逃亡
フーリエとドレスを取り換えたティアは、大きなマントで頭から身体を覆い隠し、騎士に連れられ牢を出た。
夜も深く、月の光も届かぬ室内はもとより互いの顔は見えなかったが、止まらぬ涙を手巾で押さえる母が実は娘と入れ替わっているなど見張りは思いもしなかった。ティアは何度も足を止めそうになりつつも、母の「生きて」という想いに背を押され、外へ出た。フーリエの側付きの騎士ふたりに着いて道を進み、薄暗い建物と建物の間にサッと入った。そこには今のティアと同じ、フーリエの服装をした侍女が待っていた。
「あなた、母上の侍女の…?」
「はい。ここからは私がフーリエ様の代わりを務めさせていただきます。その間にティア様はどうかお逃げください。」
「そんなことをしたら、あなただってどんな罰が処されるか…。」
侍女は横に頭を振った。よく見ると目元に小さな皺が刻まれている。使用人や侍女は結婚前の若い娘が多いが、彼女は母に長く仕えているのだろう。
「フーリエ様は、没落貴族の娘であった私に本当に優しく接して下さり、助けていただきました。…最期まで、共にありたいのです。ティア様、どうかフーリエ様の願いを叶えて差し上げて下さい。」
傍らの騎士も、侍女の言葉に大きく頷く。
「…ありがとう、私は必ず生き延びます。どうか貴方たちも無事で。」
侍女たちと別れ、ティアは騎士の一人と厩舎までやってきた。着ていたドレスは全て侍女に預け、騎士の重い鎧と兜を身に着ける。しかし母の身に着けていたペンダントだけは手放せず、持っていくことにした。
「まだティア様とフーリエ様が入れ替わったことは知られてはいないようですが、夜が明ければそれも時間の問題。それまでにできるだけ遠くへ逃れなければなりません。既にフーリエ様のご実家のあるカークランドの領地への道は閉ざされています。」
「そう、お爺様は今回の処罰には反対されるでしょうからね。」
ティアは祖父に会ったことは数える程度しかなく、親交も薄い。しかしフーリエはカークランド侯爵の一人娘として大層可愛がられていたという。もしかしたら母の処罰の軽減に努めてくれるかもしれない。希望的観測でしかないが、そう思うと少し安心できた。
「ティア様、如何いたしますか。」
「とりあえず、急ぎ王都を出ましょう。行き先は道中考えます。」
騎士は用意していた馬車の荷台にティアを案内したが、ティアはそれを拒んだ。代わりに体力があり、足の速い馬を調達してもらう。
「騎士たちも王女が一人で馬に乗れるとは思わないでしょう。ここからは私一人で行きます。」
「…わかりました。ですがせめて王都の外までは私をお連れください。夜間も警護の騎士が出払っております。」
「お願いします。」
重い鎧を身に纏って騎乗するのは慣れなかったが、背を伸ばし馬を操る姿は立派な騎士に見えた。心配していた騎士も安堵の息をつく。そのまま不自然ではない程度の速さで城門まで進む。ちょうど外へ出ようとしている商人の積荷を見張りが検閲していた。いつもは馴染みの者であればそのようなことはしないが、やはり警備が厳重になっているのだろう。騎士が小声で呟いた。
「私が先に行きます。ティア様も遅れずについてきて下さい。」
城門に近づくと、煌々と燃える松明の光で見張りの顔が浮かび上がる。遠目からは炎の色で赤く見えていると思った頭は、最近見慣れた紅い髪のせいだった。
「お疲れ様です。」
「ああ、ご苦労。」
グレンと騎士が何か話を交わしている。兜で顔を覆っているとはいえ、正体がばれないかティアはドキドキしていた。
「えっと、そちらは…?」
不意に自分に声がかけられ、飛び上がりそうになった身体を抑える。
「私の部下だ…少し急いでいるのだが。」
「はっ、申し訳ありません。どうぞお通り下さい。」
騎士が馬の腹を蹴り、先へ進んだのでティアも馬を走らせる。グレンの横を通過するときにジッと視線を感じた気がしたが、ティアは決して振り返らずに15年間家族と暮らした城を後にした。
先を急ぎたい思いはあれど、夜の城下町を全速力で駆ければ怪しまれるのは分かりきっている。巡回の騎士の数も多く、城での事件はまだ伝わってはいないものの、民も何かを感じ取ったのか町全体がざわめいているような気がした。時折他の騎士に話しかけられつつもなんとか広い町を抜け、ティア達は王都のはずれまでやって来た。
「ここまでで結構です。あなたも怪しまれないうちに騎士団に戻ってください。」
「ティア様、本当に一人で行かれるのですか。」
「はい、心配しないでください。必ず生き延びてみせますから。」
「…わかりました。どちらへ行かれるのか、お聞きしても良いですか。」
行き先は、既に決まっていた。
「リコの村へ、行きます。」
「そうですか…。確か、先日の土砂崩れの件で騎士団の一隊が調査のため派遣されているはずです。そこまで情報が伝わっているかはわかりませんが、どうかお気をつけください。」
「ええ、ありがとう。あなたもどうか無事でいてください。」
「ありがとうございます。」
騎士に見送られ、月明かりから逃れるようにそっと王都を旅立った。
身代わりとなった母を想い、床に臥せる弟を案じ、自分に死罪を下した父の顔を思い浮かべ、ティアは心の中で別れを告げた。