第2話
『――リス、アイリス』
『あ、おししょう様!』
家の近くにある花畑の中で寝転がって目を瞑っていると頭上から名前を呼ばれる。
目を開けると陽の光が眩しくてまた目を閉じると今度は小さく笑う声が聞こえ、手を引かれて体を起こされ、お師匠様が小さな私の目の前に屈んで目線が近くなるようにしてくれる。
『探したよ。何をしていたんだい?』
『お花にかこまれていました!』
見たまんまの真っ直ぐな言葉にお師匠様はおかしそうに笑った。そして彼は私の隣に腰掛けて私の顔を覗き込んでくる。
『アイリスは花が好きかい?』
『はい! いろんなお花があってだいすきです!』
『そうか。ならそんなアイリスにこれをあげよう』
『? なんですか?』
お師匠様に向き合うように体を動かすと、お師匠様は手を握ったまま私へ手を向けてくる。何だろうと首を傾げる私を見てお師匠様は小さく呪文を唱えてゆっくりと手を開くと、そこには先ほどまで何もなかったはずの綺麗なお花が乗っていて目を輝かせる。
『お花です!』
『アイリスという花だよ』
『アイリス? わたしといっしょ!』
『ああ、そうだよ。私はこの花が好きなんだ。だから君にこの名前を付けたんだ』
数年前、お師匠様が私を引き取ってくれた時、両親はすでに息を引き取っていたから名前が分からなかった。
名前に悩み、愛らしく笑う赤子の私を見て好きな花の名前を授けてくれた。お師匠様はこのお花のように可愛らしく成長してくれて嬉しいよ、と愛おしそうに笑うから照れてしまう。
私はお師匠様の手からアイリスの花を受け取って花を顔の前に持ってきて青空の下で白い花をかざす。
『わたしのお花……』
『はは。そうだね、これは君の花だ』
私の呟きにお師匠様は小さく吹き出して私の頭を撫でてくれた。私だけのお花というのはものすごく嬉しい。それにお師匠様が好きな花の名前を私に付けてくれたのはもっと嬉しかった。
『おししょう様! わたしもこのお花を出したいです!』
『ん? この魔法を使ってみたいのかい?』
『はい! わたしもわたしのお花、出したいです!』
『いいよ。教えてあげよう』
お師匠様は私に花を出す呪文を丁寧に教えてくれて、私はぎゅっと手を強く握りしめて拙い舌で教えてもらった呪文を唱えると、私の手の中が温かくなり淡い光を放つ。
手の中に物が入っている感覚にそっと開くとそこには花があった。だけれどそれは、お師匠様が出してくれた物とは違い萎れて枯れたアイリスの花らしきものだった。上手くできなかったことに目尻に涙を浮かべる私の頭をお師匠様が優しく撫でてくれた。
『大丈夫。これからたくさん魔法の練習をすればアイリスも綺麗な花を出すことができるよ』
『……ほんとうですか?』
『もちろん。君が私の弟子だからね』
『! はい! いっぱいいっぱいがんばって、おししょう様みたいにキレイなお花を出します!』
嬉しい言葉にぐっと握り拳を作ると、お師匠様は優しく微笑んだ。
◇◇◇
「お師匠様、これから村に行って来ますね」
「何かあるのかい?」
「村の子たちと遊ぶ約束をしているんです」
「そうか。気をつけて行ってきなさい」
「はい! 行ってきます!」
昼食を終えてそれぞれの時間を過ごしているとアイリスがそう言った。快く送り出すとアイリスは元気に笑ってドアを開けると駆け出していった。
こちらに向かって手を振る彼女を窓から手を振って見送り、先ほどまで座っていた椅子に戻って読みかけの本を手に取った。
「…………ん? もうこんな時間か」
何冊目かの本を読み終えてふと顔を上げると、窓の外がオレンジ色に染まっていることに気づいた。部屋の中は静かでアイリスはまだ帰ってきていないようだった。
アイリスがいないというだけで火が消えたかのように寂しく感じる。何百年も一人だったというのに、たった十六年で人生は変わるものらしい。ふっと口角を上げて、かけていたローブを手に取る。
「さて。可愛い可愛い愛弟子を迎えに行こうかな」
◇◇◇
「アイリス」
「あ、お師匠様!」
村に着いて彼女の姿を探していると、小さな子供たちに囲まれてしゃがみ込んでいるアイリスを見つけて声をかける。
