お茶会
しばらく母の腕に抱かれていたティアだったが、そろそろ約束の時間だと気づき慌てて離れた。フーリエは残念そうな顔をしている。ティアは妙に照れ、平静を装おうとしたが内心は母の温かさを名残惜しく思っていた。
そうして使用人たちがお茶会の準備をしているのを見ていると、ティアはだんだんと不安になってきた。
ユリスもあの噂を耳にしているはず。朝はあまり表情を伺えなかったけれど、今私のことをどう思っているのだろうか。
「きっと大丈夫よ。あなたたちは本当に仲の良い姉弟だもの。」
ティアの心情を察したフーリエが励ましの言葉をかけた。しかしこの間、ロエンとの仲の誤解からユリスに拒絶された記憶も新しいため、同じような態度を取られたら、と悪い想像が頭を巡る。
「フーリエ様、お茶菓子の準備は整いましたが、お茶の葉は如何されますか?」
使用人の一人が声をかけてきた。すでにテーブルには華やかで可愛らしい菓子がたくさん用意されている。
「そうね、何か気分が優れるようなものがいいけれど…。」
「よろしければ、先日頂きました珍しいお茶の葉をお入れしましょうか。」
「そうだったわね。せっかくだからそれにしましょう。」
「以前話に聞いて、ずっと飲んでみたいと思っていたお茶があるの。つい最近それを頂けたのよ。」
フーリエが嬉しそうに微笑んだ。きっとユリス様にも気に入って頂けるでしょう、とも。
「…母上、私にもそのお茶は入れられるでしょうか。」
「できると思うけれど?…そう、ユリス様のために入れてあげるのね!」
ティアは大きく頷いた。たまにティアが作ったお菓子やお茶を入れてあげると、ユリスがとても喜んでいたのを思い出したからだ。ユリスもルイーゼ様のように不安に感じているかもしれない。けれどこれまで過ごしてきた姉弟の時間は本物で、ティアはユリスが大好きだった。ここ数日の噂で惑わされる仲ではない。仲違いしたわけではないが、仲直りの証しのように気持ちを込めてお茶を入れたい。ティアはそう思った。
奥で使用人にお茶の入れ方を習っているとユリスの到着が伝えられた。入り口に向かえばフーリエと挨拶を交わしている。二人はすぐにティアに気が付いた。ユリスの不安に揺れる視線とティアのそれが交じり合う。 二人とも同じ、紫の瞳だ。
「来てくれてありがとう、ユリス。」
「姉上、お会いしたかった、です。」
なんだか会話が続かない。見かねたフーリエが声をかけ、ユリスを席に連れて行った。先程まで茶の入れ方を教えていた使用人がチラチラと見ていたので、ティアも奥へ戻った。
お湯は沸き、カップも温めておいたので後は注ぐだけ。そう思いポットを開けるとお湯には何の色もついていない。茶葉は?と尋ねると角砂糖くらいの大きさの奇妙な塊を差し出された。茶色っぽく、何か植物が枯れたもののように見える。これがその珍しい茶葉なのだろうか。
「ふつうはポットに茶葉を入れ、それをカップに注ぎます。ですがこれはそのまま温めたカップに置き、その上からお湯を注ぐそうです。」
言われた通りに試してみる。コロンとしたそれにゆっくりお湯を注げば、段々と広がり湯も紅く染まっていった。広がり終えるとそれは花だということが分かる。
「花がそのまま茶になっているのね!」
沈んだ花をティースプーンで救うと、紫の花びらが浮かぶ。
「シオンの花と言うそうです。」
「シオンの花…私とユリスと同じ色。」
なんて素敵なお茶だろう。きっとこれを飲めば元通りになる。
ティアは花が浮かぶように人数分を入れ終え、二人が待つ席まで運んだ。
少し落ち着かない様子でフーリエと話をするユリスの前に、そっと茶の入ったカップを置く。まるで使用人のような行動を取るティアにユリスが驚いた。
「姉上?」
「私がお茶を入れたの。ユリスに飲んで欲しくって。」
ユリスはカップを持つと中に浮かぶシオンの花が目に付いた。ユリスの知らない、けれど美しい花。
姉上が王位を狙っているという話は嫌というほど聞かされた。そんな馬鹿なことがあるはずないと信じていなかったが、母は息子の身を案じ、姉上とフーリエ様には気を付けるように言い聞かせた。周りの大人たちは腫れ物を扱うように接してくる。大好きな姉に見捨てられた、嘆かわしい王子殿下。なんと酷い王女だ。そんな陰口が囁かれているのも知っている。
何もかもが怖くなった。姉上は本当に王位が欲しいのか。母上は日に日にやつれていく。僕は死んでしまうの?姉上に、殺されるの?
