表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/47

標的

 王都を脱出したティアは不眠不休で馬を走らせていた。既に太陽は高く昇っている。逃亡の手助けをしてくれた騎士が選んだ馬は要望通りの駿馬であり、今のところ追手がやってくる気配はなかった。それよりも慣れない鎧の重量が体力を奪い、馬よりも先に乗り手が倒れそうだった。


 街道から道をそれ、木々をかき分けて進む。ひと気のない所まで来るとティアは馬を降りた。久しぶりの地に足をつける感覚に戸惑い、思わず手をついてしまった。ガシャンという鎧の音に驚いた馬が嘶く。なんとか立ち上がり、背を撫で落ち着かせる。周りを見渡しても人や動物が動く気配がないことに安堵し、手綱を引いて歩き出した。近くに細い川が流れていたので馬に水を飲ませる。ティアはもう一度周囲を確認し、兜を脱いだ。水をすくい顔を洗う。飲み水は別に持っていたのでそれを飲み欲し、川の水を汲んだ。


「川の水を飲む日が来るなんて思いもしなかったわ。」


 ティアの呟きに呼応するように馬が喉をブルルと鳴らした。少し温かい気持ちになる。


「ふふ、あなた優しいのね。…これからどうしようかな。」


 リコの村への道を正確に覚えているわけではなかったが、以前の視察で滞在した街のいくつかを通過してきたので間違ってはいないはずだ。ユリスと一緒の旅路で5日、ティアだけで3日かかったが、この調子だと2日とかからないだろう。この先にある街か村で食糧を調達し、そのまま急ぎリコの村へ向かうことにした。


 重い兜を再び身に着けるのは戸惑われた。ティアにも馬にも負担がかかる。思案するティアの視界に大きな穴、樹洞の空いた樹が目に入った。ティアは騎士の兜と鎧を脱ぎその穴に隠すことにした。簡素で人に見られるのには少し恥ずかしい格好になったが、持っていた大きなマントで頭から下までスッポリ身を隠すことができた。身軽になったことで心なしかティアも馬も足元が軽快になった気がした。






 途中立ち寄った村では人々がそれぞれの日常を過ごしていた。地方の村にしては人も多く栄えており、見慣れぬ女が一人紛れ込んだところで人々は見向きもしなかった。

 ティアは村人がよく着ているような衣服と食糧を買い出発しようとしたが、美味しそうな料理の匂いに思わず足を止めた。匂いの元を辿ると大きな食堂

があった。グウとお腹が鳴り、恥ずかしくて顔が紅潮する。どちらにせよ休息は必要だと自分を納得させ、扉を開けた。


「いらっしゃーい!」


 朗らかな女性の声に出迎えられ、空いている席に着いた。店内は多くの村人や行商人らしき人で賑わっている。トン、と卓上に水の入ったコップを置かれたので店員の方を向く。隣の席の客が食べているものと同じものを頼み、お手洗いを借りた。購入しておいた衣服に着替え、マントを羽織なおす。室内で顔を隠すのは不自然かとも思ったが、念のためかぶっておくことにした。備え付けの鏡に映る自分の瞳を見てユリスのことを思い出したが、首を振って席に戻った。すぐに料理が運ばれてきて、がっつくように食す。結構な量があったが見事に平らげた。

 ティアは疲れが蓄積しているのに改めて気づいた。このまま宿に泊まって眠ってしまいたいという欲が浮かんだが、そんな猶予が残されているはずもない。コップの水を飲んでしまったら店を出ようと決めた。


 客足は途絶えず、店員の声が行き交う。耳を澄ませても王都での出来事を知っている者はいないようだ。隣の客は大工仲間のようで、食事を終え席を立った。彼らが会計を済ませたら行こうと思っていると、また新たな客が入店した。あらご苦労様です、という店員の声に思わず顔を上げる。


「女将さん、いつものよろしく頼むよ。」

「はいよ、空いてるところに座って待ってて頂戴!」


 ガチャ、ガチャという音を鳴らせ近づいてくるのは、鎧を纏った騎士達だった。コップを持つ手に力が入る。追手なのかと思ったが、ただ空いている席に座っただけだった。なぜ安直に食事をしていたのかと後悔が襲う。


「しっかし、なんだってあんな命令が出たのかねー。」

「ああ、王女様を探せってやつ?」

「馬っ鹿お前そういうこと口に出すなよ!」

「お前が話題に出したんだろ!」


 小声でやり取りをしているつもりだろうが、隣のティアには丸聞こえだった。急いで店を出る。




 ここまで不眠不休でまっすぐ駆け抜けてきたのに、もう伝令が伝わっていることにティアは慄然とした。馬に乗り慣れぬ王女と訓練を積んだ騎士団の差はこれほど大きい。本当に逃げ延びられるのだろうか。リコの村へ到着したところで、私はその先どうすればいいのだろうか。考えれば考えるほど動悸が激しくなり、息が苦しくなる。馬に荷を括り付けて村を発っても恐怖は頭から離れなかった。首からかけた母のペンダントを握り締める。先程の騎士達が私に気付いて追って来たら?この先にいる騎士にも命令がわたっているかもしれない。剣を振りかぶって襲われたら、弓を構えて射られたら、私はあっと言う間に死んでしまうだろう。母の願いを叶えられずに。そんなのは嫌だ。嫌だ!


