母と子
王宮に戻り数日経ったある日の朝。
ティアは一人、とは言っても使用人は控えているものの、廊下を歩いていた。ティア達が襲撃を受けてからというもの、どことなく城内の空気が落ち着かない。高位の貴族たちは互いに懐疑的であり、騎士は普段以上に警戒して警備にあたっていた。使用人も何かを探るような目をしている。いつもの日常はどこへやら、数日経て元に戻るだろうと楽観的に考えていたティアも日ごとに緊迫感が増していく様子に少々参っていた。ロエンはまだ現地調査の任を続けているという。ユリスも母親のルイーゼに守られるように行動を共にしており、朝食の席にも顔を出さない。すべては今回の事件の犯人が判明するまで解決しないだろう。
本当に、一体どこの誰が何の目的で起こしたのだろう。
ティアが外を見ると、空はどんより曇っていた。午前にも関わらず室内に光が差し込まず、廊下には明かりが灯されている。すると奥から何人かの人の集まりがこちらへやってくるのが見えた。ユリスにルイーゼ、使用人と彼女らを守る騎士たちだった。
「おはようございます、ユリス、ルイーゼ様。」
「…おはようございます、ティア様。」
「しばらくお会いしておりませんでしたが、ご加減は如何ですか?」
ご心配には及びません、ときつく言い切ったルイーゼはそのままユリスの手を取って過ぎ去ろうとした。ティアは慌てて呼び止める。
「久しぶりに皆でゆっくりお話でもしませんか?今日、母上がお茶会を開こうと―――」
「そんなものに私たちが参加するとでも思っていらっしゃるの!?」
突如ルイーゼが大声を上げたのでティアは驚いた。後ろに控えていた使用人も同じく、思わずギョッとしていた。ユリスは下に目線を落としている。
「母上…。」
「ああ、いけないわね。…申し訳ありません、ティア様。」
いえ、そんなことは、と言ったもののその後の言葉が続かない。どうしようかと悩むティアに、小さく震えた声でルイーゼが語りかけてきた。
「ユリスの身が心配で…城内もこのような雰囲気ですし、色々と囁かれる噂話に、つい耳を傾けてしまって。ティア様を疑っているわけではないのですが…。やはりまだ疲れているのでしょう。」
噂話?私を疑うとはどういうことなのだろう。
ティアが疑問に思っていると、ユリスが顔を上げた。
「母上は十分に静養していて下さい。久しぶりに姉上やフーリエ様とお話したいこともありますし、僕はお茶会に出席させていただこうと思います。」
「そんな、ユリス…!」
「母上、僕たちは家族じゃないですか。」
ひとつ、ふたつ間を置いた後、
「ええ、そうね…。」
と、ルイーゼは承諾した。
お茶会の時間より少し早く、ティアはフーリエの部屋を訪ねていた。ルイーゼ言っていた噂話のことを聞くためだ。あの後使用人たちに聞いてみると、一様に困ったような顔で「ティア様にお聞かせする程のことではありません」と言われてしまった。
「ティア、あなたが思っているより事態は深刻なのかもしれません。」
フーリエはゆっくりと話し始めた。
あの事件に対して王宮内では大きく分けて二つの見解があるということ。一つ目は、王位継承者のユリス、ティアを狙った襲撃だったというもの。現国王に兄弟は無く、子も二人だけだが、遡れば先の王、ティアの祖父に当たる人の兄弟の子孫など王位継承権を持つ者はいる。彼らや、彼らと懇意にしている有力貴族たちが政治の中央にのし上がろうとして行ったのではないかと言われている。またそうでなくとも何か王家に恨みを持つ者もいるだろう。なんにせよ、王家の外部が王家を標的にした犯行だという見解だ。
「それ以外に何かあるのでしょうか?」
「そう、残念だけど…ティア、あなたがユリス様から王位を奪おうとしているのではないかと囁く人もいるのよ。」
土砂崩れでユリスを亡き者にするつもりが、失敗してしまった。そこで嫌疑が自分に掛からないようにあえて自身を襲撃させた。だから刺客も本気で殺しにかかることはせず、無事だったのではないか。
そう考えている人も王宮内は存在するという。それを聞き、ルイーゼはティア達に対して神経質になっているのではないかとフーリエは述べた。
「そんなまさか…!」
私がユリスから王位を奪うなんて、誰がそんなことを…!
そう憤るティアの脳裏に、リコの村の村長の言葉が過ぎる。
『…あなたが、次代の王であればと願わずにはいられません。』
それに、私はなんと答えた?
『そう、思ったこともあります。愚かなことですが…。』
そう、私は、王位を望んだことがあるじゃないか。
「あなたが悩んでいたことも知っています。この国の歴史にも、女王が起ったことがある。そしてあなたには、自分が思っている以上にその資質がある。周囲に期待されてもいた。それは感じていたでしょう。」
「……。」
「けれど、あなたはユリス様を次の王にすると決めた。そうよね?」
ティアは昔悪戯が見つかって怒られた時のような、困った顔を浮かべた。フーリエは温かい手でその顔を包み込む。
「今も、あなたを推す声は確かにあります。だからこそ王女が王子を狙ったなどという噂も立ってしまった。…私も、もしあなたが望むなら、と考えていました。」
「母上!」
「ふふふ、ユリス様は可愛いけれど、私の娘の方がもっと可愛いもの。」
なんだか泣きそうになってしまったティアは、母の懐に抱き着いた。こんなことをするのは何年振りだろうか。上を見上げれば母はにこにこと笑っていた。
「私は、ユリスにこの国を導いてほしいと思います。」
それはティアの紛れもない本心だった。そしてユリスを大切に想う気持ちも偽りのない本物だ。
「ええ。きっとウィルノア王国は、今よりももっと豊かな国になるでしょう…。」
※表記の訂正
○○殿下という表記は、陛下に次ぐ第2位の格式とされる敬称でした。
これまで何度かティアを王女殿下と表記してしまったので、随時訂正します。
他にも間違いがありましたら申し訳ありません。




