、その直後に村の時計台の鐘が鳴った。お昼を知らせる鐘の音だ。
「じゃあ今日はここまで。続きはまた明日やりましょう。」
その声を聞くや否や、ダニーを筆頭に男子はワッと外に飛び出していった。各自家に帰って昼食を食べるためだ。女の子たちは帰り支度を整えながら、これだから男子って嫌よね、とお喋りをしている。その様子を微笑ましく思いながら、教師の女は部屋の掃除をしていた。女の子のお喋りは長いが、お腹もすいているはずだから早々に帰宅するだろう。そうしたら戸締りをして自分も昼食を取りに行こう、そう考えていた。
「あれ、ダニーが戻ってきた。」
女の子の一人が窓の外を指さして言った。忘れ物だろうか。
一直線に学校まで走ってくるダニーは何かを叫んでいる。女の子たちと一緒に窓から覗くと、爽やかな風が女教師の髪を撫でた。
「せんせーい!せんせーい!」
「どうしたのー!」
ダニーにつられるように大声で応えた。
「アンナが、傭兵団のみんなが帰ってきたよー!!」
村の中央にある広場には、老若男女を問わず村人全員が集まっていた。皆一様にある一団を囲んでいる。急いで走ってきたが、ダニー達が一番最後だったようだ。人だかりで中央が見えない。
「先生遅いよー!」
「はぁ、はぁ…ごめんなさい。」
「もおー。」
弾む息を整えていると、ぷーっと頬を膨らませるダニーが目に入った。お楽しみを奪われたような表情に、もう一度ごめんなさいと謝る。
と、前の人垣が急に割れた。村人の注目を一身に浴びて歩んできたその人は、目の前で足を止めると宥めるようにダニーの頭に触れる。
「ははは、ダニー坊はいつまでたっても変わらない。」
「アンナ!」
「おっと、急に抱き着いてくるなんて熱烈な歓迎だな。けれど君のガールフレンド達に嫉妬されてしまうよ。」
学校から一緒に走ってきた女の子たちが得意のクスクス笑いを始めた。ダニーは一人アンナと話せたという嬉しさと、きまり悪さを感じながら彼女から離れた。今日はよく赤面してしまう日だ。けれどそんなダニーの頬よりももっと深い、極上のワインのような色合いがそこにあった。高い位置で結んだ美しい赤が揺れ、ゆっくりとこちらを見る。眩しいのは太陽のせいか、それとも彼女の笑顔のせいだろうか。自然と目が細くなる。
「お帰りなさい、アンナ。」
「ただいま、リディア。」
リディアと呼ばれた女教師、その長い前髪の隙間から除くのは、紫苑の色だった。
章分けを行いました。