「誰か…助けて…。」


『命に代えても。』


 ふと、男の声が聞こえた気がした。私を守ると言った男の声が。


「そっか、貴方がいたね。」


 仏頂面で、騎士としては優秀だけどお酒には弱くて、勝手に出かけると怒って、いつも守ってくれた私の大切な護衛。


「…ロエン。」


 きっと貴方なら、いつものように当然だという顔で、私を助けてくれる。


 ティアはロエンがいるリコの村への道をまっすぐ駆け抜けていった。






 日が暮れ、夜になってもティアは眠らずに駆け続けた。時折馬に水を飲ませるために立ち止まることはあったが、決して長居はしなかった。そのおかげか夜明けにはリコの村の一つ手前の街までたどり着くことができた。この先の道は土砂崩れが起きた山道と崖の道に分かれている。流石にもう土砂は撤去されただろう。ロエンはどちらにいるだろうか。そもそもこんな早い時間に、ロエンは起きているのだろうか。少し思慮した後、リコの村に滞在しているかもしれないと思い直し、当初の目的地に向かうことにした。


 長い道のりもあと少し。決して油断をしていたわけではない。体力はとっくに限界がきていたが、逆に頭は冴えわたっていた。だからこれは運が悪かったのだろう。いや、ここまで騎士や追手と対面せずに逃げ遂せられたことが奇跡だったのかもしれない。




 その騎士は、前日に受けた命令のことを考え、悶々として眠れなかった。

 まだ同期の誰も起きていない時間、いやいつもひとつだけ空いているベッドがあったが、とにかく朝早くに一人外に出た。ここらの住人は王都の民とは違い朝早くから農作物や家畜の手入れをしている。朝日が昇り始めたばかりだというのにちらほらと人の姿が見えた。騎士の鎧を身に着けてはいないが、数日滞在しているので顔なじみとなった街の人に朝の挨拶をかけられる。おはようございますと返し、ここでの滞在が更に延びた原因を思い返した。昨夜寝れなかったのも、この命令のせい。『王女を捉えよ。生死は問わぬ。』一体どういうことなのか。王女様の人となりは大変素晴らしく、民からの信頼も厚いと聞く。それが突然どうして。しかし自分は新人で下っ端。今日もベッドを空けていたアイツとは違う。アイツの剣の腕は騎士団長も認めるほどで、対して俺はからっきし。弓は上手い方だけど。もし自分が王女を捕らえればこれを期に大出世が待っているかもな、なんて夢物語を思い描いていた。

 その時、馬の蹄の音が聞こえてくる。昨夜のような伝令だろうか。音の聞こえる方向を見ると、近づいてきたのはマントを被った女だった。格好からしてただの村人のようだが、遠目にも乗っている馬が高級なそれのことが分かる。毛並みが違うのだ。こんな明け方に非常に急いでいる様子、もし窃盗か何かであれば見逃せない。道をふさぐように立つ。


「おい、止まれ!」


 言った後で自分が鎧を身に着けていないことに気付いた。これではたたの村人にしか見えない。


「すみません、急いでいるのです。通していただけませんか。」


 聴けば声は娘のようだった。罪人ではなさそうだ。しかし少女の可愛いらしい声に、少しからかってやろうという気持ちが芽生えてくる。上司もまだ起きていない。ちょっと困った顔が見たいだけだ。


「最近この辺りで賊が出没している。自分が賊でないと言うならば、その顔を見せよ。」

「あの、先を急いでいるのです。」

「なんだ、顔が見せられないのか。」


 大きなマントを目元を隠すように深々とかぶっている娘の唇が震えている。少し罪悪感を感じたが、顔ぐらい見せてくれてもいいだろう。顔を見せるまで決して通さないと突っぱねると、娘は戸惑っていたがついにその顔を露わにした。

 風になびく金の髪に、白い肌、薄く色づいた頬。疲弊しているのか少しこけていたが、まるで童話の中の姫のようだと思った。しかしおかしなことに目を開かない。馬に乗っているのだ、見えないということはないだろう。


「目を開けろ。」


 そう言うと、娘はそっとまつ毛に彩られた瞼を上げた。


 珍しい、紫の瞳。何かを覚悟したようなその視線に、胸が高鳴る。こんなに綺麗な瞳を見たのは初めてだ。…いや、以前王子殿下を近くで拝見したとき、このような瞳をしていて驚いた気がする。確か姉に当たる王女様も王子様とそっくりだと聞いて姉の方も見てみたいな、と思って。同期の王女の護衛を羨んで。

 それで、きっとこんな顔だろうな、と。


「…まさか、王女、サマ?」

「っいえ、違います!」


 そう言って脇を駆け抜けていった。


 きっとあれは、あの人は、命令にあった王女様だ。生死は問わない。捕まえた者には褒美が与えられる。


「っ!王女だー!!王女が逃げたぞー!」


 大声で叫ぶと、すぐに騎士たちが起きてきた。理解が早い上司たちはすでに追いかけようと準備をしている。俺は得意の弓を手に、馬に乗って駆けた。これは、下っ端の俺が這い上がる絶好のチャンスなのだ。あの綺麗な人が何をしたかは知らないが、絶対に逃しはしない。かすかに見えた背中に、矢を放った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