嬉しそうに声を上げるアイリスに続いて周りの子供たちが「こんにちはせんせい!」と元気に挨拶をしてくるので挨拶を返す。
村に医者として来たり勉強を教えてあげたりしている内にいつの間にか先生と呼ばれるようになっていた。立ち上がったアイリスがこちらへと小走りで向かってくる。
「どうかしたんですか?」
「夕方になっても可愛い教え子が帰ってこないからね。迎えに来たよ」
「あ、ごめんなさい! 夢中になっていて時間に気づかなくて」
「大丈夫だよ。何をしていたんだい?」
「これです!」
アイリスは嬉しそうに握りしめていた手を開いて見せてくる。彼女の小さな手の中にはピンクのアイリスの花が乗っていた。
「これは……」
「私が魔法で作ったアイリスの花です! 今日お師匠様に花を出す魔法を教えてもらった夢を見て、それを子供たちに話したらおねだりされてしまったんです」
「そうか。上手にできているね」
「本当ですか! 嬉しいです!」
教えた頃と違って上手に花を出せるようになった彼女を褒めるとアイリスはすごく嬉しそうに笑った。彼女は自分が褒めると犬が尻尾を振っているかのように喜ぶから可愛くて気づいたらアイリスの頭を撫でていた。
それからアイリスは子供たちにせがまれてたくさんの花を出してあげているのを離れた場所で眺める。教えた頃はなかなか上手く花を出せずに泣きべそをかいていた彼女はアイリスの花だけではなく他の花も出せるぐらいに成長をしていた。
何百年も生きていると時間の流れがあっという間で、何も出来なかった赤子が大人の女性になろうとしている。あと数年もしたら彼女は自分の元を離れて独り立ちしてしまうのだろう。
感傷に浸っていると気づいたら空は夜の帷を下ろしていて、村の子供の親がご飯を食べていってと言ってくれてお言葉に甘えてご相伴に預かった。
夕飯を終えて村を後にしてから彼女の手を繋いで家路を歩く。魔法で先を光で照らしながら村であったことを楽しそうに話すアイリスの話に相槌を打つ。
「そういえばお師匠様、アイリスの花言葉は知っていますか?」
「いや知らないな」
女の子はそういうのが好きなのだろうが、男は花言葉に興味があるほうが少ないだろう。「私も知らなくてお花が好きな女の子に教えてもらったんです」とアイリスは繋いでいない手で白とピンクのアイリスの花を魔法で出して見せた。
「白のアイリスには〈純粋〉〈あなたを大切にします〉という花言葉があるらしいですよ」
「へえ。知らなかった。ピンクのアイリスは?」
この花は好きだが花言葉までは興味がなかったけれど色が違うだけで花言葉も違うらしく、少し興味が出てきた。
彼女の手にあるもう一つのピンクの花を指さすと、彼女は何故か視線を落とす。夜で暗くはあるが魔法の光のおかげで彼女の頬が何故か赤いことにも気づいた。
「……へへ! 内緒です!ところでお師匠様、ピンクのアイリスは好きですか?」
「うん?そうだね、好きだよ」
「へへ!私も好きです!」
よく分からないが彼女が嬉しそうだから良いかと顔を上げて、夜空で輝く星空を見るとあることに気づいた。
「アイリス、見てごらん」
「え? ……あ!」
アイリスは上を見る自分に習うように空を見上げると歓喜の声が上がった。満点の星空の中で一筋の光が走り、続いてまた光が走った。
隣を見るとアイリスが口が開けたまま目を輝かせて夜空に釘付けになっている。そして彼女はこちらを満面の笑みで見てきた。
「お師匠様! 流れ星です! たくさん流れてます!」
「そうだね。すごいね」
いくつもの流れ星にテンションが上がったのかアイリスは自分の手をぶんぶんと振ってくる。さっきまで大人の女性になったなと思っていたのに。
その顔は初めて見せる魔法に目を輝かせていた小さい頃のアイリスを彷彿とさせて自然と頬が緩む。するとアイリスははっとした表情をすると先ほどより顔を赤くさせて俯いた。
「は、早く帰りましょう!」
アイリスは赤い顔を隠すように前を歩いて手を引いて家路を足早に急ぐ。恐らく子供ぽくしてしまって恥ずかしくなったのだろうと察して、何も言わずに小さな手に引かれて歩いていく。
そんな二人を月と星が見守っていたのだった。