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最後の一杯

作者: だるお
掲載日:2026/03/21

彗星が地球に衝突する日。


私は車を走らせていた。

逃げるつもりはない。ただ、じっと待つのが嫌だっただけだ。


道路は不思議なほど空いていた。

皆、遠くへ向かったのだろう。意味がないと分かっていながら。


ラジオは、同じ情報を繰り返していた。

「衝突まで、あと三時間」


私は山道を抜け、小さな町に入った。

営業している店は、ほとんどない。


その中で、一軒だけ灯りがついていた。

古びた喫茶店だった。


なんとなく車を止め、扉を開ける。


カラン、と鈴が鳴った。


中には、年老いたマスターが一人だけいた。


「いらっしゃい」


まるで、いつも通りの声だった。


私はコーヒーを頼んだ。

どうせ最後なら、少しは落ち着きたかった。


カウンターに座ると、マスターがぽつりと言った。


「みんな、遠くへ行きましたね」


「ええ。でも意味はないでしょう」


「そうですね」


マスターはゆっくりとうなずいた。


しばらく沈黙が続く。

コーヒーの香りだけが、やけに鮮明だった。


やがて私は言った。


「どうせ終わるのに、なんで人は逃げるんでしょうね」


マスターは少し考えてから答えた。


「終わるからでしょう」


「……え?」


「人は、終わりが見えると、“今”を捨ててしまうんです」


静かな声だった。


「でも本当は、終わるその瞬間まで、全部“今”なんですがね」


私はカップに口をつけた。

妙に苦い気がした。


外は静まり返っている。


ラジオが時刻を告げた。

「衝突まで、あと一分」


私は息を止めた。


だが――何も起こらなかった。


一分が過ぎ、二分が過ぎた。


私はゆっくりと顔を上げた。


マスターは、変わらずそこにいた。


そして言った。


「ほらね」


「……何がです?」


マスターは、少しだけ笑った。


「ほとんどの人は、“終わり”が来る前に、自分の生活を手放してしまう」


私は外を見た。

誰もいない町。


エンジンを止めたままの車が、何台も放置されている。


マスターは続けた。


「終わりは、まだ来ていないのに」


コーヒーは、まだ温かかった。

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