〜特別編 歩き出す世界〜
今回は、“特別編”です!!
テーレがソウマたちが出会うまでの数年と世界になった最初の時のお話です!
「――よし、じゃあ君、今日から“世界”ね」
……は?
「いやいや、そんな顔しないで。ちゃんとした理由あるから!」
女神は軽いノリで笑った。
「君、前の世界でずいぶん大変そうだったじゃない?
だからさ、ちょっと特別枠。転生っていうか……昇格?」
「……昇格?」
「そうそう。人やめて、世界やってもらう感じ。
あーでも、心配しないで。意識とかちゃんと残るし。
退屈したら風とか火とか動かして遊んでいいから」
「そんな簡単に言われても……」
「細けぇこと気にすんなって。
あ、あと“名前”いる? ないとややこしいんだよね」
女神は指をぱちんと鳴らす。
「この世界の名前は、“スゴイセカイ”」
「……適当だな」
「神の命名センスなめんなよ。響きが大事なの、響きが」
女神はあくびを噛み殺しながら続けた。
「ま、とりあえず異世界ライフ...じゃないか!世界ライフ!楽しんで。最初は暇だろうけど、そのうち誰かが面白いことしてくれるよ」
「誰かって?」
「あー、それは言えないやつ。ネタバレになるから」
「……神がネタバレ気にすんなよ」
「うるさいなぁ、物語の流れって大事なの! はい、がんばって!いってらっしゃーい」
そう言って女神は、手をひらひらと振った。
そして、世界がひっくり返るような光の中に、俺は沈んでいった。
――目を開けたとき、俺はもう“佐藤”ではなかった。
目という器官はどこにもないのに、世界のすべてが見えていた。皮膚も鼓膜もないのに、風の撫でる音も、土の乾いた匂いも、遠雷の腹の底に響くうなりも、ぜんぶ“内側”で震えていた。
ーーー俺は、世界だった。
最初の瞬間は、歓喜に近かった。
川が岩を舐めていく角度のわずかな差、草いきれの層が午前と午後で入れ替わる瞬間、土中で眠る幼虫の夢の浅さ――それらが全部、同時に届いてくる。
(すげぇ……これが世界になるってことか)
人間としての感想が残っていたのだと思う。驚きはすぐ楽しさに変わった。俺は高山の雪庇をわずかに崩して日当たりを整え、遅れていた高山植物の花芽を一斉に起こした。海辺では潮の満ち引きのリズムを半拍だけずらして、渡り鳥の群れが追い風に乗れるよう風向きを撫でた。小川では石をひとつ転ばせて流れを直し、干ばつ続きの畑にだけ夜露を厚く降ろした。誰にも気づかれない、ごく小さな“整え”が楽しくて、何日も、何十日も、夢中になった。
やがて俺は、一つの谷に目を留めた。
丘に抱かれた、小さな村。昼下がり、子どもたちの笑い声が空に透けていく。棒切れを振り回しながらわらだたみに突っ込んでひっくり返っている黒髪の少年――ソウマ。転んでも痛いより先に笑う顔だ。
その少し離れた木陰で本を開き、風の向きを読むようにページをめくる銀髪の少女――ルミナス。
花畑では、額に汗を浮かべた巫女装束の少女――リアナが、口の中でそっと祈りのことばを繰り返しながら、苗の根をほぐしている。手は不器用なのに、触れるものをやさしくする手つきだ。
(……いいな)
俺は風のかたちで、彼らの周りに腰を下ろしたつもりでいた。ソウマが転んで見上げる空の明るさを、ルミナスの睫毛の影の鋭さを、リアナの爪の間に入った土のあたたかさを、同時に“感じて”いた。
だが、どれだけ近くにいても、俺の声は届かない。葉を鳴らせば風のせい、土を柔らかくすれば季節のせい。
(誰かと...話したい)
胸のどこかに、ぽつ、と小石が落ちた。ひときわ小さな衝動だった。それが思ったより深いところに沈み、波紋がなかなか消えなかった。
――だから、俺は分身をつくることにした。
手順はこうだ。
大地の核である“重み”を芯にし、海の記憶である“ゆらぎ”を混ぜ、風の“軽やかさ”と火の“速さ”を薄く帯びさせる。そこに、昼と夜の境で採れる“静けさ”を薄く膜にしてかぶせ、形を保たせる。最後に、魂の座を空けておくための“余白”を、まるで器の内側に釉薬をひくみたいに塗る。
一回目。
立ち上がった。瞳が開きかけた。次の瞬間、火の速さが勝ちすぎて、全身が燃え尽きるように光って散った。
(速すぎた。呼吸の間合いがない)
二回目。
今度は“重み”を増やした。大地の安定が勝って、形は保たれたが、動かない。声をかけても、瞼は震えもしない。石像のようにきれいな“人の形”が、崩れていく
(重すぎた。心が、置き去りだ)
三回目。
“ゆらぎ”を厚くした。今度は目を開いた。だが、意識が空にほどけてしまう。見上げて笑って、風の粒に戻っていった。
(軽すぎた。留める紐がない)
失敗のたびに、世界のどこかが少し響いた。川の水位が一瞬だけ震え、森の鳥が同時に黙り、山の中腹で雪が粉のように崩れた。世界である俺にとって、それは自分の咳払いが響いたみたいなものだったが、胸の内では別の震えが起きていた。
(ごめん...)