そう思い、毎晩ベッドで泣いていた。不安な時、抱きしめてくれた姉には会えない。誰を信じればいいの?ユリスは助けが欲しかった。けれど目の前の紫の花が、大好きな人の瞳に見えた。
「ありがとう。」
そう言ってユリスは茶を口にした。温かさがじんわりと体中に広がる。カップを置けば、ティアが優しく微笑んでいた。
僕は、ただ、大好きな人を信じていればよかったんだ。
「ティア様、」
ユリスが自分が入れたお茶を飲んでくれたことが嬉しく、ティアも一緒に飲もうとしていると使用人の一人が声をかけてきた。
「ルイーゼ様がティア様にお話しがあるといらっしゃっています。」
何だろう、ティアはカップを戻して席を離れた。
部屋の扉を開けるとすぐそこにルイーゼが待っていた。後ろには今朝のように騎士が控えている。
「今朝は本当に申し訳ありませんでした。」
「いえ、そのことは気にしておりませんので。」
「…あのようにお断りした手前申し上げにくいのですが、やはり私も同席させてもらっていいでしょうか?」
それは勿論、とティアは喜んだ。ルイーゼは言いにくそうに、おずおずと口を開く。
「ユリスのことが心配なのもありますが…息子が信じた貴女を、私も信じてみようと思ったのです。私たちは、家族なのですから。」
まっすぐな視線を受け止めたティアはありがとうございますと礼をした。
本当にこれで元通りに、いえ、それ以上―――
「ユリス様っ!!」
突如、フーリエの叫び声が辺りに響いた。ティアとルイーゼが慌てて部屋に入る。そこには、苦しそうに胸を押さえて倒れるユリスがいた。目はうつろで、口からは唾液がこぼれている。
「いやあああああっ!ユリスっ!!」
ルイーゼは悲痛な叫びをあげて崩れ落ちる。すぐに騎士たちが駆けつけた。
「誰か医者を呼べ!!早くっ!」
ティアは訳が分からず、ふらふらとユリスの元へ近付く。震える弟の手を握りしめると、焦点の合っていない目線がなんとなくティアを捉えたのが分かった。
「…ぁねう……し…じ…のに…っ………」
「だめ、ユリス、喋らないでっ!すぐにお医者様が来るから!!」
「 」
息も絶え絶えの小さな声は、ティアにしか届かなかった。耳に入った言葉に身体が固まる。
「違うっ!!そうじゃないっ!!」
「ティア様、医師が到着しました。」
騎士に腕を引かれ、それでもユリスに近づこうとするティアをフーリエが止めた。
「今は何よりユリス様の命が優先です。控えなさい。」
険しい顔の母に窘められ、ティアは下がった。王家の専属医師と騎士たちによってユリスは運ばれていく。小さな身体が必死に苦しみに耐えようとしている。それでもティアは伝えたかった。違う、そうではないのだと。
ユリスが残した言葉は、「うらぎりもの」だったから。
そしてこれが、ティアとユリスの長い別れとなった。