名もない魂の断片に、何度も謝った。声は届かない。けれど、謝るという行為だけは、俺の中の人間の部分をほんのすこし温かくした。
十回、二十回、三十回。配合は無数に調整した。
ある夜、ため息が星に触れたとき、ふと気づいた。俺は“理”ばかりを見つめて、ただ一度も“佐藤の記憶”に触れていなかった。
(俺は、どうして分身を作っていたんだっけ)
理由はひどく単純だった。
孤独だったから。
あの村の子どもたちと、一緒に笑いたいから。
パンの焦げ目の匂いを“俺の鼻”で嗅ぎたいから。
頬が痛くなるほど寒い朝に、白い息であいさつを交わしたいから。
(なら、それを芯にすべきだ)
俺は、自分の“寂しさ”を少しだけ剥いだ。指で摘まめるくらいの、ほの白い欠片だった。それを魂の座に置き、薄く水でのばすように周囲の感情――嬉しさ、怖さ、安心、悔しさ――の記憶で滲ませる。
あとは、呼吸の間をあけること。
“速さ”に“間”を混ぜる。
“重み”に“浮力”を差す。
“ゆらぎ”に“節”を通す。
人間の体は、規則と不規則のバランスでできているのだ、とやっと腑に落ちた。
――朝。鳥が最初の声を落とす時刻。
分身は、ゆっくりと胸を上下させた。
目が、こちらを見た。
枯草の匂いに鼻がわずかに動き、日差しに細い目尻がすこしだけ寄った。
「……さむ……」
最初の言葉が、白い息になって空に浮いた。
俺は笑いそうになって、笑い方を一瞬忘れ、そして笑った。
身体があるということは、その瞬間に世界が反転することだった。
冷たい。眩しい。重い。喉が渇く。膝が笑う。
どれも、久しぶりすぎて泣けてくる。
立ち上がって、膝を払う。土の粒のざらざらが指腹に残り、その無数の触覚が一斉に「おかえり」と言っている気がした。
ーーーーーー
最初に訪れたのは、小さな交易村だった。
谷を抜け、丘を越えた先。
市場ではパンの香ばしい匂いが漂い、子どもが駆け回っている。
「お兄さん、旅人?」
振り返ると、小麦色の肌をした少年がいた。
「そうだ。旅の途中でね」
「じゃあ、パン食べてけよ! 母ちゃん、焼きたてだって!」
パン屋の店先では、ふっくらと膨らんだパンが並んでいた。
女将が笑いながら俺に目を向けた。
「見ない顔だねぇ。旅人さんかい?」
「ああ。……少し、長い旅をしてるんだ」
俺は、目を逸らし頭を指先で掻きながら答えた。
「そうかい。なら、これでも食べていきな。塩気が強いけど、元気が出るよ」
女将はニッコリとした笑顔で焼きたてのパンを渡してきた。
「あ、ありがとう」
一口食べた瞬間、胸が詰まった。
塩の味、麦の香り、焼きたての熱。
歯でちぎる感触、唇に残る粉。
(ああ……これだ。これが、“生きる”ってことなんだ)
涙がにじみ、女将が困ったように笑った。
「そんなに美味しかったかい?」
「……ええ。とても...」
村の人々は温かかった。
老人が麦畑を見せてくれ、子どもが虫を捕まえて見せてくれた。
俺は笑い、彼らと話した。
言葉のひとつひとつが嬉しくて、心の奥が震えた。
その夜、星空の下で村の子どもたちと火を囲んだ。
「ねぇ、旅人のお兄ちゃん。何を探してるの?」
「うーん……話せる誰か...かな」
「へんなの〜。でも、ここにはいっぱいお話できる人がいるよ?」
「そうだな...たしかに、そうかもしれない」
笑いながら答えた。
胸の奥で、なにかがじんわりと温かくなった。
⸻
翌朝、旅立つ前に山を見上げた。
遠くの稜線。朝日を背に、二つの影が剣を交えていた。
青年と、その父と思しき男。
鋼がぶつかる音が風に乗って届く。
(……あれは)
銀の髪が一瞬、光を弾いた。
青年――ユウマはまだ少年だった。
だが、その一振りに迷いがない。
父の教えを正面から受け止める剣筋。
その瞳の奥に宿るものは、冷たい炎のような決意。
(顔は見えないが……剣を振るう理由を、もう持っているのか)
その姿に、俺は目を奪われた。
やがて二人は稽古を終え、静かに礼を交わす。
その背を見送りながら、俺は歩き始めた。
⸻
「……そろそろ行こうか」
丘を下りながら呟く。
背中には陽光、頬には風。
村の女将が手を振っていた。
「またおいで、旅人さん!」
「ええ。また、必ず」
パンの香りを残したまま、俺は旅立った。
次の街、次の人、次の物語へと。
風が吹いた。
遠くの森がざわめく。
朝の光が大地を照らし、
俺の歩いた影が、未来へと続いていく。
⸻
(この旅の終わりで、もう一度誰かと笑える日が来るのなら――
俺はきっと、何度でもこの世界を選ぶだろう)
「さて、何をしようか。」
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